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1944年(昭和19年) 岡山県瀬戸内市邑久町生まれ。 現在、日本文芸家協会、日本ペンク ラブ、日本宗教学会に所属し、文芸、宗教・哲学、思想、経済などオールラウンドなフィールドで勉強中・・・。 著書に小説「如来が弁護してござる」「生生流転」とエッセー「交野探訪」「あるがままの世界」(正・続=共著)などがある。 岡山県立岡山工業高校機械科を卒業、一浪の後、立命館大学経済学部に入学、 昭和43年3月、卒業と同時に全国紙に記者として入社、37年間勤務、定年退職した。 大学入学時は、大学新聞に掲載された小説に感嘆(多分、文学部の学生が執筆)、新聞部かそれとも高校時代に洋画見たさなどからほんのすこしではあるが独習した英語を学ぶため、英会話クラブであるE・S・ S(イングリシュ・スピーキング・ソサイアティー)に所属するか大いに迷った。 これが面白くなかったら断固、新聞部に入ろうと思いつつ参加したE・S・S の合宿の雰囲気が大変良かったのでそのままE・S・Sに。 3年次、プレジデン ト(委員長)を務める。 E・S・S時代で印象に残っているのは、東京の早稲田大学、明治大学などの英語クラブと討論するために2年次と3年次に代表団の一員として東京に行ったことである。 また委員長時代、10数人のハワイ大の学生が本学に来訪、急きょ、討論会を開くこととなり、司会を務めた。 その際、末川博総長も同席され、終了時、総長に労われたことも忘れがたい。 また4年次に経済研究会にも所属した。 新聞記者の道を選んだのは、一般の企業より自由に働け、かつ勉強できるのではないかとの思いがあった。 それと中学、高校時代には記者になろうという思いは全くなかったのであるが、大学時代に小学4、5年のころ新聞記者に憧れていた記憶がふと強烈に蘇えったからだ。 その選択はおおむね正しかったように思っている。
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