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閑話新年明けましておめでとうございます。大晦日から降り出したは私が住む交野の団地でも10センチほど積もった。

  おう、雪見酒とでも決め込むかと思ったのも束の間、団地を通るミニバスが午前中は運行を見合わせているとの情報が入り、まだ正月食品を買い込んでいなかったので家族ともどもやきもき・・・。午後になって雪も止み、バスも走り出した。夕方近くになって隣近所の方々も車で買い物に出掛ける気配。

  拙宅でも車で市内のスーパーに買出しに。どうにか予定通りの買い物ができた。でもなぜか私には雪を恨む気持ちは全く沸き起こらなかった。恒例の紅白歌合戦を見ながら、新年を迎えた。

  元旦の昼下がり、家内と初散歩をしようと、団地内を抜けると、あの懐かしい雪だるまを軒下に作っている家を見た。

  パソコンでも雪だるまは容易に描けるのだろう。しかし雪国の子供は別にして実際に雪だるまを子供らと一緒に作りながら昔話を語るのは、私のように雪見酒を連想するのも悪くはないが、遥かに教育的であり家族的であるなぁーと思ったものだった。

  帰省客ラッシュも始まった3日には、子供たちが顔を輝かしながらテレビのインタビューに答えていた。

  「田舎で雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして遊んだ」

  私はを純白の『』をイメージする。様々なわだかまなどをさらりと捨てて新しい年を幼子のような『純』な気持ちで歩み出したいと思う。

  そう、分別以前の純粋経験の『純』でもあるのです。2005年1月3日)

 

閑話:仕事始めの今日、現役の青年、紳士、淑女の皆さんは、ご自分の職場でこころ新たに新年の抱負を語り合いながら、初仕事に取り組まれたことだろう。

 私はといえば、年賀状の返礼書きなどに終始した。本当は元旦か正月2日に書くべきであったのだが、結局、4日になった。ボールペンのお世話になったが、パソコン書きとは違い手書きは手書きだ・・・。拙い字体ながら誠意と感謝を込めて、込めてと思いつつペンを走らせた。これが新年の私の「書初め」でもあるのだからと・・・。

 今年こそは、書初めに墨を磨ってたっぷりと筆に墨汁を付け、新年にあたり、私の座右の銘でも書こうと思っていたが、果たせなかった。しかし時には筆ペンでなく毛筆を使って書くことも抱負のひとつにしようと思った次第。

 (書初め=新年を迎えて初めて行う習字。筆始め、試筆、吉書などとも呼ぶ。正月2日に書初めするのが慣例)。(2005年1月4日)

 

閑話:この間、テレビをなにげなく見ていたら、松井秀喜選手の顔がクローズアップ。で、その次に確かに松井選手が「進化」したとの表現をナレーターか誰かが言った。

 む、「進化」・・・と想いを巡らせていたら、すぐにイチロー選手の顔が・・・。彼も進化したと評された。2人とも進化に値する技量を大リーグで披瀝してあまりあるものを感じたのは、私だけではあるまい。

 しかし進化とはこの場合、野球選手のみならず、一般大衆の世界でも言えるということを見逃してはならない。大工さんや料理人の世界、またサラリーマン世界の職場でも己の技量が進化したという表現をしてもいいのではないかと思ったものだ。

 確かにイチロー、松井選手は若者らの果たし得ない夢を代行してくれるというヒーローではあるが、一般庶民も与えられた仕事の中で自らが培った技量というものは、その人しか持ち得ない代物である。

 人から教えてくれと頼まれて語っても本意は中々伝わらないものである。禅の世界ではこのことを精神(スピリチュアル)性に富んだ表現ではあるが『不伝の妙道』と言うのを聞いている。(2005年1月5日)

 

閑話:NHKのその時歴史が動いた−2代目市川團十郎−を見た。12代團十郎さんがゲスト出演。氏の発言が印象的でこころに残った。

 「歌舞伎の神髄は童のこころに成り切ることですね。邪心を捨てることです」(要約) 私は童のこころとは、赤裸々なわだかまりがないこころであり、分別心から解き離れた心境と解釈する。邪心とはその反対の語彙であろう。

 大人になるほどえてして世間のしがらみからか分別臭くなりがちである。某日のことであった。

 「あ、すみません。失礼しました」と瞬間声を上げ、すぐに杖を拾い、老女に丁寧にお渡した。電車が込んでいて私は車内を移動中に座席にかけられていた老女の杖をコートに引っ掛け落としてしまった。

 「いえ、いえ、ありがとうございました」 と彼女の声は弾み、笑顔。感謝の響きさえ感じ取れ恐縮した。もし、この場合、「どうもあいすみませんでした。杖をお渡し致します」といくら丁寧に口先だけのことばで詫びても老女は、果たしてこのような清々しい返答をしてくれただろうか。

 童の声はいつでも弾んでいる。大人びた分別心は、何事につけしなやかさといま流行りの元気さをも枯渇するのではないか。個人も社会も12代團十郎さんが言われるように童のこころで初春を力強く踏み出したいものである。(2005年1月6日)

 

閑話:今、流行のボケ防止、脳の活性化に関する番組を見ていたら、む、これはけしからんと思った場面があった。

 ご老人らが一生懸命簡単な足し算、引き算と懸命に取り組んでいる。ま、それは確かに脳の働きを活性化する要素もあるのだろうが、講師の先生に聞き手の方が確か「例えば、他人と比較して競い合うのでしょうか」など様々な質問をした。

 それに対してこの講師は「いや、それはさせておりません」「いやそれもさせておりません」の云々だ。

 私はこのさせて、させてということばに嫌悪感さえ覚えた。まるで手取り足取り教え込むという幼稚園や小学低学年の児童に向けたことばならまだしも、これまで社会の一翼を担ってこられたご老人の皆さんには全く非礼千万の物言いではなかろうかと思った次第。

 ややきついようだが、私なら「貴方さんが年老いたとき大丈夫ですかな!!」と痛罵して怒り去るほうがよほど己の脳の活性化になると思った。

 「いいですか。それはしていただいておりません」と言うぐらいのご老人を敬うようなことばが欲しかった。

 テレビに出演されるその道の大家なら敬語の使い方の方もお勉強なされてはどうかとご忠告したくなったほどだった。(2005年1月9日)

 

閑話:最近、ある集会に出たとき、非常に残念に思ったことがある。私は正座が長時間できないことである。確か子供のときはできたという記憶があるのだが、坐禅のときに用いる半跏座スタイルでも何とか格好がつくのでつい気がつくのが遅れた。

 正座で見事に座られる方を見て綺麗な姿だとつくづく羨ましく感じた。かつて日本人が持っていた大切な根本的な作法であり、日常生活の中に染み込んでいた日本文化の様式美を体現した「型」のひとつであった。

 私自身いつごろからできなくなったか思い出せないが、椅子に座るという文化の中で次第に座れなくなったのだろう。半跏座もいいが、正座もできるようになりたいと還暦を機になんらかの方法で練習、習得したいものだ。(2005年1月11日)

 

閑話:今、大相撲初場所のテレビ中継を見ようと、スイッチを入れた。力士という家業は実に大変なものだと思いつつ・・・。初代若乃花か栃錦だったか忘れたが往年の名力士でさえ、15日間の土俵で1日ぐらいは、どうしても力が出せないことがあると言っていた記憶がある。

 気力を充実させ集中力を持続させることは実に難しいことである。普段の稽古がものをいうのだろうが、ときには怪我などで休場しないまでも稽古不足のときもあるだろう。

 勝ち越しと負け越しでは大違い。少なくとも勝ち越しを賭けて、そんな稽古不足のような場合でもめいっぱい力を出さなければならいのだ。

 前回、正座と『型』に関連する素晴らしを書いたが、自分の相撲の『型』を持っている力士はそんな場合でもなんとか凌いでいくのかもしれない。

 我々一般庶民も仕事や生活の上で『型』を持っている人は充実した日々を送れるのではないかと改めて思った。(2005年1月12日)

 

閑話:今日は外出を止め、リビングの掃除を少した後、例の正座を試みた。ものの5分もすると足の付け根部分が痛くなった。

  「これは容易ではないなぁー」と思い、明日から朝、昼、晩と最低10分間正座と取り組むことを決めた。この1年の課題のひとつに正座を人並みにできるようにすることを取り上げることにした。

 また大相撲のことに触れる。新弟子は稽古の一環で股割りという訓練に泣き泣き取り組む。私は少年のころ巡業に連れられてきた若い「お相撲さん」が、汗だくになって取り組んでいるのを実際見た。恐らく力強い力士の体にする基礎訓練のひとつなのだろう。

 私も汗だくとまではいかないだろうが、よほど真剣に取り組まないと、この1年で正座ができるようになるか覚束ないと思った。(2005年1月13日)

 

閑話:今日で戦後最悪の惨禍を被った阪神大震災から10年

  私どもはよく失われた10年とバブル崩壊後のことをよく語ったが、同時にこの大震災で被害を受けられた方々のことに果たして想いを巡らせたかを改めて問い、学ばなければならないと思う。賢明な諸氏は別にしてえてして自分本位で目先の事柄に追われていなかったかと・・・。

  被災者の方々が艱難辛苦を乗り越えて今日の復興まで漕ぎ着けられたことに深甚の敬意を評したいと思った。互いに助け合っていくという人の道の要諦である『和』を大切にされたからなしえたことだ。

 バブル後の経済社会もようやく立ち直りつつあるが、これからさらに必要なのは被災者の方々が模範を示した『和』を基(もとい)にし、将来を見据えたバイタリティーではなかろうかとの想いを深くした。(2005年1月17日)

 

閑話:阪神大震災の被災地のひとつ、神戸市中央区の東遊園地には17日、犠牲者を追悼する約400体の雪地蔵が並べられたそうだ。

 私は思わず「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」と地蔵菩薩の真言を何回かこころの中で唱えた。

 地蔵菩薩は菩提心が大変お強い菩薩で衆生の苦しみや悲しみをすべてすくい取っていただけるそうだ。

  被災者の方々に向けてもう一度この真言を唱えた。(2005年1月17日)

 

閑話:「正座」が10分ほどならできるようになった。何事も訓練だと思った。これほどのことで訓練などと言うのは気恥ずかしくまたおこがましいが、それでも全くできないよりいい。ま、還暦から取り組み始めたのだからお許し願いたい。

 今から20年ほど前にある禅寺で一般向けの座禅会に出席した。大人の中に確か中学校の剣道部員だったと思うが、10人近く参加していた。

 禅寺であるから半跏座でいいのだが、全員集合して僧からかなり長い説明を受ける際でも姿勢正しく正座で通したのを覚えている。これを見て参加者の私と同年輩とおぼしき男性がびっくりして思わず声を出し「凄いな、君たちは!」と絶賛した。

 ところがぼんやりものの私は今頃になってやっと気が付いた始末。 でもこれからでも正座に磨きをかけるのも怠惰に流れるときもある定年後生活を引き締めるひとつの手法になるかもしれない。(2005年1月26日)

 

閑話:ここ20日ほど定年後10カ月近くになったので、しばらくキーを叩き、日々の生活を綴ることを休止、そう文字どおり『閑話』を決め込み、茫漠とした気持ちで暮らしていた。

 その間、私なりに思い浮かんだことを記すことにする。

 @=まぁー、お気の毒にまだ60歳でご定年ですかと、見知らぬおばさんに言われたことがある。(む、そういう考えもあるのか。しばし考えされた)

 A=私は定年後5、6年働きました。アルバイトですがね。中には70歳まで現役のパリパリだったという猛者もいらっしゃった。(このときは、さすがに@以上にシビアに考えされた)

 そのほか様々な話を聞くにつけ、長く働くことが素晴らしいという通念が根強いことをこの国の社会文化にいまだに流れていることを痛感したことである。

 司馬さんだったと思うが日本人は働き蜂で勤勉、しかも競争心があふれているとういことを山の上のほうまでちっちゃい畑を切り開いて作物を作っている様を眺めながらがらがら感心した(いや、慨嘆だったかもしれない)文がふと過ぎった。

  恐らく感嘆されたのではなかったと思うのだが・・・。ならばやはりおばさんが言うとおり60歳で定年を決め込み、年金暮らしをする私はそうした日本人気質にそぐわないのかもしれないと内心忸怩(じくじ)たるものを感じたのも正直な話だ。

  その一方、50歳で本業から転身、あの世界に通用する日本地図を作製した伊能忠敬や還暦から本職の神職を離れ画業の道に本格的に取り組み、大をなした富岡鉄斎(拙著、「交野探訪」に少し触れている)などもいる。が、いかんせん彼らは天才である。業績も立派だから余計に喧伝されるのだろとも思える。

  彼らほどにはないにしても最近でもそうした方々は新聞報道にみられるようなお歴々が確かにいる。しかし少数派ではなかろうか。

  かく言う私は凡人、凡才なるが故に@、Aの例などのように実際呻くのだ。定年3年目から面白いという方が多いようだ。遅速の私は凡人なりの確たる生き方を、そう今年4月から助走を始めようの思いを深くした如月のいまだ明けきらぬ早朝に記す。(2月13日)

 

閑話:私のHPの新着情報の中に拙著「交野物語」に盛り込めなかったエピソードなどを掲載していますが、その後に「天理つれづれ草」という私の天理の里詣での印象記をエッセイ風に掲載しております。

 2月3日付の中外日報におよそ40枚の原稿を10分の1に私が要約した文が掲載されております。カット見出しは「天理の里と文学者」とあり、サブタイトルに「みかぐらの声母の歌−子守歌に似た癒しの調べーと付いている。私の思いをよく掴んでいると思います。

 天理の里を訪れたり、関心を持ったりした吉川英治、三島由紀夫など数多くの作家、文学者の天理教観を交えたものです。詳しくは上述しました私のHPをご覧ください。

 今私は「ねんねこしゃしゃりまーせ ねたこのかわいーさ・・・」(中国地方の子守歌)のメロディーをよく流ししながら眠りに落ちています。

 還暦、つまり赤ちゃん帰りをしたからなのでしょうか。不思議とこころが自然(じねん)に和らぐのです。読者の皆さんにもお勧め致します。(2005年2月18日)

 

閑話:「貧乏人は麦を食え」ということばが過日、朝日新聞の「ことばの旅人」欄に掲載されていたことをふいと思い出した。中身については読んでいないので語れないが、こう言い放った御仁は池田勇人元首相で、蔵相の折(昭和25年)だった。

  私が6歳のころであるからラジオや新聞で直接接したわけではないが、大人たちが時折、口にしていたので記憶していた。半世紀余りが過ぎて還暦になった私は貧乏と清貧とはどう違うのだろうかとも考えた。清貧とは貧乏という現実をそのまま受け入れ、それを愉しむという洗練化させた語彙(謂い)ではないか。

  池田さんのことは拙著「交野探訪」でもこのことばを取り上げたが私は好意的に書いている。氏が豪放磊落で正直な政治家であったからである。

  時代は変わり、小生も年金生活を始めた今、私流の清貧を編み出していかなければと思う。

もしかしたら池田さんは誤解を招くことばではあったが、こころの中では清貧の意味を込めて言ったのかもしれないと思った。(2005年2月24日)

 

閑話:「向かわんとすればするほど真の実在は遠のく」(意訳)という禅語がある。優れた禅僧の吐き出したことばには逆説的な言い回しで心境を表すことばが多い。20年ほど前はこうした禅のことばを諳んじ、実践しようと試みたものだ。

 久しぶりに禅のことを思い出したのはたまたま買った週刊誌に良寛さんのことばが掲載されていたからだ。いまその週刊誌を探したが見当たらないので紹介できないが逆説的な言い回しのことばであったように記憶している。

 信越大地震のとき良寛さんのことばをここで紹介したこともある。どんな分野でも目的を遂行するためにとこころ(心境)の理想を設定しすぎるとかえって目的は達成できにくくなるということである。己のこころをこうあるべきだと限定しないことである。

  西田幾多郎の哲学の中に「逆対応」という語彙がある。これもこうありたいとあがけばあがくほど己が目指す境地から離れるという意味である。

  さて「あるがまま」の意味は辞典によると、真実とある。これはいまある境遇やこころの内面もそのまま引き受け、日々前向きに生き切るということである。そろそろ定年一年を迎えようとしている。もう一度、禅のこころを学び直し、身もこころも「あるあがまま」の輪の中に収めて歩を進めようと思う。(2005年3月4日)

 

閑話:最近の話である。2カ月ぶりに団地近くのいつもの理容店に散髪に行った。近著の『交野探訪』にもちょっと紹介したご夫婦で営む理容店であるが、男性客の場合は、まずご主人が散髪し、奥様が髭剃りなどにあたるという家庭的な雰囲気に溢れた店だ。

 だから自然と気安く四方山話が弾む。

  「最近、義理とか人情がなくなりましたね。これも時代でしょうか」と奥さんが私に手馴れた技で私の頬に剃刀を滑らせながらふと言った。

 「ええ、ほんまですね」と私はその理由も聞かずに答えた。

  私はそう声を発しながら民放の「ごくせん」というドラマのことをふと思い出した。「ごくせん」とは極道の「極」と先生の「先」を採って名づけたのだろう。

  このドラマは視聴率が30%というダントツの高視聴率を誇っていると聞き、なるほどと思いながら5回ほど立て続けに見た。昔気質の極道一家の跡継ぎという立場にある若き女性教諭が突っ張り、やけっぱち揃いの高校3年の担任として大活躍してドラマの中で視聴者を必ず1、2回は泣かせるシーンを演じるところが受けに受けていると思った。

  社会通念からみて落ちこぼれ生徒が引き起こす様々なトラブルを持ち前の極道スピリットで解決し、生徒の自覚を促していくのだ。男勝りの胆力と極道一家で鍛えた喧嘩技が冴えに冴え渡る。それでいて普通の女性らしい恋心を露(あらわ)にしたりして弱さもあからさまに表すというユーモアもあるのがいいのだ。

  このドラマを見ていて私が大学時代に見続けたやくざ映画、鶴田浩二高倉健池部良らが演じたシーンを思い出すのだ。

  極道とは合理的な損得を抜きにして義理と人情に命を賭けて自己表現するものである。私が大学時代にやくざ映画にのめり込んだのも既にキャンパスだけでなく当時の社会にも覆いだした建前だけの薄っぺらな社会現象に反発するところがあった。 

 建前主義が濃厚に凝縮した社会は活力が枯渇し、脆(もろい)だけでなくなによりも生き生きとした面白みがない。義理と人情が欠けてきたのはやはり大企業などに入って勝ち組に残りたい、目指したいという戦後のそれこそ薄っぺらな教育のなかにその原因のひとつが潜んでいたといってもいいだろう。

  その意味で義侠心が溢れた本音が飛び交うドラマ「ごくせん」は、社会の閉塞感を打ち破る痛快さがあって高視聴率も当然だと思った。まだご覧になっていない読者にはお勧めしたい番組である。(2005年3月10日)

 

閑話:過日、「ねんねこ、しゃっ、しゃりませ・・・」の中国地方の子守唄とともに眠りに落ちると書いたことがありますが、この一週間ほどは、長崎ぶらぶら節を聞きながら就寝することにしています。

 そこで今日は、そのサイトを紹介します。毎日、コンスタントに5000件ものアクセスがあるので私だけが愉しんでいるわけではないわけですが、読者の中にまだご存知ない方もおられるのではないかと思ったからです。

 サイトの名前は、なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・民謡・歌謡です。曲目をその日の気分に合わせて選択できるから私には今では日常生活に欠かせなくなったほどの貴重なサイトです。

 子供のとき歌った曲や長じて聴いたり、歌ったりした歌謡曲や民謡などに耳を澄ますときは至福感でいっぱいになります。このようなサイトの運営者の方に敬意を表し、感謝したいと思います。

 今夜はどの歌にしましょうか・・・?(2005年3月15日)

 

閑話NHKのお昼過ぎの番組で次のような歌を聞いた。最近、中・高学校の卒業式のときよく歌われる曲という。

 「大空がむかえる朝」(あだちやえ:作詞 浦田健次郎:作曲)

        あの大空が迎える朝

     巣立ちゆく鳥 風を受けて光る

  おめでとう おめでとう すばらしい日だね

        翼広げた姿 目にしみる

        

        あの大空を見上げながら

    力合わせ 助け合い わたしたちも続く

       さようなら さようなら 忘れないでね

        ともに過ごした日々を いつまでも

 歌詞メロディーとも爽やかで清潔感が溢れた卒業唱歌だと思った。

 若鶏が親鳥の巣から元気よく大空に舞い上がるさまを生徒自らに当てはめたものである。歌詞、メロディーともに澄明感があり新しい社会に一歩を大きく踏み出す若者の歌にふさわしい。

 <仰げば尊し 我が師の恩・・・>の後に歌えば厳粛さと爽やかさが見事に調和して最もいいと思った。(2005年3月16日)

 

閑話:PHP「ほんとうの時代4月号が過日送られてきた。毎号様々な方の文章を読み、定年後の「今」を模索しながら生活している私の参考にしようとの想いを頭に巡らせながらさりげなく読んでいた。そんな私に4月号にこれはその通りと納得する文に出会った。

 NHKアナウンサーの山根基世さんが34年間のサラリーマン人生で掴んだ人生「哲学」で定年後も積極的に生きるというものだった。

 山根さんは語る。

 「どんな気に入らぬそして不向きな仕事を与えられてもそれは上司から与えられたのではなく神様から与えられたもの。長い人生の中でその時、経験しておかなければならないことを神様がくれてはるのやと本気で思えるようになってから俄然、楽になった」(著者要約)

 「これは究極の成り行き任せ」とした上で「定年後に迎える老いた両親のこと夫の定年後のことさらには自分自身に迫りくる身体的老化現象などをめぐる様々な出来事もみんな神様のお計らい」(同)と言われる。

 なにやら人間の知恵は必ず分限(限り、限度)がありどうしようもなくすべてのことを如来に任せて日々精一杯生き切ることを説いた明治の親鸞といわれた清沢満之の神髄を掴んだような彼女の語りに瞠目した。

 余談になるが拙著『如来が弁護してござる』に書いていることとも通底するなと思った。(2005年3月17日)

 

閑話:NHK教育テレビのスイッチを入れた。若者らのトークであった。10代の数人が自分の考えとダブらせながら、1人の若者の職業意識などの悩みに答えを出していく寸法で最近の若者の内面が浮き彫りにされ暫く見入った。

 回答をみんなからいただくのは21歳の専門学校の学生であった。よく聞いてみたら自分の好きな道を頭に描きつつも、実際に社会人として踏み込めない葛藤があるような気がした。

 様々な意見が出された。

  「私はお金を稼いで自分で生きていかなきゃと思っているわ」と十代の女性がきっぱりと現実的な考えを披瀝したのが印象的であった。またフリーター云々が屈託のない形で飛び交うのも今の若者の心象が伺えた。

  私どもの10代後半や20代の大学時代にはフリーターというような概念に相当する言葉はなかった。アルバイトというのは確かにあったがそれは主として学費を稼ぐのが目的であった。

  私見ではあるが、フリーターとかニートというような存在が出てきたのはやはりあのバブルが生んだのではないかと思う。バブルの最中に育った今の若者は砂上の楼閣のような繁栄とバブル後の社会の閉塞感と退廃を同時に味わったトラウマを無意識の内に背負っているのではなかろうかと思う。

  やはり団塊以上の世代がバブル踊りとバブル退廃を体験、演出した大人社会の責任でもあろう。若者の悩みや葛藤が尽きないのも、むべなるかなである。

  でも今回のトークで聞き役の20代後半の役者さんの放ったことばで救われたと思った。

  「現実社会に飛び込んでいくと、誰でも溺(おぼ)れそうになっても必死でもがき、生きる術を得るだけでなく自信も持てるようになる」(著者要約)

  そう論より証拠なのである。学習よりも体験で得たものの方が下手な学歴よりも大切なのである。(2005年3月20日)

 

閑話:この間、造園業の方に拙宅に来てもらって庭石の配置換えをしてもらったり、隣家との間に長さ約1.5メートルの樫の木7本を植えてもらったりした。なにしろ庭の手入れらしい手入れをしたのは15年ぶりである。

 新聞社勤務という忙しい生業で庭などの手入れに時間を割くゆとりがなかったのだ。それでも庭を砂敷きにし、庭石6つを我流で置いたのは我ながら当時のことを思うとよくやったものだと思った。そのころ、禅に凝っていて寺院の石庭に興味を持っていたからだと急に懐かしさが込み上げてきた。

 庭の手入れを本格的にやってくれた38歳という働き盛りの造園業者は一級造園技能士の資格を持っているから小堀遠州の庭づくりの話をしても当然玄人として理解があった。

  6つの庭石を2等辺三角形になるように東から1つ、3つ、2つと分散配置した。これで庭がぐっと広くなったような気がした。後は獅子嚇しを設置し、その傍にこぢんまりとしたテーブルを置き、夜空の星を眺めながらビールでも飲めるようにしたいと思っている。

  リビングで家族に気兼ねをしながら吸っているタバコも外だから遠慮はいらないなと夢想している。

  庭木を植えるのは春近しの2、3月がいいと聞いていたのでタイミングがよかった。定年生活一年目のラッキーな出来事であった。庭に水をやりながらふとハナミズキの枝に目をやるともう芽吹いていた。(2005年3月21日)

 

閑話:この間、庭の手入れをしたときは咲いていなかった沈丁花の花がぱっと咲いた。「おいもう春だな」と思わず叫んだ。

  家内は「窓を開けただけで良い香りが漂ってくるでしょう」と言ったので庭に出て匂いを嗅いでみた。む、む、む、春の匂いだなと自然の芳しい営みに一瞬、我を忘れて庭に立ち尽くしていた。といっても我が家の庭にあるたった一本の沈丁花だが春の到来を芳香を放ちながら告げてくれるのは実に嬉しいことだ。

  現役時代はほったらかしにした沈丁花やハナミズキに丁寧にお水などをやりお返しをしなければとの思いが急に募ってきた。草花など自然との共生はまず足元からなのだ。

  沈丁花=常緑低木、中国原産。高さは1、2メートル。葉は倒被針方で角質である。(がく=花の外側は)は筒形の花冠状で先がし烈し、色は薄紫色。(2005年3月22日)

 

閑話:ある先輩がいったごとくなるほど定年後の生活はこの一年近くを振り返ってみても時間的なゆとりがある。そんな中でふと気がついたのは、現役時代はもっぱらNHKのニュースや番組に頼っていた傾向があったが、民放各社の放映を結構愉しむようになったことだ。

 せっかちにならざるを得なかった現役時代、番組の途中に長い広告が入るのがいやであったが、おっとどっこい広告も今を映す重要な情報であることがいまさらながらに判った。

 最新の携帯電話はどんなのか、歯周病に効く商品、ビールの新製品や住宅情報など新聞の広告とは一味違った判りやすさがいい。有名人の広告に登場するのも訴求力があり、広告情報を覚えやすい。

 民放は広告収入で賄っているがこのような見方をすれば民放も素晴らしい。

  新聞を見るのが視力の低下などで億劫になりがちな高齢者にとっては格好の今を知る情報源になると思った。さらに広告に知恵を絞ってもらいたいものだ。(2005年3月23日)

 

閑話:午前中は雨・・・春雨である。外出を控え、窓を通して暫く雨音に耳をすましていた。

  と、ガラガラ ゴウ、ガラガラと雷がした。む、む、予想通りの春の到来を告げる春雷である。寒冷前線の通過に伴い発生するのだ。

  ほんの一瞬の雷であった。

 私は雷が終わった後も

 ガラガラ ゴウ、ガラガラ、ゴウ・・・と春の到来を喜びながら小声で弾んだように歌った。ついでに「春が来た、春が来た 何処(どこ)に来た・・・」と口ずさむ。

 春は様々な草木が芽吹き、花をつける。交野の三宅山連峰も次第に鼠色の山肌を緑の衣に装う。

 春は自然の再生の時である。それに合わせたように人も衣替え、子供達は進級や進学、青年は社会に意気揚々と巣立っていく。

 自然の営みは悠久である。人類は単独で生きているのではない。そのことを忘れたような傲慢な人間社会が歪を起こした。地球温暖化などにその歪は凝縮、堆積している。

 25日から「自然の叡智(えいち)」をテーマにした愛知博が開催。環境問題など地球規模の問題解決策を打ち出そうと121カ国が参加する。成功裏の内に大きな成果をあげることを今から期待してやまない。(2005年3月24日)

 

閑話:今日、愛知万博(愛・地球)博が開幕した。私が新聞社に入社して2年目に開かれた大阪万博を思いだす。月の石を目の当たりにしたのが最も印象に残っているが、同博覧会以来、35年ぶりの日本開催の総合的な博覧会である。

 自然との共生を目指した「持続的可能な社会」をどう構築していくかが大きなテーマの一つであろう。最先端の科学を駆使しながら様々な展覧を各国が提案する。大まかな視点で言い切ると、これまでの万博は大阪万博を含め産業振興を謳ったものであった。

 地球温暖化などに現れているようにとりわけ20世紀に入って以降、人間の知恵が極度に人間本位のものに傾斜していた結果、いやおうなしに自然破壊につながった。21世紀初の愛知万博はテーマにみられるように自然破壊の修復と絡めた自然との共生をどう図るかを提示していると思える。

  最新の科学技術が人間本位のものから自然を愛し生かされているという愛に満ち溢れた環境本位のものを希求しながらこの万博を通して一人ひとりが地球市民としての自覚を持つことであろう。

  さてロシア北東、シベリヤの永久凍土から3年前に見つかったマンモスが展示されているのに私はとりわけ興味を覚える。1万8千年前の40−45歳の雄で約3メートルの牙2本が頭部とともに見られることだ。皮膚や体毛もついているから現実感がある。

  そのころは人類の新人らがマンモスと共生していた氷河期である。マンモスの絶滅は未だ謎に包まれているが人間が喰い滅ぼしたという説もある。

  マンモスの魂がまだ宿っているとしたらこの万博開催どうみているのかなどのファンタジーが広がるのだ・・・。(2005年3月25日)

 

閑話:夕暮れ時、隣の団地近くにある煙草(たばこ)の自動販売機に煙草を 買いに行った。大相撲の熱戦をテレビ観戦し、その余韻を身体に纏ながら・・・。

 相撲解説者が滅法、強い朝青龍を褒め上げた後「それにしても栃東は男を上げましたね」ということばをこころの中で反芻していた。

 北の海理事長は戦い以前から「もし、横綱を倒すとすれば栃東であろう」と語っていたという。私は貴乃花の晩年であったが、ぐんぐんと朝青龍が強みを発揮していたころ、深夜、相撲好きなタクシーの運転手さん相手に「今真っ向から朝青龍を勝負して勝てるのは貴乃花と栃東であろう」と、仕事を終えた開放感から薀蓄(うんちく)を傾けたものだ。

  む、そんな相撲談議を傾けていたころからもう一年近くになるのかと感慨を覚えながら足を運び、自分好みの煙草3個を買い求めて帰宅した。約30分の散歩であるが汗ばみアンダーシャツを替えなければならないほどだ。大相撲は浪花に春を告げる風物詩であることを改めて思い直していた。

  今夜は録画でもう一度、栃東が勝利した瞬間を見ようと思う。(2005年3月27日)

 

閑話:どこの神社でも唱えられている大祓の祝詞を覚えようと思い暇を夕方、1日の終わりを無事終えたという感謝の意を込めて唱えるのとは、別に暇があったら声を出さずに唱え覚えようとしているのであるが、中々諳(そらん)じることが未だにできない。

 般若心経はいつの間にか覚えてしまったが、でもこれでも5年はかかった。自然発生的に生まれた神道の中で最も重要でポピュラーな大祓い祝詞を覚えようと思いついたのは、還暦で新聞社を定年退職してからだ。もっとも『交野探訪』を書くときに関心と興味を覚えたというのが素因である。

 大祓いの3分の1くらいは諳んじることができるが、還暦が過ぎる4月末までには大祓いの祝詞を覚え込もうと決心した。般若心経と大払いの祝詞だけは、我々世代は生活に密着した教養として諳んじるのは必須条件とさえ思える昨今の私ではある。

 今日はその理由を詳述しないが、これまでもそれとなくこの欄で書いている。還暦迎え、過ごし得た感謝とこれからの人生を充実させ愉快にまっとう出来るよう願いを込めて・・・。(2005年3月29日)

 

閑話:朝起きが定着してきた。早速、我が家の前庭と庭の植木の水遣りをした。何しろこちらに引越ししてから15年、不規則勤務が続き、はっきり言っていつ寝て、いつ起きるか五月雨的な生活していたから、庭の水遣りもろくにやったことはない。

 家族も私の生活パターンに引きずられながら、忙しくしていたから庭木などほったらかしにしてきた。定年してからも時間があっても体は10数年不規則勤務形になっていたから半年余りはなにもできなかったというのが実情であった。

 それはそうであろう人間の体をある習慣に慣らしていてすぐ世間様と同じような生活に戻すのは至難に技だった。

 ともかく先日この欄に紹介したように足らざる庭木を補強し、庭石も配置替えした。ようやく我が家らしい体裁を整えてきた。早朝か夕方に水を遣るのを私の日課とすることにする。

 朝なら「おはようございます」と東の太陽に向かって感謝しながら水遣りができる。 夕方なら沈む太陽に「きょうもありがとうございました」とお礼をしながら取り組むことができる。自然の恵み受けながら四季折々に生長し、また装いを変えてくる。四季折々の変化のさまを体で感じ取りながらそれぞれの季節感を味わうのも優雅でしかも風流ではないか。明後日から卯月(4月)だ。春の薫りをとくと味わいたいものだ。(2005年3月30日)

 

閑話水墨画に取り組み始めました。私は妙に絵については自信が体の奥底に潜むようにあった。小・中学で絵に関する表彰状は50枚をくだらないという少年時代の記憶があるからだ。

 しかし、不思議なことに高校、大学時代ともにとんと、絵画に興味を覚えなかった。そう全く興味が失せていたのだ。新聞社に入社して30代の後半に調子に乗りすぎて肝臓を壊し、50日間の入院を余儀なくされた。点滴を50日間打ち続けて完治した。が、その間、病院内でクレパスを使って院内で突然描きき続けた。15枚ほどをなんなく私なりに満足する形で仕上げ、みんなもこぞって褒めてくれたので独り悦に入っていた。

 その後の新聞社生活でも再び絵を描くことを止め、定年を迎えるに至った。 実際、年金生活に入っても中々絵筆を執ることはなかったが、ふとしたきっかけで斉藤南北先生の水墨画入門口座(通信添削あり)を知り、それを基に今日の昼下がり1時間ほどで4枚を書いた。

 まだ先生のおっしゃる基本も理解しないままでは、あったが、書き終えて墨を洗う時、ふと洗面所の大鏡をみたら、自分でいうのも気恥ずかしいが目が輝いていた。む、これなら素人なりに続けることができると少年のころを思い出していた。(2005年3月30日)

 

閑話:過日、書店に出向いた。「問題な日本語」(大修館書店)が好調な売れ上げを示し、書店ランキング1位を占めていた。日本語や漢字に興味を覚えている筆者はすぐ購入した。

 ぱらぱらとめくってみても用語の使用に問題がある表記が羅列していた。全くどうなってんのと、首を傾げるものばかりである。中学・高校生の間で頻繁に使われているそうだ。

 学校教師は果たしてどのような教育をしているのだろうかと尋ねたい衝動にかられる。まさかこんな表現が答案用紙に書かれているのだろうか。

 今朝民放を見ていたら「これってよくなくないじゃない」(筆者の記憶)が問題表現として理解に苦しむ例として取り上げていた。が、高校生と思しき女生徒集団はフィーリングで表現していると、淡々と語っていた。

 相手や対象に対し慮ってやさしい表現なのだそうだ。読者の皆さんはこの用言は肯定なのか否定な表現だか判りますか。なく、なく、なくじゃないと何回もなく、ない、を使う場合もあるという。おじん世代はチンプンカンプンだ。

 「問題な日本語」では「全然いい」「私って・・・じゃないですか」「てっいうか」などが取り上げ、解説しているから、まぁ理解の及ぶ範囲であるが我々世代に違和感を覚える。上記の「なく、なく、ない」ことばのような表現がなぜ流行しだしたか教育心理学の先生はひとつ腰を据えて分析すれ青少年のこころの深層が理解できるかもしれないと思った。

 ここはひとつ日本文化の今を知るためにも、また我々世代に向けた通事をしてほしいと思う。(2005年3月31日)

 

閑話:     春が来た 春が来た どこに来た

            山に来た 里に来た

              野にも来た

          花が咲く 花が咲く どこに咲く

             山に咲く 里に咲く

              野にも咲く

          鳥が鳴く  鳥が鳴く どこで 

            山で鳴く 里でなく

              野でも鳴く

 卯(4月)になった。昨日(31日)現在、妙見桜は芽吹いてはいるが蕾(つぼみ)であった。やや例年より遅れるのだろがもう間もなく花が波打つであろう・・・。

  交野の里の春は、格別に素晴らしい。過日から交野の風情をそれとなく我が家の庭を取り上げながら書いてきた。椿(つばき)が4つ花をつけたので俄然春めいてきた。そう自然は音もなく装いを変えつつある。

 私は高野辰之作詞・岡野貞一作曲の『春が来た』を童心に帰って口ずさむのだ。拙著『交野探訪』には春の交野の美を満載している。この中で大田垣蓮月尼の歌を取り上げているが尼の美意識と生き様が表出している歌を紹介しよう。

 《宿かさぬ人のつらさをなさけにておぼろ月夜の花の下ぶし》

 《万世の 春のはじめと うたうなり こは敷しまの やまと人かも》

 同著の中で2首の私なりの解釈を載せている。

 童から大人まで春は心躍らせてくれる。春の歌を口ずさみながら春を満喫しようではないか。(2005年4月1日) 

閑話:NHKの日本の、これから「どう思いますか格差社会」3時間ものトーキングを見た。識者として堀江貴文氏、本間正明大阪大学院教授らが参加していたが多くは一般の20代、30代の若者らであった。

 さまざまな意見か交わされて思わず引き込まれるようにして見入った。

 格差者社会とはとりわけバブル後に堀江氏のように熱烈な努力で生き残った若者と取り残された若者が対照的であった。一日の生活費が1000円というフリーターの切実な声が印象的であった。堀江氏は「私も10年前はそれに近かった。最初のころは企業を起こして求人を出しても全然来なく困惑した」と吐露、しかし、たゆまぬ努力、研鑽こそが大切であると語った。

  成果主義のことも取り上げられたのも興味を引いた。

  多くの企業が成果主義を導入し出したのは私が55歳になったころであったのでさして個人的には問題に思わなかった。だが、企業に競争原理を導入したのは社員に対して賃金に働きに応じて「企業内格差」を設けようというものに他ならないが、潤いとか情というもが失せはしないか、また目先のことにとらわれはしないかなどと思ったりもした。

  そんなことを思い出しながら様々な意見を聞いていたが、勝ち組、負け組みというのが安易に給料(金)の多寡で決められているのはなにか嫌悪感を覚えた。人間として日々健康で豊かな精神性に満ちた日常生活を送っているかが大切ではないか。今日の番組が経済的側面の格差ばかりがクローズアップされすぎたきらいもなきにしもあらずだが、これまで見えていなかったことも浮き彫りになりともかく有意義な3時間トークではあった。(2005年4月2日)

 

閑話:花冷えであろうか、やや肌寒い。バスに乗って郵便局に溜まっていた私が所属している学会などの会費を振り込むためだ。市内の基幹局でないこの郵便局も顧客でいっぱいであった。

 預金を下ろす者、預ける者様々であったがはがきや切手、郵便物などを扱う窓口以外は整理券を出していた。

 私も整理券をとって順番待ちすること10分近く。と、大きな声で

 「振込みだけの方はおられませんか」

 「はい!振込みだけです」と私が手を上げると、自動振込みができる機械があるコーナーに呼ばれた。私は何とか自分でやれるのであるが職員の方が数枚の振込みが終わるまでついていて「はい!そこで確認を押してください」などと親切限りなし。そうサービス満点なのである。民営化が伝えられる郵政ではあるが、サービスを多元的に工夫することだ。

 中高年層は親切なサービス精神に弱い。年を取るほど温かいサービスにほだされる。帰宅後、テレビを見ていたら枚方市内の百貨店がリニューアルオープン。顧客層をシニアに絞り込み、婦人衣料の売り場面積を大幅に拡大したそうだ。比較的富裕層が多い中高年を狙ったものと思えるが品揃えに加えたサービス精神がここでもかぎを握っているようだ。(2005年4月4日)

 

閑話:朝、庭の植木に水遣り。午後は庭の草抜きと庭との御付き合いが多かった。草抜きに関しては、家内と息子のお仕事と決め込んでいた。何年振りのことやらと考えても検討がつかない。全くやっていなかったに等しい。

 1時間近く取り組んだが最近やや、太ってきたこともあるが四股を踏む形、もしくは屈みこむ姿勢を保つのだからかなり厳しい運動になるのか汗ばむほどであった。

 その後、バスに乗って交野市の中心部のスーパーに出掛け、榊を買いに出掛けた。考えてみると10日に1度変えている勘定である。スーパーに出店している花屋さん2束買い込んだ。仏花も置いてあったのも印象的。外に出ずっぱりで読書の方はさっぱり。新聞を流し読みした程度。夜、団地内の散歩30分。かくして1日は終わりたり。

  しかし、菊池寛が若かりし時、寄稿したという宗教専門紙、中外日報の社主、真渓涙骨の箴言をふと思い出した。

 <一日室内に閉じ籠れる時に人は獣しやすく、半日外気に触れ歩く時には聖者に似る> ま、平穏無事に一日が過ぎたことに感謝するか。(2005年4月5日)

 

閑話:もう妙見桜は満開かと期待して出掛けた。夕暮れ近く春宵値千金を期待して行った。妙見宮横の桜はまだ蕾(つぼみ)であった。こんな筈ではないと思いつつ、歩を進めると、次第に桜花を愛でる雰囲気が・・・。

 でも出店も出ていたが雨模様を予想してか店仕舞いするところも。と、いうことは朝から昼にかけて人出があったのだろう。名残惜しそうに若いカップルが弁当を囲んで談笑。

  だが、満開の木もあれば、5分咲きのところもあり、なんだか知らないが全体の桜並木の咲き方がまばらであった。桜は一斉に競い合うようにぱっと咲き、ぱっと散るイメージが私は好きだ・・・。と思いつつやや不満の面持ちで帰宅。家内に印象を告げると、曰く「人間と一緒ですよ。遅咲きもあれば早咲きもありますよ」

  む、む、む、それもそうだなと思い直した。ならば土日が見どころかと春宵に咲き誇る妙見桜を改めて愛でに行こうと思い直した。(2005年4月6日)

 

閑話:会社(新聞社)の仕事を定年で離れておよそ1年が経った。朝起きの習慣が一応定着した。つまり、世間様と同じような暮らしができるようになったのだ。いや、定年生活でありあまるほどの自由時間を享受できるようになったと言えそうである。

  今日は、1日中、テレビを見続けた。リビングのカーテン越しから春の陽気が差し込み、ほんわかと温まるのかいつのまにか眠気をもようし、ソファでついうつらうつら・・・。

  電話が2件入った。さっと目を覚まし、対応した。用件を済ましたとはいえ、現役のころならいくらベテランでも許されることではない。ま、それだけ個人的自由を与えられているのだろう、と今の境遇に感謝と満足・・・。でもいつも今日のような弛緩状態ではだめだろう。

  趣味の水墨画などに取り組み心地よい緊張感を持つことも必要であろうが今日のような日もこれでいいのだ。0K、0K・・・。

  <春の海 ひねもす のたりのたりかな> (2005年4月7日) 

 

閑話:「またやみん交野の御野の桜狩り、花の雪散る春の曙」(藤原俊成)。予定通り、夕食を済ませてから、家内と一緒に交野の桜を愛でに行った。

 (おう、満開だなぁー)と思いつつ歩を進める。闇の中で幽かなライトで浮かぶ桜のトンネルは、えも言われぬ美を放ってやまない。過日、出掛けた時には、まだまばらであったが今日は春の陽気に誘われ一斉に開花したのだろう。

 桜並木に沿道には家族連れや職場の仲間らだろうかシートなどの茣蓙(ござ)を敷き夜空に木霊(こだま)するような明るい声を交わしながら食事を取っていた。

  中には俊成の歌のように曙近くまで桜を愛でる平成の風流人がいるかもしれないと思ったりもした。交野地域では「桜を見に行かれましたか」というのがこの時節には挨拶代わりになっているような気さえする。

 交野桜の素晴らしさは拙著『交野探訪』に書き込んでいる。その時の感動も同時に思い出していた。

        さくら さくら

    野山も里も 見わたす限り

   かすみか雲か 朝日ににおう

     さくら さくら 花ざかり

        (2005年4月9日)

 

閑話:NHKの=地球・ふしぎ大自然「謎の砂漠のキリン」=を見た。この番組を初めから終わりまで見たのはこれが初めてだと見終えてから不思議(ふしぎ)に思えた。

 現役時代はどうしても時間に追われ勝ちであったため縁遠い番組であった。やはり、仕事優先でニュース中心に見ていた。仕事とは全く関係のないこのような番組に腰を据えて見るようになったのは定年後、自由人に成り得た大きな特典であるとつくづく思った。

 アフリカ大陸を棲処(すみか)として暮らすキリンの健気な生き方に同情しながら見た。

 最も感動したのは灼熱の砂漠大地を群れなしながら何キロも歩き、食物、飲み水を求め、子キリンを養いながら生き抜く姿であった。映像から判ったことは、一箇所に留まらないで歩き続けるのは木々の葉などを食べ尽くさないというキリンたちが育んだ知恵だ。

 鯨などの乱獲をしないように努めている人間の知恵にも勝るようなキリンたちの生きる姿は美しくそして逞しかった。(2005年4月11日)

 

閑話:昨夜から春雨がしとしとと小さな音を立てながら降っている。「えーい、春雨じゃ濡れていこう」という芝居の台詞があるが、そんな按配で外出しようと思えばできたのであるが終日、家の中で過ごす。

 BS放送で大リーグの野球を見ていた。松井秀選手の出番には、目を凝らしてみた。終盤彼がヒットを打つ姿を見た上で、イチロー が7試合連続安打を放ち、松井稼が勝ち越しタイムリーを放つという朗報を耳にしていい気分になったのか、気持ちよく暫くまどろんだ。

 夢うつつで思ったものだ。10年ほど前は日本のチームがこぞって大リーグ選手を招き入れ、選手補強をやったものだが、野茂から始まってイチローなどが大活躍しだした。それこそ夢のようだ。すくなくとも私には予想できなかった。

 インターネットを使用できる喫茶店が現れたのは、私の記憶では数年前と思うが、今や若者に混じって中高年もパソコン無しでは過ごせないような時代になった。私にとればこれも予想外の展開だった。

 「やはり文章というのはペンか筆で書くものじゃ」といっても時代はキーを叩く技術の方に向かっているような気がする。ペンの持ち方、筆運びはこうであると教わり、自らも努力し、学んだ世代。

 なら、パソコン運びの術もあるに違いない。私などなんとかキーを叩いているほうであるが、ブラインド打ちをこなす若者がいることは、現役時代に知らせしめられた、私からみれば、仰ぎ見るイチロー並みの超人に思える。が、かくなる時代になったからには老いても向かい合わなければならない。

 しかし、しばしばこの欄でも書いたが、日本人たるアイデンティティーであるペン書き筆書きのスタイルは失いたくない。雨がしとしと降るーという表現が日本独特の風情を表すような感性だけは失いたくないものだ。 (2005年4月12日)

 

閑話:今日こそは、リビングのテーブルに乱雑に積み上げている雑誌や郵便物などを整理しょうと、昼過ぎから始めたのである。整理整頓の苦手な私が取り組むのであるから、中々進まない。郵便封筒などは古いものは、思い切って捨てながら作業を進めたが、記憶にこれは破棄してはいけないという肝心の封書がいくら探しても見つからない。えい!ここらで小休止とばかり作業をほっぽりだして団地の中央公園に散歩に出掛けた。

 軽い深呼吸とともに空を見上げたら、抜けるような青空が広がっていた。む、今夜は夜の散歩をしなくちゃーと頭を巡らせた。時空を越えて光り輝く無数の星を鑑賞でいるからだ。交野は「星田」――。こんな夜は日常の茶飯事は忘れ去り、宇宙の星の瞬きに呼応するような静かなる呼吸をしてみたいものと思いつつ、我が家に歩を進めると、鶯の声。

 ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ホーケキョ、ケキョ、ケキョ、・・・、・・・と一羽の鶯が山の緑の中で長く鳴き続けた。こんなに長い鳴き声を耳にするのは初めてだ。

 「私も鳴き続けたら、貴方と一緒に夜空に瞬く星を見ますよ、何事も精一杯おやりにならなくちゃ」と鳴いているように思えてきた。そう、もう一度、リビングの整頓と少しは書斎の整頓も・・・(2005年4月14日)

 

閑話:今日は4時半過ぎに起床。む、ちと早すぎたかなと思ったが、もうすぐ夜が明ける・・・。

  このまま起きておれと自分に言い聞かせてから早速、朝刊を取りに玄関まで・・・。3紙にざっと目を通してカーテンを開けると空が白んでおり、団地の家々もはっきりと空の白を受けて静かな佇まいを見せていた。

  団地の木々からチ、チ、チ、チ、チィ、チィ・・・と鳥さんらの春の朝の囀(さえずり)が部屋の中まで聞こえてくる。こんなに早く目覚めたのも久し振りと思いつつ心地良かった。鳥の囀りを聞きながら朝一番、キーを叩くのもいいものだ。

  気象協会の調べによると、大阪地区の日の出は午前5時24分である。春の訪れとともに次第に朝が早まってくる。曇り空であるためかまだ太陽は山の端から顔を出さないがとにかく早起きは三文の徳。 さてと、家族が起きてくるまで朝のテレビ番組でも楽しむとしよう。(2005年4月16日) 

 

閑話:過日、我が国の明治時代を知ろう、そして良いところを見直そうという趣旨だろうと思うが「明治」というNHKの番組を見た。確かに時宜を得たいい試みであると思った。

 明治維新以降、日本は欧米文化を急速に取り入れ、近代化を図った。全国に小学校地域住民主体の小学校が一気に設立されたのも近代化の大きな礎になった。素早く対応できたのも江戸時代に普及した寺子屋を基盤とした教育的な環境が揃っていたからではあるが・・・。読み書き算盤にさらに高度な教育システムを導入した。

 以前、ある全国紙が確か「明治人」というタイトルで連載した記憶があるが、明治という時代の風を受けて個性的で教養豊かな風貌がどの人にも表れていたような記憶も同時に思い出していた。

 私の青年時代まで活躍していた鈴木大拙は仏教という世界であるが、禅を国内はもとより世界に発信し続けた人物である。明治2年の生まれで親友の哲学者、西田幾多郎と同い年である。いずれも東洋と西洋文化の狭間の中で独自の論陣を展開したことで知られる。

 政界にも財界にも大人といわれる多くの人材を輩出した。先の大戦後、日本の復興の礎をつくった吉田茂の風貌も私の青年時代の記憶の中に残る。こうした時代に名を残した人々だけでなく庶民の間でも村に街に風貌豊かな人材がいたことを私どもの世代は知っている。

 そんな世代の我々が今の時代に何を問い掛けたらいいのかと番組を見ながら自問自答したものだ。できることから一歩一歩・・・。(2005年4月18日)

 

閑話:このところBSで大リーグの中継を見るのが習慣になったが、その前の「ファイト」という朝ドラマを見るのも楽しみになった。

 まず「ファイト」であるが、女子高校生の主人公が様々な大人社会の不条理の中で成長するさまを描く。今回のドラマで注目していいのは、ネジ工場を経営する父親が、取引先(納入先)大手企業が利益確保のため、彼の工場で生産するバネの部品の一部を不正に取替えていたのを知り、悩みながらも新聞に告発発表した正義感である。

 当然、大手企業は詫びの発表をしたが、単なる伝票の間違いとしたところから、彼の苦悩は一層複雑に揺れる。妻や主人公を巻き込んで家族も動揺する。今までの朝ドラになかった実社会の荒波が家庭や人間関係に及ぼすというドラマ仕立ては、単なる視聴者のカタルシス物語ではない共感を視聴者に与えて次第に見応えが出てきた。

 大リーグの熱戦を見ても好調な選手と不調な選手は一目瞭然である。プロの世界の厳しさが究極的な厳しさを持って我々に迫ってくる。「ファイト」の視線で見ると、好調な選手の家族関係者、不調な選手の家族の顔も想像できて幅広い見方ができるのではとそんな感じがした。

 どんな世界でも社会の荒波に揉まれながら日々の仕事に取り組んでいる働き手の男(女)達の背後には家族がいることに思いを馳せるのも人生勉強になると思うのだが・・・。(2005年4月19日)

 

閑話天台宗は延暦寺の不滅の法灯が始めて全国を巡回するという。2007年までに全国24区を廻り、一隅を照らすという宗教理念の下、世の光となすという試みだと思う。

 私の母方は天台宗、父方は真言宗である。天台宗は最澄、真言宗は空海を宗祖とする。いずれも9世紀初頭、中国に留学生として渡航、帰国後、それぞれ桓武天皇、嵯峨天皇に仕え、宗教的なブレインとして時代を支えた。

 天台宗は宗教の総合大学ともいえる存在でここから法然、親鸞の浄土系の宗派、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元が分派、禅宗を創立したのはよく知られている。

 真言宗は空海が中国の恵果から密教の神髄を直伝され、日本にもたらしたものであるが、天台宗もその後、留学僧を中国に送り、台密を体系付けるなど宗教の総合化を図った。

 私は拙著、小説「生生流転」で私の先祖をモデルに双方の宗教に触れたが、描きながら日本仏教の底深さを感じとったものだ。

 21世紀に入り、世界に日本に覆われる濁世の霧を払うべき日本仏教の課題は多い。不滅の法灯が絶えることなく列島を照らすことを念願してやまない。 (2005年4月19日)

 

閑話:交野の三宅連峰の山々が緑に染まった。黄緑、緑、淡い黄緑、濃い緑。目を凝らすと微妙に異なる色とりどりの緑が幾重にも重なり合うように山々を飾る。

 自然の醸し出す色合いに思わす感動する。そのような色彩を目に焼きつかせて帰宅後、パソコンに嵌め込んだソフトを利用してこれまで数枚を書き上げた。でもいくら技巧を凝らしても自然の美は表現できない。

 しかし、感じ取った色合いを自分なりにデフォルメして描くと、それなりに独自の美を表現できる。植田寿蔵の美学論に合致するかどうか判らないが、分別を加える前の刹那に対象(山々)を見た美を描くのだ。

 自己満足に過ぎないが、水墨画なども含めて「私の美」を少しずつ表現していけたらと思う。(2005年4月21日)

 

閑話:兵庫県尼崎市のJR福知山線で起きた快速電車(7両編成)の脱線事故はJR発足後、最悪の惨事となった。26日午後11時現在で死者は76人に上った。今なお深夜の救助活動が行われ、死者はさらに増えそうだ。

 今回の惨事を見て一瞬、10年前の阪神大震災の想像を絶する惨状を思い出した。事故の起こった25日は深夜まで救出活動をテレビで見守った。死者が時を追うごとに増えていくのには暗澹たる気持ちを禁じ得なかった。

 世界各国のメディアも安全神話が伝えられた日本の交通手段の大事故に驚きを持ってこの惨事を一斉に報じた。

 運転士の技術の未熟さに加え置石説など様々な要因が複合したなど事故原因が取りざたされているが、この際、徹底的な原因究明を行い信頼回復に努めなければならないのは言うまでもない。

 また前の停車場でのオーバーランが実際は40メートルであったのを8メートルと虚偽の報告をしたことが判明したが、運転技術以前の人材教育のずさんさも露呈した。

 なにも今回のJR事故だけでない。様々な分野において高度成長過程で目先だけよければいいという弛緩した精神が無意識のうちに肥大していたのではないか。食料産地の入れ替えや杜撰(ずさん)なマニュアル化などがそれである。

 ここでも厳格を旨とした「明治精神(スピリッツ)」を改めて見直さなければならないと思った。

 今回のJR惨事から様々な教訓を学び取り、今後に生かさないと、犠牲者の方々は浮かばれまい。(2005年4月26日)

 

閑話:テレビを見ていたら最近の少年少女の体力が落ちているという。つい最近、学力が落ちているという報道に接した。少子化が進むなかで時代を担う生徒らに注目が集まるのも当然であると思ったが・・・。

 私どもの世代の少年のころは総じて体力知力ともバランスよく備わった子が多かったような気がする。私の場合小学校に通うのも歩いて30分、中学校でも自転車で20−30分はかけて通っていた。 また放課後には、決まったように運動場に丸を描いてはっけよい!の相撲遊びやソフトボールや野球に興じていた。従って少年らに平均点以上の体力が自然と備わっていたのではないかと思う。

 今はパソコン時代。遊びもパソコン内で済まし、しかも受験勉強も濃密になっておるとすれば小学高学年ともなれば野外の広場で相撲を取るなどはもはや陳腐な風景になっているのかもしれない。

 時代の流れとはいえ、体力づくりは不可欠である。学校や地域ぐるみの対応がより求められているのではないか。私の小学校の記憶では村の婦人会による運動会もあった。走りっ子は勉強ができる子以上に褒められていたような気がする。

 こう思い出しながらキーを叩いていたら昭和20年、30年ごろの少年時代の風景が蘇ってきた。どの子もあの子も元気溌剌(はつらつ)としていた顔、顔・・・が浮かんでくるのだ。

 村全体が秋の運動会になったり、祭りになったり、旅行会になったりしたのだった。今から思えば理想の教育環境にあったと断言できる。

 もうそんな風景を取り戻すのは無理な注文なのだろうか。子供の日を前に暫し、とりとめのない夢想をした。(2005年5月1日)

 

閑話:書斎の整理、整頓を16年ぶりにしたことがこの大型連休の唯一の仕事だったといっていい。本を40冊ほど廃棄処分にして踏み場をやっと確保できる状態であったのをデスクの周辺をオフィス並みの環境にしたことに加え、書斎の奥まったところにあったベッドを日当たりのいい東向きに配置替えした。

 無論、この作業は、私だけでできるものではなく、家内主導のもので私は家内の配下になって「はい、はい・・」とその手順に従っていただけ。カーテンの洗濯も驚いたことに「この地に引越ししてから初めてよ。本が散乱してできなかった」と家内はこぼす。 40代以降は本を買い込んでは読書に熱中、その間、著作を6冊上梓するなどで書斎の整理といってもせいぜい空き場所を確保していたに過ぎなかった。

 家内の主導で本格的な整理整頓を連休の2日間を活用して行った。私は整理整頓した後の書斎兼寝室の様変わりをみて家内とともに引越し並みの力仕事だったなぁーと思わず快哉したものだ。定年退職して一年後に模様替えがやっとできた次第。

 清々しい気分になったところでそろりと以前立てていた目標を身近に引き寄せ歩もうと思う。(2005年5月7日)

 

閑話:この欄で私は正座ができない、できんと悔しさを込めて書いたものだが、今なら30分ぐらいなら十分耐えられるようになった。

 何事も訓練だとつくづく思った。戦後に育った我々世代は私を含め作法に概して弱い。正座も大切な作法のひとつである。

 正座をすると、気分も爽快になる。拙著『交野探訪』でお世話になった郷土史家、和久田薫さんは80歳前後のお年をものともせず、拙宅で行った校正作業などで延べ2時―3時間も1度も正座を崩されなかったのは、いまさらながら感嘆する。

 「どうぞお楽にしてください」

 「私はこの方が楽なのです」とおっしゃった和久田さん。今の私は声を掛けた己が恥ずかしい。本づくりで夢中であった当時の私にはうかつにも正座の凄さに気が付かなかった。今度、和久田さんにお会いしたら正座で応対したいと思う。それにはもう一段の訓練が必要だ。(2005年6月7日)  

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