如来が弁護してござる・・・

   

閑話 新年明けましておめでとうございます。


今日から大方の職場では仕事始めであろう。

 定年後生活を送っている私にしても、今日はゴミ出し当番の日であった。初仕事である。昨日まで夜型の生活が続いていたが今日は午前 7時半ごろに起床した。


 え!起床午前7時半!そんなの当たり前でしょうといわれかねないが、正月の特別テレビ番組などを見ているとどうしても就寝は午前 2時過ぎになる。


 交野市のゴミ収集車がほぼ定刻の 9時 20分ごろにやってきた。私はこれより先に拙宅のゴミ袋、 3つを持ち出してから、箒と、水を入れたプラスチックのバケツを持って行く。


 正月明けであるから各家庭ともいつもの 2、3倍のゴミ袋を出している。

 烏や猫などがゴミ袋を破いて中の物を食べに来るのを防ぐため長方形で厚手の防水カバーをゴミ袋の上にかけているのだが今日は満杯で 2枚のカバーを使用している。

 もう皆さんゴミ袋を出し終わっただろうと確認してから9時 10分ごろカバーを取り除き収集車を待つのだ。


 3、 4人の方がゴミ袋を手際よく収集車に投げ込むのだが、ぽろりとある袋から卵の殻がはみ出し道路に落ちた。

 お、これは私の仕事になるなと思ったが1人の方がそれを拾い上げて収集車の中に放り入れてさっと車に乗りこんだ。早業である。


「ご苦労さまでした」と収集車を見送ってから道路を箒ではいてから、水を勢いよく道路に撒いて作業は完了。


 今夜は枚方市でヨーガ体操がある。何事も最初が肝心。今年は一工夫した体操ができるように頑張りたいと思うのだ。( 2007年1月5日)

 


閑話:交野市では商いができないーとある人が嘆いていた。


飲食業をはじめ様々なサービス業がここ 3,4年で閉鎖、休業に追い込まれていると聞いた。


日銀の調査発表などをみても景気は上向いているとの認識が示されているが概して大企業中心の動向ではないかと思える。
しかもそれが消費需要を喚起するまでには至っていないのが現状のようだ。

 消費需要が旺盛になってこそ中小企業を含めて経営環境が上昇基調になったといえるのではなかろうか。


 私ごとに限れば、大型チェーン書籍の交野店の先年の閉鎖は困りものだった。拙著の『交野探訪』をいつも平積みで売ってくれていたのが閉鎖を機に駄目になった。


交野市の中心街にあっただけに利便性などからみても閉鎖は残念でたまらなかった。


 そこで枚方市にある野村呼文堂だけになったがこの年末だけでも平積み販売が完売し、新たに問屋に注文を出したとの店長のお話であった。ありがたい。


 交野市の方が近鉄百貨店に買い物に行ったついでに買ってもらったのかとも思う。


また、よくよく考えてみればかなりの交野市の人が京阪電車経由で大阪方面や京都方面に勤務されたり、遊びに行かれたりしているので枚方市がこの地域の人の流れの結節点になっているのかもしれない。


だから同店は立地条件がいいのだろう。


 交野市は同著に書いているように歴史が古く自然環境も素晴らしくいいがやはり、それに即したような衣食住の揃った現代的かつ文化的環境づくりも必要ではなかろうかとも考える昨今ではある。

 果たしてどうか。様々な意見が出てきそうだ。

 いやいや木下さん、緑と歴史的文化を維持すればいいと・・・あなたの著書を読んでもそう思ったが、と。そうです。私も決め手を欠いたままの愚案の中にあるのです。( 1月16日)

 

閑話:昨夜、茨木市のK造園業者さんから電話があり、寒肥(かんぴまたはかんごえ)」を庭木にやる時期なので若い者をやらしますがいかがですか、とのこと。


 「OK!よろしくお願いします」


午前 10時半、Kさんがやってきておよそ 1時間で我が家の庭、前庭の木々に寒肥を丁寧に施してくれた。


 よくよく考えてみれば、家を建てて以来、家内が 1度やったとの話だが恐らく稚拙なやりかただったと思うので 20年振りに寒肥を施したことになる。


 昨年夏は毎日のように庭に水やりをしたのが効を奏したのか初めてアロエが 3つそろって新春早々に赤みがかった花を咲かした。
 

水やりも私が現役中にはほとんどやっていないから、我が家の庭木はよその庭木より、育ちも勢いも劣っていたのもいまから考えると、むべなるかなである。


 ところで寒肥とは庭木が休眠中の冬場にやると、木々の根っ子を痛めないばかりか、土中で微生物によって寒肥がほどよく分解される。

春になるころは、根から栄養分が吸収され、幹や枝に蓄えられ開花時期には木々は元気よく葉っぱを付け花を咲かすという。


 Kさんが寒肥に使ったのは油粕を中心材料にして化学肥料を混ぜたもの。彼の説明によると、油かすは土に浸透しやすく化学肥料は肥料効果を長持ちさせるという。


 今春はどんな花々が咲き、またどんな新緑を輝かせるから今から楽しみにしている次第。( 1月29日)

 

閑話:読者の皆さん、私はこれまでは書いた文章を自力で苦労して立ち上げていました。

 文章よりもこの立ち上げ作業で難航することがしばしばでしたが、縁あって工学部を出たH君に出会い、彼の指導で簡単な立ち上げ方法を学びとりました。

これを機に生活エッセイを充実したいと思っていますのでご期待ください( 1月30日)


 

閑話:昨日は節分で氏神である星田神社節分祭に家内と共に出掛けた。

 恒例の豆撒きは午後3時、同5時、同7時の3回あったがおよそ600人が参加した。


 冒頭、佐々木久裕宮司がマイクを持ちながら今年の福を呼び込もうと「皆さん、大笑い」をしましょうと呼び掛けると「わっはっは・・・、わっはっは」の「福笑い」が神社を包み込むように辺りに木霊(こだま)した。


その余韻が覚めやらぬまま総代さんや役員の方々が佐々木宮司を囲み威勢のいい掛け声とともに豆(ピーナッツ)を投げ込むと我先に福をいただかんと氏子さんらは歓声を上げながら一斉に手を差し伸べていた。


 中には大きなビニール袋を持ってこられた人も見かけた。


私はついでに家内安全、交通安全などを祈願し、祈祷を受けた。

 禰宜の大祓いの声に敬けんに耳を澄まし、鈴の涼やかな音を頭上に聞きながら頭(こうべ)を垂れていたら一瞬、静謐の中になにやら光を見たような気がした。


 今年はきっと良いことがあるに違いない。(2月4日)


閑話:『如来が弁護してござる 暁烏敏「小説」満之・涙骨・・・』を世に出して4年以上になる。

 このHPの生活エッセイの冒頭にこの本にまつわる事柄を列挙したままにしているのはこの小説はこれまでの著作の中でもっとも苦労して生み出した点からである。

 某有力出版社からD賞に値するかもしれないとベテランの編集者が骨折ってくれた経緯があったことも。結局様々な理由から落選した。


 また私が書き上げると同時にある有名な作家(今は故人)の暁烏敏に関する小説が有力雑誌に連載が始まり、連載後すぐに上梓された。

 従って私のこの本は後塵を拝したことになり、老舗の出版社数社に当たったものの前作があるからと丁重に断られ世に出すのに大変な苦労があった。今から考えると、よく頑張ったものだと懐かしく思える。


 今日、出版社の担当者から売れ行き具合に関する資料が届いたが、それによると、上梓から4年も経つと注文が止まってしまう書籍が多数あるなかで地道ではあるが依然として注文があるのは弊社としても嬉しいことです、とあった。

 有力取次店の名前が列挙してある。


 嗚呼、あれだけ汗を流したのだからその甲斐があったと思った次第である。

 また清沢満之の孫に当たり、曉烏姓になった清沢哲夫氏のHPに関連書籍として私のこの本が掲載されているのも嬉しいかぎりである。


 読者の皆さん、今後ともよろしくお願い致します。(2007年2月9日)

 

閑話今年は選挙の年です。

今、民放で田原さんのトーク番組を見ていたら、石原都知事が生出演していた。これまでの都政について識者などから厳しい質問が飛び出していた。

 石原さんは臨機応変に答え、今年の都議選に出馬も表明した。

作家から、衆議院議員に転出、青嵐会のリーダー的存在で活躍していたが、何があったか、リタイヤされ、その後、圧倒的支持から都知事に。中小企業向け金融機関を創設したなどの石原氏ならはでの新機軸を打ち出した。

今日のトークではその金融機関が赤字になっていることが問題視されたが、その建て直し策を早急に講じるべきであろう。

それは必ず、中小企業ばかりでなく都民からも大きな支持を得る布石のの一つともなろう。

一方、民主党を中心とした野党も石原氏に対抗すべき立派な候補者を早く擁立し、都民の信を問わなければなるまい。

東京都はまさに我が国の顔である。都知事選の結果は来るべき参院選の勝敗にも大きな影響を及ぼすに違いない。

都民は都政の在り方について改めて真摯かつ多角的な観点から考察し、選挙に向かわなければならないことは言うまでもない。(2月11日)

 <追伸>つい最近、国家の品格(藤原正彦)を読破、日本人が本来持っている情緒を取り戻すべきであると様々な観点から言及している。

 新渡戸稲造の説く「武士道精神」の復活をと筆者は強調する。

 また古来、紫式部らが生んだ日本文化に自信と誇りを持つべしと数学者の立場から述べるなど読者をしてあっそうかと思わず引き込むのは圧巻だ。いずれ読書感をHPにたちあげます。(2月11日)

閑話;私は40年以上も吸い続けたタバコを今年の私の誕生日をもって禁煙を決意した。

 親戚筋でも60歳ごろになって健康を考慮して止めた人が多かった。

しかし実際はタバコへの未練があってつい離煙パイプを購入した。

 31本の離煙パイプがあって1日何本吸ってもいいが、1日ごとにパイプを替え、次のステップのパイプに替えるのだ。

 いま5本のパイプを変えたから、事実上、禁煙の準備に入っているのだ。

 これまでは長くて細いルーシアを吸っていたがこれだとパイプの穴にぐすぐすなので短くてパイプにちょうどはまる短くて太いタバコに変えた。

 銘柄はピースである。

 そういえば20歳前後の吸い始めは確かピースであったから締めくくりにげんが良いと思いピースをパイプに差し込みながら、ぷかぷかと紫煙をくゆらせている。

 説明書によると、31本のパイプを使用し切ってもなおニコチンは多少残るとみて吸いたくなったら水を飲むなどの注意書きがあるではないか。 

 でもそれに耐えられなかったら、決心を裏切ることになる。意思の強い人はパイプなどに頼らず、きっぱりと即禁煙を始めるという話も聞く。

 私の場合これで禁煙できなかったら大恥である。えい、頑張るまでよ!禁煙に成功したら読者に報告いたします。(2月12日)

 

閑話:今日の予算委員会を午前と午後NHKで見た。

 菅さんや岡田さん、前原さんらが格差問題や政治と金の問題、外交問題について各大臣に真摯な姿勢で質問攻勢をしかけた。

 いずれも民主党の大物だけあって閣僚の皆さんも真剣な中にもやや緊張気味に発言を繰り返した。全体としていち国民として様々な争点が明らかになり、大いに勉強になった。

生放送でのこうした議論はおおいに歓迎できる。今年の参院選挙の帰趨が注目される。(2月13日)

 

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閑話今年の春は地球温暖化の影響か4月に入っても最低気温が私が住む交野市の隣の奈良市では氷点1度を記録した日があったなど極めて寒い日があり、慌てて暖房器具を出し暖を取るなどど異例の対応を迫られた。

 そんなわけかどうかしらないけれど私のちょっとしたミスでコンピュータが故障しました。簡単な立ち上げ方式を学んだからと一瞬、油断したのが原因。

 このため約40日分の文章のデータを喪失しました。

 改めて立ち上げ操作の難しさを認識しました。操作技術の向上に今後は努力を傾注したいと思っております。

これからはじっくりと構えて生活エッセイを書きますのでどうぞよろしくお願い致します。(4月10日)

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閑話:今日も隣の団地の南星台団地を半周し、妙見宮の鳥居の前で脱帽してお辞儀をし、ものの15秒ほどであるが家内安全を祈願し、そこから最も長く急な坂を上るのだ。

 私はこれを「超ミニ回峯行」と名づけ原則雨の日は除いて毎日約1時間かけて散歩することをこの欄で紹介したがコンピュータの故障で約40日分の生活エッセイのデータを喪失してしまったのだ。

 従って改めて説明を加えなければなるまい。「超ミニ回峯行」と名づけたのは酒井雄哉師の2度にわたる回峯行が印象的であったが、私のような凡夫にはちょうどこれくらいの散歩ですらやや苦行に近い。そこで師の精神的スピリッツを取り入れながらそう呼ぶことにしたのだ。

 さらに言うと西田哲学や鈴木大拙翁の思想についての研究で知られる上田閑照先生が若かりしころ大拙翁を訪ねて対話なされた翌朝、起床したところ大拙翁は、もう朝靄の中を疾走するがごとくの速さで大股で歩いていたということがこころをかすめたこともその名をつけた所以なのである。

 おそらく大拙翁はやもうえず独自の禅学を説明するため使った分別的思考、思索で疲れた頭脳をリフレッシュするためか分別的思考を粉々にしてしまいたかったに違いない。

上田先生がそんな大拙翁を見て目を瞠ったということを何かの本で読んだような記憶がある。

 そんなスピリッツも倣いたいと思ったからだ。

 最初にこの散策ルートを紹介したころはアンダーシャツが汗ばむ程度であったが今日あたりはシャワーを浴びなければならないほど全身汗びっしょりで帰宅したのだった。シャワーは爽快だった。

 私の願望であるがこのルートを80歳までは続けたいと思っている。(4月15日)

 

閑話今日も「超ミニ回峯行」に昼過ぎに出掛けた。今日、たいへいのヘルシー食事を宅配してきた女性が「今日は肌寒いですね」と挨拶代わりに応えた。

 玄関に出てもそう感じたのでいつものスポーツウエアの上に薄手のジャンバーを羽織って歩きだしたのである。ちょうど良かったと思いつつ歩を進める。いつもだとこのあたりで汗が噴出してきてくるのだがと頭を過ぎる。今日は終盤のあの長くて急な坂道の中ごろでやっと体が温まり汗がゆっくりと出だした。

 ちょっとしたいつもとは異なる違和感を覚えながら帰宅した。今日はシャワーをしなくてもいいだろうと思ったがアンダーシャツがやや汗ばんでいたのでシャワーを浴びて下着を替えた。昨日書いたような爽快感はなかった。

 BSで英語ニュースなどを見てから、リビングの窓を開け、庭の草引きを始めたが寒くて15分程度でやめた。ついでに洗濯ものを取り込んだのであるが、洗濯ものも乾いているものの寒さで冷たくなっていた。

 今、書斎に入りキーを叩いているが、暖房を入れた。漸く書斎が暖かくなってきた。一体、今日の最低気温は何度であろうかと日経新聞を取り出して天気欄を見たら大阪は11度とあるが交野市は奈良に近いからと奈良を見たら8度となっている。

 私が住む妙見東団地は山間にあるからさらに低いのだろうと納得した。今は午後4時過ぎ、夕方に近づくにつれ気温は下がるだろう。

 寒の戻りにしてはやけに遅い。なんだか今日は気分も寒々となりそうだが、午前中に見たイチローの先頭打者本塁打を含む5打数4安打の活躍だけがこころ温まる思いがする・・・(4月16日)

 

閑話五木寛之さんの著作「『林住期』を半日で読んだ。古代インドでは人生を4つの時期に分けて考えたと五木さんは語る。「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」がそれである。

 人生100年と想定してそれぞれ25年ずつ。学生期と家住期を人生の前半とし、現役の時代。林住期と遊行期を人生の後半とし、五木さんは林住期を人生のうちでもっとも輝ける時と考える。確か今、五木さんは74、5歳でいらっしゃると思う。

 ならば林住期の最後のお年ではないか。してみると、この著作は団塊の世代や定年を迎えて自分探しをしている最中の60代の我々後輩に向けられて発したエールではないかと思える。

 世は今、少子高齢化の時代で労働力を確保しょうと60歳の定年を65歳まで延長しよとの動きも企業の中に出てきだした。これに沿って働くのもよし、60歳で定年し自分の人生を謳歌するのもいいだろう。

 しかし凡人の私など現役時代にできなかったことをしようと意気込んで60歳で定年したものの、五木さんのおっしゃるようにいまだに輝かしい時を生きているという実感には程遠いが、確かにこの本を読んで励みになった。

 私はこの本を読みながら故白川静先生の過ごし方を想い出していた。私の記憶では先生が本格的に著作活動に入られたのは五木さんの言われる林住期の後半の70歳代になってからと思う。

 白川先生はそれまでの漢字の研究成果を具現化、「字統」「字訓」「字通」の字書3部作など多くの著作を世に出された。

 この欄でも白川先生についてよく書いたと思うが私がご自宅に伺ったのは先生90歳のころだと思われる。先生は96歳で惜しまれながら逝かれた。

 大きな親しみ深いお声で漢字ついてお話をしてくださった。50代後半の私などより元気はつらつとされていた。

 林住期を通り越し遊行期まで人生をまっとうされた人生の達人でもあった。

 「愛宕山入る日のごとく赤々と残れる命燃やし尽くさんと歌ったのは「善の研究」で知られる西田幾多郎である。

 偉大な2人に登場してもらったが私は凡人なら凡人らしく五木さんの言われるように林住期もさることながら遊行期まで充実した人生を過ごしたいと思ったものだった。(4月17日)

 

閑話:ちょいと郊外に食事に出掛けて引き返して交野市駅前広場に着いた昼下がりから冷たい雨がぱらぱらと降り出した。バスにしようかそれとも・・・タクシーに乗ろうかとそれぞれの乗り場に目をやり、思案したがタクシーに乗り込んだ。

 やっと治りかけてきた風邪をさらに悪化させてはたまらない、との気持ちが働いたからだ。家に着いてNHKのニュースを見たら、九州の阿蘇地方に雪が降り、30センチ近くも積もったという。これではこの寒さも納得せざるを得ない、とガスヒーターをつけた。

イチローが2試合連続の先頭打者本塁打を打ったとサイトで知り、元気をもらったような気がしてきてきた。じゃ私もと、いつものように散歩に出掛けるかと思いつつ夕刊各紙を取りに玄関に出てみると冷たい小雨が団地の道路にそぼそぼと小さな音を立てながら降り続けている。

 これでは駄目だと「超ミニ回峯行」と銘打った散歩を中止した。酒井師が達成した本物の行ではこれくらいの氷雨のような天候でも意に介せず挙行する。

 なんと軟弱な意志かと呆れたたが、「えい、凡人じゃがな」。風邪を完全に治すのが今は最も大切なことと自分に言い聞かせてキーを叩くことにした。

 さてこれからどうする・・・。家内に言われている風呂場の磨き掃除でもし、後はテレビでも見るかと定年後生活の超平凡な一日を送りそうだ。(4月18日)

 

閑話4月17日にこの欄で西田幾多郎を紹介したが、ふと思い出したので書く。西田のような大哲学者もはやりそうかと納得したことがる。いつか読んだ本での記憶だが、西田は実際、参禅した経験がある。

「そうではありませんか。呼吸を整えることは人生でもっとも悦楽を覚える瞬間ではありますまいかね。ねえ、君」と彼を慕う後輩に言ったそうだ。

西田が同郷の鈴木大拙を大谷大学に招聘を同大学の三代目学長の佐々木月樵を介して実現させたのも西田であった。

西田と大拙は無二の親友であった。相互に学問の上で研鑽しあった仲であった。禅は呼吸を整えるところに重きを置く。ある禅僧は「禅とは呼吸そのものである」と喝破した。

 さほど呼吸は大切なものである。先だって紹介した五木寛之さんの著書「林住期」にも呼吸の大切さを述べられている。

 今、私が学んでいるヨーガも呼吸の仕方には重点を置いている。今日、金曜日は午後6時から2時間のヨーガに参加する。前回もかなりの時間を割いて呼吸の仕方を学んだが今日もそうである。

 昼食を取ってからいつもの1時間の散歩をする。シャワーを浴びてから暫く読書、そしてヨーガに向かう。(4月20日)

 

閑話昨日は家内と一緒にゆっくりと妙見東団地の周囲を一周した。午後5時ごろであった。まだこの時間は日が長くなっているので明るいし、この日は幾分暖かかった。

 この団地の住宅は501軒ある。どこの家も垣根や庭に植えられている木々が新緑を輝かしていた。途中、団地を囲む山々を眺望しても薄緑、濃緑、やや濃い緑が重なり合うように新緑の装いに染まっていた。

 「おいこれは絵になるな・・・」などと妻に語り掛けて半周したころは山はぐっと迫り、また違った趣を見せていた。私は思わず立ち止まって見惚れた。新緑が微かな色の濃淡をつけ、その新緑を茶褐色か黒がかった幹や枝が勢い立つように支えてる。その対照が見事で新緑の季節を告げていた。

 ついこの間までは桜が咲き誇り、団地並木に桜色の彩りを添えていた。

 私もこの欄で何回も寒い、寒いとぼやいていて団地の横の妙見宮近くから東に延びる有名な桜並木にも2回足を運んだが、余りの寒さに屋台も店を閉め、人出は閑散とし、今年ばかりは桜並木の桜を堪能できなかった。

 しかし、自然の営みは人間のえてかってな心理とは別に沈黙のうちに自然と装いを変えていたのだ。昨夕は改めて新緑に染まった景観を眺めながら季節の移ろいを感じとったのである。木々の営みの確かさに畏敬の念を持った。

 「またやみん交野の御野のさくら狩り、花の雪散る春の曙」(藤原俊成)の看板の英文を寒さに震えながら書き取ったころがまるでうそのように思い出される。自然の営みの移ろいに改めて瞠目したのであった。

せっかくだからその英文を以下に記しておこう。

Cherry blossom.viewinng at Myouken tells us that sprinng has come to Katano.Just as the Poem says to come and see agein piking cherry blossoms in the fields of Katano the dawn of spring with the riot of flowers(Fuziwara Tosinari,Shikokin Waka Anthology),the Katano chrry blossoms have been composed in many Waka since olden times(4月22日)

 

閑話:力石徹が死んだ。漫画雑誌に好評連載されていた「あしたのジョー」のプロボクサー、ジョーこと矢吹丈の宿命のライバルであった。

 1970年の漫画雑誌の元旦号で勝負は熱闘の末、力石徹が主人公のジョーを破ったのだ・・・。

 その力石が試合直後死んだのだった。ジョーと闘うため2階級下のランクまで厳しい減量の末臨んだこの一戦。この減量の様子は克明にこの欄に書いたが、私のコンピュータの操作ミスで消えてしまったので思い出しながらもう一度再現する・・・。

 力石はついに減量を諦めた・・・。もう彼には減量する辛抱に耐えかねていた。水が欲しい・・・、一滴でも・・・水が・・・。

 彼はついにジムの部屋中の水道の蛇口を探したまわった。だがどこの蛇口も堅い紐でしっかりと結ばれ閉じられていたのだった。

 そんな厳しい減量に耐えて力石はジョーに向かった。この減量から勝ち取った精神的なパワーがジョーを倒したのだ。

 が、彼は試合終了直後、ジョーから受けた強烈なパンチのダメージや無理な減量などで体の機能低下か、あっけなく死んだのだ。

 天才詩人、寺山修司は自ら弔辞の原稿を書くなど実際に力石の葬儀を執り行ったのだ。約800人の弔問者が集まったほどだ。

 1969年は大学紛争が各地で巻き起こった時だった。私個人のことに限れば前年の1968年に全国紙に入社している。と、同時のこの年はGNPで米国に次ぎ世界第2位の経済大国になっている。

 そんな時代背景に寺山は力石の葬儀を執り行ったのだ。天才詩人の胸中はどこにあったのか・・・・。力石は確かに金持ちの支援を受けて力を磨いた。力石を体制派の人間と見立てたのか、それとも減量に苦しむ力石の姿に私のように魅了されてのことだったのか・・・。今は亡き寺山に聞くすべもない。

 その後のジョーは目標を失い、苦悩の日々を送るがやっと立ち直り、世界チャンピオン戦に臨む。ジョーはひたむきに相手のホセに立ち向かうが惜しくも敗退した・・・。

 ジョーはリングの椅子に腰を据えたまま動こうともしない。体は真っ白だった。彼は燃え尽きたのだ。ジョーは死んだのかまだ生きているのかも判らない・・・。その姿を見せながらこの人気マンガは(完)。

 しかし、彼の口元は満足そうに微かに笑っており、左目はやさしく読者の方に向けている・・・。

 私は彼、ジョーは生きていて日本のどこかの街でこころ安らかに五木さんの語る「林住期」の輝かしい人生を満喫していると確信しているのだが・・・。(4月23日)

 

閑話:いや全く重要なことを忘却していた。この欄でも以前紹介したが確かプロ野球評論家の豊田さんは定年後は不規則になりがちだと新聞に寄稿されていて我々に警鐘を鳴らされているなと思っていたのだが・・・。書いた本人の私が就寝午前2時ごろ、起床は9時ごろになっていてずっとそのままで今日に至っていたのだ。

 そんなことをふと思い出し、昨夜は午前零時過ぎに就寝、今日は7時半起床した。宅配のヘルシー御膳の朝食を家族より早く取り、NHKの連続ドラマ「どんど晴れ」を見た。その後、家内に任せていたごみ出しをする。

 やはり早起きは気持ちがいい。そこでなんでもいいいからとキーを叩く気になったのだ。豊田さんは家の植物に朝水をやらないと可愛そうだから、早起きするとおっしゃっておられて感心したものだった。

 私はいつも「どんど晴れ」を夕方のBS2の再放送で見ていたのであったが、今日に続き明日からは午前8時15分から見ることに決めた。

 このドラマは主人公のヒロインが老舗旅館の女将修業を目指す物語である。どんなに苦しくとも笑顔を絶やさないで女中の「いろは」から健気に努力していくさまがよく描かれていて朝のドラマとしてふさわしい。

 また午前7時45分からはBS2であのハワイからやってきた女英語教師の奮闘記「さくら」が再放送されている。

 朝は爽やかドラマで爽やかな気分で1日の始まりにしようと思った次第。(4月24日)

 

閑話:今日は枚方市の書店、野村呼文堂で書籍を四冊買った。書斎にある本を少しずつ読んでいかなくちゃーと思っているのだが、興味のある本が出版されるとつい買い込んでしまう。

 どうしても堪えきれないくて思わず買ってしまうのだ。そのうちの一つ日本経済新聞出版社刊行の「どくとるマンボウ回想記」が面白そうだ。英会話が終わったら喫茶店に入って読み終えようと思っている。

ユーウモアたっぷりの書き方が好きである。今から愉しみだ。(4月25)

 

閑話NHKのクローズアップ現代で「日本人の志・城山三郎氏の心」を見た。大変興味深くあっというまに30分が過ぎた。

 氏の言葉として「あの戦争体験がなかったら私は作家にはならなかったであろう」(木下要約)は印象的であった。私は戦中派と名乗ることのできる最後の人間の1人である。昭和19年生まれであるから終戦の時は満1歳になっていた。

 さらに私より5,6歳上の人は焼夷弾が落とされる中を逃げ回ったと聞くから、彼らは戦争体験者である。

 そんな話を聞くにつれ私は何か一種の引け目を感じる時がある。城山さんは戦争に志願して実際に行ったのである。私の戦争に対する想像をはるかに超える体験をなさったのだから説得力がある。

 城山さんを知る多くの方が番組で城山さんのことを語っておられたが、気骨の人、志を大切にする人などと具体例を出しながらであったから、より城山さんに対する理解と関心が深まったような気がした。

 私は番組が終わるとすぐに私の書斎を探しまくった。城山作品の中で最も早く読んだのは官僚たちの夏」であった。

 通産次官を務めた佐橋滋氏がモデルであった。佐橋氏は今、議論されている官僚の天下り問題があるが、そんな次元とは異なる人生観を持っていて退官後は金に無縁の組織に入り、悠々自適の定年後生活を送った人物である。

 ここにも佐橋氏自身の志があり、確固とした人生哲学あり、城山さんがそこに惹かれたのだろう。

 もう一度読もうと思ってこの本を探したのだが、ついにみつからなかった。残念なり。

 結局、経団連会長を務めた石坂泰三の世界に迫った「もう、きみには頼まない」永田耕衣を描いた「部長の大晩年」の2冊が見つかった。

 これを機に再読しようと思う。私も年を取った分、購入時より、より深く読めるのではないかとまた愉しみが増えた。(4月26日)

 

閑話:「2006 is set to be remember as the year the euro replaces the world`s favrite currnncy. Accordinng to the Financial Times, the total value of euro notes in circulation is likely to exceed the greenback this month. 」

greenback=ドル札

 これは昨日の英会話で使用したCNNのテキストの一部で意味は以下の通りである。

 「2006年はユーロが米ドルに代わって、世界で好まれる通貨となった年として記憶に残るだろう。フィナンシャル・タイムズ紙によると、ユーロ紙幣の流通総額は今月(12月)、ドル紙幣を上回りそうだということだ」

 私はおや、これは初耳だと思い、定年後の不勉強に恥じ入ったものだ。考えてみれば、私は主要各紙4紙をとっているものの、現役時代のように克明に読んでいないのだから、当然と言えば当然のことである。

 これを機に新聞の読み方を現役時代とは異なった角度から今の私にあった読み方を編み出さなければならないと痛感した。

 しかし、英会話でこの関連の問題を討議するのであるから日頃の怠慢を補えるとはいうものの、日々のニュース感覚を磨く努力を惜しまないようにしなければ日本ペンクラブ会員として失格だろうとおおいに反省した次第である。(4月27日)

 

閑話;「もうきみには頼まない」と「どくとるマンボウ回想録」を同時並行的に読んでいるがこれまでの読書の印象を書く。

 まず再認識したのが石坂泰三の博学であることだ。東大法学法学部で法律関係の勉学はいうまでもなかろうが、ヒルティの「幸福論」やカント、ヘーゲルなども読み、さらにシェークスピア、スコット、テニスン、ゲーテ、シラーなどを読み耽った。

 城山によると、くり返し、くり返し読んだという。さらに英語やドイツ語で読み、ときには日記をドイツ語で書いたという。

 私が思うに石坂は明治生まれの教養人であり、論語などにも精通していたのだ。城山に志のある人間、経営人として書かせしめたのはそんな教養の中で培われた志を石坂の世界に見出したからであろう。

 経団連会長を経済界の総理と世間で認知させたのはいつにこの石坂に始まる。歴代の総理大臣や大蔵大臣にもはっきりと物申す御仁として私も多少、青年時代には知っていた。

 が、この小説は城山が詳細に取材し、実名で登場させていることがなにより、石坂というおおいなる存在を浮き彫りにしていることが魅力でノンフィクションとしての面白さがある。

 まだ詳細には語れないが石坂を通して戦後経済のまた経済界の一端を覗くことができるのも愉快に読み進めることができる。

 この本で一息入れるような感じで格好の読み物が「どくとるマンボウ回想録」である。北杜夫自身の性格をユーモアを交えながら分かりやすい文体で綴られているのがよい。私は「楡家の人々」を文庫で読んだ記憶が微かに残っており、北氏の人となりが立体的に把握できる。

 躁鬱状態を繰り返すさまについてもあっけんからんと書いているのもいい。これも氏を包む医学的環境がそうさせていることと氏の作家魂ではなかろうかと思う。この本のよさはどこの章から読んでもある程度氏を知っている人なら氏の文士的側面も理解できる。

 2冊とも読んだらもう一度この欄に印象記を記す所存である。(4月28日)

 

閑話:「もうきみには頼まない」も最後の章を残すのみになった。昼下がりから読み出して2時間ぐらいだろうか、さぁー残りは明日の愉しみにといつものコースの散策に出かけた。約1時間を要する。

 この散策でこれまで書き忘れたことを記さなければならい。浄水器で浄化した水をペットボトルに半分ほど入れていつも歩くのだ。この水自体が体にいいことに加え、血液をサラサラにする効果があるからである。

 成人の体の60%は水でできており、老化防止にもよいからとも聞く。講釈はこれぐらいにしてともかく歩くことの効用についていうまでもない。

 「木下さん定年されたら是非歩いてくださいよ!ね、木下さん」と内科医にやんわりと言われたことを定年後2年目に入ったころにふいと思い出したのだ。

 そのころヨーガを始めて1年半ほどたったころだと思うが、ヨーガの後は酒は飲むはステーキを喰らう。「これも定年の後の愉しみじゃわい」と内心ほくそえんでいた。

 そんなこんなで体重が現役時代より3キロ近く増え、さすがに、む・・・これはいかんと散歩に力を入れ、やっと今、現役時代と同じぐらいに体を絞れた。

 前に書いた通り、酒も昨年11月から完全に絶った。それでも甘いと煙草に挑戦したがこれだけはやはり無理であった。

 でも1日、1箱半つまり30本吸っていたのを何とか1箱まで抑えたが、家族には「なんじゃ、やっぱり」と嘲笑されている昨今ではある。が、今に見とれ!口惜しい!!(4月29日)

 

閑話:憲法施行60年を迎える今年ーー。昨夜、NHKスペシャル「日本国憲誕生」を見た。

 圧巻の出来栄えであった。敗戦から1年余りでいかにして今の日本国憲法が作成されたのかが、様々の資料やその作成にかかわったアメリカや日本の政治家や学者らの証言を基にドキュメンタリータッチで構成されていて大変見ごたえがあった。

 1)1条 天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 2)9条 @日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

     A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この2つの条が最も作成時、GHQと日本政府の間で熱い議論が交わされ、また戦勝国の注目を浴びたのであった。

 また新憲法施行後、国際環境の変化の中で9条の改憲か護憲か議論が紛糾した。今日改めて施行60年を機に改憲の動きが浮上している。

 施行後60年の今、我々国民はどうこの憲法に向き合えばいいのだろうか。この番組はその原点に立ち返り、憲法を身近なものとして考える貴重なものだった。

 私ごとになるが、中学校時代、憲法の全文を暗記させられた記憶がある。瞬く間に全文を暗唱できた当時の頭脳の柔らかさに今思えば、驚きである。

 ただ今回の番組のように作成時の歴史的経緯については、全く教えてもらえなかったのは残念な思いが募るのだが、戦争体験とともに憲法についても今の若い世代に伝えていかなければならないのが大人の責任ではなかろうかと、改めて思いを深くしたのだった。(4月30日)

 

閑話:夜半に起床す。小用も。こんなことは珍しい。はて困ったなと思ったが・・・キーを叩くことにした。天気予報通り、雨音がする。今朝は午前9時からゴミ当番で、雨の日はちと大変だ。

 傘を差しながら、交野市役所のゴミ収集車が来るのを待たなければならない。そして後片付けも・・・。

 む、やっかいだなとの思いが脳裏を交錯する。

 今は午前4時半をちょっ回ったところで眠るより、ましかと思いキーを叩いているが窓外から聞こえる雨音が書斎でキーを打つ音とがしじまの中で唯一波長を合わすように調和して夜半の静けさを一層際立たせる。

 現役のころは、車で同3時ごろ家に到着、夜食を酒なしで半分ほど食べてからおもむろに外に出て団地を半周する散歩に出かける。

 そうすると、星の瞬きを天に仰ぐことができる。その中で際たつように輝く北斗七星や北極星を眺めることができた。

 爽やかさを感じとってから風呂にゆっくりと入り、残した半分の食事を肴にして酒を1合飲んでから静かに眠りに落ちたものだった。

 懐かしい・・・。

 5時ごろになると窓外の闇が次第に明るくなってきた。ここにも季節の移ろいを感じる。今日から皐月だ。(5月1日)

 

閑話『もうきみには頼まない』を一昨日読み終えた。1995年の2刷の本である。従って12年前に私はこの本購入したことになる。私が50歳ごろである。

 この間、再読という表現を使ったが、読んでいてすべてが真新しく新鮮に私のこころをとらえたのであるから、当時少しは読んだか、あるいは全く読んでいないかのどちらかであろうと思ったのである。

 また城山さんが逝かれた歳から勘定すると、66歳ころに書かれたことになる。城山さんの最盛期のころの作品ではないかと推察する。

 巨人、石坂泰三の世界が具体的事例に基づいて自然と石坂の人となりが伝わってくる素晴らしい作品であると納得できた。

 昭和47年1月8日、新春を迎えての石坂の感想とし、城山さんは次のような氏の語りを取り上げている。

 「毎日、日が暮れては又明ける。一体地球は今迄又これから先何時迄つゞけるのだろう。その間に生まれてきた私達人間は何とカゲロウのごとき存在である事よ。いくら考えても判らない唯はかないものだけである事だけが感じるられるだけだ。悔いも喜びも何と果かない事よ。喜ぶこともないし悔やむ事もない様な気がする。併しこの世での私は誠に幸せ者で唯々感謝に堪えない気がする

 大阪で開かれた日本万博の会長として成功裏のうちに終わらせた後のころの言葉である。

 この言葉の中に石坂の大きな世界観が潜んでいると私は感じた。

 先に石坂は大変な教養人であると書いたが、私はそうした石坂が経営人として様々な経験を経た後に単なる教養溢れる経営者、経済人としての枠を生身で超え、宇宙的かつ人類史的世界に触れた一瞬を持ちえた1箇半箇たる人物ではなかろうかと何回も恣意を巡らせた。

 芭蕉が奥の細道で語る「月日は百代の過客にして 行きかう年もまた旅人なり」という言葉が浮かんだりしたのだが・・・・。石坂の言葉に近いような気もするのだがどうだろう。私には石坂の言葉のほうが肉感的に感じる。

 それに愛妻、雪子に去られた哀しみは人一倍強く、多くの短歌を詠んでいるが次のようなのがある。

 「冬の日の日ざし静けしひとりをれば来しかたを思ひ亡き妻ををしのぶ」

 改めて城山さんならではのこの作品に敬意を表する次第だ。(5月2日)

 

閑話:今日は憲法記念日。現憲法は還暦を迎えた。

 各紙とも様々な観点から社説などで論陣をはっている。朝日新聞には全面を使った意見広告が載せられているなど各紙とも憲法記念日にふさわしい紙面になっている。

 せめてこの日ばかしは自分のこれまでの人生と憲法を重ね合わせながら思いを深めてみたいものである。

 私に限れば15歳の時、つまり高校一年生の秋が印象に残っている。1960年10月12日、東京・日比谷公会堂で講演中の浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年に刺殺されたことである。

 この時、浅沼は61歳であった。政治家としてこれからという時に命を奪われたことは、今から考えると主義主張を超えて実に惜しい政治家であった。

 私は当時、この突然の悲報を校内放送で知った。優れた校長であるとの評判の高かった校長がこの報を緊急に命じ、校内に流したのだと思う。それ以降の高校生活で校内放送は聞いたことがなかった。私はなにか全身が身震いしたような記憶がある。

これより先の同年7月19日、新安保条約を自民単独で可決させた岸信介首相が辞任した後を受けて池田勇人氏が首相に就任している。

 池田首相は改憲はせずとの姿勢で、12月27日に所得倍増計画を発表、この機を境に日本経済は高度成長を続け1968年には米国に次ぐ世界第2位の経済大国になった。

この間、改憲、護憲の論争は表面的には影を潜めた。そしてバブルの崩壊・・・・そして今があり景気の堅調さは言われているものの、歴然たる格差社会を迎えている。

 こうした中で憲法施行後60年を迎えた。各人各様の意見を深めるべきだろう。(5月3日)

 

閑話:朝、7時50分ごろに起床、大リーグ、マリナーズ対レッドソックスを8時過ぎから見た。結果は、8対7でレッドソックスがせり勝った。先発の松坂大輔はやや精彩を欠き、5回5安打7失点で降板した。奪った三振は1個だけ。

 注目されたイチローは松坂に対して安打なしで後続のピッチャーに対しても快音は聞かれず無安打2四球で期待に応えられなかった。

 城島もヒットなし。3時間をゆうに超える熱戦の試合ではあったが、イチローをはじめ日本人選手の目に見えた活躍がなかったので私としては残念な試合展開ではあった。

 さて話は変わるが、城山三郎さんの『部長の大晩年』を読み出した。先にも書いたが、俳人、永田耕衣のこれもノンフィクションタッチの小説である。

 永田が55歳で三菱製紙高砂工場を定年退職してから話は始まるが永田は97歳の生をまっとうした。あの阪神大震災に遭ったが難を逃れ生き抜いた。

 城山さんは石坂泰三には直接会わずに力作を書いたが今回、耳がやや遠くはなったがそれこそ大晩年まで句作を続けていた永田。彼が居た大阪府寝屋川市まで城山さんは足を運び、顔を合わせ取材している。

 経済ジャンルとはやや異なる世界を生き抜いた俳人、永田耕衣の世界がどう展開されていくのか愉しみだ。(5月4日)

 

閑話:今日も午前7時半に起床した。マリーナズ対ヤンキースを見るためでもあるが、昨夜は午後11時にはテレビのスイッチを切り、就寝の準備に。恐らく午前零時前には眠りに落ちた筈である。目覚時計なしで自然と起床できた。

 新聞社の現役時代は願ってもこのような規則正しい生活はできなかった。ありていに言えばいつ寝ていつ起きるかは日によってばらばらであったからだ。取材記者時代も似たり寄ったりであった。

 まず思うことはよく37年間も体がもったものだとつくづく思うのだが、丈夫な体を先祖様からいただいたものと感謝せざるを得ない。

 私の知る多くの先輩、後輩らが現役のまま病気で無念の死を遂げたことをこころから惜しんだものだ。皆優秀な人材ばかりであった。

 だから私は平凡ながら体を大切にし、永田耕衣のような卓越した才能はないが、私なりの「大晩年」を過ごしたいと思うこの頃である。(5月5日)

 

閑話:もうぐっすり眠ったと思って起床したらなんとまだ午前3時半であった。中途半端な起床は近日中ではこれで2度目である。小用に。

 さあーてと・・・どうするかと煙草を一服してから、む・・・やはりパソコンのキーでも叩くかと3時40分からパソコンに向かう。天気予報だと今は雨が降っている筈であるがその気配はない。

 今日は13日に行われる妙見東団地の一斉掃除のため、リサイクル委員を仰せつかった私は今日午前10時から2時間ほど、その時、使用する電動式草刈機約20の点検と使用方法を委員長のK氏ら数人とともに行うことになっている。

 むろん、専門家を招いての点検と講習である。

 それなのに、こんな早く起床して大丈夫かとの思いが募る。でも不思議なことに短時間の睡眠でも熟睡したような気分である。

 また家内もマシーンに全く不器用な私をきずかってその講習会に参加するという。私にとればおお助かりである。今日と本番の13日の大掃除の際、無事故で団地一斉清掃がとどこおりなく終了することを願うばかりである。(5月6日)

 

閑話私は毎夜、就寝する前に1枚の紙に私が今日1日にしたことと、妻、と息子にアドバイスめいた文章を書くことを習慣にしている。

 筆ペンで書くのであるが書いている途中でふと筆ペンが止まるときがある。む、む・・・この字はどう書くのやらと・・・。何とか思い出す場合が多いのだが、全く忘却しているときがたまにある。そんなときは仕方なく電子辞書版の広辞苑で調べる。

 これは単に加齢によるものだけではあるまい。このようにパソコンでキーを叩き、文章を書いているほうが多いからだろう。この欄でもしばしば漢字のことを教育と絡めて書いたことがある。

 明治・大正生まれの方、もしくは昭和一桁世代、つまり戦前の教育を受けた方々は概して難しい漢字でもすらすらと書けるのだ。

 私は何も教育勅語的な教育を礼賛する意図はさらさらないが、国語教育は絶対に見直ししなければならないと思っている。

 パソコン世代の今の少年少女や若者は、将来の国・地域の担い手になるのだから是非、1日に1度はパソコンを離れて鉛筆や筆で漢字を書く習慣を身につけてほしいと思う。

 この間、どの新聞かは忘れてしまったが、昨年、全国に先駆けて「日本語教育特区」に認定された東京都世田谷区が日本語の授業を始めたというニュースが載っていた。

 語彙の習得に力ををいれるとの方針で古典を中心にして李白の漢詩、「静夜思」や論語などを学ばせるという。大いに結構ではなかろうか。語彙が増えるし、漢字も同時に学べる。教養豊かな人格が形成されるからだ。

 偉大なる漢字哲学者の白川静先生もあの世で「それですよ。大切なのは!」と大きな声とともに頷いておられることだろう。(5月7日)

 

閑話:むーー。それみたことか。いったこれをなんとする・・・。8日付の朝日新聞と読売新聞の1面に小学校や大学教授らで作る日本教育技術学会(向山洋一会長)が全国の公立の約480校、3万8千人の児童・生徒を対象に行った調査結果が、掲載されており、「漢字が書けない!!」実態が明らかになった。

 それによると、小学校3年で「親切」と書けるのが38%、同6年で支持と書けたのはわずか7%というではないか。

 中学校については具体的な漢字例については書かれていないが、朝日新聞によると、同学会事務局長の談話として「中学生以上では漢字の書ける子と書けない子の差が開いている」とのことだ。

 日本経済新聞によると、テレビを見る時間の短い子どもの方が正答率が高かったという。

いずれにしろこれは由々しき事態で英語教育の振興よりもっと重要ではなかろうか。時代を担う子ども達がこんなことでは困るのである。

 先日書いた「日本語教育特区」のように教育現場の教育環境を充実させることが喫緊の課題ではなかろうか。

 私ごとになるが、週一回の英会話に通っているが、カナダ人の男性教師、リチャードさんは漢字を練習することに傾注しており、先だっての授業でさっと蛆虫(うじむし)と漢字で披瀝したのには驚いた。

 日本の愛国心を育むということが肝要との姿勢が政治レベルでは最近喧しいが、政治家諸氏にはこうした教育現場の実態を十分に把握する必要がありそうだ。

 国語教育の充実なくして他者とのコミュニケーションもうまくいかないし、さらには漢字教育の充実により古典など日本文化を理解してこそ地域・国を愛するこころが自然と涵養されてくると思うのだが・・・(5月8日)

 

閑話:昨日の生活エッセイを書いてからまたコンピュータの調子が悪くなった。自分なりに想定してコンピュータをいじってはみたものの、入力不可能になった。私よりコンピュータに詳しい仕事帰りの息子に昨夜頼んでみたものの、やはり駄目であった。

 そこで若いがしっかりしたしたシステムエンジニアのHさんに来てもらって調べてもらったら、キーボードが壊れているとのことだった。

 彼はただちに勤務する本社の支店がある枚方市までキーボードを取りに行き、壊れたキーボードととっかえてくれた。今そのキーボードでこの文章を書いているところである。前のより、叩くと弾力性があり、何か新しい気分で書けるような気がするのだ。

 彼は今、英語に取っ組んでいるとのことで話も弾んだ。そういえば明日は英会話に通う日だ。さて何を話すか・・・。15年間もアメリカとカナダに駐在していたMさんにおいてさえも予習をしていたというから私にとっては励みになったものだ。

 これから例の散歩約1時間に出掛けようと思う。散歩中にふと話す内容が浮かんだりするのである。体を鍛える、英会話の題材探しと一石二鳥となればいいのだが・・・(5月9日)

 

閑話:今、英会話サークルに行って帰ったところである。様々な話題が上がり、議論は活発であった。常連の約10人であるが教師はカナダ人のリチャードで先日紹介した。日本人教師は村田さんで恵まれた環境で歳を忘れてデスカッション・・・。

 私は憲法問題を議題に取り上げた。今月の3日で施行後60年を迎えた。私なりの見解を述べながら不思議にもふいと池田勇人首相の顔が脳裏を過ぎった。

 1960年7月19日に池田首相が登場し、所得倍増計画を掲げ経済発展に力を入れ、その後、表面的には国民レベルでの護憲、改憲の議論はやや影を潜めたとは、過日、この欄で書いた通りである。

 事実、1968年にはアメリカに次ぐ経済大国になり、池田首相は所得倍増に成功した。池田首相は1964年10月25日病気療養のため辞意を表明した。

 時あたかも、第18回オリンピック東京大会が無事終了した翌日のことであった。池田首相にとっての花道はまさに戦後、廃墟と化した日本が完全に再生したことをこのオリンピック開催で世界に発信したことである。それを見届けたような決意の辞任であった。

 池田首相の胸中や如何・・・。私は池田首相は安堵と満足感で満ち溢れていたのではないかと思うのである。

 11月9日、全閣僚留任のまま佐藤栄作内閣が発足したのも私にとれば印象的な出来事として記憶に残る。(5月10日)

 

閑話:午前7時過ぎに起床。朝刊各紙を玄関の新聞入れから取った後、連続ドラマ「さくら」の再放送を見た。私は5年前にこの連続ドラマを見て大変感動し、2002年のちょうど今ころ、この欄で感想を書いております。

 このドラマの見どころは主人公のハワイ育ちの日系三世のさくらが日本の中学校の英語教師として赴任してきたところから始まる。日本の伝統が今なお息づく飛騨地方の大家族の蝋燭(ろうそく)屋に下宿するこにとなる。

 英語教育の在り方を浮き彫りにするだけでなく日本人のこころについて彼女は感動と驚きととも真っ正直に受け止め次第に日本文化に目覚めていく。同時にアメリカ文化も我々日本人に理解を深める機会を与えてくれる。非常に優れた連続ドラマである。

 興味のある方は2000年の春から始まったこのドラマの私の印象記をアットランダムではあるが感想を毎日のように書き込んでいますのでご覧ください。

 また今、進行中の「どんど晴れ」も心理描写と出演者の演技が優れており、旅館を舞台にしたドラマでヒロイン夏美の演技も抜群で爽やかな気分にさせてくれる。

 大女将を演じる草笛光子さんは老舗旅館の伝統を伝えるだけでなく日本文化の原点をも表現されておりいつも感動している。

 さて未来のおかみを目指す夏美の明日はどうなるのだろ、愉しみである(5月11日)

 

閑話:1昨日から原則夜11時でテレビを消し、後は静かに読書や新聞の読み残しの記事にさっと目を通し、就寝は零時半にすることに決めた。従って昨朝のように素晴らしい連続ドラマを2つも見ることができるのである。

 そして大リーグをBSで副声音の英語で聞きながら観戦するのである。英語での実況は独特の言い回しがあるものの次第に慣れてくるものである。時にいい慣用句が耳に入り込む。そんな場合には、それを何回も繰り返して覚えるとか、ノートに記載することもある。

 大ファンのイチローが登場する時など耳の感度が増し、野球が愉しめる上に英語の学習もできて素晴らしいひと時を過ごすことができる。野球観戦が終われば大概昼食時間になる。昼飯を取ってからが私の自由時間である。臨機応変に時間を有効利用すればよいことにしている。

 夕方の5時を目安に例のコースの散歩で約1時間を費やす。洗濯ものの取り入れ、風呂の掃除をしてから神棚に向かって感謝を込めて大祓の祝詞などを唱える。

 夜の帳がおりてから妻、息子の順に職場から帰宅してくる。息子はやや帰りが遅いので夕食は家内と2人だけで取る。これが平均的な1日の過ごし方である。

 自由時間が充実した日ほど時があっという間に過ぎる感じがする。要はこの基本パターンを基にいかに創造的な生活を送るかだと思っている昨今ではある。(5月12日)

 

閑話今日は妙見東団地一斉清掃であった。午前8時から同10時半ぐらいまで班長とリサイクル委員をしているため、家内は班長の仕事を分担し、私は同委員として清掃に参加した。

 8時ちょうどに委員と班長が参集する集会所前の広場に行ってみるともう他の委員や班長の皆さんは集まっており、草刈機などが並べられていた。リサイクル委員長のKさんの指示のもと一斉に清掃が始まった。

 草刈機の使用を進んで申し込む人もあり、皆さん、班ごとに分かれて持ち場で懸命に草を刈る作業が行われて、けがをする人もなく無事終了した。

 これより先の5月6日、リサイクル委員会を開き、草刈機が上手く作動するかどうか専門の業者さんに来てもらい、18の草刈機を点検してもらったのであった。

 また昨日は個人的な野暮用で参加できなかったのだが委員長をはじめ委員・班長の皆さんの中から自主的に集まって草刈機を使って1部の清掃現場で実際に草刈作業をされたのだ。

 このようにしてこの日を迎えたのであるが事故を起こさないことに加え、清掃を通じて自治会員501世帯の相互理解を深めることにあると思った次第である。(5月13日)

 

閑話:憲法改正の手続の基となる国民投票法が今日、14日の参院本会議で採決され、自民、公明党の賛成多数で成立した。

 これに伴い、現憲法改正への道が拓けたことになるが民主党など野党は審議不十分だとして反対した。原則18歳以上に投票権が与えられるなど幅広い層に関心が大いに高まることに期待したい。

 これが7月の参院選挙にも大きな影響を及ぼすに違いない。これまで無党派を決め込んできた人々も厳しい選択が迫られることになる。

 私どもの世代は学生運動も盛んでこうした政局の動きに敏感に反応していた。果たして今の大学生は政治に関心があるのかどうか意外と静かだ。18歳なら高校3年も満年齢に達すれば国民投票法に参加できるのである。

 若者の政治関心度が増すことに期待したい。自分の思考が良い大学、有名企業に入社することだけとは言わないが狭くて浅い意識から脱皮し、政治の動きにより敏感になって欲しいと思うのだ。

 高校では近代史を余り教えないと聞くがこれを機に昭和史だけでも自分でしっかりと勉強してもらいたいものだ。より深い視点でこの国民投票法に自力で向き合って欲しいものだ。

 また無党派層にも言えることではないか。日本は経済は一流だが政治は二流だと言われているのは政治家のみの責任だけではない。主権在民たる国民の責任でもあるのではないか。

 私は無党派層の方々には悪いが「私は無神論だ」というのに等しい響きを感じるのだ。政治に無関心でいられる時代は過ぎた。熱い政治の時代の到来なのである。(5月14日)

 

閑話産経新聞によると、今年のサラリーマン川柳の人気1位は次のような川柳だ。

 「脳年齢 年金すでに もらえます」

 最近やたらと脳の活性化を謳って漢字や算数ドリルの演習が盛んなようだ。私はこれを巡ってこの欄で大いに嘆息したり怒ったりしたものだ。

 それはあるテレビ番組である講師が以下のようなことをぬけぬけと言ったことだ。

 「漢字ドリルや・・・・・をやらせています」 そうやらせていますの文言にひっかかったのである。いくら漢字能力が落ちてもこんな講師には間違っても世話にならないと思ったものだった。

まずこんな国語の使い方しかしらないような講師の教養のなさを嘆きたい。まるで動物扱いの表現ではないか。

 正確には「ええ、漢字ドリル・・・・・などの練習をしていただいております」ではないか!

 読者の皆さん、とりわけ高齢者の皆さん、こんな教養のない講師の下で呆け防止対策などよして自分でまず新聞を読む、できれば現役時代に忙しくて読めなかった古典に挑戦することを提唱します。

 そうすれば脳の活性化以前の興味と好奇心が生まれるはずである。脳は、自然と生き生きとしてきて柔軟になること間違いない。

 戦後教育を受け我々世代や団塊の世代は漢字に弱い。○ ×式の試験をよぎなくされたのもその要因一つに違いない。

 む!む!60代の方、団塊の世代の方、安易な方法ではなく堂々とかつ躍動感のある老春を取り戻そうではないか!(5月16日) 

 

閑話:イチローが5月を迎えて躍動感溢れる活躍を見せ出した。昨日はテレビを見ていて思わず興奮して幾度もよーやった。イチロー凄いぞ!と叫びながら拍手をした。

 自己最多安打タイとなる6度目の5打数5安打を見事にやってのけた。おまけに2塁盗塁を決めた。

今日も初回にヒットを放ち、前々日からの連続打席安打を7とし、2003年6月以来、2度目の記録を達成した。また2盗塁を決め、アリーグ記録の連続盗塁を45に伸ばした。4打席2安打で打率を3割1分7厘とした。

 ともかく昨日のコメンテイター(解説者)に「彼のバッテングは芸術品でなかなか真似のできないことです」と言わせたのはさすがにイチローだ。そうこの「さすが」という言葉を何回も聴いた。普通のバッターだと打てないボール球をヒットにするのだから・・・。

 私がイチローのー大ファンになったのは走る、守備、打撃の3拍子そろった野球人として恵まれた天性に加え、スキル(技術)の向上にあくなき執念を持って、人よりも早く練習場に来て鍛錬を怠らない努力家だという側面を持っているからである。

 私が現役のころ深夜の車帰りの時、運転手さんによくこんなことを言ったものだ。

 「原稿用紙1枚に選手の人となりを書けと言われてもあのイチローだけはよう書かんわ」

 つまり、イチローは私達が持っている世界では推し量れない世界にいるからである。コメンテイターがさすがイチローですよね!という言葉を連発するのも当然である。

 イチローは世代を超えたヒーローなのだ(5月17日)

 

閑話:昨日は英会話の日だった。2時間ぶっ通しのデイスカッションであった。テーマは2つ。

 1つ目はエコライフを含む環境問題であった。電気や水などの節約方法が話題になり、いまこそもったいない精神(スピリッツ)を取り戻さなければならないとの意見が多数出た。

 顧みれば私達の祖父母の時代や両親の時代には物が不足していたからかも知れないが生活全般に節約するのだという意識が浸透していた記憶がある。

 私はデスカッションの中では取り上げることができなかったが私の記憶では明治生まれの大平正芳元総理は読書家で知られていたが生活態度は質素で大きな家には住んでおられたが、誰も居ない部屋に電気が点いていたら自分で消しに廻っていたというエピソードが何かの本に書かれていた。

 大平さんのように位人臣を極めた人でもこうなのである。大平内閣の時代は高度消費時代にすでに入っていたから恐らく話題として取り上げられたものと思われる。

 私達戦後生まれの世代は祖父母などから節約、そう、もったいない精神を教えられたにもかかわらず急速な大量消費時代の中でもったいない精神を脆くも忘れ去ってしまったのである。もっとも消費需要が盛り上がらなければ高度成長も続かなかったという側面もあるにはあるが・・・。

 この時、生活意識のありかたを示す哲学が欠落していたとしか思えない。

 2つ目は熊本市の慈恵病院赤ちゃんポストの設置についての問題であった。若者世代における貧困と育児困難、若者世代の命の尊さの欠如などが提起された。私はワーキングプア層の拡大傾向を指摘した。

 我が国の場合はバブルに湧き、そしてバブルがはじけた時代のいわゆる失われた10年の時代に就職期を迎えた若者世代は大卒、高卒とも就職率が極端に減少、もっぱら自己保全的な企業の論理がまかり通った時代である。

 派遣社員がいつのまにか現れ、さらには負け組み勝ち組などという見方をする世相も生まれた。その底辺にワーキングプア層が生まれたのだ。このような若者はまともな仕事や結婚もできなくて将来に悲観的になるのも当然である。

 まさにバルブに踊った大人の責任であろう。とりわけ政治家や経済人の責任は極めて大きい。赤ちゃんポストの設置は今の世相の象徴であると思うのだが・・・。(5月18日)

 

閑話今朝の日本経済新聞を見て言葉には表せないような感動を覚えた。それは文化面に「平和を願う「未完の履歴書」 城山三郎さんの遺稿のことが掲載してあったことだ。

 城山さん担当の筆者U氏にによると、今年3月に掲載予定の15回分、70枚近くが自筆の題字とともに2月15日に送られてきたという。

 「楽しかった思い出一つ書けといわれても、私などただの一つも浮かんでこない」と自らの青春と重なる戦争体験をこう凝縮して語られたという。

 遺稿となった原稿には3分の1近くが戦争について書かれていたという。

 城山さんは最初、赤紙の徴兵猶予がある愛知県立工専に入ったが、戦局が厳しくなっていく中、城山さんは徴兵猶予の特典を返上、終戦の3カ月前の17歳で海軍特別幹部練習生として志願、入隊する。

 純粋な愛国心の発露からだった。が、城山さんによると、夢見た帝国海軍に大義はもはやなく堕落しきっていたという。

 「朝から夜けまで、バッターという根棒で振り廻す下士官たちや士官。それも罰するというのでは無く、ただ狂ったように部下を撲りつけるだけ・・・(略)」

 私が察するに城山さんが見た軍は整然とした規律もなく、氏が夢見た国を思う志も戦争末期には廃れ切っていたのだろう。戦争下における人間の醜さを見せつけられ失望の極みに達していた城山さんだった。

 司馬遼太郎さんも戦車の傍にいた民間人を「轢き殺してでも行け!」という上官の叫びに驚愕と落胆を覚えたとある本に書かれていた。

 戦争の非人間性を体験した語り部らが去っていく。

 戦後生まれも還暦を迎えたり、迎えようとしている。かろうじて戦中生まれの私とて戦後やってきたアメリカ兵のジープが県道を走り去るのを見たり、廃墟と化した都市の復興を見ただけである。

 2周り年上の従兄弟のノートに大きな字で「ノー、モア、広島」と書かれたのを子どものとき見た記憶が鮮明にいまでも脳裏に焼きついている。

 所詮、それは戦争の実体験ではない。いま改めて我々世代も戦争の惨たらしさを追憶し、次の世々代に語り継がなければならない。

 そして今、世界の現実を直視し、いかに戦争を抑止し、このまほろばの国、日本の平和と平穏を守り、さらにまた世界平和にどう貢献していくかを真剣に考える時であろう。

 それにしても城山さんの「私の履歴書」はぜひ読みたかった・・・(5月19日)

閑話城山三郎さんの「部長の大晩年」永田耕衣の満開人生ーーを読み進めている。もう終わり近くになった。ところで当時は55歳が定年であった。耕衣は満55歳で定年を迎えた。

 いつごろから60歳が定年になったのかすぐ調べようもない

今から約40前は確か55歳の定年であったような確かな記憶が2つある。

 それは私の親父のことと私の大学の同窓生で同じ新聞社(その後朝日新聞社に移る)に入った親父が確か55歳で朝日新聞社を定年退職した記憶がある。その御仁は定年後、作家活動に入られた。現役時代に直木賞をもらった岡田誠三氏である。

 氏は定年後の生活を克明にかつユーモアを交えて語り、息子らの生活のさまや奥様との生活ぶりも正直にあぶり出していて共感を覚えながら読んだものだ。著作がテレビ化されたりもした。

 私の親父大和銀行(現りそな銀行)に勤めており、確か50代になってから滋賀県大津支店長を何年か務め、55歳で本体から離れ(定年)関連の信用金庫の常務理事などを務めるなどして69歳まで働いた記憶がある。

 親父が仕事を離れたのはその時、胃癌を患ったからである。

 結構、仕事が好きな仕事人間であった。余命半年ぐらいと言われていたが93歳まで生き抜いている。本人は逝くまで癌であること知らされていなかった。だだ父が悲痛な面持ちで私に電話してきたことがある。

手術後1カ月近く経ったころだろうか「声が出ないのだ・・・どうしてだろう・・・」。

確かに聞きづらかった。

 私が黒岩重吾さんの本で全身麻酔をかけた後は暫く声が出にくいということを知っていたのでそのことを伝えた。

 暫くして「ありがとう、ありがとう、声が出るようになった」と元気な声の電話があった。そんなことを思い出しながらキーを叩いているが、定年後の生き方は様々あるなと自分のことはほったらかしにしてこころをめぐらす。

 永田耕衣に戻る。

 城山さんが永田に感嘆して次のように書いている箇所がある。

「年をとると、生きる喜びが深くなる。深くなるというよりも、歓びを深く求めるようになる。つまり欲が深くなる。精神的な欲がふかくなる。私にあっては、旅をすることでもなく、世間に存在を媚びることでもない。古人今人の秀れた文章を毛穴から読みとることである」(昭和46年、耕衣が所属した琴座に寄せた原文通り)

 この時、耕衣71歳である。秀逸なる発言ではある。人まねでなく私もそろそろ自分流の人生をしっかりと歩まなければと思っている。(5月20日)

     

閑話:永田耕衣に触発されてか書斎の本棚を何気なく見ていたら、鈴木大拙i「日本的霊性」(岩波書店)の本が2冊見つかった。無くなったと思い2重買いしたのだろう。

 私は40代の前半に禅にかなり興味を持ち、鈴木大拙の本や久松真一や森本省念の本などを手当たり次第読んでいた時期があった。浄土真宗などの書籍にも興味を持ち渉猟した。

 正確に言うと当時の私を宗教の世界に誘ってくれたのは初代大谷大学の学長清沢満之であった。それから禅にのめり込んだようだ。道元の正法眼蔵を買い込んだこともある。同時に真言密教にも興味を持ち、高野山にも幾度も上った。

 私の祖父方は真言密教であったので私の深層心理の中に密教的な因子が潜んでいたのかもしれない。

 また母方は天台宗なので比叡山にも同じぐらい上ったものである。新聞社勤務の傍らのことであるから興味は注いだものの専門の学者のように深く読みこなせなかった憾みはある。

鈴木大拙の「日本的霊性」であるが当時読んだのだろうボールペンで赤線を引いてある箇所を以下に記そう。

 「業の重圧を感ずるということにならぬと、霊性の存在に触れられない。これを病的だという考えもあるにはあるが、それが果たしてそうであるなら、どうしてもその病気に一遍とりつかれて、そして再生しないと宗教の話や霊性の消息はとんとわからない。(略)」とある。

 これには私は全く賛成である。納得できるのである。偶然に書棚のほうから手を差し伸べるように大拙の「日本的霊性」が出てきたので60歳を過ぎての再読を試みることにした。(5月21日)

 

閑話:「部長の大晩年」ーー永田耕衣の満開人生ーーを読み終えたところだ。一言では言い表せない心地好い余韻が残る作品であった。あの阪神大震災に遭い奇跡的に生き残った耕衣は寝屋川市のとある特別養護老人ホームに移った。

 その時、城山は東京から最晩年の耕衣に会いに行った。もう耳はかなり遠くなっており、城山は対談はもう無理と世話役の金子晉から知らされいた。実際、対談は不可能であり、城山が一方的に聞くだけにとどまった。

 城山の問いを金子が大きな声を耕衣の耳傍で響かせて答えを待つという寸法になった。俳諧異端の徒は晩年になってようやく世間に知られるようになった。

 そのころ、日本経済新聞大阪本社編集局の文化担当記者も耕衣に取材し、記事にしていたのを覚えており、私もそれで耕衣の存在を知り、この本を買い求めたものと思われる。

 さて城山はこの日、とてつもない発言を耕衣の口から聞いたのである。

 「道元さんには、ちょっと文句を言いたいことがる。人生的な裁断力というか、人生をどこまで歩いているかというところを見ていない、空海と比較して差別したくないけど」

 「空海には妙味があった。自己解放的なところ・・・。人生の裏には一つのユーモアを感じて。道元もユーモア的人間になりたいというところがあったろうけど、あまりに自分にきびし過ぎて・・・。哲学好きだけど、そこにとどまっていた。茶化すところが無かった。もうちょっと遊んで欲しかった」

 城山は耕衣がめった斬りする相手が、大物すぎた、と書いている。耕衣の主観的な認識に過ぎないとの見方もできようが、たとえ表層的なものとしても彼の響かせる声にはすくなくとも両者の性格の違いを言い当てているように見えるのだが・・・。

 なんといっても宗教界の巨人2人の年齢よりはるかに齢を重ねた耕衣の言葉として味わってみたい気もした。

 耕衣は97歳で逝った。

  「大往生である」

 城山は「茄子や皆事の終わる寂しけれ」か「放せ俺(わい)は昔の夕日だというて沈む」のいずれ句を耕衣が墓の中から妻のユキエと寄り添いながら詠み上げるだろうかと語り・・・この小説の(完)としている。

 私は断然、後者の句だと思う。

 余談だが、城山によると、異端の大物俳諧人耕衣が好きなテレビ番組は水戸黄門だったそうだ。

 単純明快なドラマ仕立ての水戸黄門と難解といわれる句作をする耕衣の対照が面白い。

 私は、素晴らしい作品に逢えて俳諧の世界を愉しむ機会を得たことに感謝の気持ちを城山に捧げたい。(5月22日)

 

閑話:こんなことを書くと当然ではないかと笑われそうだが、最近我が家で始めた食事の作法について記する。

エッセイ「交野探訪」でも書いたことを少し修正したい。

 同著では食事の始まりには、こころの内で感謝を表すために声には出さなくても「いただきます」との思いを持たなくはだめですね(原文よりやや修正)と述べているが、これは声に出して合掌し、「いただきます」と言わなければだめと改めなければならない。

 これは植物でも動物でも尊い命を持っているおり、その命をいただくのだから合掌し、はっきりと声を出し、「いただきます」と感謝の念を表わさないといけないのではないかと思うのだ。

 私が子どものころは確かこうした礼法を学校の給食をいただく時に教わったような気がするのだがその理由については、果たしてどうかと記憶が定かでない。

 こうした教育が今の小学校などで教えているのかどうかは知らないが、やはりそうした意味でも教えなければならないだろう。

 我が家でも最近は私が率先して行うようにしているのだ。

 それから食事は懐石料理のように美味でなくもと野菜類から魚とか肉と食べ進み最後にご飯と漬物と、お吸い物とで食するようにしている。

 このほうがご飯を食べすぎなくていいからでもある。

  今日、いきつけの理容店に散髪に行ったらご主人から「近くの人がつい最近、『交野探訪』を買ったと言っていましたよ」と聞いたのでふと気になっていた箇所を思い出し,記述した。(5月23日)

 

閑話:今日の英会話のテキストに活用されたのは、CNN6月号のアメリカにおけるクーロン牛に対する問題であった。同誌のタイトルは「Risky Bovines 」食べても本当に大丈夫? 米FDAのクーロン動物食品認可の動きに疑義ーーであった。

 同誌の記事によると、米国のFDA(食品医薬品局)はクーロン牛は安全であるとしている。しかし、実際にクーロン牛を5年間飼育しているある州のAさんは、まだ安全に対して自信が持てないとしている。

 米国FDAは「われわれは広範囲の研究をしている」とし、先月出されているリスクアセスメント草案と呼ばれる報告書で、人間の消費に対して(クーロン動物由来の生産物を)初めて認可したと伝えている。

 これに対して一部の消費者団体はこの調査結果を非難しているという。これが同誌の伝える要旨である。

 これに対して日本でも多角的な観点からクーロン牛の存在そのものから議論を深めなければならないとの認識を深めた今日のデイスカッションではあった。(5月24日)

 

閑話:なんといっても今日は、メイジャーのイチローの偉業達成を大ファンの一人として書かなければならない。

 まず通算1000試合出場をデビルレイズ戦で果たし、ホームランを含む6打数3安打とし同時に17連続試合安打を記録した。7年連続の200安打達成記録への道を確実にキープした。

 イチローはこのあたりのことを「年間30−40試合くらいは打てないから、1試合1安打ではだめなんです」と語っており、目標達成に執念を燃やしている。

 その想定通りのバッティングをするのが並み見方では推し量れないのがイチローの世界なのである。

 まさに剣豪、宮本武蔵のような不伝の妙道ともいうべき打撃のスキル(技術)を生み出す世界を持っているとしか言いようがない。

 この日の打撃で1000試合出場時点で1414安打は近代野球が確立した1900年以降では2番目だ。1924ー42年にアスレッチクスなどで活躍したアル・シモンズが記録した1443本に次ぐもので29本及ばなかった。

 これに対してイチローは「そうですか。記録は1番でないと」と語るなどイチローが持つ野球の世界は深くて広いのだ。

 私のような世代でも惹き付けてしまうイチローは、凄いとしか形容できない。(5月25日)

 

閑話:昨日はやさしいヨーガ教室の日であった。

 夕刻、雨脚が強くなり、参加者は少ないのではないかと思っていたが先生を含め9人の全員参加であった。

 私と家内を除けば皆さんベテランぞろいである。私は約30分遅れ、家内は仕事が終わってから参加するので最も遅く参加する。

 ヨーガのことはこの欄でも幾度か書いたが私は最初正座ができなかった。子どものころは正座ができていた記憶があるが、いつの間にか座る機会が無かったからであろう。下顎を引き姿勢を正しながら正座するだけでなにかしら心地よくなる。

 なんとかまともな正座ができるまで約半年ほど掛かった。それから割り座になってそのまま仰向けに後ろに体を倒す基本アーサナ(体操)ができるまで1年ほど掛かった。

 よほど体が硬くなっていたのだろうと自分でも呆れるくらいであった。先生によると、食欲増進効果があるそうだ。

 よくまぁー2人の先生はこんな私をよく指導してくれたものだと感謝の気持ちでいっぱいである。

 私にとって最大の難関は「すき」の体位のアーサナであった。これは両脚をまず90度まで上げて後は脚を自分の頭の方に下げていき約1分ぐらい呼吸しながら保ち、こんどは脚をまっすぐに肩で立てる。

 それから再び90度まで脚をもってきて腹筋を使いながらゆっくりと脚全体を畳に下ろしてくるのである。これを2回繰り返すのだ。

 やっと最近になってこれが拙いながらもできるようになった。佐保田鶴治先生によると、この「すき」の体位は、背骨をしなやかにするとともに甲状腺を刺激し、過度な体重を減らすなどの効果があるという。

 また我々を指導している先生も「甲状腺を刺激しますからとにかく元気が出ます」と語り、毎朝励行しておられるとのことである。

 私が偶然これが出来出した理由は家で特別な練習をしたことはないが、いやいやながらでも指導を受けながら参加し続けたことと体重を約3キロ減量したためと思われる。まさに継続は力なりである。(5月26日)

 

閑話何故か今日は、午前4時半に起きてしまった。小用を済ましてから新聞各紙(一紙はまだ無配達)を玄関に出て取り出し、大方を読んだ。寝不足のほうがよく頭に入るのは何故か。

 とりわけ、白鵬が14日目、14連勝し、夏場所の優勝を決め、2場所連続優勝し内規に随い場所後の昇進を確実にした記事は克明に読んだ。朝青龍が大関になるのは、琴欧州が早いかもしれないが横綱になるのは白鵬だろうと以前言っていたが、やはりその通りになった。

 69代目の横綱に昇進する白鵬はモンゴル相撲の横綱になった父を持つ。父も横綱になったのは22歳だという。白鵬は北の湖、大鵬に次ぐ若さでの昇進である。朝青龍はすでに大横綱に相応しい実績を残している。

 白鵬にも同様の期待が寄せられるが心技体のそろった大横綱になってほしいものだ。このうちもっとも難しいのが心である。技と体は大関で身につくといわれ、心で抜きん出たものが横綱を射止めるのだ。

 白鵬もさらに精進し、心技体を見事に体現できる横綱となり、他力士に範を垂れるうな横綱を目指してほしいものだ。

 それにしても心を極めるのは難しいものだ。先輩横綱の朝青龍にしても12日目から3連敗であり、4敗で千秋楽の今日、後輩の白鵬と戦う。いかに心技体を保持するのが難しいかを示している。

 これはどの世界でも言えることであろうが日本の伝統文化の一翼を担う大相撲に期待をするのはこの点である。

 その意味でも日本人力士の奮起を促したいと思うのだ。(5月27日)

 

閑話:京阪交野市駅から団地近くまでタクシーに乗った。

 ものの15分の距離であるが、27日(日本時間28日)、マリナーズのイチローが4打数2安打1打点で20試合連続安打を記録した。これで5度目でシーズンをまたがっての記録も1つある。

 運転手さんとそんな話題に終始した。

 まさに絶好調の波に乗っているイチローだ。この日の活躍で打率を3割3分9厘としア・リーグで5位につけた。また安打数は65としヤンキースのジーターの68本に後3本と肉薄した。

 家に帰って夕刊各紙を見たがどの新聞もイチローの20試合連続安打の記録について大きく扱っていた。

 朝日新聞では「大リーグが大好き!」というコラムで慶応大学医学部准教授の向井万起男氏がイチロー30x7の大きな意味という見出しでイチローのことを書いてる。

 それによると、これまでの6年間でイチローは盗塁でも年間30以上を記録しており、今季200安打、30盗塁をすれば、それこそ大リーグ100年以上の歴史の中で燦然と輝く記録になり、永遠に破られない大リーグ記録になるだろう同氏は言っている。

 氏が最後に「イチロー、このまま永遠不滅の記録に向かって突っ走れよ。期待しているぜ。」と結んでいる。

 どの世界にもイチローファンはいるものだと感心して読んだ。(5月28日)

 

閑話:昨日は久方振りに京都の老舗仏教専門店舗の法蔵館に行った。いま私は鈴木大拙の「日本的霊性」を読み進めているが、同時に鈴木大拙の関連書籍を購入して大拙の人となりをもっと知ろうという意欲が出てきたためだ。

 この日は暑くて京都駅からものの10分たらずのところにあるのだが、汗びっしょりになった。

私は今から20年ほど前には頻繁に同店を訪れ、様々な書籍を購入しては仏教の世界に浸っていたものだ。

 同店こそが私の仏教の原点を教えてくれたのだった。冒頭に何年も掲載している「如来が弁護してござる」の主人公、暁烏敏の師匠である清沢満之師を知ったのもこの書店の書物からであり、まさかその後にこの小説を書くことになろうとは当時は考えてもいなかった・・・。

 「如来の仕事を盗むが故に苦悶はなれざるなり」という満之師の箴言を知ったのもこの店舗で買った書籍からだ。この小説を書いた背景や執筆中に感じた感想などを書いた余滴5に記した通りである。

 そんな感慨に耽りながら自宅に帰り、イチローの活躍ぶりをこの欄に認めてから各紙のウエブサイトを見て吃驚したのが、松岡利勝農水相の自裁のニュースであった。各紙とも私が住んいる地域は3版であるため、このニュースは掲載されていなかったらしい。

 松岡農水相も清沢満之師などをもし読んでおられたらどんなに苦悩しようが、自裁まで追い込まれることはなかったのではなかろうかと思った。

 無論、政界には政界の論理があろうが、その論理を超えるものが清沢満之師らの世界ではなかろうかと思ったりしたのだが・・・。(5月29日)

 

閑話:28日、メキシコ市で開かれた2007年ミス・ユニバース世界大会で日本代表の森理世さん(20)が優勝した。日本人の優勝は1959年の児島明子さん以来、48年ぶり2人目となる。

 森さんは静岡県出身。身長175センチ。昨夜テレビで見た森さんはすらっとした脚線美で、見事なプロポーションだった。高校時代にカナダに留学し、バレースクールでダンスを学んだ経験がる。

 自己紹介の英語もフルーエント(流ちょう)で国際感覚を備えた女性で私が知る児島さんとは好対照の「美」を持っているような感じがした。

 私どもの世代ではどちらかというと、児島さんタイプの女性に日本的なしとやかさの「美」に惹かれていたが、これも時代の流れであろうと思う。

 森さんは「まだ20歳の私が社会に役立つことができることが嬉しい」と語った。

 ミス・ユニバースの森さんはこれから1年間、世界を廻り、様々なチャリティー活動などに参加することになる。

 将来は国際的なダンス・スクールの設立を目指すという大きな夢を抱いている。

 また昨年のミス・ユニバース・コンテストでは日本代表の知花くららさんが2位に選ばれている。

                                                 (5月30日)

閑話:今日は英会話サークルに参加した。読売新聞社のウェブサイトでイチローの安打を確認してからであった。午後1時から始まる英会話に少し早く参加し、先生のリチャードとイチローの凄さについて会話した。

 彼自身もイチローに関心を持っていて過日のイチローの活躍ぶりをテレビで見たとのことであった。カナダから来た彼さえも関心寄せるのだから日本では世代を超えてイチローの魅力に惹かれるのは当然ではなかろうか。 

 同社のウェブサイトはイチローの打席を回ごとに紹介するのだから放送のない日などでは便利であること限りない。

 英会話が終了して帰宅後すぐ同社のウェブサイトで確認したら、結局5打数1安打に終わっていた。イチローにすれば1安打は不本意であろうが、新人の2001年4−5月に記録した連続試合安打自己記録23に並んだ。

 それにしてもマリナーズに入団早々にこの連続試合安打23を記録していたのだから驚く。

 イチローらしくこのまま記録を更新し続けてほしい。マリナーズとの契約を今年で果たすのだから彼の思い入れもあるはずである。

 デスカッションもイチローの話から始まり、政治問題や身近な家庭生活や子どもの教育問題などバライアティーに富んだアゼンダが出された。

 後半の1時間は、CNNの記事を基にヒャリング訓練後、ペアを組み、自分の英語で要約する学習である。

 記事は日本の衣料品チェーンのユニクロがニューヨクに大型店舗(約1000坪)の店舗をつくりアメリカの消費者をターゲットに活躍する内容であった。久方ぶりの経済問題のテーマではあった。(5月30日)

 

閑話:5月21日のこの欄で書いたように鈴木大拙が著した「日本的霊性」を読み始めている。

 41、,2歳ごろこの本を読んでいた記憶があるが、60歳を超えた今、20年ぶりに再読してみると年をとった分、理解が深まり、なにかしら気持ちが和らぎかつ人生の深みを無意識のうちに導いてくれる大拙翁(以下大拙とする)畢生の大作だと思う。

 私の読み方は2度目であるから着実に1頁ごとに読み進める一方、ぱらぱらと真ん中部分や後半部分に目を通しながら読むやりかたである。

 また先日、京都の仏教書の書籍発行の法蔵館で買い求めた大拙83歳の時、大拙と邂逅した当時15歳の少女であった岡村美穂子さん(邂逅依頼、大拙に師事し、大拙が逝去するまで13年間秘書役を務めた)と上田閑照京大名誉教授の共著「思い出の小箱からー鈴木大拙のことー」や以前購入し私の書斎から見つかった「大叔父 鈴木大拙からの手紙」(編者、林田久美野)も並行して読むということである。

 「日本的霊性」の解説を試みた篠田英雄氏によると、大拙は第2次大戦の勃発当初から、我が国の敗戦の必至を信じて著者(大拙)はそうなったときに日本が世界の精神文化に貢献すべき使命は、日本的霊性的自覚の世界的意義を宣揚するよりほかにないとして、この著述を企てたに違いない(略)としている。

 私自身大拙の語る日本的霊性とは、果たしてなにかを改めて深く認識しなければなるまい。

 ここでは本著に出て来る日本的霊性は鎌倉時代に武士文化を土台にして生まれたという大拙の説を紹介するだけとする。

 では日本的霊性とはどんな謂いを持つののだろうか。

 簡単に言い切ると知性ではとらえきれない無分別知(さらには無分別の分別とも)であるということに今日の段階ではとどめておこう。

 私の書斎には探せばまだほかにも大拙の本はありそうなのでこの要領で読み進めていく所存である。(6月1日)

 <追伸>マリナーズのイチローはこの日、自己最多の24試合連続安打を記録した=現地時間=5月31日=(6月1日)

 

閑話:今日は午前10時ごろに起床しようと、目覚まし時計をセットしていたのだが、なんと午前3時半に起床していまった。

 小用を済ませ、もう一度、寝るかと思ったのだが、昨日の夕刊各紙が未整理のままリビングにほったらかしになっていたので関心のあるところを読んでいたら窓の外がぼんやりと明るくなってきた。

 朝刊がもう届いている筈だと玄関口に出て今度は朝刊を読み出した。ただいま午前6時半、キーを叩くことにしたのだ。

 ついでに新聞の切り抜き帖をなにげなく見ていたら2006年10月24日付の朝日新聞夕刊に禅研究 東西駆けるという大見出しと「進む資料整理 再評価の機運高まる」ー仏教思想家・鈴木大拙・没後40年記念展との記事が目に飛び込んできた。

 ざっと読んだ。判りやすく書かれていて良い記事ではあったが、今少し、何故、再評価されているのかというところを今少し、掘り下げてほしかった。

 先日この欄に書いたように先の大戦で敗戦国になった日本。

 そんな中で、「日本的霊性」の解説を書いた篠田英雄氏は、大拙は今後の日本は日本的霊性を世界に向けて発信することこそが重要な世界貢献であると思っていたと論述している。

 私も思うのだが(無分別の分別的認識)の深まりこそ日本はもちろんのこと世界平和達成のための新たな人類的精神基盤になるのではないかと大拙は思考を巡らせたのではないかと・・・。

 最晩年に至るまで東西の融和に向けて大拙は行動し、希求してやまなかったのではないかと思う。

 私も大拙の足跡を追い求めてみたいと思ったのはそのためでもある。(6月2日)

 

 閑話: 昨日午後2時から3時半までリサイクル委員会の会合が団地内の自治会でセンターで開かれ参加した。区長のOさんも加わり、K委員長から先に開かれた交野市環境部との話し合いの内容の説明があった。

 この話し合いに欠席したため、区長より交野市ごみ減量化・リサイクル推進市民会議委員の委嘱状を手渡された。

 交野市は「容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律(容器包装リサイクル法)に基づき資源の循環的な利用促進を図ることにしている。

 このため北河内4市(枚方市、寝屋川市、四条畷市、交野市)が共同で寝屋川市寝屋川南地区にリサイクルプラザを建設中。平成20年2月には完成、稼動の方針である。

 そのために交野市は一般家庭から出されるペットボトルやプラスチック製容器包装(廃プラ)と普通ごみごみとは別に収集(分別収集)することを決めた。

 この日のリサイクル委員の会合の一つは妙見東団地での交野市の担当者による説明会の開催日を決めることだった。

 開催日は10月から11月にかけ4日間を決め(そのうち1日は予備日)とした。

 また次回の妙見東団地の一斉清掃は7月8日(日曜日)で午前8時より開始し、これに先立ち班長は同7時45分、リサイクル委員は同7時30分に集合することを決めた。

 冒頭、K委員長が言われたようにこれからのリサイクル委員の役割は清掃の準備もさることながらリサイクルの徹底を団地内でどう推進していくかの役割に比重がかかると思った次第である。(6月3日)

 

閑話:起床、午前6時半。この時間の起床がもっともいい。爽やかな気持ちで新聞をとりに玄関に出る。そこでおおきな深呼吸をひとつ、二つ・・・。健康的である。

 早速、朝日新聞第4回連続世論調査(2、3日)を読む。それにとると、 内閣支持率が年金騒動でもめ、さらには安部首相が庇い過ぎたといわれる松岡利勝農水相の自裁問題などが響き、同支持率は前回(5月26、27日)の36%からさらに下落、政権発足以来最低の30%に。

 いわば「危険水域ぎりぎり」(自民党選対幹部)と危機感を隠していないとの報道記事だ。この低下現象でもっとも響いたと見られるのは年金の問題であろう。

 5千万件の年金記録が誰のものか分からないなど年金問題について衆院で審議が「十分でなかった」が78%を占めるなど世論の厳しい見方が浮き彫りになった。

 参院選公示を約1カ月後に控え安部首相の政権運営が注目される。また新聞各社の調査にも注目したい。まさに熱い政治の季節を向かえたようだ。

 ここまで書いてからBSで「どんど晴れ」と「さくら」を見た。

 「どんど晴れ」は実にストーリー展開がよくできている。夏美がこんどは柾樹の結婚を白紙に戻してでも老舗旅館、加賀美屋の女将修業を目指す決意をした。持ち前の明るさに粘りが加わった夏美が今後どのように成長していくのかが見ものである。

 また「さくら」は4年前にもかなり克明に見たつもりであったが、今回のシーンは見損なっていて新鮮な気持ちで愉しむことができた。

 主人公のさくらの明るさはいつ見ても見る方の気持ちを爽やかにしてくれる。

 先ほど熱い政治の季節の到来と書いたが、与野党を問わず政治家諸氏は朝早く起床してこのドラマの2つを見ればこころ洗われ、元気が出るのではないかと推奨する。(6月4日)

 

閑話:鈴木大拙の「日本的霊性」を読みついでいる。この本は大拙の無二の親友であった西田幾多郎の「善の研究」に匹敵する価値のある本である。2人とも文化勲章をもらっていることはご存知の通りである。

 今日読んだなかで注目したのは大拙が語る9世紀に活躍した最澄と空海のところである。以下に記す。

弘法大師(空海)の如き、伝教大師最澄)の如きといえども、なお大地(天にに対する大地)との接触が十分でない。彼らの知性・道徳・功業は実に日本民族の誇りである。が、彼らは貴族文化の産物である。それで貴族文化のもち得べき長所と短所とを悉く備えている。

 彼らは、平安文化の初期に出世したので、平安文化の特徴と見るべき繊弱さ・哀れさ・麗しさ・細やかさなどという情緒をもち合さぬ、大陸的なところがある。しかし彼らの仏教は、南都の仏教に対して一時は清新な溌剌なものであったが、時を経るに従い、他の文化形式と同じく形式化・儀礼化・審美化・技巧化の一路をたどって、仏教本来の意味から離れるようになった」(括弧は木下がつけた)とある。

 大拙の裁断力が大いに発揮された文章であるが、私個人にすれば私の祖父系は真言密教であり、母方は天台宗であるのでやや抵抗感を覚えるのである。

 私の処女小説「生生流転」では私の祖父が真言密教の檀徒としてはかなり修行したのではないかとの記憶が鮮明に残るところから真言密教の凄さの一端を披瀝した。

 私は幼いころよく熱を出したが、そんな折は祖父は枕辺で真言を唱えてくれ、ものの30分も経たぬうち私の額から汗が噴き出し、すぐ熱が下がったのでこのことは子どもごころに強烈な印象を与えた。

 従って果たして大拙の言われるが如くに空海が打ちたてた真言密教が形式化、儀礼化などの一途を辿ったとは言い切れない側面があると思うのである。

 このあたりのことが大拙が語る日本的霊性に異を唱えた仏教学者の反論ではなかろうかと思うのである。

 しかし日本的霊性は大地性を持つ武士が台頭する鎌倉時代を待たねば顕現しないとの論を主張する大拙。

 前述のごとく巨星仏者2人を認めつつもその後の帰趨については厳しく論断しなければならなかったのではないかと思った次第である。(6月5日)

 

閑話:今日も午前6時半に起床。新聞各紙にざっと目を通し、今日中に読み込む記事をマークしてからいつものようにBSで同7時半から「どんど晴れ」「さくら」を連続して見た。

 「どんど晴れ」は益々面白くなってきた。主人公の正美が悩んだ末、正樹との結婚を白紙に戻し、一から出直し、加賀美屋の女将修業を続ける覚悟をし、1人加賀美屋に行くのであるが・・・。

 伝統と仕来たりの厳しい加賀美屋の大女将、タツノも「あなたは1度この加賀美屋を出たお人ですよ」と厳しく夏美をたしなめるのだが・・・。

 そんな折、加賀美屋伝統のひいきのお客様などを招待するお茶会に欠かせない南部鉄器の職人、平治(長門裕之)が作る茶釜を作ってもらいに加賀美屋の使いに行った伸一。

 柾樹に跡取りでライバル心を燃やすもう1人のタツノの孫、伸一の審美眼の無さに激怒。

 「もう一切、加賀美屋の茶釜は作らん」とへそを曲げるのだ。平治とお茶呑み友達で仲のいい大女将のタツノがおりながらも、「絶対に作らんぞ。加賀美屋の茶釜は・・・・」

 その職人気質に輪をかけたような頑固一徹な平治を演じるベテランの長門の演技は抜群である。ドラマの引き締め役としても存在感があり、また世の中の厳しさを教える教育的な効果的もある。

 今の若者にはぜひみてほしいのだ.! タツノと平治の世界を・・・。

 そんな頑固一徹な平治に夏美は茶釜をもう一度作ってくれと頼み込に出掛ける。平治の頑固さは尋常ではない。

 「とっとと帰れ! 途中で女将修業を投げ出す女に用はない!」と夏美を怒鳴りつける。

 「いいえ、私は作っていただくまでは絶対帰りません!」と夏美は平治の仕事場の外で座り張り込みをする・・・。

 と、雨が激しく振り出し,,夏美の肩を容赦なく濡らす・・・・。平治のこころにやんわりとした情け心が微かに見えたような気がしたのだが・・・・。果たして明日の続きは・・・・。前にも書いたがこのドラマはストリー展開が素晴らしいのだ。

 「さくら」は日本文化とアメリカ文化の相違を全体として明るいドアラマ展開の中で伝統の町、飛騨地方を舞台に繰り広がる。これもとびっきり秀逸なドラマである。

 2つのドラマに多能しきったわたしはかくして一日が始まるのだ・・・。(6月6日)

 

閑話:今日は英語サークルに出席した。今日は約2時間テキストなしのデイスカッション(討議)であった。問題提起する2人が交代で論議を進める。

 まず第1回は高校野球児に対する奨学制度の問題であった。これを認める人、反対の人それぞれの立場から意見が出された。

 私立高校の場合は認めてもいいいのではないかとの意見が大勢を占めた。しかし野球児だけに偏った奨学制度ではなく他の様々のスポーツにも適用したらどうかとの付帯意見も出された。

 またスポーツだけではなく芸術分野ですぐれた才能を持っている生徒にも同じような配慮が必要ではないかというより突っ込んだ意見も提起された。

 私はつまるところ、高校生の教育はどうあるべきかとの意見に集約されると思った。

 私の住む近隣地域では予備校に通う生徒のためのスクールバスを走らせる有力予備校があるが、進学競争の激しさを象徴しているようだ。

 本来、40数年前の予備校は大学浪人のためのものであった。

 私は思うのだが勉強の好きな昨今の子は中学、高校時代に予備校に通うのむべなるかなと思うのだが、勉強よりも野球やサッカーなどのスポーツに興味を持つ生徒は思いっきり、それに打ち込んだらいいのではなかろうかと思うのだ。

私の小説「如来が弁護してござるーー暁烏敏『小説』満之・涙骨・・・」でもあえて主人公の敏師に「勉強の好きな子、スポーツの好きな子、芸術の好きな子も皆平等に扱いなさい」と言わさせていただいたのである。

 まだ猛勉をして有名大学に行った子の方を優位にみる傾向のあるのはどうしたものか。

 私の大ファンのイチローを見たまえ!下手に大学を出て志なく官僚とか大手企業に入った者よりもイチローの方が遥かに魅力的で人間的にも上ではなかろうかと思う。

 イチローは好きな野球の世界に進み、スキル(技術)を極限まで磨いている、いや磨き続けているからこそ今のイチローが存在するのをみても容易に判るではないか!この辺りの認識があってこその教育改革ではなかろうか!

 次のアゼンダ(議題)は今ドイツで環境問題、安全保障問題や核不拡散問題などを討議する第33回主要国首脳会議(サミット)が開かれているが、その中の環境問題を議論した。

 世界レベル、国レベル、家庭レベルでの真剣な取り組みがなければ地球温暖化は益々深刻な事態に陥るとの認識を深めた。(6月7日)

 

閑話:今日はいつもより早く午前5時半ごろに起床した。

 玄関に新聞各紙を取りに出たら、小雨がぱらついていた。と、そんな中を傘を差して犬の散歩をさせている女性が玄関前を通り過ぎていった。恐らく早起きモットーとされる近所の奥様ではなかろうかと思ったが・・・。

 む、む、と感心させられた。自分の運動のためと言うよりは、犬の健康のために傘をさしてでも散歩させる。

 拙宅では家族の誰もが犬を飼おうと言わないのでこの団地に住むようになってからはや20年近くになるのだが、飼ったことはない。恐らく約500世帯の内60%は犬を飼っているのではないかと思われる。

 飼ったことのない私にはよく判らないないが、@自分の散歩のためについでに犬を連れて出る人A自分の運動と共に犬の運動のために散歩に連れて出るB犬の健康を慮って雨の中でも散歩させる、という3つのケースが考えるのではないかと思われる。

 玄関口に「猛犬注意」などと張り紙やシールを貼っている家庭では、人様の番犬をするのが役目だとあっさりと割り切り、人間優位の立場を犬に押し付けて食事(餌)を与えているだけではなかろうか。

 動物愛護の思想もここらあたりで改めて考えねばならぬ。人間はこの地球の上で自然と共生しているのだという考えもかなり浸透してきた。

 と、同時に犬や猫の飼い犬は勿論のことありとあらゆる動物とも共生しているのである。

 が、猫ちゃんが人様の庭を糞のお便所にしているケースも多々あり、本当に愛する猫ちゃんならば家にお便所を作ってやるのも共生の一つではなかろうか。

 一方、昨年は全国的に猪が民家まで侵入してきて危害を与えるケースが多いのは困るのであるが、そんな場合でも捕獲して「ここは君達の棲むところではない」という教育的お仕置きをして山に逃がしてやりたいものである。

 もっとも猪が頻繁に全国的に出没するようになったのも生態系が崩れ、山中で満足な餌を取れなくなったからかもしれないのだ。人間のせいだとも考えられるのではなかろうか。

 犬、猫の話から猪の話まで及んでしまったが、冒頭の犬の健康のために傘を差してでも散歩に連れて行かれるという慈愛こそ今、求められていることであろう。

 昨日少し触れた環境問題も人間のエゴまたは傲慢な思考から惹起された「つけ」なのではなかろうかと思うのだが・・・。(6月8日)

 

閑話昨日はやさしいヨーガ教室に参加した。指導する先生を含め9人が参加した。10分遅れで参加したが、ほぼフルに2時間近く指導を受けたことになる。

 もう基礎アーサナ(体操)が始まっていたがすぐにとけこんでアーサナに夢中になった。暫くすると額から汗が噴き出してきた。

 それはわずかな参加の遅れではあったが、急に皆ののアーサナに追いつこうとしたからであった。暫くすると慣れてきたので汗は自然に引いてき参加者とともに様々なアーサナに取り組むことができた。

 連続的に様々なアーサナを繰り返すのだが、佐保田鶴治先生(元立命館大学教授、元大阪大学教授)の著作「ヨーガ入門」によると、ヨーガの必須条件としては@ヨーガ体操の動作は、ゆっくりとなめらかに行うこと。。

 A動作中は、その動作に関連する筋肉の部分に注意を向けること(うわのそらで動作をしないこと)。

 B動作と呼吸のつながりを心得て両者がばらばらにならないこと(原則的にいって、一つの動作を行なう間に何回もイキを吸ったり、またイキを吸ったり、またイキ吸って吐くあいだに、多くの動作を行ってりしてはいけません)。

 なるほどと思う。

 @、A、Bが様々な動作の中で守られていると無理なくゆったりと動作から動作に連続的に移ることができるような気がするのだ。

 これまでは2人の先生のアーサナの形だけを真似をするだけであったがこれからは佐保田先生の本もよく読み進めながら取り組んでいきたいと思う。

 今回も私にとって難関の「すきの体位」もどうにかさまになるような形で行うことができたのも収穫であった。(6月9日)

 

閑話:昨日は午後5時から京都市内の料亭、京新山で立命館大学ESS卒後40年記念の同窓会を開いた。

 もう半年近く前から元大手商社マンのI君を主幹事に東西の7人の幹事が手分けして準備したものでまずは完璧な同窓会であった。遠くは北海道から東京からまた近畿在住も含め約30人が参集し、歓談の輪はあちこちで広がっていた。

 幹事諸氏の計らいであろうか会費10000円では十分過ぎるような懐石料理を堪能することができた。

 文字通り卒業後、40年ぶりに邂逅を果たした人々もいた。世間の荒波を掻い潜ってきた40年の風雪がどの顔にも刻まれていた。

 が、同じキャンパスで青春を共にしたころの微かな面影を一瞬の顔の表情の中に見つける度ごとに旧懐の情が広がるのである。

 五木寛之さんの近著「林住期」(五木さんによると、50歳から75歳)を読んだのか今こそが人生の中で最も輝かしい時期であると人生これからだと挨拶する人もいた。

 私はこの説に一応賛同するのであるが、「遊行期」(75歳から100歳)などと設けずに100歳までが「林住期」だと思いたい。

 人間の寿命は120歳くらいといわれているが事実、沖縄の泉重千代さんは慶応元年生まれで120歳まで生き抜き、いまでも男性としては世界1位の長寿者としてギネスブックに記載されているという話だ。

 この欄にも以前書いたが漢字哲学者の白川静先生は70代に入られてから本格的な研究と著述活動に入られたのであった。この間の業績により、文化勲章を受章された。

 白川先生は五木さんの言われる「遊行期」も事実上「林住期」として活動され96歳で逝かれた。

 白川先生のような碩学の真似は誰しもできまいが生涯現役という発想だけは持ちたいものである。

 こんな長々と書いたのは挨拶の中で「今後の余生を送りたい」との発言がいくつかあったのでそれはそれでいいのかも知れないが、やや寂しさを禁じ得ない。

 昨年の暮れ欠礼の挨拶状が3つ届いたが一つはなんと105歳での大往生であった。残りの2つも確か96歳だったと記憶している。

 とまれ昨日の同窓会は総じて愉快なひと時であった。(6月10日)

 

閑話:「今日は朝刊ないよのね」と家内が早朝」に言った。

 「あたりまえや今日は休刊日ぞな、もし」と私。「あらそうだったの休刊日、でもなんだか寂しいわね」

 私は家内とのやり取りでなにかほっとした気持ちになった。それは朝刊がないことで彼女の口からでた寂しいという言葉であった。

 私が現役のころ新聞社内で一体新聞は何時ごろまで生き残れるかという議論があった。新聞社と言えども企業であるから需要が無ければ衰退していくからである。

 確かに後50年は新聞が情報のキー(核)として存在価値を発揮するだろうとの見方が一般的であった。

 日本で新聞が誕生したのは約120−130年前である。西洋文明がどっと我が国に流入してきた文明開化の時期と重なるとみていいだろう。

 明治維新後の社会変革が急速に進み様々な情報の伝達媒体として新聞が必要不可欠になってきたのだ。

 わが国で新聞が急速に発達できたのは江戸時代に寺子屋が庶民の教育機関として全国的に広がったからである。

 江戸(東京)の識字率は70%近くあったのではないかと言われている。全国的にみても50%はあっただろう。

 私の岡山の故郷では私が子どものころ(ずっと時代は新しくなるが・・・)私が育った伯父の家ではまず地元紙の山陽新聞朝日新聞日経新聞の3紙を取っていた。もう1紙あったような記憶があるが定かでない。

 伯父と祖父が田舎レベルでは教養人であったからである。明治4年生まれの祖父は大きな声を出して新聞を読んでおり、とりわけ卵の値段が掲載されていた日経新聞を読み、伯父は株式欄を読み、いくばくかの投資をしていた。

 当時日経新聞を読んでいたのは町単位でも数えるくらいだと伯父は言っていたが、新聞は岡山の田舎でも欠かせない必需品であった。

 明治初期に教育を受けた祖父にとって新聞が唯一の情報源であったのではなかったかと思える。

 これは残念なことなのであるが祖父に西郷隆盛の起こした西南戦争のことを聞けなっかった私の知恵不足を後で嘆いたものだった。

 話が長くなったが新聞は祖父の時代から生活意識の奥底に刷り込まれたDNA(遺伝子)とみていいだろう。

それ以降、ラジオ、テレビ、昨今のインターネットと新しい媒体が登場しても心の奥深くに刷り込まれたDNAはそうやすやすと消えるものではないと思うのだ。

 もし新聞が無くなるときが来たとすればやや言い過ぎではあるがその時は人間が人間らしくなくなるときではなかろうかとさえ思うのだ。

 「休刊日、そう寂しいわね」との家内の言葉が象徴している・・・。(6月11日)

 

閑話:今、日本史を通読しているが、今日はいきなりであるが壬申の乱について語ろう。なぜかというと私の近著「交野探訪」よると、交野の一族がこの乱に参戦しているからである。

壬申の乱は672年に起こった大海皇子大友皇子との間で皇位継承を巡っての争いのこと。

 ことの起こりは天智天皇が最有力後継者と見られていた弟の大海皇子ではなく我が子の大友皇子を行政の最高機関である太政大臣に任命し、次の皇位を大友皇子に譲ることを示唆したところから双方が争うことになった。

 大海皇子は紀州・吉野に一時、身を引くが天智天の薨去を知るやいなや挙兵し、大友皇子を倒した。

 この戦いは約1カ月続き終息しのだった。

 交野の一族は大海皇子について戦ったのである。その経緯(いきさつ)については調べていないのでその理由は判らない。とまれ勝者の側に立ったのである。

 「交野探訪」の巻末の年表に記している(158p)。しかしこの交野地方は歴史的にも皇族・貴族との関係が深く、壬申の乱の前からなんらかの情報を得てからの参戦と見るのが妥当であろう。

 かくして673年に大海皇子は天武天皇として即位したのである。天智天皇の造った近江大津京は5年で終焉した。

 淡海の海 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

 初の宮廷詩人といわれる柿本人麻呂が近江を偲んで詠った歌である。

 天武天皇は飛鳥浄御原(あすかきよみはら)に遷都したのである・・・。(6月12日)

 

閑話:今日は昼過ぎから庭の草引きをしようと思う。確か3月から4月にかけて1週間ほどかけてした記憶があるのだが、もう草が自由気ままに伸び放題になっている。

草引きで思い出すことがある。それは中学校2年の時ではなかったかと思う。

 学年全員で運動会かなにかの練習をする日であった。私は少し風邪を引いていたので運動を休む旨を先生に伝えた。私のほかに3人ほどの生徒も休むことになって立っていたらある先生に言われた。

 「突っ立っているよりも草引きでもしなさい!」と先生の叱責が我々に飛んできた。

 即座に私は反論した。

 「病気で運動を休んでいるのでなでや!」

 と。先生は反論しなかったが渋面を私どもに向けられたままであった。

 いまから思えばこころ苦しい。少しでも運動に代わる頭と体を動かしてやろうとの配慮でなかったかと思う。さらに草引きはこころを落ち着かせる作用のあることを先生はご存知であったのではないかと思う。

 禅寺などでは草引きや掃除も修行の一環として重要視しているのだ。このことが判るまでに20年以上もかかっているのだから言うまでもなく凡夫である。

 ともかく梅雨に入るまでにできるだけ草引きをしよう。(6月13日)

閑話:読者の皆様、申し訳ありません。25日に原稿を書き上げてから立ちあげるため、最後の直しをしょうとややきつくキーボードを叩いたところ、画面が真っ白になり、これまで書きました11日分の文章のデータを失いました。

 この日は蒸し暑く、しかもBS1で大リーグの放送をリビングルームから流れてくるアナウンサーやコメンテイテイターの声を聞きながらイチローのことを同時進行系の形で書斎のキーボードを叩いており、やや集中力が欠けておりました。その結果、やや呼吸を乱していたため、そんな結果になりました。

 私はdreamweaverという便利なソフトを使用しておりますが、そのわりに操作は私レベルでは少し高度な技術に思え、ちょっとしたミスでその日の原稿だけでなく今回のように11日分の原稿まで一瞬にして消え去るという事故が起こります。

 前回のミスは4月10日にも同様のミスをし、約40日分の文章データを喪失させ、おおいに反省をしたのですが、またやらかしたということで猛省しなければなりません。それ以降、毎日何らかのテーマで書き続けておっただけに残念でたまりません。

こんどこそ同じミスをしないよう慎重に立ち上げ作業に取り組みたいと思っております。

 中には自分で言うのもなんですが、よく表現できたという文章もあり、それを喪失したということは悔しいかぎりです。

 明日からまた出直ししますのでよろしくお願い申し上げます。(6月27日)

 

閑話:今日は英会話サークルに参加した。まず単語・熟語の聞き取り試験を15分くらいやり、その後はデイスカッションとフリートーキングであった。

 デスカッションの内容はかってあった家庭教育の場が失ったことが問題であるとしたなど今を取り巻く生徒に対する教育環境や親や教諭のあり方などであった。

 私どもの世代では大家族であってその中で祖父や祖母に躾けられたものだった。ところが高度成長の影響で都会に若者が移動した。

 ために核家族を余儀なくされ、しかも共働きが多くなった。したがって家庭教育がお留守になったことは否めない。いきおい学校教諭に子どもの教育を任せ切りになった。

 それだけに必要以上に厳しい視線をとりわけ小学校、中学校教諭に向けるりようになっているようだ。中にはあからさまに教諭に対する批判を繰り返すような現象が出ているとの意見が出された。

 確かに共働きでは子どもと家庭で話す機会もも少なくなり、家庭が子どもに果たすべき躾けが出来なくなっていることは事実のようだ。

 両親も子どもに対する躾けを含む教育全般に苛立ちを持っているからかも知れない。

 議論は様々な角度から進んだが9月に同じテーマでデイスカッションすることとなった。

 フリートーキングは7月29日の参議院選挙の動向などがが取り上げられたが、フジモリ氏が参院比例区で国民新党から出馬することが今日分かったがそれに対する意見交換もなされた。

 話は変わるが私のミスでイチローに関する文章が消えてしまった。今日はレッドソックスの松坂が10勝目を目指して好投した。8奪三振を奪ったもののイチローに適自時打を打たれ1失点を喫したのが大きく、10勝目を逃した。

 イチローは2安打で3割6分4厘と打率を上げた。英会話の帰り、交野市駅前でタクシーに乗ったのだが自然とイチローの話題となり、私も運転手さんも「イチローは偉い。凄いですね」の結論になった。

 家に帰りてキーを打っているのだが、この文章を立ち上げてから約1時間の散歩に出る。(6月28日)

 

<追伸>共働き=dual-incom haus hold またはbothe parents workinng

 

閑話の緊急追加:元首相の宮沢喜一氏が老衰のため、28日午後1時16分、自宅で死去した。87歳であった。

1991年、海部俊樹氏の後継総裁選で第78代首相に就任。国連平和維持活動(PKF)法を成立させ、カンボジアに自衛隊を派遣した。

 また98年小渕内閣の蔵相に就任、森内閣でも蔵相を歴任、同内閣が退陣する2001年4月までの2年9ヵ月務め上げた。

 英語が巧みで海外にも多くの知己を持っていたが、ご自身は「漢学の素養が我が精神の支え」と言い切る。この日、中曽根元首相も「知性豊かな政治家であり、互いに尊敬しあっていた」と語っていた。(6月29日)

 

閑話:文藝春秋7月号で絶筆となった城山三郎さんの「私の履歴書」が掲載された。以前この欄で城山さんが途中まで書き進んでいた日本経済新聞掲載予定の55枚の原稿を是非読みたいものだと心情を吐露したものだが、枚方市の野村呼文堂に立ち寄った際、同雑誌を見つけたのだ。

 早速に家に帰り、一気に読了した。日本経済新聞社の文化担当のU氏が書いていたように先の戦争がらみのことがほとんどであった。

 城山さんは戦時色が濃厚な時代を少年期、そして太平洋戦争に突入した時期が青春時代であった。戦争と切り離しては語れない世代であった。

「楽しかった思いを一つだけ書けと言われても、私などにはただの1つも浮かんで来ない」と書き、もしこの戦争体験がなかったら作家にはならなかっただろうと言われる。

 物書ききには多くの場合、個人的に筆舌を超えた体験が原点になっている場合が多い。城山青年は夢見る時代にあの戦争によって甘酢ぱっくも明るい青春時代は奪い去られてのではなかろうか。

「太平洋戦争が烈しくなり、各種の志願兵制度が、次々とつくられ、呼びかけてくるようになった。一種の軍国少年に育てられてきた私としてはじっとして居られなく。卑怯者呼ばわりされたりしては、たまらない。日本男子の本懐では無い・・・。」

 城山さんは「徴兵猶予」の特権のある愛知県立工専の学生であったがその特権を自ら取り消し、海軍特別幹部練習生として入隊した。

 が、戦況は悪化の一途を辿っていたときで海軍の中は城山さんが憧れていたような軍律に支えられた高貴な精神は廃れていた。

 城山さんが見ものは「非人間的というか非常識な訓練や生活を強制していたのは、おそらく世界歴史にもその例がないであろう」という現実であった。

 「やってはならない」「やるべきではない」とされている事柄を次から次へやっていたのが帝国海軍であった、と厳しく指弾されている。

「帝国海軍が世界に誇った巨大戦艦大和。これが、あっけなく海に沈められてしまった」と述懐する。

 戦後、城山さんは一橋大学で経済学を学ぶ一方、文学の夢も持ち続け、文学界新人賞をそして直木賞を受賞し主として経済を背景にした独自の文学路線を貫いた。

 多くの作品は無残な戦争体験を原点に据え、志のある男達を書き続けた。私がこの欄で紹介した「もうきみには頼まない」(石坂泰三の世界)や」「部長の大晩年」(永田耕衣)にも城山さんの想いが凝縮している。(6月29日)

 

閑話:連続ドラマ「どんど晴れ」をBS2で6日分を通しで見た。このドラマの良さは微妙な俳優さんの言動などで伏線が随所に敷かれていて、おうこうなるかなという期待を持って見ることが出来ることも見応えのあるドラマ構成になっている。

 夏美が一大決心をして再び老舗旅館で一から出直す。それでも難題は夏美の上にのしかかってくる。

 しかし、夏美は爽やかな表情で働き続ける・・・。そんな夏美に接する内に躾け役になっているベテラン俳優、あき竹城が演じる時恵が次第に夏美を見直してくる。

 竹城の演技は草笛光子、長門裕之などに負ず劣らずの攻演技でドラマを引き立てている。時恵は最初は夏美を将来の女将にしたくない女将の環にべったりであった。

環と夏美を評価しだした自分のこころの変化で板ばさみになっている時恵の演技力は抜群である。

 今日のドラマは柾樹が自ら発案した結婚披露宴をインターネットによる動画で遠隔地からの挨拶を送り双方が話し合うシステムが柾樹に一大決心と覚悟を決めさせたのである。

 夏美がかつて妻との思い出のある花を見に連れて行った初老の男性の娘の結婚披露宴であった。

 なんとその画像に夏美が出てこころ温まる挨拶を送っているではないか。初老の男性も妻を失った落ち込みから立ち直り、父に対する心配から結婚を諦めかけていた娘のお礼の言葉が夏美に伝えられている。

 夏美の傍にいた時恵のもらい泣きのシーンは見るものを惹きつけてあまりあるものがあった。

ともかくこのドラマは毎回、人の心理描写が素晴らしいのだ。すべて夏美の頑張りを引き立てている。

 柾樹は夏美の元に帰る決心をした。来週は夏美と柾樹の再会で始まる。見応えのあるドラマ展開が期待できそうだ。(2007年6月30日)

 

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