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1944年(昭和19年) 岡山県瀬戸内市邑久町生まれ。 現在、日本文芸家協会、日本ペンク ラブ、日本宗教学会に所属し、文芸、宗教・哲学、思想、経済などオールラウンドなフィールドで勉強中・・・。 著書に小説「如来が弁護してござる」「生生流転」とエッセー「交野探訪」「あるがままの世界」(正・続=共著)などがある。 岡山県立岡山工業高校機械科を卒業、一浪の後、立命館大学経済学部に入学、 昭和43年3月、卒業と同時に全国紙に記者として入社、37年間勤務、定年退職した。 2010年10月27日から11月28日までの1カ月間、インドに滞在、多くのことを学習できた。 『インド3部作』を向こう1−4年の間に書き上げる所存。 その第1弾として『世界はインドで回っている』をこのたび刊行致しました。 ご期待ください。 大学入学時は、大学新聞に掲載された小説に感嘆(多分、文学部の学生が執筆)、新聞部かそれとも高校時代に洋画見たさなどからほんのすこしではあるが独習した英語を学ぶため、英会話クラブであるE・S・ S(イングリシュ・スピーキング・ソサイアティー)に所属するか大いに迷った。 これが面白くなかったら断固、新聞部に入ろうと思いつつ参加したE・S・S の合宿の雰囲気が大変良かったのでそのままE・S・Sに。 3年次、プレジデン ト(委員長)を務める。 E・S・S時代で印象に残っているのは、東京の早稲田大学、明治大学などの英語クラブと討論するために2年次と3年次に代表団の一員として東京に行ったことである。 また委員長時代、10数人のハワイ大の学生が本学に来訪、急きょ、討論会を開くこととなり、司会を務めた。 その際、末川博総長も同席され、終了時、総長に労われたことも忘れがたい。 また4年次に経済研究会にも所属した。 新聞記者の道を選んだのは、一般の企業より自由に働け、かつ勉強できるのではないかとの思いがあった。
中学2年次には画家を夢みたこともあったが、大学4年次、就職を前にして小学4、5年のころ新聞記者に憧れていた記憶がふと強烈に蘇えったからだ。
その選択はおおむね正しかったように思っている。
◇ --- --- --- --- ---◇ --- --- --- --- --- ◇ 『世界はインドで回っている』は約152頁です。 帯び文は≪これだけは押さえておきたいインドビジネスの秘訣≫です。 これだけ見れば≪ハウツーもの≫のように思われるかもしれませんが、インド進出に伴い、ビジネスを展開するうえで欠かせない≪教養書≫であります。 インドは後、半世紀でGDP(国内総生産)で日本を抜き去る見通しです。 さらに米国の銀行大手のシティグループはそのころはインドが世界1の経済大国になるーーとの見通しを明らかにしているほどです。 だからそのころは当然、経済でも政治でもインド抜きには語れない、動かない時代となります。 日本の政治・経済にも大きな対応が迫られてまいりましょう。 それはともかく最近、日本の自動車・家電などのインド進出は目覚ましく私が勤務していた日本経済新聞朝刊の1面のトップ記事になったこともあります。 そこで第5章で≪インド経済の現在と近未来≫で日本企業のインド進出の実態と課題を詳述しました。 しかしながら、インドは古来より≪神秘の国≫と言われてきました通り、生半可な知識だけでは全く通用しません。 そのために第1章として≪インドの風土と歴史・<ウパニシャッド>(インド最高の哲学・宗教書)≫ 第2章はハタ・ヨーガ(ヨーガ)≪ウパニシャッドの説く梵我一如>をこの世で実現するために生れたのがヨーガであることを説き明かした≫ 第3章はサンスクリット文学(インド文学)<ゲーテもインドの大詩人、カーリダーサの劇からヒントを得たなど> 第4章はサンスクリット語学習記(大谷大学で聴講生として3カ月私が学んだ体験を記した) 第5章は前述した通りですが第1章から同4章まで読んでいただければより立体的に経済という側面からインドの今と未来を掴んでいただけると思います。 | ||