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ある日あの時 謹賀新年 読者の皆様、あけましておめでとうございます。旧年中は、拙い私の 文をお読みいただきまして感謝いたします。新年もよろしくお願い申し上げま す。 さて旧年暮れに取材を含めますと、3年がかりの作品、「交野探訪」(交野物 語を改題=HP作品を大幅に加筆)、カバーの副題は「星と緑と歴史の里を歩 く」です。見本品が拙宅に届きました。まずこれで一応完成ということになりま す。 交野市、枚方市、寝屋川市(旧交野郡地域)を中心に店頭販売いたします。取 り次ぎ店(卸問屋)を通じての販売となりますので全国の主要書店にも並ぶ予定 ですが、やはり、地元の皆さんにお読みいただけることを念願しております。発 売開始は15日をめどにしています。出版社は彩図社(東京・豊島)。販売価格は 1300円プラス消費税です。 1月中には、私のHP上に「如来が弁護してござる」の隣に表示いたします。 また別に機会にこの本の特徴などをお話しますが、何といっても交野の古代か ら今に至るまでの年表を郷土史家、和久田薫さんの全面的な協力を得て巻末に載 せたことがこの本に厚みを加えたと思います。 また交野地域を中心に主な神社仏閣、名所などの連絡先などを載せたことや詳 細な地図も巻頭に載せたのも特徴です。また機会を見てこの本に書き込めなかっ たこともHP上に紹介いたしますのでご期待ください。(2004年1月3日)
閑話:読者の皆さん、明けましておめでとうございます。私の正月を紹介致します。 「長方形に見えるのは・・・、あれは、比叡山。お、その下に京都タワーの光 が見える。左に薄黒く見えるのは、あの西田幾多郎さんが『愛宕山 入る陽のご とく 赤々と 残れる命もやしつくさん』と歌った愛宕山だぜ」と、夕闇に染ま りつつある岩清水八幡宮のある男山の頂上の広場(展望台)で、私は感動覚えな がら、家内に語り掛けた。 正月3日、私は家内を伴って同宮に本厄(私は申年=還暦=1944年生まれ)の 厄払いと家内安全祈願に昼下がり参ったのだ。これでこの宮に参ったのは数回以 上になるだろうか。宮の本殿は国の重要文化財(国宝)になっている由緒ある神 社。 「八幡さん」としてひろく親しまれ、広く知られる神社だ。伝えられるところ によると、貞観元年(859年)、奈良大安寺の僧、行教が九州、宇佐宮に篭もっ た時、「都近き岩清水男山の峯に移座し、国家を鎮護せん」との八幡大神の御託 宣を受け、創始した。 源氏の氏神として日本歴史の中で重要な役割を果たしてきたことは人口に膾炙 されている。 私は50人ほどの厄払い祈願の年男、年女や様々な祈願をする方々と一緒に御祈 祷を受けた。約20分、正座し、厳かな雰囲気のなかで禰宜の祝詞に耳を澄ましな がら、神妙なひとときを戴いた。 その後、すっきりとした気分で宮内を散策、頂の一角にある食事処で夕食を家 内と共にした。食事をしながら、京都方面、長岡あたりの山々を眺望できるから 素晴らしい。その後、もっと展望を愉しもうと夕闇の迫る外に出たのだ。 また、その広場には、谷崎潤一郎さんの小説の「蘆刈り」で氏が暮れなずむこ ろ、眺めた男山の風情を書いている一節を書き込んだ碑が立っている。 私は様々な思いを巡らせながら、満ち足りた気持ちで山を降りた。 元旦は、地元の鎮守の森、星田神社に詣でたことはいうまでもない。正月は晴 れの天気が続いた。今年も天気のごとく素晴らしい一年であることを祈りたい。(2004年1月3日)
閑話:御用始め、仕事始めの5日、私が担当したのは、中国地方と四国の経済界 のリーダーや自治体の長の年始の言葉が一斉に載った。自治体では財政の三位一 体改革など共通のテーマが表現は違っても例年に増して緊張感がそこはかとなく 漂ってくるのは、今の地方自治体の置かれている状況が浮かび上がり、おおいに 勉強になった。国と自治体の双方の忌憚のないやり取りがさらに深まり、今の課 題が未来の国づくりにつながるよう期待した。 町や市から都道府県に、それが国へと伝わる流れが従来に増して重要な時代と も言える。 無論、国の大所高所に立った指導性は、不可欠ではあるが、今少し、地方から の生の声が国に吸い上げられるシステムづくりと双方の意識改革が求められてい るようだ。と、いうことは町や市の住民がまず地域を愛すことにつながり、ひい ては国の在り方に関心が自然と向かう。そうなると、自然と社会が活性化し、何 が国益かということも自ずと鮮明になってくるのではなかろうか。 この間、民放のトーク番組であるパネリストが「国益、国益と乱発に近いほど 繰り返されるのを聞いていて、地方の現況などが全く無視されたように思えてい ささかうんざりしたことも思い出した。国益とは安全保障に関わる外交面でのこ とがらだけでなく、「町益」、「市益」が幾重にも積み重なることで「国益」が生ま れるという側面を改めて認識する時ではなかろうかと思う。このことは地方経済 界にも言えるのは当然のことである。 今、健康ブームで「血液サラサラ」というフレーズが流行っている。 人体と同 じく地方と国の間にもさらに意見交換が活発になり、その成果が生かされるという「血液」の循環があってこそこの「くにかたち」は活力に満ちた健康体となるのではなかろうか。(2004年1月6日)
閑話:正直なことを書く。私はパソコンを使いながら、おやこれは便利だなぁー と感じてかつて急速なインターネットの普及にやや批判的な気持ちを持っていた が、最近では私なりに便利な点と欠点が分かりかけてきた。その理由は、私なり に見つけたものだから、もしかしたら普遍性がないかもしれないので詳しくはこ こでは触れない。 そこを理解してもらって欠点の一つと思われることをあえて言う。日本の持つ 文化の良さの一つ、書道の道が遠のくのではないかと危惧する。私は中学時代絵 画と書道部に所属し、当時、それなりの評価を得ていたと思う。絵はもともと小 学校時代から好きであった。書道部に入った理由は、ある級友だったと記憶して いるが、「おれ、書道部に入りたいのだが、女の子ばかりなので一緒に入ってく れないか」と頼まれ入部した。そのころ、書には、あまり自信はなかった。それ でも県展でその子と同じランクで何かの賞をいただいた。柔道部の方に熱を入れ ていたから、さしたる努力をしたような記憶はない。だから、まんざらでもない なと内心思った。 そこで50歳代に入ってから、筆ペンで書き出し、それから硯と懐かしい長方形 の墨を買ってきて書くようになった。パソコンばかりに頼ると、書が益々書けな くなるとの見方を強めたからである。最近では、まあー、そこ、そこ書けるじゃ ないかと少年のころ以上に自信らしきものを覚え出した。 この間の休日に家内とショッピングに出掛けた時、ある文房具店で偶然、墨を 硯で磨らなくていい、液体の墨を買った。「おや、こんなもんがあるのか」と珍 しかった。が、4、5回使ったのだが、どうも、書が上手くいかない。濃淡が出 ないのだ。 絵とは異なるものの、己の気合(こころ)が反映されないなと、個人的に感じ た。老眼鏡を通して説明などを読むと洗濯で落ちる墨との説明があった。私は、 還暦を迎えようとしている今でも墨を自宅で着用する普段着に墨を付けて家内か らぼやかれることも時たまある。 「おお、わしはな、不器用やさかいな」とかわしてはいる。若いお母さんは子 供が洋服などをたびたび書道かなにかで汚されたら大変なのは、判る。が、中学 時代は無論、小学時代でも墨を硯で磨き、書いていたが、先生に何故か叱られた 記憶は全くない。汚さなかったのだ。むしろ、50の手習いを始めてからの取りこ ぼしの方が多い。老化なのかもしれないが、少年のころより、ましな書をものに しているという自信が出てきたから不思議である。文字を覚える2、3歳の幼児用 墨とみたほうがよいと思うのだがどうだろう。 まず、硯に向かって墨を磨りながらこころを落ち着かせ、それからえい、やー と気迫で書くコツを小学校に入ると、教えるべきだと思う。江戸時代、明治から 大正、昭和に入っても書という日本人としての素養たる「書道」の世界は広い層 で確かにあったと思う。私はパソコン時代の便利さは認めつつ、そんなことか ら、自己回復のためとでもいうか、今、私なりに努力しているのだ。 (2004年1月7日)
閑話:日本経済新聞文化面(朝刊)に掲載中の干支にちなんだ「猿」十選が面白 い。日本画家、竹内浩一さんが猿をテーマに描いている有名な絵画を選び、文も 添えられている。やわらかい文体で理解しやすい。 その1つを挙げると、1月7日付に掲載された海北友松画伯の「猿猴捉月(えん こうそくげつ)は興味深い。猿が崖にある木の枝から長い手を伸ばして水面に 映った月をつかまえようとしている絵である。 禅の世界では「人間智」でどうにもならないこころの二律背反(竹内画伯)の さまをこの絵は端的に表している。例えば西田幾多郎の「分別以前の純粋経験の 世界」を体得しなれば判らないしろものであろうと思われる。無論、私など未熟 で、単に想像しているに過ぎない。竹内画伯は文のなかで「てらいのない猿の姿 や余白に、友 松が読みとった禅境が穏やかに表れている」と述べている。 (2004年1月9日)
お知らせ:お待たせ致しました。「交野探訪」−星と緑と歴史の里 交野を歩 くーを15−20日に発売致します。既に出版社、彩図社(東京・豊島)のHP上で 紹介されています。15日をめどに私のHPにも同じものを掲載致します。また、 私なりのコメントも添える所存です。前もってお知りになりたい方は、同社のH Pでこれから出る本の項目をクリックしてご覧になってください。 それには「交野桜と藤原俊成」「家康ひそみの藪」「家康と平井氏(交野)」 「本能寺ゆかりの小松寺」「磐船神社の岩窟巡り」「信長と北畠顕家の子孫」 「大田垣蓮月尼と交野」などに加え、対談−交野の歴史と自然について(郷土史 家、和久田薫さんと木下)なども表示、およそ本の内容がお判りになります。 さらに同社のHPの特徴ですが、「立ち読み」というところをクリックされま すと、私の本の場合、「またやみん交野の御野のさくら狩り、花の雪散る春の 曙」と詠んだ京都の冷泉家の始祖、藤原俊成の歌を織り込んだ前文(書き出し) がそっくり紹介されています。なお、同社のサイトで購入していただくこともで きます。 またトーハン、日販、大阪書籍などを通じて販売致しますので全国の大型書店 でお買い求めできますのでよろしくお願い致します。販売価格は前にもお知らせ しましたが1300円プラス消費税です。(2004年1月11日)
閑話:11日(日曜日)、深夜、なにげなくテレビのスイッチを入れた。NKK総合。いきなり松下幸之助さんの顔が・・・。思わず食い入るようにテレビ画面を 20分近く見た。所得倍増計画を打ち出した池田勇人首相の顔も。後に首相になっ た福田赳夫さんの会見場面も放映された。が、この番組の主役は松下さん。私の 記憶で印象的なのは松下さんが未来の政治家を育てようと、「松下政経塾」をつ くられたことだ。今、その塾生が実際に政治の場で活躍し出しているのだから、 松下さんの慧眼に改めて瞠目した。 この番組は、過去に放送した映像の再放送ではあるが、松下さんの世を憂うる 警句が印象的であった。「戦後30年の復興と成長は外国の支援などで成し遂げら れたものです。その後の不況局面で倒産した企業やある企業に対する日銀特融な ど私の脳裏に焼きついていることも思い出し私は、様々な想いを巡らせ暫し過去 を振り返ったのだ。 「今は政治が不安定でしょう。今の状況を克服し未来を描くには我々民間(経 済界、労働界、市民)と政治が協力しなければならない。また、エゴとエゴがぶ つかり合うなど国民がばらばらになり、しかも日本固有の良い精神を失っ た・・・」(木下要約) こんな思いから、政治家養成にこころを動かされたのかとも思った。 1989年、幸之助さんは94歳で往かれた。これが放映された時点で氏は未来の日本 の在り方を洞察、思考されていた。改めて氏の偉大さを再認識した次第だ。(2004年1月12日)
ドラマ「新選組」1回:初回の今日、興味深く見た。 「黒船が来た。黒船がまた来たぞ−−」。嘉永7年(1854年)正月、先年の浦 賀沖に続き、予告どおり、ペリー率いる戦艦が江戸湾に再び、海面を遊弋するよ うに姿を見せた。当時の日本人には、城が海面を動くように見えたに違いない。 後に新選組を統べることになる近藤勇が近藤家の養子になり、剣術道場主にな ろうとしていたころであった。 黒船は全部で7隻、そのうち3隻が蒸気船だった。私は小学生時代に学んだことが すぐこころを過ぎった。 「ジョウキセン、タッタ 4杯デ ヨルモネムレズ」 これは上等なお茶(煎茶)を飲んで夜も眠れなかったという当時の庶民の間で流 行った川柳または狂歌であろう。浦賀来航時のときの流行り歌ではなかったかと 思われる。 「確かこれはどういう意味でしょう」という社会科の設問であったような記憶 がある。 ともかくこの黒船来航で日本中が大騒ぎになった。国論が2つに割れた。 尊王攘夷(勤皇)と、佐幕派に分かれ、双方の間で益々摩擦が大きくなり、傷 口を広げた。そんななかで近藤勇と土方歳三を中心に新選組は誕生することになるのだ 軽快、速いテンポで場面が変わる。危急を告げるときだから、当然なドラマ展 開だと好感を持って見ることができた。 「まず、彼らの技術や知識を習得し、力をつけてから、相手に立ち向かう!こ れが本当の攘夷だぞ」 ドラマでは佐久間象山が、幕府の特命を帯びて黒船を視察、桂小五郎や坂本竜 馬だけでなく近藤勇らに向かって自信たっぷりに言い切った。 近藤勇は、この佐久間象山の情熱を込めたことばを目を輝かしながら聞いた。 真摯で純粋な青年、勇の性格・・・。土佐藩を脱藩した坂本竜馬の超然、大胆な 演技によって勇の原像が初回のドラマで見事に浮き彫りにされたと思う。まずは 好調な出だしに拍手を送りたい。 (2004年1月13日)
閑話:天網恢々疎にしてもらさず・・・。やや大げさではあるが、天なる存在から、または御仏の立場からみても真実に近いような事例が認められないという事 象が多発的に起きるときは、今の世を個々人が暫し立ち止まり、一般的通念から でもいい、「はてどうしてだろう」と長いようで短い「無常迅速」のこの世のこ とに、首を巡らせるのも重要であろうと、ふと思いに耽ったので記す。 今を、または今に生き切るというという立場に立脚すれば、今の安直な流行り に迎合しているのではないかとか、己の思考のパタンーに歪は生じてはいないか どうかが自然のうちに認識できるのではないかと思う。作家、五木寛之さんのい われるごとく、今の世は戦国動乱の時代に酷似しているというのを肯定するとす れば、正にそうした内省的な対応が今、問われているのではないかと思う。 そのような小難しいことを言わないでよ、私は私なりに好きなことをし、生き ているのだから・・・と。それも判る。私はどちらかといえば原則として、あら ゆる主張を全面的に受け入れるというマンダラ的な思考の持ち主である。 が、しかしである。正直に告白したい。時にはこうであろうと、主張しなければ ならないこともある。己の小説などの中で自信作の一つ、「如来が弁護してござ る」のネット販売がこのところ売り上げランキングを下げている。 その道の専門家、名だたる作家の方々からも「労作。いいですね」とお褒めのこ とばをいただいた作品である。 主人公の暁烏敏や準主役の清沢満史や真渓涙骨(中外日報の創設者)の口を通して人間のあるべき理想像を描いた。人それぞれの持ち味を生かし切るという意味 で3人(3タイプ)の理想像を書いた。 五木さんの言われるごとく「戦国動乱」の世なら、どんな立場、世界の人でも 益々真摯になる時ではなかろうか。 3人とも生涯の長短はあっても立派に生抜いた人生の達人である。 日々是好日を旨として己の個性を生かし切るのが今、求められているのではなか ろうか。その結集が地域社会をひいては国としての活性化と力を生み、生き生き とした社会が到来すると思う。 そんな方の多い読者の皆さんにお願い申し上げたい。ぜひ、ぜひ、「如来が弁護 してござる」を読んでいただきたい。 今を読み解くカギが潜んでいると筆者の私が自信を持って申し上げる。例えば教 育問題や友人関係。さらには恋愛問題。今に通じる普遍性を帯びさせたつもりで す。 先日の「お知らせ」で書きました「交野探訪」もジャンルは異なれども相当力 をいれた作品と自負しています。ぜひ手にとってくださいますようお願い致します。 (2004年1月14日)
閑話:新選組の初回のドラマの感想に黒船来航のことで小学校時代に教わった狂 歌の一つ、「ジョウキセン タッタ4杯デ ヨルモネムレズ」を紹介した。そこで今日も小学校時代の記憶を手繰りよせて語ろう。 私は子供ながらに思った。なんでローマ字などというものを学ぶのだろう と・・・。そう思いつつも、自然に覚えてしまった。ま、しかたなしにという感 じであった。で中学生になってから、その理由を呑み込んだ。ははー、この英語 を学ぶためだったのだなぁーと少年ながら、その教育システムのいうならばその 見事さに妙に感心したものである。 しかし1年生のころ、また2年生になっても英語にさしたる興味を覚えた記憶 はない。仕方なしに勉強していたほうである。むしろいやいや勉強したといった ほうが正確だろう。ところが2年生の3学期だったと思うが、3年生を送るセレ モニーの一環で行う英語劇「ベニスの商人」の主役、血の商人、シャイロックを 演じよと命令された。7クラスほどあったから、クラスで2人ほどがその劇に参 加することのなったと記憶している。 私はいささか驚いた。英語の勉強に対する熱意はそのような程度というか全く 欠けていたからである。でも決まったものは仕方がないと観念し、最も語りの多 い主人公の台詞を一応頑張ったのだろうか、不思議とあっという間に覚えてし まった。 私は自分ながら熱演したという満足感を覚えたのを思い出す。しかし3年次に なっても、とりわけ英語の授業に関心を寄せたということはなかった。でもこの 劇には真剣に取り組んだことだけは事実である。 小学校時代のローマ字のことが、ひょんなところに飛んだが、中学生時代によ かったなと思ったことは、このことぐらいである。私に少年のころのひとこまを お粗末ながら紹介した。(2004年1月14日)
閑話:ジョークのような話をしよう。肩に力を入れないで・・・。時には、諧謔 (かいぎゃく)もいいだろう。たばこの話である。私の幼年時代のころである。 祖父がかなり長い煙管にきざみタバコを詰め、スパァー、スパァー・・・と、気 持ちよさそうに私の前で紫煙を燻らせていた。 私は、伯父の家で育ったと、この欄でも多少触れたようなきがする。でも祖父 にすれば、おれが引き取ってやったのだと内心思っていたのかもしれない。 私が小学低学年のころ、私がなにか悪さをしたのかどうかはっきりとした記憶は ないが、2、3度大きな声でどやされたことと祖父の長い煙管と紫煙とを今でも懐 かしく思い出す。 「おめー、おめえーなぁー、俺が死んだら、どうやって生きていくんじゃー、 オイ!」 そのとき祖父が煙草を燻らせながら、吸い終えたものをポイと火鉢の中に捨 て、パンと煙草入れの箱か、火鉢の隅を叩きながら言ったかどうかはもう朧(お ぼろ)だ。 でも何かしら、そんなふうにイメージが重なってくるから不思議である。 私はそう言われても絶対に泣かなかった。(おう、言ってくれるじゃないの)と ちょっと反抗心を覚えた程度であった。私には、小学校に上がる前、熱を出して 2、3度寝込んだ記憶があるが、そのとき真言密教の真言を唱えて一気に私の額に 汗をかかせて風邪を追い出してくれということでそんな厳しいことばの中に愛情 がこもっていたことを子供こころに知っていたからだろう。 私は、今、1日30本ぐらい吸っている。私は本当にたばこが健康に悪いと知っ たのは40歳を過ぎてからだ。その点ではかなりのアホというか、遅れていた。一 度、1年ほど止めたが、何かの宴会でつい吸ってしまって元の木阿弥に。 新聞社の職場でも喫煙室ができてそこ以外は吸えなくなった。ある先輩(もう とっくに定年退職され、悠々自適の生活)が10年以上前に私の前で言った。 「喫煙者には肩身が狭くなったねー」と嘆息顔で。 私は、まだそうかなぁーと不思議に思っていた。私には幼児期に見た祖父の煙 草を吸うイメージが強烈に残っていてか、健康に悪いと知りつつもいまだに生活 の中のアクセサリーと思っているところがある。 昨初秋、天理大学で日本宗教学会の研究発表大会に出席、奈良市から天理市ま でタクシーで向かった。このときの運転手さん、陽気で明るい。天理教の信者で すかとは、聞かなかったが、「えーわたくし、1日3箱吸っていますよ」となにか のひょうしにたばこの話になったのだろう、たばこなんか、ヘーチャラーと言わ んばかりにおっしゃった。 さすがにある程度は肯定派の私も驚いた。 「せいぜい2箱になさっては。奥様お喜びに・・・」とつい口に出でた。この 方、60歳。還暦。私より一つ年上。 「いえ、私の家内は、私なしでは生きていけないくちですから、ぜんぜん文句は いいませんよ」ときた。 私はこの自信に圧倒された。私は「定年を迎えたら1箱にしょうと家内に言って おりましてね・・・」 この一瞬ばかりは、こころの中では負けたと思った。祖父の「おめぇー なぁー」のことばを思い出したものだった。でも、やはり1箱が無難のような気 がする普通の漢(おとこ)なのだ・・・。お粗末なたばこ談議をこれで了とす る。(2004年1月16日)
閑話:私は新聞社の職場に着くと、大雑把であるが全国紙の大方をざっと見る。 40代のころは、家でも少しは読んでいた記憶がある。こうした読み方をし出した のは1年半ほど前だろうか。というのは、次第に体力が落ちてきたのでやむを得 ずの側面が主たる理由である。 だから原則、我が家では読まないことにしている。慣れてくると、主要な ニュースなどは、自然と読め、ある程度頭に入るようになる。何事も訓練だ なぁーと思う。でもどこの新聞に書いてあったかを即座に思い出すまでには至っ ていない。出稿部から出された記事で「あーあれか」と他紙の記事を思い出すの だが、どの新聞だったかまでひらめくまでには至っていない。 しかし、これから私の意見を書くのは、恐らくあのコラムであると断言できる のであるが、あえて伏せる。私は、この欄に大変興味を持った。景況に明るさが 見えてきた今、こんなことをはっきりと言い切る経営者がいるのか、といささか 驚いた。 「もう終身雇用の時代ではない」と。 このコラムでは、合理的スタンスは必要と認めつつも、確か人間的な潤いを残 してほしいと述べていた記憶がある。この点、私も同感である。この経営者は、 終身雇用が甘えの構造になりかねず、そうした軟弱な企業体質では国際化や国内 の厳しい企業間競争の中では生きていけないというのが本音であろう。それも判 らなくはない。 ではどうすればいいのか。企業文化は戦後に我が国、固有の文化が花咲いた一 つの形態ともいえた。植木等さんが歌うサラリーマンは気楽な家業ときたもん だ!という高度成長が始まったころ流行った歌を思い出す。紆余曲折はあって も、今でもその延長で走ってきたと断言していいだろう。 それは社員の心掛け次第ではなかろうか。勤務する企業を個人として根源的自 己啓発の場と取るか否かかにかかると思う。あまり好きなことばではないが、あ えて使うと「出世」してもいいし、その反対でもいい、とにかく与えられた職場 を大切な一日のひとこまとしてとらえ充実したものにすればいいという価値観を 持つことだ。それが潤いにもなり、企業集団としての競争力をつけることにつな がる筈だ。 でも最後に付け加えると、やはり終身雇用は良い側面があると言いたい。国家 に対する愛国心と同じように愛社精神を培うからである。それを失うと、企業も 国家も弱体化すると思えてならない。 また経営陣もそうならないような「啓発」が改めて問われているのが今だと言 いたい。(2004年1月18日)
ドラマ「新選組」2回:前回に続いて次第に近藤勇の性格(個性)である誠実、 朴訥(ぼくとつ)さに加え、剛毅な親分肌な面も時折みせ、新撰組の局長となる 素質が画面展開の中で自然と浮き彫りになっていく構成は見事である。 永倉新八――。後に2番組長になる彼の出現で22歳という青年時代の彼の人と なりが浮き彫りになる。 「おぬしは、人を斬ったことがあるか」と近藤は訊く。 「えぇー、1度、絡まれていたしかたなかったおり・・・」 近藤は、そのときまだ人を斬ったことはなかった。永倉は19歳、近藤より年下で ある。近藤は何かしら負い目を永倉に抱く。近藤周助の養子に向かえられた近藤 は「若先生、若先生」と呼ばれ、多摩地域(東京・調布市)の人々に慕われ、頼 りにされるようになっていた。 あるとき、盗賊に襲われそうな農家の護衛を依頼された。頼まれたら断れない 性質(たち)の近藤は、土方歳三らと共に応じた。思ったとおり、盗賊が襲って きた。4人のうち一人は永倉が、一人は土方を守るため近藤が周助から学び取っ た天然理心流の技で殺めた。 近藤はこのとき、初めて己の剣捌きで人を斬り倒した・・・。 が、近藤は悩む。土方がそんな近藤を心配し、「あんたが奴をやらなければ俺は 殺されていた。わしが殺されたたら悩まないのかい」と近藤に言う。それでも近 藤は浮かぬ顔。土方は、盲目であるが、苦労人でしかもカリスマ性豊かな人物で 世の中を見通す眼力を持つ兄のところに連れていく。 「近藤さん、あなたが斬り勝ったのは、相手より、生きようという気迫が勝っ ていたからです。今、この国には風が吹いてきつつあり、やがて大きな風となり ます。この風に乗るか、あがなうか、いずれにせよ、あなたの剣が生きてきま しょう。その時代と切り結ぶことです」(著者要約) 土方の兄は近藤を諭しつつ、近藤に大きな期待を寄せる。この事件を機に近藤 は、時代の荒波に生き切る大きな糧を得、成長し、武士としての厳しい生き方を 進むことになるのだ。(2004年1月19日)
閑話:休日の22日、ビデオ撮りしていた「その時、歴史が動いた」を見た。平清 盛の生涯と人となりを見みることができたと、この番組にことのほか興味を覚え た。 番組で使った言葉を借りるならば、朝廷の護衛をする「番犬」に過ぎなかった 武士の地位を何段階も上げただけでなく、天性の政治力、海上を中心とした軍事 力を持ち、また経済感覚を生かし、我が娘を天皇に嫁がせるなど権力の中枢に 迫った日本史上稀有な人物であった。 私はこの番組を見ながら、あの平家物語の一節を思い出してならなかった。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理 をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごと し。・・・。・・・。まぢかくは六波羅の入道前太政大臣、平朝臣清盛公と申し し人の有様、伝へ承るこそ、心も詞も及ばれね」 しかし、平家一族の滅亡の姿には、世の無常を響かせながらも何故か、滅びの 美学があると思えるときがある。安徳天皇と共に海の藻屑と消えたさまは、清盛 という稀有な一族の「雄」がつくったこの世に花開いた栄華という名の「業」を 消し、清め去った一瞬ともいえなくはない。 また同時期を生きたあの西行の行き方も思い出した。北面に武士から若くして 出家、歌を詠み、その後に歌人に大きな影響を与えた西行・・・。清盛と同じく らい日本史の中で欠くことのできない存在である西行。芭蕉は西行を慕い、明治 維新の風雲児、高杉晋作は、西行に倣って「東行」と号した。 嗚呼、人世(ひとよ)はなんと様々な人生の彩りがあるものよと暫し、頭を巡 らせた。ただこの番組で歴史の流れを反芻できたのは、勉強になった。(2004年1月23日)
ドラマ「新選組」3回:今回も近藤勇と土方歳三を軸に2人が、幕末という時代の 風を受けて青年らしく次第に成長していく姿が浮き彫りになり、全体として見応 えがあった。 「侍、武士には、なれねぇーよ。歳よ・・・。わしはそう思うのよ。じゃが な、おれは決めたのだ。おれは、武士以上に武士らしくなってやろうとのう!」 (著者要約) 勇が土方歳三に向かって言い放った。2人の思いは一致した。近藤は近藤家に 養子になったから、事実上、武士になっていた。 が、母が「あなたは、百姓の子でしょう。近藤家にきても百姓の出はあくまで は百姓ですよ」(著者要約) 父、周助が士分の高い家の娘を母に相談せず、勇の縁談相手に決めようとしたこ とが発端だった。母の方は、近藤家に誇りを持っていた。養子に向かえた夫、周 助自身の振る舞いも許せなかった。また勇が急速に青年武士として成長していく のも彼女にはなさぬ子故か、気に食わなかったのだ。 純粋な勇はこころの中で泣いた。 で、言い放ったのだ・・・。 「武士よりも武士らしくなってやる」。 一方、歳三は、本気で武士になろうとしていた。彼の生家は武蔵国多摩郡上石 原村(現・東京都調布市野水)の豪農だった。恐らく士分の低い武家よりも豊か な生活環境にあり、教養もあったに違いない。が、「武士は武士、百姓は百姓」 という身分は変わらない。これは、私の想像であるが、江戸幕府の御膝下にある 歳三の生家は、他地域よりも身分制度はより強固であったのではなかろうか。鋭 利な頭脳の持ち主の歳三にはその現実が許せなかった筈だ。 が、勇の気迫に満ちたことばにはっとした歳三。薬売りをしながら各地の道場 に顔を出し、剣術の腕試しをしていた歳三だったが・・・。 勇の気迫に満ちたことばにこころが躍り、勇からさらに剣を学び、彼について いく決心をしたのだ。ドラマ展開は次回の期待を滲ませた。 これは余談。私の思い出を書く。大学3年か4年生のころ。国立大学の有名マル クス経済学の大先生が私の母校で講演をなさった後、恒例ではあったが、小教室 で質疑応答ができるシンポジュウムのような時間が設けられた。大概のこのよう な会には出席した。私は近代経済学とマルクス経済の双方を一応自分で勉強して いた。で、若気の至りではあったが、この大先生に向かって近代経済学の立場か ら先生を困らすような質問をした。 「君、君は百姓の子だろう。百姓がそんな経済学を学んでどうするのだ」と烈 火のごとく怒り、厳しいことばを私に投げ掛けてきた。これも学生だから言えた のだろうが、私は、その大先生に向かってなにやらさらに反論した記憶がある。 つまり、百姓という陳腐な言い方に勇と同じような義憤を覚えたからだ。 弟子筋の助教授さんらが一瞬、緊張された様子を今でも覚えている。学問でも なんでもこれであらねば、という画一的な見方に偏ったり、断定するのは危険で あると、今ならはっきり断言できる。 (2004年1月25日)
閑話:元気溌剌(はつらつ)とした大きな声が受話器から飛び込んできた。「い やー、お久しぶり。あなたの『交野探訪』を初めから終わりまで読ましてもらい ました。読みやすこともありますが、一番いいのは、現地を実際に歩かれたこと でしょうなぁー・・・あれでいいのではいですか」とお褒めのことばとして私は 受け取った。その声の主は、私の母校の漢字哲学者、白川静先生である。 白川邸をお訪ねし、3時間近く様々なお話を伺ったのはもう3年前にもなるのか と時の迅速を改めて思った。先生は93歳におなりになったとお聞きしたからであ る。白川先生に初めから終わりまで読んでいただいただけで私のこころは、和 み、本当に嬉しかった。 「私はねぇー、交野にも興味を持っていますが、枚方も面白いですな」とおっ しゃった。恐らく千字文字や論語を日本に伝えた王仁博士のことなどを指してお られるのだろうと思ったが、碩学に向かってどこが、とは問えなかった。 先生は3年前そのままの大きな声とざっくばらんな話し方に一種の感動のよう なものを覚えたのだ。そして「私ねぇー今、中国のことで集中力のいる細かい仕 事に取り組んでいましてねぇー」 そんな中で私の雑文みたいなものを読んでいただいたとはと電話の声をお聞き しながら感激は増すばかり。 また「当用漢字だけで日本の古典が読めますかな。読めないということは日本 人としてのパワーが剥奪され、言い換えると、そがれているとは思いませんか な」という3年前、先生の口から、言い放たれたことばが蘇って仕方がなかっ た。 今後、「お教え願いたいことは、手紙に書きます。ありがとうございました」 とお礼を言って満ちたりた気分でそっと受話器を置いた。 (2004年1月27日)
閑話:ふと思い出したことを書きます。正月番組であったか、教育問題を扱った 番組であったか、思い出せないが、「おう、その通りである」と納得したことが 鮮明に蘇ったからであ。 出演者がおっしゃった。 「教育システムに問題が生じた(確か出演者は教育がおかしくなったのは・・・ と表現なさった記憶があるが、やや表現上、私好みでないので私の表現に替えさ してもらった)のは学校内、教室内の掃除を業者さんに任せっきりにしたのが問 題なのですね」(著者要約) 私が小学校、中学校時代は、生徒が総出で協力しながら、校庭やら廊下、教室 内などをワイワイ言いつつもやった記憶は、はっきりと蘇る。私は勉強よりか掃 除の方が好きだったというとやや大げさではあるが、まぁー嫌ではなかった。こ れは私の発想で申し訳ないが、遊びの延長のように考えていた。しかし、掃除の 技術は皆と比べて 下手であった。 だが、この年になってみると、やはり、掃除は体を動かし、さらにまた校庭な どを綺麗にするのだから、1石2鳥である。 最近、学力の低下が問題になっているようだ。 学力があるにこしたことはないが、それ以前に勉強の好きな子も掃除などを率先 して取り組むような生活上必要なことを学ばせることではないかと思うのだ が・・・( 2004年1月27日)
閑話:しんしんと冷え込む夜更け、家路を急ぎながら仰ぐ夜空の星の美しさは、 大気がさえわたるこの季節のたまものだ。「木枯らし途絶えて さゆる空より 地上にふりしく 奇しき光よ」という『冬の星座』の一節を口ずさみたくなる。 宮沢賢治・・・。これは春秋欄の書き出しである。 深夜の新聞製作にある時間帯の降版時間を無事過ぎ、ふっと一息入れた時、こ の書き出しを読んで、こころが和らいだ。私が住む交野の里から幾度も、そう、 数え切れないほど、私は夜空に瞬く無数の星に魅せられ、憂き世の哀しみを癒し たことか・・・。 私は交野の里から眺める明け方の空がとりわけ好きだ。七曜の星(北斗七星) がくっきりと浮かび、1、2カ月もすると浮かぶ角度を次第に変えていくさまに宇 宙の悠久さに感動を覚える。 くどいようだが、この欄で紹介しましたこの間、上梓した「交野探訪」のなか でも星にまつわることをかなり紹介した。 もうすぐ還暦を迎える私は、年のせいだろうが、かつてこよなく魅せられ、愛 した飲み屋街のネオンの輝きよりも夜空に輝き瞬く星光の方により惹かれるの だ。 この書き出しを読んでとにかく嬉しかった。 (2004年1月28日)
閑話:最近、考えさられることが多い。私は拙著「交野探訪」で歴史的な観点か ら、現代の今を少しでも織り込もうと環境、宗教、教育の今後の課題を取り上げようと試みました。読んでいただけば、理解していただける」と思いますが、こ うだと断定は概ねしていません。 その理由は読者の皆さんと共に考えよう、模索していこうと思ったからです。 しかし正直に言いますと、まだまだ私自身、確たる自信がないという側面もある からです。でもこれだけは言えるだろうと思います。教育の問題ですが、幼稚園 から受験勉強一筋(やり)が最も幸せにつながり、将来を約束されているという 画一的な幸福論的思考が危ういということを・・・。私はかなり以前からこれだ けは、真剣に考えていたと思います。よしんば、一応、勉強して大学に入っても 高校時代までと同じような受身の授業の受け方ではだめだということも・・・。 総合点で優秀な成績を取るようなスタンスではなく、自分の問題意識をこころ のそこに醸成しなから自主的に勉強することであろう。法律、経済でも文学でも 学部を問わずに。私は、文学に興味を寄せながらも専攻の経済だけだが、授業で ノートを取ったのは4年間で7、8科目に過ぎない。ほとんど自分である程度満足 した勉強をしたという点はまず正しかったと今でも思います。 だが、これは私の偏見かもしれませんが、新聞社に入ってからつくづく思った ものである。あの作家もこなたの詩人も大学中退か、と妙に「大学中退」を試み た人物に畏敬の念をいだいたものでした。 「おう、あの方々は、大学にもの足りなくて、いや、ばからしくなってご自分 の道を早めに決められたのか・・・」といささか羨ましく思いました。というの も経済学は一応勉強したつもりではありましたが、文学好みのこころが燻り続け ていたからかでしょう。 要は戦後教育(受験一本やり)を受けた我々世代は、大学こそ、その弊害、ま たは欠落した部分の修復に充てる4年間という見方でなければならなかった。し かし、そういう私ができたとはほとんど思えないのも事実です。 ではどうするか・・・。今の私にはこれだと言い切る自信がありませんから、 「交野探訪」でも読者の皆さんに問い掛ける形にした次第です。でも言い切った ところもあります。 これを言うと私の本の宣伝ととられても仕方がありません。前著の小説「如来 が弁護してござる」で主人公の暁烏敏に語ってもらった。 「勉強の好きな子(まぁーできる子ともいっていいだろう)と体育のできる 子、音楽のできる子、絵が上手な子などを平等に扱う教育的視座重視の必要性が 問われている」と。昨今の少年を巻き込む様々な問題・事件を見るにつけて も・・・。(2004年1月28日)
閑話:有力全国紙がなるほどというタイムリーな記事を載せていた。イラクへの 自衛隊派遣を巡る主要6社の論説の違いが一目で判るように要旨を並べていたか ら、おっと思いながら関心を持ち読んだ。重要な外交問題だから国民の多くは大 きな関心を寄せ、世論が揺れている。 いくらなんでも同紙が挙げている6社の主張をくまなく読み込んでいるような 国民はあまりおられないと思ったからである。新聞社に長年勤務している私も関 心を寄せてはいるが、各社比較などできていないのだから。 夏の参院選では大きな論点になることはいうまでもない。 私自身のこの企画記事を読んでの感想を述べると、「]社の論説とZ社の論説の この部分とこの箇所をくっつければ、理想的だなぁー」などと自分なりにこの問 題について改めて思いを馳せることができた。 だが、と視点を変えてみた。 このような国論を揺さぶるような問題も重要であるが、我が国が戦後の経済回復 と発展は見事であったが、その半面で失ったことの大きさも今の政治家や官僚の 皆さん、有識者は、少し立ち止まって熟考しなければならないときではなかろうか。様々な課題が多いが、例えば教育問題や自然との共生を深く認識するという 環境問題などがそれである。 私の昨年秋とつい一週間前に出版したエッセーの中でも問題提起という形で書 いた。 ついでに言えば、今こそ宗教の役割が大きいことは、論をまたない。 私が育った田舎ではお寺や神社は日常生活と不可分の形で密着して生活に潤い とコニュニティーの場を提供してきた。そして鎮守の守には子供なりに不思議と 畏敬の念のようなものを抱いていたような気がする。しかし経済発展の基(もと い)であった合理的志向そのものが、そうしたものを遠いものにしてきた要因の 一つでもあったと思う。 国論を分かつような自衛隊派遣問題だけでなくこうした国内問題の修復をしな がら、外交も展開しなければならないという深い問題意識をお持ちの政治家諸氏 がいることも私は知ってはいる。が、今はまさに政治家だけでなく、国民一人ひ とりの自覚の深まりも求められているのではないかとの思いを強くしている昨今 である。(2004年1月30日)
閑話:S紙の「円空を旅する」をちらりと読みつつ、新聞社に入社3年目である と記憶しているが「円空」物語ふうなかなりのボリュームのある本を興味深く読 んだ記憶が蘇った。仏教に関する本は大学時代にもいくらか読んでいたが、 感動の余韻まで脳裏の底に眠っているのがこの円空物語であった。 京都での浪人時代には確か「人生は芸術なり」というPL教団教祖の本を楽し く読んだ記憶もある。小学校から中学校ごろまで腕白を決め込んでいた少年だっ たが祖父の真言密教の読経を耳にしたというよりも今から思えば生まれつき、私 のこころの底に仏を仰ぐような素因が宿っていたのでなかろうかと思う。 さて円空であるが、江戸初期に全国各地を歩きながら、数え切れないほどの仏 像を刻み、残した僧として有名である。私は宗教の知識よりも何々という僧の心 境がそれとなく理解できるようなところがあった。だから円空物語に共感を覚え ながら読んだのだろうと思う。S紙の記事で取り上げている三重県磯部町に残さ れている薬師如来3尊像が掲載されていたのが特に印象的であった。素朴な風貌 の薬師如来像に親しみを覚えた。 名僧である円空であるから、当たり前のことだろうが、私はこの時の円空はと りわけこころが澄んでいたのではないかと想像するのだ。おだやかな、おだや かーな心境におられたのではなかろうか。ご自身でも「む、これは、これはよく 彫れたな」と彫り終わった後、こころが躍動したのではないかと想像する。もし かしたら「オン コロコロセンダリ マトォーギソワカ」と薬師如来の真言を唱 えながら彫り込んでいったのかもしれないと思ったりしたのだ。 暇ができたら書斎から「円空」物語の本を探し出し、改めて味わってみたいと思っている。 (2004年2月1日)
ドラマ「新選組」4回:見応えのあるドラマ展開に感動を覚えながら見た。 「なんでこんなにおれの道場には弟子が集まらねんだろうなぁー・・・」と道 場主の周助のぼやきが、近藤道場の実情を端的に表していて興味を誘った。 道場の台所を預かる周助の妻は食事のどきに言い放った。 「最近は居候(いそうろう)=食客が多すぎるわねぇー。台所は厳しくなるば かし。この分だとメザシの数を段々すくなくしなくちゃぁーねぇー」(著者要 約) この言葉にもリアリティーを感じさせ、視聴者をぐいとドラマに引き込んだ。 食客の一人、土方歳三は提案した。 「なんちゃったって金があるのは商人(あきんど)ですよ。商人の子弟を道場 に引き込むのが得策じゃー。謳い文句は『あなたも武士になれる』でいきましょ う」(同) 周助も勇も彼の提案におもわず頷いた。が、そうは言っても、今の通い弟子か ら授業料金を集めなくてはならない。周助が名指した武士から滞納分を支払って もらおうと長屋を訪ねる勇・・・。 その武士は一日待ってくれと懇願する。勇とは別にその武士に返済を迫る人物 がいた。その武士に同情する勇に対してもう一人は厳しく返済を求める。その姿 勢の違いにも勇のキャラクターが浮き彫りにされよかった。その翌日・・・。 ときに安政7年(1860年)3月3日。雪の降る早朝だった。 「若先生!大変な事件が起こりました・・・」という門人の大声に勇は眠りか ら呼び起こされた。世にいう「桜田門外の変」が起こったのだ。水戸浪士らが大 老、井伊直弼を斬殺した・・・。勇は現場に駆け付けた。 「大老が殺されるなんて・・・」と、このときの勇には、信じがたい出来事 だった。次々と起こる幕府の重臣が急襲され、殺される。近藤道場に通っていた借金重ねる武士も斬りあいの中で果てていた。死を悼む勇の姿があった。しかし、この時の彼にはまだ、幕府の尖兵(せんぺい)として勤皇の志士らと対峙することになる己自身の立場を予想していなかった。が、次第に幕末の動乱の渦に 巻き込まれていく勇のこころの揺らぎが自然と感じとられていく様子が漂い、全体として素晴らしいドラマ仕立てになっていた。とりわけ今回のストーリー展開 に思わず視聴者を引きつける魅力があった。(2004年2月1日)
閑話:いやはや昨日(3日)は複雑な気持ちだった。粒(つぶさ)に紹介しよう。 読者の皆さん、落語のつもりで読んでください。とにかく嬉しいやら、恥ずかし いやらではありました・・・。 その前には朝飯にありつけなかった。まず、起きた。食い物がない。「おい、 どうしたのじゃーと、家内を起こすわけにもいかん。家内も働いていているから 疲れているに違いない。む、瞬時に頭を巡らす・・・。 む、食卓の前にパン1個が目にとまる。これでいいじゃろか・・・。む、足ら ないやろうなぁー。よっしゃ、まとめ買いの「アリナミンV」を飲んだれぇー。 でも糞もせにゃならん。で、あんじょう出すものを出し切った。 タクシーでJR星田駅に。途中で親しい運転さんが言った。「木下さん、今日 は、片町線(学園都市線)は何故か、その理由は、よく判りませんが遅れていま す。急いでも仕方ないですよ」 「しかし、会社に連絡せんことにはなぁー、日頃、偉そうに言っておりますか らね。そやさかい、いつもの時間に間に合わせてちょうだい」と私。星田駅に定 刻に着いた。 が、(ほんまやなぁー。中々、電車来へんなー、10分ほど待っただろうか。そ の間、携帯電話を持っている方を探した。む、あのお嬢さんに決めたろう。この 場合、青年でも中年の男性、または中年の女性でもよかった。とにかく携帯電 話、携帯電話、携帯・・・とこころの中で呟きながら探していたら、あのお嬢さ んは真面目そうだししっかりしているな、と決めたのだ・・・) 「あのー携帯電話を使わしてくださいね・・・」と丁寧にお願いしたら、O K。ぐっと安心したところで来た、来た電車が。でも区間急行電車ではない。各 駅停車の普通電車。そのお嬢さんの後に下僕のように従って電車に乗り込んで新 聞の一面に載って社の電話番号を見てもらった。 「あの、済みませんが、ここに電話してください」 「はい、出ました」 「なに、販売ですか・・。社会部に回してくれませんか」 「おっ、S君か、伝えてくれ今、車内放送で20分ほど遅れとるちゅうから なぁー」 ああこれでいいと、安心したところでそのお嬢さんに感謝を込めてお礼を言 い、初めて車内を見渡したら女性ばかし。 「おや、これは女性専用車ですね」と、そのお嬢さんに小声で言った。 「いえ、いまちょうど午前9時になりましたから、よろしいのではないでしょ うか」 と落ち着いた声でおっしゃった。 (おっ、これは参った。このお嬢さんはしっかりしているな)と内心、いまど きの娘(こ)はと少し、偏見を持っていたからかも・・・。 で、ある区間急行の止まる駅で外に出た。駅の様子から、すぐにはこんなぁー と、判断して元の普通電車に戻った。車両を一列ずらして乗り込んだ。 (まぁー、今日はしょうがないな・・・)と、かなり遅れることを覚悟してゆっ たりと構えた。で、おやっと気が付いたのだ。ワイシャツのボタンがむちゃく ちゃ、1つ2つだろうか・・・。と掛け違えていたのだ。マフラーを着けつけて いるから、まあいいやと高をくくってそのまま、京橋駅。 駅の改札口で「おい、どうしたですかなぁー、えらい、遅れてしまってから に・・・。2枚の証明する用紙をくれませんか」と少し厳しく言った。 「ええ、すみません。阪和線で事故がありまして」 「それなら仕方がないですね」言い、お詫び口調になった。でも阪和線の事故と 学園都市線の遅れと関係があるのかしら・・・と思いつつ、会社の職場に到着。 後で判ったことだが、学園都市線は朝方、運転士さんらが兵庫県内で車両に異 常音を聞き、急停車して点検するのに時間が掛かり、阪和の遅れが重なって2重 に遅れたらしい。ともかくいつもより50分遅れて仕事に取り組んだが、まぁ、無 事に仕事は終わった。 で、冒頭の話に戻る・・・。今日、会社に連絡を速やかに取り得たのは専用車 のお嬢さんのお陰である・・・。ある・・・と、思い帰って家内に言ったら、あ きれ顔で「あの、お魚もあった筈ですよ・・・」と言われた。しかしながら、私 の目にとまったのはパンだけなのだから仕方がない。 でもです。ここでお詫びしたいのは、この欄で女性専用列車導入は行き過ぎで はとやや批判口調で書いた記憶が蘇った。今回の場合は偶然ではあったが、この ような親切でこころやさしい親切なお嬢さんがいらっしゃることを紹介したかっ たのです。そう、見間違えないように専用車の時間帯をしっかり、覚えておけば いいのだろうと少し反省した次第です。いつかは、専用車がなくなるような社会 の到来を望むこころは変わらないが・・・。(2004年2月4日)
閑話:S紙が連載している「円空を旅する」をちらりと読みつつ、新聞社に入社 3年めであると記憶しているが「円空」の物語ふうなかなり分厚い本を興味深く 読んだ記憶が蘇った。仏教に関する本は大学時代にもいくらか読んでいたが、感 動の余韻まで脳裏の底に眠っているのが、この円空物語であった。 京都での浪人時代には確か「人生は芸術なり」というPL教団教祖の本を楽し く読んだ記憶もある。小学校から中学校ごろまで腕白を決め込んでいた少年だっ たが、幼いころ、祖父の真言密教の読経を耳にしたというよりも今から思えば生 まれつき、私のこころの底に仏を仰ぐような素因が宿っていたのでなかろうかとも思う。 さて円空であるが、江戸初期に全国各地を歩きながら、数え切れないほどの木彫り の仏像を残して仏道の尊さを今も伝える名僧と言える。仏教者や仏教学者のほか は一般的にはあまり知られていないのは残念でならない。 私は宗教の知識よりも、何々という有名、無名を問わず、僧の心境がそれとな く理解できるようなところがあったようである。だから、円空物語にも共感を覚 えながら読んだのだろうと思う。 今回、S紙が取り上げている三重県磯部町に残されている薬師如来3尊像が掲 載されていたのが特に印象的であった。素朴な風貌の薬師如来像に親しみを覚えた。 名僧である円空であるから、当たり前のことだろうが、私はこの時の円空はと りわけこころが澄んでいたのではないかと想像するのだ。 おだやかな、おだやかーな心境におられたのではなかろうか。ご自身でも 「む、これは、これはよく彫れたな」と彫り終わった後、こころが躍動したので はないかと想像する。 もしかしたら「オン コロコロセンダリ マトォーギソワカ」と薬師如来の真 言を唱えながら彫り込んでいったのかのではないかとも思うのだ。 暇ができたら書斎から「円空」物語を探し出し、改めて味わってみたいと思っている。( 2004年2月5日)
閑話:私はこの欄でドラマ「新選組」の感想めいたものを書いている。それはと もかくとして私はこのドラマが始まるとまもなく「武士道」(新渡戸稲造著)を 2冊( 2 種類)購入した。 「わしは、武士以上の武士になってやらぁー、百姓の出でもなぁー」と、ドラマ の近藤勇は語った。 私はこのことばを聞いて、内心、(武士じゃ、武士じゃというてもよ。調べて みりゃ、もとを正せばよ。百姓だよ。百姓をそんなに侮蔑的に見るのは、いかん ぜよ。豊臣秀吉をみよ、斎藤道三をみよ、似たりよったりの出自じゃ よ。・・・)と、こころの中で思ったものだ。 新選組のドラマ仕立てだからしかたがないが、事実はそんなもんだ。今の社会 で言えば、どこそこの有名企業に勤務していること自体が偉い、現代の「武士 じゃ」というとらえ方は、もうとっくの昔に去ったとみたほうがいい。そんな時 代になりつつあると思うのは筆者の偏見であろうか。 まぁーややきつい言い方になってしまったので以下の文を紹介して今日の締め としたい。 「しきしまのやまと心を人とわば 朝日ににほふ山さくらばな」(本居宣長)で ある。新渡戸は、この歌を取り上げて日本人のこころを評価している。ここでは 詳しく書かないが、ドラマ「新選組」と並行して碩学の新渡戸の武士道をじっく り読むのも今の世の時代を生き抜く大きな智恵を得るもしれないと思ったから、 ふと、認めた次第です。 (2004年2月5日)
ドラマ「新選組」D=家格の高い武門の娘、つねとの婚儀がまとまり、近藤家で 祝言の儀が粛々と進んでいた。そんな中、庭に人影がさっと動いた。庭の植え樹 の小枝が微かに揺れた。一人の浪人ふうの武士が顔をぬっと出した。手傷を負っ ていた。 山口一(後、斎藤姓を名乗り、新撰組の幹部として活躍する人物)だった。 「近藤さん、匿ってくれないか、役人に追われている。それとも金10両を貸し てくれないか」(著者要約) 山口は10両の遣り取りで借主の侍をはずみで斬り殺したのだった。 「む、山口さん、今、祝言中なのだ。貴殿を匿うことはできない。うちは貧乏 ですから、金のゆとりはありません。でも1両に満たないが少しなら・・・」 (同)と勇むは正直に答えた。複雑な表情をみせる山口。そんな時、つねが5両 の金子(きんす)を袱紗に入れて勇むに渡した。 つねが実家から持参した金であった。 「妻が、貴方にお金をお貸しするそうです」とつねに感謝しながら山口にその まま手渡した。 「ご新造さんを長(とこ)しえに幸せにしてくださいますよう。近藤さん!」 と言い山口は去る。 祝言の席は縁者らで次第に賑やかになっていく。桂小五郎も勇の知人として顔を 出した。間もなく互いに敵味方になり、戦う運命になるのだが、このときの2人 は、まだそのことを予想もしていなかった。 暫くしてまた山口が近藤家に舞い戻ってきた。勇は彼を匿うことにした。決め たのだ。逃げ場を失った山口が金ではなく、勇を再び頼ってきたからだ。すった もんだの小波が祝言の席にいた縁者の間に広がった。土方歳三は山口を匿うこと に難色をみせたが最も強固に反対したのは、母親だった。 「なりませぬ!許しません。駄目です!」(同) 「いや、母上、この勇が決めたことです。このことで一切、口出ししないでく ださい!」(同) この勇の一言で歳三も同意、参列していた縁者がこぞって勇の決断に従うこと となった。山口を追っていた役人がすぐに近藤家に押し寄せてきた。父、周助も 一緒になって「そんな人物を当家は匿っておりません」と役人らと対峙する。 が、役人の1人が庭に山口が手負い箇所から流した血痕を見つけ、役人側が一気 に攻勢に出た。 「お主ら、わしが言う。そんな人物はここにはおらん。長州藩士、桂小五郎が 保証する。疑義があるならば、このわしを後日、調べに来い!」 役人は渋々、引き揚げた。 近藤は芹沢鴨の協力を得て山口を逃がすことに成功した。 勇とつねは互いに「お疲れさま」と言いながら初夜を迎えたのだ。 杯を交わす2人にやっと安堵の夜が訪れた・・・。 (2004年2月9日)
ドラマ「新選組」E:「日本は素晴らしい。手先が器用で良い品々を作る。礼節 を知っている。武士道には心惹かれる。自然も美しい、そして女性も優しくて美 しい」(著者要約) とヒュースケン(米国公使館通訳)は近藤勇に語り掛けた。 怪訝(けげん)な表情を見せる勇にヒュースケンはさらに言う、 「近藤さん、貴方だけでなく日本人はもう少し自信を持って世界に目を向けな さい。でないと、『井の中の蛙 大海を知らず』になりますよ」 「ヒュースケンさん、でも私ならこう言います。『井の中の蛙 大海を知らず されど空の高きを知る」 と、勇むは切り替えした。 ヒュースケンは、おもわず、にっこりと頷き勇の前から馬上の人となり、立ち 去った。 これは今回のドラマの終わりのシーンの一コマである。 勇はこれより前にヒュースケンに腕の立つ浪士4人に闇討ちされることを告げ、 このまま立ち去れと言い放った。 ヒュースケンは、勇の親切に感謝しつつも「私を待つ女性(お富)に会いにい く。私は、負けない」(同)と勇に言い切った。そうこうするうちに、最初に永 倉新八、続いて残りの浪士が3人の前にヒュースケンを斬りに来る。 斬り合いが始まった。驚いたことに永倉は突然、勇側に寝返り、3人の浪士を 勇とともに討ち果たした。 永倉はヒュースケンと勇の会話や、これより先に勇の「永倉さん、闇討ち、しか も金のために人を殺めるという行為は貴方の剣の腕が泣きます。おやめなさい」 との諌めの声が蘇ったからだ。 勇は嬉しかった。ヒュースケンが立ち去った後、勇は永倉に言った。 「どうです。永倉さん、私の道場『試衛館』に来ませんか」 「ええ、お世話になりますかな」 と、永倉は近藤の男気に惚れたのか勇についていくことを決めた。 近藤、土方の後に続いていく永倉の後ろ姿が生き生きとしていて今回のドラマ を効果的に締めくくった。 (2004年2月15日)
閑話:閑話:私は休日の21日、散策から帰り、少し汗ばんだのでシャワーを浴びた後、 のんびりとソファに体を横たえながら、何気なくNHKのスイッチを入れた。 「おっ、浪曲ではないか!」と思わず、体を起こし、聞き出した。 浪曲師はベテランの三原佐和子さん。すぐに三原さんの節に入り、次第に彼女 の浪曲の世界の中に酔ってきた。 題は「母恋あいや節」だった。もう彼女の曲もかなり進んでいて終盤近くで あったが、私は、想像を巡らせて聞き漏らしたところを埋め合わせ、彼女の曲に 聞き惚れていた。 「母(かぁ)〜ちゃん、寒いーなぁ〜、ぼく、母ーちゃんの傍にいき〜 てぇー、でも、母〜ちゃんのところにいったら、父ちゃん、独りになっちまうん だー。だから、ぼく、父ちゃんの酒を買いにいくよ〜」 幼子のしょーいち〜〜、吹雪の中〜父のため〜、酒瓶を〜抱いて歩を進む〜〜 〜。 「ごめんください〜〜、お酒ください〜〜、おばちゃん、しょういちで〜す」 「だめだ・・・。おっとさんには、借金がねぇ・・・。ややや、こんなに寒い 中、おう、ぼうや〜、わ、わ、かった。よし、よし、こちらえ・・、酒を入れた よ、ぼうや〜、気をつけて帰るんだよ〜」 「ありがとう、おばちゃん〜」 元気いさんで〜家路をい〜そぐ〜しょういち〜、ふと立ち止まった〜。 「あれ〜道がなくなった・・・。寒いよう〜〜、かあちゃん〜〜・・・」 母の声がしょういちに聞こえてきた。 「遠く離れてしまったが、母はお前のことが気掛かり〜〜じゃ〜〜」 父の声 が聞こえてき〜〜た。 「しょう〜いち〜〜、この吹雪の中をどこにいったんじゃ〜〜。しょう〜〜い ち〜」 「おっ、しょういち!目を開けろ!目を開けろ!聞こえるか、しょういち」 しょういちは目をようやく開けた。父の顔を見上げて言った〜〜。 「これからは父ちゃん、あまりお酒を飲まないで・・・。父ちゃんは、世界で たった一人の大切な父ちゃんだもの・・・」 これを聞いた父親は〜〜涙〜、涙を〜流しつつ〜・・・。 「かあちゃん〜〜、俺は決めた〜、今夜限りで酒をやめ、誰にも負けない父親 になるぞ〜〜なるぞ〜〜」 黄泉の国にいった母親と〜父と子は〜〜互いに誓い〜〜春を待つ〜〜 〜・・・。(これは私が三原さんの節を聞きながら、メモを走らせたものを基に 創作したもので、三原さんの曲の通りではありません) 私は浪曲が子供のころから好きだった。小学校に上がる前のころには、浪曲師 が本家にやってきて村人が参集、聞き惚れていた。私もそんな大人に交じって聞 いたものだ。 大学時代、ESS(イングリシュ・スピーキング・ソサイヤティー)に所属 し、3年次、プレジデント(委員長)を務めた・・・。下宿は京都・円町の400坪 もある豪邸の2階に。この家には京都の様々な大学の学生が確か7人下宿してい た・・・。 私が独り浪曲のレコードをかけて聞き惚れているのを見た下宿仲間が驚いて言った。 「英語クラブの委員長が浪曲を聞くなんて判らんなぁー・・・」 と怪 訝(けげん)な面持ちで声を掛けてきた様子も三原さんの「母恋あいや節」を聞 きながら思い出していた。久し振りの浪曲に酔い、至福の一瞬を得たことに感謝 したい。(2004年2月21日)
ドラマ「新選組」F:天然理心流、「試衛館」(近藤道場)の4代目を襲名した勇・・・。披露宴の一つとして行われた「白」「赤」に分かれての野試合の場面 から始まった。 鎧兜を着けた凛々しい、勇の英姿がまばゆいほど輝き、大将然、とした彼は正 しく勇ましく思えた。「赤」の試衛館組みが圧倒的な強さをみせ、本番さながら の剣さばきが各所で展開する。 「エイヤー、ド、ド、ドー」と「白」を打ち負していく。勇は日頃の厳しい稽 古が実ったと、こころから喜ぶが、勇の性格がまた出た。 「あまり、赤が強すぎても面白くない。総司、お主、『白』の味方をせよ」と 剣の天才、沖田総司に耳打ちする。大人扱いを勇にしてもらった総司は欣喜雀躍・・・・ 次々と仲間を打ち破っていく。 総司の剣客ぶりを披露したのもこれまでのドラマ展開からみて効果的であっ た。かつて一度敗れた相手を打ち負かす一瞬が印象的だった。 野試合が終わった後の遊郭での「どんちゃん騒ぎ」も結構見せ場があった。いつの間にか宴会の席に紛れ込んだ原田左之助の個性的な演技がよかった。ちゃっかりと「試衛館」入りを勇に約束させた演技が光った。 さて道場に帰着した勇を訪れた人物があった。 土佐藩を脱藩した坂本竜馬が一人の土佐藩士を伴って訪ねてくる。 「土佐勤皇党」を立ち上げたと血判状を見せる。が、ハプニングが・・・。 ひょうきん者の滝本捨助が、その血判状をひょいとその武士から奪った。一瞬、 場面に緊張が漂った。捨助には、血判状の意味など判っていないから始末が悪い。 ついにこの血判状を巡って勇は剣を竜馬と交える羽目になった。勝敗の決着は 先に延ばされた。2人が有為転変の激しいこの時代、双方が敵味方となって烈しく闘う羽目になるとは、まだ2人には、判っていなかった・・・。(2004年2月22日)
閑話:鉄道唱歌 四條畷(しじょうなわて)に仰ぎ見る 小楠公(しょうなんこう)の宮どころ ながれも清き菊水の 旗風いまも香らせて 心の花も桜井の 父の遺訓を身にしめて 引きは返さぬ武士(もののふ)の 戦死のあとは此土地よ 飯盛山(いいもりやま)をあとにして 星田すぐれば津田の里 倉治(くらじ)の桃の色ふかく 源氏の滝の音たかし 柞(ははそ)の森と歌によむ 祝園(ほうぞの)すぎて新木津の 左は京都右は奈良 奈良は帰りに残さまし 京都の道に名を得たる 駅は玉水(たまみず)宇治木幡(こはた) 佐々木四郎の先陣に 知られし川もわたるなり 共仁(くに)の都の跡と聞く 加茂を出ずれば左には 木津川しろく流れたり 晒(さら)せる布の如くにて 川のあなたにながめゆく 笠置の山は元弘(げんこう)の 宮居の跡と聞くからに ふるは涙か村雨か 水をはなれて六丈の 高さをわたる鉄の橋 すぐればここぞ大河原 河原の岩のけしきよさ 上野は伊賀の都会の地 春はこゝより汽車おりて 影もおぼろに月が瀬に 梅みる人の数おおし 月は姥捨(おばすて)須磨明石 花はみよしの嵐山 天下一つの梅林と きこえし名所は此山ぞ 伊賀焼いずる佐那具(さなぐ)の地 芭蕉うまれし柘植(つげ)の駅 線路左にわかるれば 迷わぬ道は草津まで 鈴鹿の山のトンネルを くぐれば早も伊勢の国 筆捨山(ふですてやま)の風景を 見よや関より汽車おりて 愛知逢坂鈴鹿とて 三つの関所と呼ばれたる むかしの跡は知らねども 関の地蔵の寺ふるし 巌にあそぶ亀山の 左は尾張名古屋線 道にすぎゆく四日市 舟の煙や絶えざらん 万古(ばんこ)の焼と蛤(はまぐり)に 其名知られし桑名町 日も長島の西東 揖斐(いび)と木曽との川長し 亀山城をあとにして 一身田(いっしんでん)も夢のまに 走ればきたる津の町は 参宮鉄道起点の地 町の社に祭らるゝ 神は結城(ゆうき)の宗広と きこえし南朝忠義の士 まもるか今も君が代を 阿漕(あこぎ)が浦に引く網の 名も高茶屋(たかぢゃや)の雲出川(くもづがわ) わたりながらも眺めやる 桃のさかりやいかならん 木綿産地の松坂は 本居(もとおり)翁の墳墓の地 国学界の泰斗(たいと)とて あおがぬ人はよもあらじ 田丸の駅に程ちかき 斎宮村(さいぐうむら)は斎王(さいおう)の むかし下りて此国に 住ませ給いし御所の跡 轟きわたる宮川の 土手の桜の花ざかり 雲か霞か白雪か におわぬ色の波もなし 伊勢の外宮のおわします 山田に汽車は着きにけり 参詣いそげ吾友よ 五十鈴の川に御祓(みそぎ)して 五十鈴の川の宇治橋を わたればこゝぞ天照す 皇大神(すめおおかみ)の宮どころ 千木(ちぎ)たかしりて立ち給う 神路(かみじ)の山の木々あおく 御裳濯川(みもすそがわ)の水きよし 御威(みいつ)は尽きじ千代かけて いずる朝日ともろともに 伊勢と志摩とにまたがりて 雲井に立てる朝熊山(あさまやま) のぼれば冨士の高嶺まで 語り答うるばかりにて 下りは道を踏みかえて 見るや二見の二つ岩 画に見しまゝの姿にて 立つもなつかし海原に 今ぞめでたく参宮を すまして跡に立ちかえる 汽車は加茂より乗りかえて 奈良の都をめぐりみん 「奈良めぐり(1〜8)」目賀田万世吉作曲──略 はや遠ざかる奈良の町 帯解寺(おびときでら)も打ちすぎて 渡る流れは布留(ふる)の川 石の上(いそのかみ)とはここなれや 都のあとを教えよと いえど答えぬ賎(しず)の男(お)が 帰るそなたの丹波市(たんばいち) 布留(ふる)の社に道ちかし 三輪の杉むら過ぎがてに なくか昔のほととぎす 今は青葉の桜井に 着きたる汽車の速やかさ ここよりおりて程ちかき 長谷(はせ)の観音ふし拝み 雄略帝(ゆうりゃくてい)が朝倉の 宮の遺跡もたずねみん 初瀬列樹(はつせなみき)の宮のあと 問わんとすれば日は落ちて 初瀬の川の夕波に ふくや初瀬の山おろし さぐる名所の楽しさに 思わずのぼる多武の峰(とうのみね) 峰にかがやく鎌足(かまたり)の 社のあたり花おおし 桜井いでてわが汽車は 畝傍(うねび)耳無(みみなし)香山(かぐやま)の 鼎(かなえ)に似たる三山(みつやま)を 前後に見つゝ今ぞゆく 畝傍(うねび)の麓橿原(かしはら)に 始めて都したまいし 御威(みいつ)も高き大君が 御陵(みささぎ)おがめ人々よ 高田わかれて右ゆけば 河内(かわち)に走る線路あり 路にすぎゆく柏原の 名高き寺は道明寺(どうみょうじ) 右の窓よりながめやる 葛城山(かつらぎやま)の南には 楠氏(なんし)の城に名を挙げし 金剛山(こんごうざん)もつづきたり 新庄(しんじょう)御所(ごせ)を打ちすぎて 腋上(わきがみ)ゆけば神武帝(じんむてい) 国を蜻蛉(あきつ)と宣(のたま)いし ほゝ(口偏に兼)間(ま)の丘ぞ仰がるゝ 以上の歌は、大和田建樹作詞・多梅稚作曲の(関西・参宮・南海各線)の鉄道唱歌である。私は、明け方近く、この唱歌をインターネットで聞きながら眠りに落ちた。で昼ごろ、起床して遅い、朝食(昼飯)を摂った後、書斎に入って机の開いたままのネットから、こ気味よい、唱歌が流れてくるではないか。 就寝時の歌詞の記憶はない。そのメロディーとともに寝入ったからだ。私はしばしば、このネットを開き、好きな童謡や歌謡曲を聞きながら眠ることがある。選択はその日の直感で決める。2004年2月27日未明に選んだのがこの曲で、改めて聞いてみてこれは良い、と思い、以前「このサイトは大変好きです。有り難うございます」と感謝を込めてメールを送付した記憶があり、まず転載をお断りしなければならないのだが、この場を借りてお許しを願う次第だ。 明日(28日)家内を伴って1泊2日でこの歌にもある「三輪山」全体をご神体とする「大神神社」(桜井市)に参拝することにしている。その感想は、またHPで紹介致します。 私のHPの新着情報=『交野探訪』拾い話=の中でも書きましたが、妙見宮の御影石(神石)をご神体とする信仰と通底するものを改めて感じ取ったからです。では、早速に出掛けようというのが、私のいつもの流儀です。 ついでに申しますと、三島由紀夫の『豊饒の海』にこの三輪山が登場し、主人公が山中の滝で禊をするシーンがあります。三島の当時の思想からみて当然のことであろうと、私なりに納得しているところです。(2004年2月27日)
閑話:ここ2、3年注目していた方がいる。「斎藤孝さん」(明治大学文学部教 授)である。全国の書店を席捲した感がした。この方のお書きになる本の内容か らして当然であろうと思った。 私は「声に出し読みたい日本語」@とAを立て続けに購入した。私よりか15歳 も年下の方がこのようなご努力をしていられ、その結果、時代が要求している著 作を相次いで出された。 私は@の出版広告が新聞に掲載されたとき「おっ、これは凄い本だ」と直感し た。私が新聞社の勤務中に発見し、編集局のキャップの任にある若者に2、3日後 に「おい、これを読むんだぜ!」と言ったことを今でも覚えている。 彼が実際に読んだかどうかは、確認していない。そう言ったと同じころに私は @を購入し、なるほど思っていた通り、良い本だと自分なりに納得したものだ。 私が氏の本をかってな解釈かもしれないが、素晴らしいと思った大きな要因の 一つは、ここ数年急速に社会現象化してきた「インターネット文化」を一面評価 しつつも、補完しなければならないのは、身体的表現として欠くことのできない エクササイズ(運動)の一つである発声(声を腹の底から出すという行為)が欠 落してくるのではないかという危惧を抱いていたからである。 この点で氏の一連の著作発表は時宜を得ていたのだ。 もう一つの理由は、氏の年齢が私より15歳も若いのに戦後の日本教育で欠けてい た点を修復するという面で大切なところを見事に把握、具体化されたことに対す る共感であった。 私は私どもの世代から益々その度合いを強めた暗記主義一辺倒の受験教育に対 する危機感を覚えていたからである。 氏は、宗教などに触れることなく端的に国語教育という1点に的を絞り、バラ ンスよく文学(小説)の名作や宮本武蔵の表した五輪書の一節を紹介したり、古 典の名場面や浪曲の名台詞(せりふ)を取り上げているから多くの方々に訴える 効果を持っている。無論、仏教関係では般若心経や蓮如の有名な御文を取り上げ ておられるから、氏の研鑽のほどが容易に理解できる。 私はこの1月末に刊行した「交野探訪」で戦後を生き抜いてきた自分の半生を振り返りながらそれとなくこれからの教育の在りようについても書き込んだつもりである。 漢字哲学者、白川静先生にお会いし、先生が私に大きな声で「木下さん、当用漢字だけで日本の古典が読めますか。読めないということは、それだけ、日本人 として、人としてパワーがそがれていると思いませんか!」と先生の自宅書斎そ ばのテーブルの前で言われた瞬間、私は、これまでこころの中で燻り続けていた 私の問題意識が一気に氷解したのだ。 私はこの本でも白川先生の言葉も書き入れたが、戦後の急速な復興を成し遂げ たのは明治、大正、昭和一桁生まれの方々である。今の日本を動かしているリー ダー諸氏はおおむね戦後生まれの方々とみていいだろう。バブルがはじけ、もう 10年余である。 はっきり言ってお粗末の限りではないか・・・。この傷をあらゆる面で完全修 復するには後、少なくとも30年はかかるとみた方はいいだろう。 教育面で端的に言う。英語を学ぶ以前に日本語を学べ、次に歴史(暗記でナク ヨ=794年:平安京遷都とか、イイクニ=1192年:鎌倉幕府成立)などという暗 記、年代覚えなど即刻中止していいのではなかろうか。 それよりも私は、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉の3歴史上の人物や庶民派で は二宮尊徳や小林一茶、江戸末期から明治以降なら私好みで言えば勝海舟、山岡 鉄舟、西郷隆盛、加納治五郎、双葉山などだが、これらの人物の足跡などを一人 でもいいから生徒の好みに応じて自由に勉強するほうが遥かにましであると思 う。そうすれば自然と歴史に興味を覚え年代など自然と覚えるものだ。 ちなみに私は中学2年の時、作文で山岡鉄舟を書き、講堂で発表した記憶があ る。 また英語など外国語学習は日本語を年代に応じてマスターした次にすべきであろう。その意味でも斎藤さんの一連の書物は大いに評価できると思う。 私は思い出すのだ。明治4年生まれの祖父は新聞を大きな声を出しながら読ん でいたことを・・・。余談だが、確か鈴木大拙や西田幾多郎は明治2年生まれだ と記憶している。 間もなく還暦を迎える私は、定年後、悔しい限りであるが、日本語の勉強に多 くを費やし、さらに英語も改めて勉強し直す所存である。(2004年2月28日)
閑話:大神神社に参拝@ 家内を伴って一泊2日で桜井市に行ってきた。人口約7万というから交野市とほぼ同じ規模である。田園が山裾まで広がり、タクシーか ら眺める風景は交野市の三宅山連峰の足元に見受けられる、例えば傍示の里に到 る路で出くわす景色にも似ていると思った。または、滋賀県永源寺町で感じ取っ た風情になにかしら共通のものを感じつつ、夕方近くホテルに・・・。 ホテルの前は「大化の改新」で主役を演じた藤原鎌足と中大兄皇子を祭る談山 神社前にあった。私は大化の改新のあのころの時代に少し、頭を巡らせた。が、 それよりも朝食兼昼食を取っただけで出掛けたため、空腹感を急に覚え、 午後5時半ごろから夕食を所望し、夫婦で食事を愉しんだ。 いつも互いの仕事の都合で夕食を共にする機会が少ないため、この夕餉ばかし は、鎌足や皇子の話などは抜きに世間話しに花を咲かせた。夜型の生活が習慣化 している私も風呂上りのビールにほろほろと酔い、酔いの中ですぐに眠気をもよ うしたようでふと目が覚めたのが朝の5時半・・・。(む、この時間は夜勤帰り の時などは就寝するころなのに・・・)と微かな驚きを感じた。 と、同時に、この桜井市に来た感動がこころに急に広がった。(大神神 社・・・。日本最古の神社・・・)。この間、手にした淡交社刊の大神神社のカ ラー写真の幾枚かがとめどなくこころの中を鮮やかに駆け巡り出した。 私は、ふと窓のカーテンを開け広げた。朝靄の山間はそぼそぼと小雨が降って いたが、小鳥の囀りが部屋内にも伝わってくる。家内もまだ微かな寝息をたてている。 私は昨夜の続きではないが、鎌足や皇子以前に繰り広げられた古代史の象徴で ある三輪山にまつわる物語の中にいた。 「おい、三輪山、大神神社に行かなくては・・・。もう、起きてくれんか」 と家内に声を掛けた。(2004年2月29日)
ドラマ「新選組」G:土方に縁談話が持ち上がった。土方は幕末という時代が彼 を急速に大人(おとな)にしたのか、それとも生まれつきなのか、もう老成した 漢(おとこ)の風格を漂わせる。 前回のドラマ、勇が試衛館の4代目を襲名した場面で勇の父、周助に「歳三さん、勇に付いていってくれないか。あいつは独りで悩むところがあるからお前の ような漢が必要なのだ。よろしく頼む」と言われたほどだから・・・。 縁談の相手を見事な台詞で焦(じ)らす。 「私は、結婚しない漢なのです」(著者要約、以下、同じ) 「私のどこが嫌いなのですか。じゃ、好きなところを言ってください」 「む、貴女のうなじ・・・、貴女の匂いが好き・・・」 土方はこのとき、もう近藤勇という漢とともに生きようと覚悟していた。いや、こころの内では近藤よりいち早く、時代の渦の中にいた。 鋭い頭脳で冷徹に己の生き方を見据えていたような気がする。もしかしたら函 館で花と散る先々の己をもう読んでいたのかも知れないという思いを視聴者に印 象付けるほどの伏線の取り方に私自身、このドラマの演出者の冴えを感じざるを 得なかった。 勇が徐々に大器の片鱗を見せていくのと対照的に描き出すところがこれまでの ドラマ展開を成功させた要因の一つと言えそうだ。 ある日こと、試衛館にある藩の武士がひょんな話を持ち掛けてきた。 「近藤さん、貴方のところで扱っている打ち身に効く薬を買い受けたいのだ が・・・」 土方がちゃっかりと自分流に試衛館を印象付けるためにそう売り込んでいたかも しれない。この武士は、外国公使館の焼き討ちの噂に備え、もしものとき、土方 の薬が良い判断したようだ。 怪訝(けげん)な表情を見せながらも勇はこの武士の求めに応じたのだが、こ の話は、この武士の独断だと藩の責任者に言われ、おしゃかになる・・・。今回 のドラマは全体として土方の性格を印象付ける面で成功したと思うが、それは同 時の純粋、誠実、剛毅などを併せ持つ勇の個性を浮き彫りにすることでもある。 また勇の妻が姑に言い放つ言葉が印象的であった。 「食客というのは、母上様、主人が窮地に立たされたとき、命を懸けて共に 闘ってくれる方々ではないでしょうか!」 かくして新撰組の基(もとい)が次第につくられていく・・・。(2004年3月1日)
閑話:大神神社に参拝A 雨が上がったようだ。ホテルの食堂から眺める談山神社を包む山の緑は一層、輝いて見えた。 私にはもうすぐ春を迎えるこの山が自然の雨で「禊」を受け、かくも美しい姿 を見せているのではないだろうかなどと思いを巡らせながら、久方ぶりの朝食を いただいた。家内のよそおいで取る朝食は、何年ぶりのことかと、この日の朝を こころの中で感謝した。 私どもは、ホテルに呼んでもらったタクシーで三輪山を、大神神社を目指した。20分ほどで鳥居の前に・・・。参道に一歩を入れた途端に私は言葉では言い 表せないような厳粛さとともに感動がこころの中に広がった。 おう、淡交社刊の本に掲載されている写真と全く同じだ。いや、実物を前にしているのだから、私の感激も一入であった。参道の両脇は常緑樹の緑に染まり、こころが和んでくるような気がした。(やはりなぁー、やはりなぁー、日本最古の神社だ なぁー・・・。参道を歩む参拝者も穏やかさのなかに厳粛さを体全体に漂わせて いらっしゃる・・・)などと旅行鞄を提げた私はゆっくりと歩を進めた。家内 も、この樹は杉、これは何かしらなどと私に話し掛けながら、厳粛な表情で神妙に歩を進めていた。 10分ぐらいで本殿近くまで来た。(2004年3月2日)
閑話「中国の方と筆談」:もう1年半以上も前になるだろうか・・・。 私は勤務を終えての帰り路、勤務する新聞社の近くの中華料理店に立ち寄っ た。かなり厳しい勤務が続いたため、ちょっとだけ、一合ほどの酒を飲みなが ら、中華料理を急に食したくなったからである。 ご主人は中国の人で本場の中華料理を伝えようと、夫婦で店を構えたようだ。 明るくて話し好きなような雰囲気をお持ちの中国人のご主人と会話が弾んだ。 と、いっても中国語は話せない私である。 「筆談だ」 話しの内容は、ちょうど空海に関する本を鞄にしのばせ、料理ができるまで ちょっと取り出して読んでいたのでなんとなく「空海」の話になった。私は空海 にまつわるおよそのことをお伝えするため、漢詩ふうに持っていたメモ用紙に書 き出した。 少し書いてからそっとメモを渡す。すると、ご主人はそれを中国読みでトラン スレイト。奥方に伝える。奥方はそれを聞いて大きく目を輝かしながら、納得し たように大きく頷く。メモを数回お渡しした。 ご主人の作った料理は、久しく食していない中華料理だが、話しが筆談でかな り上手くいったこともあってか、気分よく美味しくいいただいたのだ。 話しの内容は、空海は最澄と同じく仏法を求めて9世紀初頭、唐に遣唐使の一 員として渡り、空海は、当時唐で密教の最高の地位にいた恵果より、密教の奥義 を伝授され、帰国後、「真言密教」を伝えるための道場を高野の山につくり発展 して当山の真言密教は今も重きをなしている。 一方の最澄は天台宗を比叡山に興し、鎌倉時代、弟子たちが分派、様々な宗派 を興したなど・・・。 私は、ふとある新聞で白川静先生が漢字文化を東洋に復活し、かつての漢字を 軸に交流から連帯を深めるべきだと話されていたのを読んだ。 この記事のおよそのことは、私が白川邸をお訪ねしたとき、お聞きしたことで はある。かつてはベトナム、韓国も漢字を使用し、交易などで商人たちは、筆談 で商談を進めたという。 私はこの記事を読んでいて私も中国の方と何とか「筆談」を愉しんだことを思 い出したのでお伝えした。同時に改めて日本語、とりわけ漢字習得の必要性に感 じ入った。(2004年3月3日)
閑話:火星にかつて大量の水が・・・。米航空宇宙局(NASA)が2日、夢の発表 をした。私もこの報道を夕刊各紙で見た時、言いようのない感動を覚えた。 やや哲学的表現をすれば、人類史的孤独、地球的孤独からの解放につながるか もしれないとの思いを一瞬、覚えた。 私は、これまでやれ、月とか火星に衛星ロケットを打ち上げるのは、人類的傲 慢だなんてやや批判的な想いを抱いていた。が、今回の探査機「オパチュニ ティー」の探査成果を率直に喜びたい。 私より酷い批評家からは「神聖なる宇宙のゴミを増やすだけ・・・」などとい う批判的な声もあった。が、今回、緑や青の地球にかつて宇宙にフェロー(仲 間)がいたかもしれないという可能性を提示した。 一方、地球の中で人類は驕り昂ぶり過ぎていたのではないかとの想いがしない までもない。 具体的に言えば、その地球では環境汚染は進みゆき、人間が環境汚染、環境破 壊の主役を演じ続けてきた。だから、ここらで、地球にやさしい、とか自然との 共生の必要性の認識を一層、深めなければならないのは言うまでもない。 近い将来、火星にはかつて有機化合物か存在し、生物が誕生していたかが判明 されれば人類は謙虚になっていくのではないかと思うのだ。宇宙の中で青に輝く 掛け替えのない地球に対する愛情が一層、深まるのではないかと期待したい。 さらにまた広い宇宙の中の人類的かつ地球的な孤独の質が変わってくるので は・・・。ノブル(高貴)な孤高に立脚し、地球上での戦争や環境汚染など様々 な困難な問題解決に向けた新たな視座が生まれるのではないか。そういう立場から今回のNASAの報道をこころから喜びたい。 何れにしろ、探査機の調査がさらに進展することを祈りたい。(2004年3月4日)
閑話:私は、つい最近、返事が遅れて恐縮に思いつつ、その非礼をこころのなかで詫びつつ、筆を取った。生き方は様々である。昨年のドラマ「武蔵」に続き、 今年はドラマ「新選組」が幅広い層から人気を呼んでいる。「武蔵」になれない 「佐々木小次郎」、「柳生宗矩」ら・・・それでいいのである。 いずれも人生を生き切っているからである。近藤勇が主役で土方歳三が支える。次第に近藤を慕い、集まってくる若者たち・・・。その一方で勤皇の志士 ら。彼らは互いに己の信じる道で対峙する。曼荼羅の視座に立つ空海ならすべて 「OK」なのである。 「色はにおえどちりぬるを ういのおくやまけふこえて あさきゆめみじえい もせず」の歌をすぐ思い出す。空海の作といわれる。こういう立場に立てば 「まっ、えかろう」ということになる。 この空海作は、日本的美学の一面を歌う代表作ではなかろうか。 この世界なら、瞬間、怒りまくってもアロウワンス(寛容)できるのだ。 なんでも合理的に恣意する視座からは、到底得られない世界である。合理的精 神とは俗にいう分別(人間知)の世界である。 どうも最近は、合理的恣意は知(分別)に立ち過ぎ、人間が本来持っている情念 を消し去っているのではないかとしか思えないことが多々ある。 合理的精神が避けられない人間の宿命と思われる方は合理的恣意のほんの合間 でいい、情念をかきだし、持てないのだろうかと思うのだ。あの方の「とかくこ の世は住みにくい・・・」などという文学的嘆き節に終わってしまうのだ。 いやこの嘆きこそが情念ととらえる見方もできそうだから、一言で断定し切れ ないのだが・・・。 さて今日の私の言いたいことを述べる。私はその先輩に「今は、今、既に今、 老いても病みても今は今・・・」という私も未だにできていない「理想」の言葉 をお送りした。が、これは、私がすぐ思い出せるようにかってに頭に叩き込んで いる言葉である。 この際、いま少し正確に記す。 「今は今 己(すで)に今 今現在説法の今は今 於今(おうこん)十劫の今 も今 塵点久遠の今深く 呼吸の間も今ひろし 老衰しても今は今 病みてあ りとも今は今 思い出に耽りても今は今 明日を語りても今は今どうあろうとも 今は今・・・(略)」(金子大栄師)。(2004年3月5日)
閑話@:深夜帰り(帰宅零時近く)で朝7時ごろには起床しなければならない。 「そんなら帰宅後、早く床に就けばいいではないか」とおっしゃる向きもあろ うが、よほど達人でなければ、床に就いてもさっと眠れるものではない。 新聞社の編集局の仕事は、じぐざぐ、いうなれば不規則勤務を余儀なくされるのを常態とする。 還暦、定年を目前に控えた私でもその実態を忌避できない。総じて夜型の生活 の色が強い。でも今日のように突然、早く起床しなければならない時がある。編集局に席がある限り、仕方のないことである。取材記者であろうが、なかろう が・・・。 これが嫌なら記者という職を捨て社内のどこかに異動を申し出るか、または辞めなければならないだろう。 「木下さん、大変ですね」と深夜(未明近く)の帰りなどに一度ならず運転手 さんに言われたこともあったようだ。 ようだというのは、タクシーに乗り込むやいなや私はいい仕事をしようがそ うでなかろうが、運転手さんとおおむね難しいことは極力話さず、歌謡曲や歌手、野球、野球選手のこと、大相撲のこと、力士のことなどが中心である。だからその話に夢中になることが多く、そんな情けをかけられても鮮明に幾度とかは 記憶していない。 むしろお話でお聞きした記憶のほうが鮮明だ。 中には苦労されている運転手さんもおられて宗教の話も出ることもある。 例えば、こんな時代だから普通のことのように思えるが、経営に携わった方で借金返済に追われ、それこそ、どん底の辛苦に喘いでいたときある運転手さんは おっしゃった。 「木下さん、私が何とか凌げたのは毎日、法華経を唱えることでした・・・」 と淡々と。 (む、仏典で最高の経典といわれる法華経をなぁー・・・)と内心、舌を巻 く。 私も宗教学会の末席を汚しているから、氏の苦心のほどは痛いほど判った。 こんな場合、私は訊き役に回る。学者の本を読むのも勉強にはなるが、それと は、違ったリアリティーをもって私のこころを揺さぶり、学ぶことが多い。 余談が過ぎた。話しを戻そう。 とにかく今朝は7時ごろ起床した。で、夕刊に付き合った。明日は休みじゃか ら、ま、ええ、だろう・・・と新聞社近くの飲み屋で酒1合と串かつ1皿を飲食 し、電車に乗った。 途中で席が空いたので座った。すぐぐっすり眠りこけたようだ。 読者諸氏、笑う事勿れ! 終点の奈良県木津まで眠っていたのだ・・・。これはいあかんと思い、苦笑し ながら家に携帯電話で連絡・・・。後は読者諸氏の想像のお任せする。小生、還 暦前の失敗譚として今夜はこの辺りで〆とします。嗚呼、嬉し、哀しの「老骨記 者」の嘆き節・・・ 続きは明日に致します。(2004年3月6日)
閑話A:続きを話そう。この国は、この社会は、最近、ややエキセントリック (様々な訳ができるが、ここでは偏執状況という本来の意味も多少含めて『思考 停止』状況と訳しておこう)になっていないかと、私は、電車の中でぐっすり眠 り、ぼんやりとした頭脳であるが、一瞬思ったものだ。このことを読者の皆様と 共に思考を巡らせてみたい。 午後、8時ごろだったか、電車を苦笑交じりに降り、プラットホームに出た。 む、む、寒い・・・と私は急いで待合室の片隅に入り身を寄せた。で、携帯電話 を鞄の中から取り出しながら、たばこをちょいと咥(くわ)え家に遅れた理由を 告げようとした。 その時である。そのボックスにいた私と同世代の男性がなにやら急に嫌な表情 をし、外に出たと思ったら、すぐ若い車掌さんが「ここは禁煙場所です。すぐ外 に出でください」とおっしゃるではないか!・・・。 それも道理に叶ってはいる・・・。私は「いや、すみません。すぐ外に出ま す・・・」といいながら前述の通り家に電話を掛けた次第。 でも私は思った・・・。くだんの私と同世代の中年、いや高年か・・・。阿呆 くさ、阿呆くさ、あの方、中学時代とか高校時代、暗記ものの受験勉強にご熱心 な青春時代を過ごされ、大学に入っても品行宜しく、大学教官のおっしゃってることを ご熱心にノートをお取りになった方だろうと私は、ある種の軽蔑と嫌悪の憎の高 まりを覚えたものだ。 何の疑問も感じることなく、さらに言えば、何の問題意識もなく・・・。いわ ば「思考停止」をお続けになさった方のように思えた。それは、それでその方の生き方として自由であるが、あまりにも薄っぺらな人格、人間性の持ち主としか 思えなかった。 たかが「たばこ」で、「なんでそこまで木下さんおっしゃるのか・・・」との ご批判もおありだろうが、私はこの際、言わしてもらう。 たばこのポイ捨てを止めましょう、違反すると罰金を取りますよという条例ま でお作りになる自治体も全国に広がってきた。 その理由は「美観保持」「健全社会の醸成」「健康社会の育成」といくらでも 理屈をつけることはできる。私もこのスローガンに批判はしない。ごもっともで ある。基本的には賛成である。 私は携帯灰皿を持っている。時に忘れる。そんな場合はどうするか・・・。 スパースパスーノスー、吸うのである。ところが道のポイ捨て決してしない。 吸い終わったら左足か右足をさっと上げ、革靴の底でパァ、パァと火を消す。そ れで片手でくしゃくしゃと揉んでから吸殻を鼻紙に包んでポケットにしまうの だ・・・。これをみみっちいと言われる方のご批判は自由である。 でも私は思うのだ。 少年のころの祖父が長い煙管を取り出して「すぱぁー、すぱ・・・」と紫煙を 燻らせながら私に言ったものだ。 「おめぇー、わしが死んだらどうやって生きていくんじゃー、おい、お めぇー」と。 小学低学年のころである。(おっ、爺さん言ってくれるじゃないか・・・)とこころの中で嘯(うそぶ)き、半面、(うん、この爺さん中々、格好いいなぁー) と子供こころにも妙に感心したものだ。そんな少年時代のころを思い出す。 田舎のことでもあろうが、厳しさの中にもおらかさが漂っていた。私の家だけ でなく村全体にあった。 そんな時代の空気を知っている私は、最近のあれをしたらいかん、これしたら いかんというまるで閉塞観を助長するよな「思考停止」状況に思わず嫌悪の念を 抱くのだ。私には既に己の頭脳で判断する機能が劣化しているとしか思えないのだ。 経済回復だけを希求するのではなく、こうした「思考停止」状況下で劣化して いる頭脳の回復にもこころしたいと思うのだ・・・。 今日は「たばこ」から今の世の中に思考を巡らせたが、これはなにも「たばこ」だけではない、あらゆるところに同じような状況が派生しているところが問 題なのではなかろうかと私は思う、思うのだが、読者の皆さんどうお思いになるだろうか・・・。(2004年3月6日)
閑話:京舞の5世井上八千代さんの「舞」をNHKで6日の昼下がりに初めて見 た。感心した。もしくは感嘆したと言ったほうがいいだろう。 確か40半ばの5世井上八千代さんは、今が最も「舞」に脂が乗りに乗っている時ではなかろうかと思うのだ。 祇園では祖母に当たる90歳を超えておられる4世井上さんの方が、まだ有縁の 方には印象深くこころに刻まれておられるだろうが、私は5世の「舞」を見て凄 いと1時間ばかし、目を凝らし、見続けた。 もう一度言う。「凄い」の一語に尽きるのだ。 ではどこが、と問われそうだ。「舞」については全くの素人ではあることを前 段にお断りしておく。でも還暦を目前に控えた私には、「舞」についての知識や経験はなくてもこれまでの様々な経験則から5世の「舞」は凄い、素晴らしいこ とぐらいは判断できる。以下独断ながら私の味方を披瀝する。 その理由の最大のものは、5世の踊り姿全体に日本文化がすべて織り込まれて いる気がした。日本文化といってもあまりにも抽象的だからインド、中国を経て 伝わった「禅」。栄西や道元禅師によって日本の風土に根付いた「禅スピリッ ト」などが5世の「舞」の中にそこはかとなく漂っていたと言いたい。 @:常につま先立ちで踊っておられる。これだとどんな場面でも姿勢が崩れない。つまり、姿勢が正しいのである。因みに国技の大相撲。力士の蹲踞(そん きょ)の構えもすべてつま先立ちである。 A:宮本武蔵ではないが、超人的な修練の跡がうかがえる。「千日の稽古を 『鍛』となし、万日の稽古を『錬』となす」と五輪書に書かれているが、5世も 「錬」をなさった方と思えた。片足で姿勢正しい立ち姿はぴたっと決まり揺るぎもしない。動きの中でも姿勢が微塵も崩れないないなどである。 B:神道の呼吸の仕方を学び込まれておられると思った。神道の呼吸の仕方 は、私はまだ学びきっていないので語る資格はないのだが、間の取り方などで想 像できる。 およそ以上であるが、舞妓、芸子さんらの「踊り」「舞」の手本となるものだ から「舞」のいずこにも言葉では言い表せないような色気が漂っていた。 この欄で以前紹介した船場のお嬢さんの稽古見習いの一つであった井上流とと もに関西には踊りの世界でも大きな財産を持っていると感嘆した次第。(2004年3月6日)
ドラマ「新選組」H:私にとればまた陳腐な言葉から始まった。でもドラマ「新 選組」の主役、勇の内面を浮き彫りにするのは極めて効果的だった。 「近藤は16歳の時、養子に入っておる。元は多摩の百姓の子だ。しかも父親の 周助も多摩の出・・・。旗本が百姓に剣術を教わる・・・。悪い冗談だ」(著者 要約) と講武所の代表、松平主税助。 勇が講武所の教授方見習いとして初出仕の時、一度、決めた採用を取り消すとい う理不尽な決定を下す。食い下がる勇になんら説明もなく部下に命じ、勇を追い 払った。怪訝(げげん)な面持ちで落胆した勇は呆然としていた。道すがら、勇 は再び、坂本竜馬に会う。 坂本は今、師事している勝海舟の下に勇を連れていく。 そこには、親戚に当たる佐久間象山もいた。弟子、吉田松陰が黒船に乗り込もう としたのを手助けしたという咎で蟄居(ちっきょ)を命じられていたが、許され て江戸に出てきていたのだ。勇は海舟と象山の国の在り方、行く末の丁々発止の やり取りに耳を澄ます。 頃を見計らって、勇は講武所で講義をしているという海舟に向かって訊いた。 「私は講武所の教授見習として一度採用され、今日、初めて出仕したのです が、何故か追い返されました。何かこころあたりはありませんか」(同) 「おう、あるともさ。貴殿は百姓の出だろう。それだろうさ。後で貴殿のことを調べたのよ。で、判ったのだよ。貴殿のことが。奴はなぁー、そんな漢(おと こ)なんだ・・・」(同) と海舟。 「これでは、幕府も駄目になるばかりだな」(同) と象山。 勇は海舟から聞いてすっ飛んで講武所に。答えはやはり「NO!」であった。挙 句に勇はしこたま講武所詰めの木っ端役人に叩きのばされた。 「私は、武士だ!武士だ!武士だ・・・」と必死で叫ぶ勇に姿がドラマに迫真 性を持たせ見せ場を作った。 やるせない思いを抱きながら道場に帰った勇・・・。妻、とねとの間にできた 愛娘。たまを前に勇は言う。 「講武所の仕事は流れました。今度、たまを連れて遊びに出掛けませんか」 (同) つねの表情が急に輝き出した。 つねは勇のためにいそいそと料理を作り出す。そんな折、勇の留守に道場に出入 りする山南が書置きして立ち去った紙がはらりと勇の前に落ちてきた。 幕府が浪士隊を作り、勤皇の志士らを京から追い出そうということを決めた旨 を伝え、勇にも参加を呼び掛けたものだ。 つねの喜びから悲しみにこころが微妙に揺れる表情が見事であった。 勇は、つねの胸のうちも掴まぬまま、「では、行って参ります」と小躍りして 駆けて行く・・・。浪士隊――新選組結成とつながっていく道筋が見えてきた。 これは余談であるが前回のドラマ「武蔵」の宮本武蔵は戦国の世では田舎侍と はいえ本名の「新免武蔵」の「新免家」は古くは菅原道真公を祖とするれっきと した家柄であることを忘れてはならない。 江戸時代、たまたま百姓階級に位置付けられた家系でも「俄か旗本」よりずっ と優れた家系の百姓も全国にわんさといたことについて日本史を勉強するに当 たって知悉しなければならなのだ。 ところが中学、高校時代の学習課程では理解が一般的(普通には)には及ばな いころが、問題ではある。 これは前回、百姓ということがらに関して私の大学時代、某国立大学の高名な マルクス経済学者が私に向かって「君、百姓の子が近代経済学など学んでどうするんだ」とさんざめいたことをまた思い出したのだ・・・。 む、む、む、なんと言う愚かな発言かと当時の私すら思ったものだ。(2004年3月7日)
閑話:先日、この欄で偶然、5世井上八千代さんの「舞」を見て感想を書い た。 「舞」には全くの素人の私が評した彼女の見事な「舞」に対する見解もあながち 間違ってはいないと思った。 それは何気なく私が敬意を表している齋藤孝さんの本を読んでいたらやはりそ うかという説得力のある「舞」に対する見方があったので紹介しよう。 氏の一連の「身体文化論」を基調にした著作でも容易に理解できるのである が・・・。 氏はこの本で端的に語る。 「織田信長は桶狭間の戦いの出陣前に『人生五十年、下天の内にくらぶれば夢幻 のごとくなり・・・』と幸若舞を舞う。舞は呼吸そのものの芸道です。長くゆる く息を吐く、臍下丹田に力を込めた力強いゆるやかな呼吸をすることによって、 死さえも恐れない、落ち着いた精神状態に入ることができた」と・・・。 5世井上さんと齋藤さんが描く信長の心境を結びつけるのはやや短絡的過ぎる ような気がしないまでもない。 でも、「舞は呼吸そのものの芸道」とするところは、私が一瞬、井上さん舞の 中に見たところと一致する。 これから私の取り組まなければならない課題は多いと思ったものだった。(2004年3月10日)
閑話:13日(2004年3月13日)交野市内の図書館に行った。正確には、家内が仕 事関係の本を借りるというので付いて行ったのだが・・・。家内がよく利用して いる市立図書館だった。蔵書も豊富である。 私も何か借りようと、蔵書を何気なく見ていたら墨絵(水墨画)の本棚で3冊 がさっと目に飛び込んできた。 榊莫山さんと片岡鶴太郎さんのご本と水墨画の入門書であった。お2人の書や 画はテレビなどで拝見していた。両氏の文も添えて読めるからご苦労の跡を私な りに追うことができると思った。 莫山さんは「春」というところで語られている。 「暦が、三月を告げると祖父は『フキノト。もうでているやろか』と、声かけて きた」と。そこで少年の莫山さんは土手などを駆け巡りながらわんさと、フキノ トウを採ってくる。 私にもフキノトウの記憶あるが、同じように思い出が蘇るのがヨモギであっ た。 「ヨモギ餅作るからね」と、伯母に言われると、私は道端に顔を出しているヨモ ギを採ってきて差し出した。ま、遊びのついでのことだから結構、愉しかった。 私の少年のころを思い描きながら氏の画を見たら「山ニハ山ノ夢ガアル」と薄 紫色の山の画、その次のページには「唄オワスレタヒバリハ」とあり、薄緑の 山・・・。 春を告げる自然の息吹がじんわりと伝わってくる・・・。 莫山さんの自然と共にある、もしくは、自然に対する尊崇の念が滲み出ている なぁーと感嘆したものだ。 図書館の外で見た三宅山連峰も春の装いを凝らし出していた。 「交野探訪」を苦心の末、世に出したが、まだまだ私の交野探訪は続きそうだ・・・。(2004年3月14日)
ドラマ「新選組」I:今回のドラマでは勇を除いて沖田総司が主役であろう。 「私は100両の支度金がたとえ10両になっても公儀の危急の今、命を賭して働 くのだ」(著者要約)と勇の決意のほどをうかがう試衛館の面々を前に言い切っ た。 勇を頭(かしら)にしていよいよ動乱の都、京に向けてこころを踊らす土方や 永倉らの表情が引き締まった時、一人の侍が頭に手拭を被って一行の前に姿を 現した。 手拭をその侍は取り払った・・・。初々しい月代(さかやき)にそり上げた青 年武士の顔が清々しく輝いていた。 勇が試衛館の留守を命じた沖田総司であった。 沖田は道場では一番の剣の使い手であったが、最少年の若者であった。 (沖田は剣の腕が立つ。腕が立つということはそれだけ危険な場面に遭遇する。 若い沖田を死なせたくない・・・)という勇の配慮があった。 悔し涙にくれていた沖田は、とうとう我慢ができなくてなって遅ればせながら 一行を追ってきたのだった。 懇願の表情で勇を見据える。勇は無言・・・。 「総司の面倒は、わしが見る。近藤さん、総司を仲間に加えてやってくれない か」(同) と土方。 「有り難う。土方さん」と沖田は目を輝かす。 「沖田を入れてやってください」と日ごろの沖田の意気込みと剣の腕前を買っ ている他の面々も勇に懇願する。 勇のこころの中に一瞬、熱いものが込み上げてきた。沖田の熱情に己も一層、 燃えてきたのだ。 (我ら試衛館の者だけでもご公儀のために働く。そう、『こころの武士魂』を天 下に見せてやる・・・)。 各地から支度金欲しさの浪士らや予想以上の応募で集まってきた浪士の対応に 苦心する幕府の要人や浪士隊の結成を呼び掛けた清川八郎とは全く次元の異なる 世界で独り勇は、こころを滾らせていたのだ。 「至誠」を以(も)って公儀に尽くすという一念が沖田総司の若い情熱を汲み取 ることで一挙に燃え上がってきた。いよいよ時代の渦が巻き起こっている京に向 かうときが来たのだ・・・。(2004年3月14日)
閑話:休日のある朝、早起きし、何気なくNKKのスイッチを入れた。 思わず画面を食い入るように見た。 山村の風景・・・、徳島県らしい・・・。ジャガイモの栽培であった。主婦が丹 念にジャガイモ栽培の労働する姿を映し出す。段々畑での作業。 「これは種芋にするのですよ。お爺さんの代からじっと続いています」(著者要約) 私はこの言葉に思わず感動した。高度成長の過程で恐らくこの山村でも若者の幾 人かは都会に出ていっただろう。 でもこのように自然とともにある生活が続いていることの事実に日本再生の余 地は十分にあると妙に感心した私。 さらに岐阜の農家では干し柿づくりの紹介。柿の採取から天日に干すまでの作 業。途中で苦(にが)りなどが抜け出し甘みが出るようにと、丁寧に、丁寧に、 丹念に、丹念に柿を労わるような細かい手作業続く。 「私はね、柿と対話していますのよ。そんなとき、柿の声が聞こえるような気 がしますのよ」(同)という干し柿づくりにいそしむ主婦の声には感銘すら覚え た・・・。 その他、数箇所の全国各地の特産づくりの現場が紹介された。 私は1時間ばかり、我を忘れて見続けたようだ。 自然の恵みに絶えず感謝しながら特産物づくりに励む農家の方々の姿に畏敬の 念を抱かざるを得なかった。(2004年3月16日)
閑話:今日はあの双葉山について少し触れよう・・・。今、大相撲春場所が大阪 で開かれているのでふと思い出した。『未だ黙鶏足り得ず』と己の未熟なところを嘆いた大横綱である。 私は大の相撲ファンであった。昭和27年秋場所で関脇、栃錦が14勝1敗で優勝、翌場所に大関に昇進したころから大相撲に熱が入った。ということは私が小学1年生のころからだ。 その後、好きな力士、大鵬、北の湖、貴乃花らが活躍した時にはぐっと熱を入れた。でも3力士に比べても双葉山という力士は断然、抜きん出た存在のようだったと今でも思っている。 相撲道をあくなき探究心で追求してやまなかった大横綱だったと思う。3力士も一代年寄りという名誉ある地位を協会から授かったのは当然だと思うが、双葉山を10とすれば、3力士は7ぐらいではないかとかってに想像する。 私は双葉山の相撲は、録画でしか見たことはないが、仕切り、取り口からして一味も二味も違う。どこがだろう。想像を絶する「相撲道」の追求がけたはずれにすさましかった故の風格だろうか・・・。大鵬、北の湖、貴乃花の威風堂々とした取り口は今も鮮明に蘇る。 が、双葉山の相撲は華麗さなどという通俗的な語彙では語れないほど見事な取 り口である。69連勝で連勝がストップしたときに吐き出したのが冒頭紹介した 『未だ黙鶏足り得ず』なのである。 その意味は、いかなるときも冷静、沈着さ持続するのを黙鶏というなら、いかに双葉山でもそのような心境には達し得ないということではあるが、相撲の歴史 の中でこの力士ほど輝く存在はいない。 年2回の場所しかなかった時の69連勝なのだから「凄い」の1語に尽きる。 「双葉山敗れる」という号外が出たという。 先年のドラマ「武蔵」の記憶も鮮明だが、武蔵が書いた「五輪書」の中に「後の先を取る」という表現があるが、双葉山はこれを実行したのだ。 「どの力士と対戦しても双葉山は後から立って、必ず相手より先にまわしを取 る」と言われていた。 今、モンゴル出身の横綱、朝青龍が輝いている。この力士は、相撲道に通じる 「型」を持っているような気がする。日本人力士の一層の努力、精進に期待を掛 けたい。(2004年3月17日)
閑話:安岡正篤・・・。東洋思想の探求と実践を生涯にわたって成し遂げた傑物 である。昭和58年12月86歳で故郷大阪の地にて往く。吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作など歴代の首相の指南役的存在だった。 「我が国即今の内憂外患は、最も国士の払底に、その深き禍根を有する。国士 の払底は、要するに、明治以来世を挙って、教育が短なる知識と技術との習得に偏し、世渡りの方便と堕してまった悪果である。 その為に、世の良心の権化として、己を忘れ、己を虚しゅうして、民衆の為に 謀り、国家の為に策すべき国士が無くなって、官吏も議員も畢竟一身の計に汲々たる求田問舎の民と化し、治法はあっても、治人無く、民衆をこの擾乱(じょう らん)に陥れたというの外はない。以下略・・・」(正篤師35歳、昭和7年)の 『東洋政治哲学』自序である。 私は縁あってか、師の著作数冊を我が書斎に蔵している。が、未だに通読し切っていない。今、読もうとしているのが昭和11年刊行の『日本精神通義』である。これは神道、儒教、仏教を論述するなかで日本固有の精神文化をつまびらか にしようというものである。読破するのは定年後の初夏のころとなろう。これも また楽しみの一つである。 でも読者諸氏、驚きではありませんか。これらの書は師が30代に執筆されたも のだからだ。 それはともかく『東洋政治哲学』の序は凄いという一語に尽きますね。私など こころが抉られるほどに己の愚かさに慄き、只頭を垂れるのみです。(2004年3月19日)
閑話:休日の朝起きはいい。不規則勤務の中ではまさにオアシスではなかろうか と思った。 NHKでまず見たのが料理人、平野寿将さんの番組。平野さんのインタビュウー番組であった。 淡々とこころの内を語る平野さんは、個性的な語りと自分の歩んでこられた料理人としての苦労話は、圧巻であった。平野さんのお話を聞いていて「これは下手でしたり顔の説教を聞くよりか、また下手な授業を聞くよりか、ずっと、ずっ と、ためになり、勉強になるなぁー」と思わず聞き入ってしまった。 「料理人の極秘(奥義)は『思いやり』なのだと次第に気が付きましてね」 (著者要約)とい言葉には感動した。 「ええ、料理という技能、技術の巧拙より、食べていただく方に対する愛情と 思いやりが大切・・・」(同) 20代のころの世間でいうところの苦い失敗を潜りつつ、自ら見つけ出した箴 言なのだった。 母からいただいた簡単な「思いやり」(愛情)ということの大切さを料理人の哲 学に織り込んだ平野さんは、輝いていた。 次に見たのがNHK教育テレビの『俳壇」であった。途中からであったが、十 分愉しめた。と、いうより新しい発見があった。どうやら今回の「題」は『子 供』のようだった。 『雪山を転げてきたる 子供かな』 確か北海道の方の作品で、これが一席であった。ほかにもいい句はたくさんあっ た。 私の見た範囲ではどの句も『お勉強』のお話が出てこなかったのに、私は妙に感 心した。時代が変わりつつあるのかとも思ったが、実際はどうなのだろう か・・・。 これが持論であるが、少なくとも小学校だけでも子供に勉強をしなさいとかは 言わない方がいいのでないかと思う。さらに中学、高校になってもこと勉強に関 しては無干渉がいい。それぞれの年代に応じて自分で苦心する方がいいのではな かろうか。 勉強など出来ても出来なくても自分の持ち味を自分で発見した方が遥かに重要 であろう。 『雪山を転げてきたる 子供かな』と元気溌剌(はつらつ)とした我が子に愛 しく微笑む母の姿にこそ健全性があろう。 番組は異なるが、料理人、平野寿将さんとこの句が何故かつながっているよう な気がした。(2004年3月20日)
閑話:ふと、朝日新聞社のサイトを見ていたら雪舟の水墨画、達磨の後、禅の法 統を継ぐ慧可が達磨に向かって己の肱を切り落とし、真摯な決意を見せ「どうか 不安がなくなる方法を教えてください」と頼む有名な画が載っていた。 達磨は洞窟の中で只管、坐禅を組むだけであった。 これを必死な面持ちで凝視する慧可・・・。 何で師は答えてくれないかと疑念を抱きながら仕方なしに達磨の後で坐禅する しかなかった慧可・・・。 一刻も過ぎたころ、慧可はおそるおそる達磨に聞いた。 「どうだね。了(わかっ)たかね」 「はっ、了たような、了からないような。不安はまだ消えません」 「む、そうであろうとも・・・。ではそなたお前の不安を取り出してみよ」 (む、む、む・・・、師のおっしゃりたいことはなへんに・・・) 慧可の苦渋に満ちた表情が少し和らいだが・・・。 (それは、どだい無理なご注文・・・) と、達磨の鋭い声が飛んできた。 「取り出せないだろう!おう、これでお前に対する説明は終わった!」 刹那、慧可のこころに閃いた。慧可は達磨にいう意味を了解した。 (おう、我がこころは自分の意のままにならぬ。不安を意識して己で取り除こ うとしても出来ない代物なのだ・・・)と慧可。 思わず輝いた顔を達磨に向けた。 達磨は幽かに頷き、なお坐禅の姿勢を崩さなかった。 洞窟では2人の坐行が静かに続くのだった。 <これは、かなり以前読んだ記憶のある本を思い出しながら私が創作したもので ある> (2004年3月21日)
ドラマ「新選組」J:「貴方は私です。私の長年の望みを貴方が叶えてくださっていることが昨日の貴方のお話ではっきりと判ったのです。これまでの数々の非 礼をお許しください。近藤家のために京で大いにお働きください。行ってきなさ い。勇さん」(著者要約) 義母、ふでは感激の涙を浮かべなから勇に力強く言った。 「はい、行って参ります」 勇は義母、ふでの励ましの声にこころが踊った。 今回のドラマの焦点は勇の義母、ふでの言葉であった。 こう勇に言い切る前にふでは、勇に自分の生い立ちを告白するのだった。 「私は下上総の百姓の生まれです。村を飢饉が襲い、私は12歳で身売りされ、 江戸にきました。15歳の時、芸子になりました。厳しい修業に耐え、置屋で一番 の売れっ子芸者になりました。私の夢は武士に見受けされることでした。私を身 売りした両親を見返ししたかったのです。そんな時、貴方の父上に見受けされた のです。婚礼の夜、初めて知ったのですが父上も百姓の出でした。養子を迎える 時、私は今度こそ武家の家からと望んでいたのでした・・・」 近藤は義母の独白に耳を傾ける。 「しかし、『百姓の子でも武士以上の武士になる』という貴方の決意で目が覚めたのです。貴方はよくこれまで頑張ってきましたね。今の私は貴方と同じ意見 です」(同) 勇は義母の告白が嬉しかった。妻、つねも同じであった。 一方、浪士隊の行方は様々に形を変えながら展開していく。 浪士隊を幕府に呼び掛けた清川八郎は山岡鉄太郎(後の鉄舟)に打ち明ける。 「京に着いたら彼ら浪士隊に言う。彼らの役目は幕府警護ではなく尊王攘夷の 尖兵となる隊士だと・・・」 徳川家に忠誠を誓う勇との溝が生じてきた。終盤になって一気に盛り上がりを見 せた今回のドラマであった。(2004年3月21日)
閑話:あの日は3月上旬のころだっただろうか。確か休日の日だった。昼下が り、私は、ふと思い立って「おう、たばこを買いにいかなくては」と思い、隣の 団地にあるたばこ自働販売機まで足を延ばした。と、いっても、ものの15分くらいのところだ。 舗装されてバスも通るのだが、団地につながる山道を歩いていた。団地近くま で来たときいきなり、突風が吹いてきた。 「おっ、こら、おっ、ちょいと待て、こらこら・・・」と声を出しながら、突 風に煽られて散歩用に被っていた帽子がコロコロと道を転がるのを追っかけた。 2度ほど失敗したが、「どうだ!」とこころの中で快哉を叫び掴んだ。 帽子を被ったところで急に吹雪になった。視界が消えるほどだったが、私は何 故かこころが踊り出した。 (む、む、む、これに似たようなことは少年の頃、幾度も体験したな・・・) (そうだ、この後、薄っすらと積もるんだったな。雪が降り出すと、子犬が駆 け回るのだった・・・) (雪やこんこん犬駆け巡り、猫は炬燵(こたつ)で丸くなる・・・)と童謡まで思い出した。 私は急に少年のころの元気が体の芯から湧いてくるのが不思議であった。 バス停では3、4人の中年女性らも「こんな雪久しぶりねぇー」と、華やいだ声を上げていた。私は3箱たばこを買い、雪の止むのを待った。 (恐らく、暫くすると・・・)と思いながら、たばこを一服・・・。まだ私の こころは、少年のような感動を覚えていた。10分足らずで雪は止んだ。 一瞬だったが、自然の恵みに感謝した。 無論、これが、大阪などの都会であったら、こういう感動は覚えないだろうし、 ましてや通勤途中ならばなおさらだ。やはり「交野の里」でこそ味わえたと思いつつ、家路に就いた。(2004年3月23日)
閑話:このところ感じていることをお伝えします。これは還暦を目前にした、そ う、それだけ齢(よわい)を重ね、あまり、たいした経験ではありませんが、そ の経験、体験に加え、少しではありますが、思索を踏まえ申し上げます。 この間からNHKが放映した自然の恵みに感謝しながら種芋をお爺さんの代から受け継ぎ、芋づくりに取り組んでいる徳島のおばさんの風貌や柿と対話しなが ら柿を労わるようにして干し柿をお作りになる岐阜のおばさんらのスピリッット は素晴らしいと思いました。 自然との共生という意味を書物で知り、頭の中で巡らせるよりもこの映像を見 るほうが「ああ、これが本当の自然と共にある人の姿なのだ・・・」とこころの 底から感得できるのだ。 さらに思うことは朴訥(ぼくとつ)なおばさんらの表情が、自然と共に過ごし、生き抜いてきた風雪を刻み込んでいるような気がして素晴らしかった。 でどうだろう、インテリゼンスのかたまりのような女史とどちらに好感を持つかともし私に聞かれたら、私はすぐに言うだろう、「おばさんの方じゃなぁー」 と・・・。知識、知恵ある方よりか、慈悲の方に軍杯を上げたい。観世音菩薩は 中性のようだが、姿は女性である。 『交野探訪』の中で歴史上の人物で素晴らしいなぁーと思いながら、そして最 も自分でもよく書けたと思う箇所は大田垣蓮月尼に関するところである。 でも木下さん、この女(ひと)は、今でいうインテリの方ですよと言われれば、私は即座に答える。 「いいですか、蓮月尼は、インテリという範疇(はんちゅう)を遥かに超え、 自然をこよなく愛する女性におなりになっておられます。苦労の末、仏縁を得てからのご修行で朴(ぼく)なる方におなりです」 そう言えば、私は蓮月尼を「女良寛」と称したが、蓮月の生まれる20年ほど前 になるだろうか、江戸末期に没したあの良寛も若かりし時は、正法眼蔵など難し い仏典を読んでいたらしい。が、一向に仏典などを紐解(ひもとか)ないで畑仕事に明け暮れていた兄弟子の凄さを後年になって気が付き「朴なる人」「真の道 者(仏者)」と絶賛しているのだ。 だが、今の世はどうだろう。「男女機会均等法」により、女性の社会参画は目覚しい。確かに社会を活性化する大きな原動力になっているといえる。私はこの事実を否定するものではない。 が、忘れないで欲しい。女性は蓮月尼のごとく「慈母観音」になれる素地を 持っておられることを・・・。同様に男性も究極は、「朴なる漢」にならなけれ ばならないということを・・・。 さぁーてと・・・。私ということになれば、そう、もう20年はかかるだろうと 真底思っている愚者である。こんな内省を加えるのも還暦を迎える年になったからに相違ない。(2004年3月23日)
閑話:「待ちにまった春が・・・」―と、OCNからメールーを受信した。今年は例年より桜前線は幾分早まりそうだとのことだ。 今しがた出勤前、妙見宮前の「交野桜」の様子を見に散歩に行って帰ってきたところだ。 早い桜で2分咲き、全体としては一週間前より、ぐっと、つぼみが膨らみ今まさに咲く瞬間を待っているような息吹を見せていた。 『万世の春の始めを歌うなり こは敷島のやまとびとかも』 大田垣蓮月尼が交野で歌った春がまた巡ってきた。私は桜のいざ咲かんとするその静かなる生命力に感嘆しながら一瞬、蓮月尼の歌を思い出していた。 思わず自然の摂理に思いを巡らせたのだ。 長い冬を過ごし、万物の生物が春の到来とともに活動を始める。 いざ進みなん、躍動の春日の中を闊歩しよう―。皆さん!( 2004年3月26日)
ドラマ「新選組」K:今回のドラマで「近藤隊」(新選組)の性格がさらに浮き 彫りになった。近藤勇の至誠を旨とし、純粋に武士(武士以上の武士たらんとす る熱情)と土方歳三の現実的感覚(世事に徹する厳しさ)が上手く両輪のごとく絡み合って『新撰組」の土台が出来上がってきた。 さらに永倉新八、沖田総司らの個性が次第に濃密に表現されてきたからなおさ らだ。 やはり、今夜は歳三の現実的所作が光った。 歳三が清川八郎に賂(金子=50両)を渡し、勇は宿屋手配係りの役に就くことができた。 勇はそんな手口に顔を一瞬、顰(しか)めるが、歳三の気迫に押され納得した。 「皆さん、ご公儀のために一緒に働きましょう」(著者要約) と勇は浪士隊の面々を前に声を掛けた。 「おい、聞いたかよ!ご公儀のためとだとよ!」(同) と純粋な勇の心情を嘲笑する芹沢鴨・・・。勇は無視するかのように淡々とした 表情で己に意思をさらに強固にしたように思えた。 一方、試衛館(近藤道場)では沖田総司の姉、みつや勇の妻、つねが様々な思 いを抱きながら彼らのためにかいがいしく仕度などにいそしむ。 幼馴染のみつは「勇さん、私が好きだったでしょう」とふと漏らすのもこれま での伏線から当然予想されたことだが、ドラマにふくらみを持たせてよかった。 圧巻はラストシーン。 勇、歳三、総司、新八、藤堂らが一列になっていよいよ京に向けて歩を速め る・・・。 みつに促されて列の傍まで来た勇の妻、つねと勇の目と目が合った・・・。 つねの頬から涙が溢れ出す。勇の意気揚々とした表情がまたよかった。(2004年3月28日)
閑話:先日、日本経済新聞社主催の『四国八十八か所 へんろ文化と美術展』を観に行った。 この展示会とは関係なしに前々から定年後は必ずお遍路をしなければならない と思っており、私なりに知識は蓄えてきた。「徳島」は発心、「高知」は修行、 「愛媛」は菩提、空海誕生の地「香川」(讃岐)は涅槃などという按配(あんばい)である。 またNHKなどの特集番組などもかなり真剣に見た。 要するに後は、実際に何らかの形で発心から涅槃まで遍路道を歩むことだけである。 最近の新聞広告で4日間をかけてバスやタクシーを途中で乗り継ぎながら主要 な寺を巡礼するツアーがあると知ったので、まず、最初はこれでいこうと決め た。 それでなお必要と思えば、単独で霊場巡りをすればいいと考えた。 ところで美術展はかなり得ることがあった。 川端龍子や種田山頭火らの巡礼と作品や句も再認識させられた。 また、こんな凄い『不動明王』も描かれていたのかと感嘆したりした。 「ノウマク、サンマダボダ、タタギャテビャクサルバ、ボッケイビャクサルバ チャ、センダマカロシャナ カンカフフィー、カフィーカフィー、サルバビギナ ン、フウータマン、フータラマン」(不動明王真言=中呪) その不動明王から自然と溢れ出してきそうだった。(2004年3月30日)
閑話:四国霊場巡りを考えていたら、交野の磐船神社で体験した「白装束」で岩 窟くぐりをしたことを思い出した。 詳しいことは販売中の『交野探訪』(2刷)で詳述しているが、すぐ鮮明に当 時のことを思い出す。子宮の形をした曲がりくねった洞窟の中を這い蹲りながら たった独り誰もいない約30分の「行」は、様々なことを考えさせられ、大いに勉 強になった。 恐怖と不思議とここの底から湧いてくる快感の混濁は、記憶に新しい。 今日は休日で妙見宮傍(そば)の交野桜を観にいった。 (おう、満開だな。む、満開だ!)などとこころのなかで感嘆の声を上げなが ら満喫した。 近くのコンビニで購入した缶ビールを飲み、おにぎりの弁当を頬ばりながらの お花見は、これが初めてだ。平日であったため、人出は少なかったが、皆さん満 ちたりた表情で満開の桜を愉しんでおられた。 『交野探訪』で書いた時の満開の桜の美観の再現だなぁーと至福のひと時を過 ごした。(2004年3月31日)
閑話:様々な懸念要因、例えば私の持論でもあるが、少子高齢化などの労働力問題、長期スパンでみた教育問題、環境問題など今こそ踏み込んで取り組む時であると思う。 このことは今日(4月1日)、日銀が発表した企業短期経済観測調査(短観=3月実施)を読んで感じたことである。 それによると、これまで懸念材料になっていた「大企業非製造業」がプラス5と約7年4カ月ぶりにプラスに転じたことである。製造業だけでなく改善傾向が広がりをみせた。輸出の好調に伴って株価が上昇局面にあることなどが今回の景況改善を浮き彫りにしたようだ。 中小企業も回復基調にあるようだが、国、地自治体のなお一層の支援策が必要であろう。 そこで冒頭の話に戻るが、このように明るい基調の折、全面的な解決策とはいわないまでもさらに前進した議論と解決の指針を関係者は明確にするチャンスの到来とみるべきであろう。 物事には「機」(気)を見ることが肝要である。すべてが「暗」の時はいくら議論を進めても悲観論に染まり、極端な意見が持ち上がってしまう傾向があることは、歴史を少し覗いても容易に理解できる。 例えば教育についても小学校から「英語教育」を始めるなどというのは、私には理解ができない。日本語の基礎をしっかりと教えることである。それにより、自然と日本の歴史や古典の素晴らしさに気付かせることとなる捷径であろう。 英語はその次でいい。己を知り、相手を知ることの要諦でもある。自国のよさを理解せずして外国のよさは判る筈がない。 ともかく一段の景況の向上を望みつつ、経済活動と底流の部分では不可分であるのに一般論としては切り離して考えられがちなこうした問題に冷静かつ多面的な考察が喫緊の課題となっていると思うのだが・・・。(2004年4月1日)
閑話:また四国霊場巡りの話になるが、元朝日新聞論説委員で「天声人語」を長 年お書きになっていた辰濃和男さんの「四国遍路」(岩波新書)を読んでいる。 暇を見つけては1日5、6nほど読むいつもの私流の読書方法である。 が、今回は努めて音読を試みている。 そうすると、辰濃さんの流麗でしかも無駄のない的確な表現のなかに深い思索の 跡が私の脳裏の中にくっきりと浮かび上がり、氏の胸の内が私なりに判りかけて くるのだ。 氏がご体験なさることに共感できるだけでなく辰濃さんと共に遍路を歩いてい るような気がしてくる。辰濃さんのような方を本当の名文家というのだろうと改 めて思った。 どのnを読んでも何かを得られる想いで半分ほど読み進んだが、これまでで私 が最もこころ惹かれた箇所を紹介しよう。 34Pから41Pの「打たれる」である。13番霊場大日寺の奥の院の古刹、建治寺を 氏が訪ねられ、「建治の滝」に打たれる場面である。 「水というものは、一切の不浄なるものを洗い清め、過去の色々な悪い思い出 を洗い清め、清浄にして、一時的な悪い思いを押し流してしまう」「滝行では、 水と一体となるよう心掛けよ。水のこころになれ」と辰濃さんは、住職の書を紹 介している。 辰野さんは同寺で修行中の青年僧とともにまだ闇に包まれた朝の4時から「滝 行」に取り組む。氏は滝に打たれるのはこれで2度目とお書きになっているが、 このような本格的な「滝行」は、初めてという。 裸になり白い布を腰にまとい、暗闇でしかも10月の冷気・・・。そんなかで 「滝行」に挑む辰濃さんの赤裸々で真摯な描写には説得力と迫力があった。 「不動の剣印」を結びながら真言と般若心経を唱える辰濃さん。 「滝行を終えるころには、自分のからだが1滴の水にすぎないという感じをお ぼろげながらもつことができた。一滴の水になって見る世界はただただ広かっ た。闇と光と、天と地と、水と風と、山と木と、そのひろがりのなかでいつか 『おおいなるもの』に身をゆだねる気持ちで読経の声をあげていた」と書かれて いる。 辰濃さんのお掴みになった世界は辰濃さんだけしか判らないだろう。 この文で私は思わず何かこころが洗われる気がした。 「裸木の細い枝の向こうに細い月が蒼白い光を放っている」と「滝行」を終え た瞬間の夜明け前の描写が凛とした響きを伝える・・・。(2004年4月3日)
ドラマ「新選組」L:「む、近藤勇」「近藤勇・・・」「コンドウイサ ミ・・・」 と芹沢鴨、清川八郎、幕臣の佐々木只三郎などが、勇の胆力に驚きかつ感心し たような面持ちで呟いた。 近藤の存在が今回、一気に高まった。 浪士隊の250人の宿の手配役を仰せつかった勇は苦手な役を土方や山南らの協力 を得てなんとかこなした。 が、問題が起きた。血の気が多く浪士隊の中で一目置かれていた芹沢鴨の宿取 りで手違いが起こった。独り部屋に案内した藤堂兵助は、目印に従って鴨を連れ ていってその離れ部屋を見て驚いた。藤堂の表情が途端にこわばった。 その独り部屋は鶏を飼っている小屋のようなあばら屋であった。 鴨の目玉が大きく光った。怒りをぐっと、沈めた。 「鴨には鶏小屋が似合うのよ!」と鴨は中に入った。すぐ何を思ったか、鴨は 「野宿」を決めた。夜が更けるとともに急に寒くなる。 沈めた怒りを一気に爆発させるように暖を取ることを名目に焚き火を始めた。 炎は炎々と夜空を焦がすように燃え上がった。 ヤジウマが加勢、「燃えるものは何でも投げ込め!」などと気勢を上げ出した から火勢は強まるばかり。他の浪士隊や佐々木ら役人に困惑の色が広がった。 「む、む、誰が鴨の怒りを鎮め、火炎を消させるか・・・」 歳三は早速に鴨に詫びを入れる・・・。最後は勇の出番だ。 勇は鴨の前に立つ。 「おい、近藤、この場で腹を切れ!」と鴨は言い放った。 「それはできない。私の命は公方様に預けていますから。それ以外のことなら 何でも致します」 勇はやおら鴨の前に手をつき、瞬(またた)き一つせず鴨を見詰め続けた。 「芹沢さん、火炎を消されるまでこうしてここを動きません」 2人の睨み合いは続く・・・。固唾をのんで見守る浪士隊員ら。 瞬間、火の粉が鴨をかすめた。 「アチチ・・・」と鴨は顔をしかめた。 同じような火の粉も勇にも。 勇はそれをものともせず、じっと鴨を見据え続けた・・・。 「おい、もうよい」と鴨は火炎を消すよう促した。 2人の勝負は勇に・・・。土方、沖田らの表情がぱっと明るくなった。勇を賞賛 する声があちこちで上がった。(2004年4月5日)
閑話:「はぐれることはある種の不安をともなう。こころ細さがある。この道は どこへつながるのか。引っ返そうかどうしょうか。この道を行くのにどんな意味 があるのか。今夜は寝るところがあるのだろうか。そこには小さな緊張があり、 小さな迷いがある。はぐれて、独りで歩いているときの、そういうこころの動き が私はきらいではない」 これは前回、紹介した辰濃さんの「四国遍路」の文の写しである。 この本の中で私が感銘を受けた文章は多いが、49Pから始まる「はぐれる」の 一節である。 「ある種の不安と快感と」私は『交野探訪』で経験した磐船神社の岩窟くくり を薄闇の中を独り進みゆく時、感じたこころの内を表現したが、私はこの文を読 んで辰濃さんとなにか共有したような感動を覚えた。 「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひ とに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにた だ独り歩め」 「肩がしっかりと発育した蓮華のように見事な巨大な象は、その群れを離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩 め」(辰濃さんが氏の文と関連して引用した『ブッダのことば』中村元訳、岩波 文庫)。 「犀の角が一本すくっと力強く直立しているように、人は人によりかかってい けない。甘えてはいけない。群れてはいけない。基本は独りであるきなさい、と いうことだろうか」と辰濃さんは自らに問いかけ表現されている。 「新しい文化は、はぐれものからの刺激によって創られ、はぐれものによって 伝播されてきたのだ。『はぐれる』ことを否定的にのみとらえる文化は衰退する」という氏の語りには感銘とともにいいしれぬ重みを感じたざるを得なかっ た・・・。(2004年4月11日)
ドラマ「新選組」M:清川はこころの中で快哉を叫んだ。してやったりという表情がありあり。策士の清川と純粋、至誠の人、勇との対照が浮き彫りになった今回のドラマであったと私は思った。 余談ではあるが、浪士隊(新選組)結果的につくることになった清川と幕府に忠誠を誓った勇とどちらが、歴史に残っているか、また庶民の間で慕われている かと言えば断然、勇だろう。 インテリで策士の清川よりも時代の波がどうであれ、「誠」に生きた勇に軍配 が上がるところが、人世の面白さと興味を覚えるところであろう。 建白書が天子に受け入れられて清川は意気揚々と浪士隊の衣替えを宣言、佐幕 派と対峙(たいじ)することを浪士隊の面々に告げる・・・。 勇のこころは変わらなかった。京に残り、将軍を警護する意思は強固であっ た。何故か芹沢鴨も勇と共にすることになった。京都壬生の八木家が勇や歳三、 総司ら試衛館組みや鴨らの宿舎(屯所)になった。 八木家の家族との交流もユモラスに始まり、新選組の活動が京の地でいよいよ始まった。(2004年4月11日)
閑話:声を出そう、大きな声で朗読しよう、こんな言葉が流行り出した。 私は大歓迎である。この仕掛け人は、これまでこの欄で紹介した齋藤孝さんであると思う。 齋藤さんの「声を出して読みたい日本語」をはじめとして氏の一連の書が書店 を席捲した。私はなるほど、なるほど氏の本は受ける筈だと納得した。 パソコンを駆使してメールを送信する。これも便利ではある。時代の要請かも しれない。世がすべてコンピューターライゼイションで何事も処理されるように なると、ボイスレス(人の生の声が相手に届かない)のが最大の難点であると私 なりに氏の本が世に出る以前から憂慮していた。 電話で相手と話すと、声や話し方で相手のこころが読め、また相手の体調もそれなりにこちらに伝わり理解が及ぶからいい。メールだと伝達手段としては便利 そのものだが、電話のようにはいかない。一日中、メールのやり取りばかしやっ ていると、伝言だらけになって無味感想この上ない。 そんな背景の中で世に問うた齋藤さんは見事だと私なりの理解で拍手を送り続 けた。 声に出して読む経、祝詞、または般若心経などが氏の本に触発されて次々と書店 に並ぶ。そもそも経などは、臍下丹田から声を出して唱えるは当たり前のことだから・・・。 禅など無言の行(坐禅)などがあるが、それが済むと、必ず経を大きな声で唱えるのだ。 日本文化の一翼には「声文化」が底流にあることを今、改めて問い直す時ではないだろうか。(2004年4月13日)
閑話:NHKのアーカイブ番組で4世井上八千代さんと5世井上八千代さんの祖母 と孫の厳しい稽古を通じた交流を描いた映像を見た。 今から約20年前の映像である。4世、5世の井上さんともお若いのは当然なが ら、ついこの間の4世家元のご逝去の訃報に接したという記憶が鮮明なだけにこ とのほか関心を持った。 これとは別の井上流に関連した番組を最近見た記憶がある。が、今回見た20代 のまだあどけなさをお持ちの5世井上さんが4世の祖母から教わる厳しい眼差し は、私達世代でなく今の若者にどう写たっただろうかとの思いが過ぎった。 舞の稽古は宮本武蔵の著「五輪書」の中で見られるように「鍛」(千日の稽 古)「錬」(万日の稽古)を地でいく文字通りの修業が伴う。ましてや名跡を継 ぐとなると、実に大変なことなのだとつくづく感じ入ったものだ。 我々世代から一般的には「稽古」という概念が失せてきたという事実は否めない。何事にも上面(うわっつら)の要領のよさだけが珍重された傾向があったこ とはないだろうかとも思うのだ。 サラリーマン社会が主軸を担ってきた戦後の復興から成長、バブルまでのこと をつらつら恣意して(考えて)みると、仕方のない側面もあるだろうが、ここら あたりでやはりこころの芯になる「稽古」という世界を見直す必要があるように思った。 昨夜、齋藤孝さんの「日本語」の講座をテレビで見たが、氏一流の「身体文 化」が披瀝されていた。氏は語る。舞いは「呼吸」の取り方そのものであり、伝 統的なリズムに沿って舞うから素晴らしいと氏の一連の書の中で述べられてい た。 氏の語りが井上さんの稽古を見ながら蘇ってしかたがなかった。井上さんのビ デヲに収めたのでまた見たいと思う。 要は我々普通の生活を送る庶民が日常生活の中に「稽古」「修練」という概念 をより多く取り入れるかではなかろうかと思ったものだ。(2004年4月17日)
ドラマ「新選組」N:近藤勇ら試衛館組の浪士らは、時代の波に揺れ動く京に残 り、幕府の警護に当たることになった。 清川の朝廷護衛の先鋒隊に衣替えするとの綸旨(説明)があったが、勇の決意 は変わらなかった。試衛館組の中で唯一、清川の腹の内を途中からのみ込んでい た山南はさすがに複雑な表情を見せた。時代の流れを知る勇側近の中で唯一の知 識人であった。 思案の末、吐いた彼の言葉には重みがあった。 「主義(思想)よりも命を預けることができるのは信用に足る人物です」(著 者要約) これは平穏な時代、激動の時代を問わず普遍的なことではある。 今回のドラマは山南のはっきりとした台詞で押さえが利いた。 清川にも勇の行動は理解ができなかった。清川は芹沢鴨を中心に己の暗殺計画が 進んでいる壬生の屯所まで近藤を訪ね、翻意を勇に促す。 清川は勇に「私は武士ではない。郷士の出だ」とまで打ち明ける。 が、勇のこころは揺るがない。勇は、そういう清川に「土の匂いを感じ る・・・」と言い主義、生き方の相違を超えたある種の共感を清川に持ったの か、鴨らの清川殺戮行動から清川を救う・・・。 山南の台詞と近藤のいつに変わらぬ「誠実、至誠」のこころが符号しあって見 応えのあるドラマ仕立てになった。(2004年4月18日)
閑話:今日は作家、井伏鱒二のことに触れる。 私は井伏ファンである。「井伏文学」という側面よりも私が氏を尊敬してやまないのはあの風貌にもある。 文筆という仕事を生業にしている方々の個性と才気に溢れた顔もこころ惹かれるが、個性や才気をこころの奥底に沈め、何か達観したような洒脱な表情のにこにこ顔を見るにつけ慈愛に満ちた釈迦如来に似ているなぁーとこれまで幾度も思ったものだ。 何故、突然に井伏かということであるが、大分以前のことになる。深夜帰りの折、文学に興味をお持ちの運転手さんと作家が話題になり、様々なことを語り合った。その時、私は井伏のことを本当に素晴らしい方であると、その運転手さんに述べたことをふと思い出したからである。 そして今、書斎に目をやると「井伏鱒二対談集」なる本が目についたのでぱらぱらとめくったが、この本とは関係なしに私が氏の風貌と共に感銘を受けたことを記す。 今は亡き実力派で気鋭の作家が井伏に聞いた。 「井伏さん、本当に何も書けんときはどうしたらいいのでしょうか」 と真剣で必死な面持ちで訊いていたのをテレビで見たことがある。井伏の一言が忘れられない。私はこの言葉を耳にしてやはり、作家、井伏は人生の達人だとつくづく思ったものだ。 「そんなときはですね、原稿用紙に一字、一行でもいいのです。書くのですよ」 と。 このことはどんな生業でも通用する極意だと思ったものだった。(2004年4月19日)
閑話:今、漢字ブームの兆しあり・・・。ここ2、3年自分でも考えてきた通りの風潮に我が意を得たとの思いを強くしている。 今、手元に『知らない漢字』練習帳=教養が試される=という本がある。 書店に立ち寄ったついでになにげなく買い求めたものだ。1カ月以上も前のような気がする。ほかにもこれと同じような本があったような気がする。 時間を見つけては開いてみるのだが、ある頁では半分ほどしか読めないことも あったから思わず恥じ入った。私たち世代から漢字に弱くなったとみていいいだろう。 このことはこの欄でも反省を込めて幾度か書いたのでその理由には今回は触れ ない。私個人としてもこの現実をどう克服していくかだろう。 今のところ妙案がない。こつこつ自分なりに努力する以外にない。 あるテレビ番組か新聞で読んだか定かでないが、70歳代以上の方々は少年のこ ろ「立川文庫」なる読み物でかなり難解な漢字をルビ付きで読んでいるから漢字 に強いという意見を聞いた。 我々世代は最後の「活字文化」の世代といわれながら、漫画本が中心であった から「活字文化」世代と「映像文化」世代とさして変わらないと思い到っている 昨今である。 そう、このような理屈をいう前に愉しく漢字と付き合うことである(2004年4月20日)
閑話:仕事の一線から4月9日以降離れ、定年の月末を待っている日々を送ってい る。 1日の時間が長過ぎる、または余り過ぎでは困るなぁーと思っていたことがある。仕事を自分なりに出し切ったと時点の力を10として7は出し切らなければと の思いから、これまで以上に散策に要する時間を増やすなど工夫を凝らせてき た。 が、環境が一変した中ではそう簡単に思い通りにいくものではない。新聞社勤 務のよくも悪くも身に付けた「垢」(あか)は容易に拭えるものではないと実感 している昨今である。 例えば起床時間。理想は午前6時なのだが、未だに午前10時ごろに起床にとどまっている。夜型生活の長年の習慣はほとんど改善されていないと見ていい。こ れはいかんなと思っていたが、すぐには切り替えられないと最近では諦めという よりは、焦らずじっくり、ゆっくりと構えることにした。 そこで一句を・・・。 <様々な想い出 去来す 還暦を迎える春の宵> <よきも悪しきも皆打ち捨てて 生地の白地で進み行きたし春の我> (2004年4月25日)
ドラマ「新選組」O:今回のドラマを見終えてこころに残ったのは声だけだが、 高杉晋作であった。 「よっー、征夷大将軍!」 この言葉は、歴史に興味を持つ方々にはよく知られていることである。 14代将軍、家持が上洛した。この行列を見守る群衆の中から晋作はこのような揶 揄(やゆ)ともとれる野次を飛ばした。 「けしからん!」と勇らが怒るのも当然だ。 晋作は、尊王攘夷を唱える志士らの中でもとりわけ、士分の高い長州藩士であっ た。以前、山口県萩市を訪れた時、高杉家を見学したが、立派な門構えであった 記憶がある。 ドラマでは勇と面識のある桂小五郎のとりなしで雲隠れした晋作を庇った久坂 玄瑞と勇らの斬り合いになる寸前の場面は、回避できた。このあたりのところを ドラマに仕立てたのは、効果的であった。 勇らは山南らの努力もあり、京都守護職にあった会津藩主、松平容保に目通り が叶い、会津藩預かりの身分を得た。 晴れて将軍警護の任に当たることとなった勇の表情が特段に爽やかでよかっ た。 妻、つねに宛てた手紙「一筆啓上」というタイトルでこうした京での活動を報告 する形を取ったのもドラマにふくらみを持たせた。(2004年4月25日)
閑話:NKHの昼下がり、その道で「達人」の方々が出演して書の大家「榊莫山」描く『一円相』の中にご自分の心境を書く。プロゴルファーの方や俳優の方 などがその道一筋に生きた心境を描く。 『一円相』は禅僧が理想とする究極の悟りの世界を表現する有名な画の最終の 表現である。 『一円相』は悟りの段階を表す十牛図にから生まれたものと思う。 私など関連の書物を数冊は書斎に持っていると思うが、「ああ、なるほどそうい うものだなぁー」と説明ではある程度理解できるもだが、これでは、知識の段階 を一歩も超えていないのである。 聞くところによれば、あの水墨画の富岡鉄斎も十牛図を画いたらしいが、哲学 的、思想家、鉄斎ならさまになるだろう納得する。 ことほどさように『一円相』は誰でも描けるものではない。 莫山さんの描く『一円相』は見事というほかはないが、これまで見た出演者の方 の『円』の中に描いた画はいずれも莫山さんの素晴らしい筆運びにマッチしたも のばかりでしかも各々の心境が表れていて感銘を受けた。 その道のプロの心境に感嘆することしきりであった。(2004年4月29日)
閑話:4月27日、還暦を迎えた。この日ばかりは、神妙に過ごした。やはりこれまでの誕生日とは心境が微妙に違う。ことばでは言い表せないような何か が・・・。干支が一回りするのだから。 2、3年前には口にはしていたが、この日に感じた真摯でしかも厳粛な気持ちか らみれば、50代の後半にもうすぐ「還暦」だよ、などという言辞はまるで他人事 のようなものだったと想った。 還暦は人に刻まれた暦のようなものだ。木の切り株を見たら年輪という「輪」 を見ることができる。「ああ、この木は樹齢100年だなぁー」とか云々である。 ならば私は「人齢60年」ということになる。人によって同じ還暦でも体力や精 神(こころ)の瑞々しさには差があるだろうが、この「年輪」ならぬ「人輪」は 平等であり、体力などで個人差があるといっても私には共通する何かがあるよう に思う。 それは文字通り、人生後半のコースに入ったという共通の心境、認識ではなかろうかと思う。 赤い「ちゃんちゃこ」を着て還暦を祝う風習もなるほどと理解できる。赤ちゃ ん還りであるからであろう。実際、そうありたいものだと思う。赤ちゃんは母親 の背で大きな口を開けて伸びやかに気持ちよさそうに欠伸(あくび)をする。 腹式呼吸をしているからだとある人から聞いたが、なるほどと思ったことがある。知恵が付くと誰しも分別くさくなり、「喉呼吸」とでも言おうか、呼吸が浅 くなる。 会社で気持ちよさそうに大欠伸でもしたら今流行りの成果主義的能力判断から みるとマイナス点が付きそうだ。 その点、会社組織から解放されると、昼間から天下御免の「大欠伸」ができるということになる。 が、現実はそうはいかないだろう。少子高齢化の進展は一気に進む。若い世代 が懸命に働いているのに・・・。でも「喉呼吸」をしながらの忙しげな生き方か らは自らを解放させた上で何がしかの「働き」はしなければとの思いも深くした。(2004年4月29日)
ドラマ「新選組」P:「あいつにはこんな気持ちを今後絶対、抱かせな い・・・。俺は決めたんだ」(著者要約) 土方歳三は勇が苦い顔をして座を外した後、仲間の隊士らにきっぱりと言い切った。 歳三の存在を隊の中でこれまで以上に際出させた一瞬だった。 「これからは、おれ俺が隊の悪役になってやる」(同) これには以前、幾度も伏線があった。鮮明に記憶に残るのは、勇の父、周助が歳 三に向かって「勇についていって助けてやってもらえないか」と、歳三に懇願し た場面である。 「あいつは、自分で悩み過ぎるところがあるのでなぁー」 勇が独り立ちするころであった。2人の性格の違い、持ち味の異なるところが今回のドラマで明快になると同時に「新選組」を性格付けることにもなった。この あたりのドラマ展開は見事である。 ただ微妙で難しいことではあるがこんなことは言えないだろうか。 勇の誠実、正直、純粋性にあまりこだわり過ぎると、かえって勇の弱さがやや目立ち、これまでのストーリーのなかで余人にはまねのできないような粘りと勇気 で問題解決に当たってきた勇の雄姿とのズレを感じさせかねないということである。 冒頭の歳三の言葉ともつながるのだが、鴨のしでかした事件の処理を巡る場面がそうではないかと思えた。私見だが、今後の勇に誠実さのなかにもユーモアを 解する面をいま少し出してもらいたいとの想いもこころを過ぎった。(2004年5月3日)
閑話:5月5日、「子どもの日」。 <唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は 後ろの山に 棄てましょか いえ、い え それはなりませぬ> 後2、3番が続いて4番。 <唄を忘れた 金糸雀は 象牙の船に 銀の櫂(かい) 月夜の海に 浮かべれば 忘れた唄を おもいだす> 大正時代に児童向けの雑誌『赤い鳥』に載った西条八十作詞の有名な童謡であ る。 『赤い鳥』は作家、児童文学者の鈴木三重吉によって発刊されたもので今も歌 われ口ずさまれている数々の童謡を世に送り出した。 5日、NHK、『その時歴史が動いた』で紹介された鈴木三重吉を見て番組でも紹介されたが、ストーリーが進みゆく内スに冒頭の『かなりや』の歌をすぐ思い出 した。 これは西条が鈴木に懇願され、作詞したものだ。作詞を依頼された当時、八十 は生活の糧を得るため、作詞活動をやむなく中断していた自らの心境と当時の子 どもに夢を与えねばとの思いを重ね合わせてつくったものといわれる。 4番の唄でかなりやに注がれた深い思いやりと自愛を感じる。 その他、様々な番組を見たが、やはり子ども向け番組がこころに残った。 「童心に帰ろう」とか「初心に戻ろう」とかよく言われるが、やはり原点は子 どもの無垢なこころであろう。 今日は子どもの日であるから当然であるが、もしかしたら還暦の赤ちゃん帰りをした私の無意識の反応かもしれない。 が、そうは言っていられないのが、今の時代。 定年を迎えた高年齢者の一人としてこの日ばかしは、赤ちゃんのしなやかさに倣 いつつ、これから何ができるかを真摯に問いたいと思った。(2004年5月5日)
ドラマ「新選組」Q:今回は主役(私の解釈=勇を盛り立てドラマも引き立て る)は、私が見た限り見当たらなかった。見方を変えれば、全員主役とみること もできなくない。 このような手法はときにはあってもいいだろう。強いていえば、桂小五郎の多 面的頭脳思考を表現したところが、当時の桂のおかれている行動様式を言い当て ていると思った。「近藤殿は幼い・・・」と以前のドラマで桂に言わせているの だから当然とも思えるが・・・。 久坂玄瑞の合理的、直情思考との対比でとらえても桂の性格を浮き上がらせていた。長州藩きっての秀才、久坂は師、吉田松陰も高く評価した逸材であった。 高杉晋作も学問では久坂をライバルにみていたと伝えられている。 ここからは、私の独断による勇に対する期待だが、前回の要望に加え、勇に桂 や久坂などが及びもつかないような、『誠』に加えたケタはずれた武士としての 強さを与えてほしいと思う。 前回のドラマ「武蔵」は、ぎらつくような鋭い眼差しがよかったと思った。勇 にもそれなりの個性がより出ていいころではないかと思う。 京に上る以前の勇は、青年としての個性が私には輝いて見えて大変、好感を覚 えていた。彼は今日のドラマでは芹沢鴨と並ぶ局長になったのだから武士、また は漢(おとこ)としてのより個性に溢れた何がしかの強さを求めたい。(2004年5月9日)
閑話:定年後の生活でのんびりしているせいかもしれないが、ごく少数の方の本 を除いて刺激を得ることが少なくなった。 無論、年を取ったということから興味がやや鈍磨しているのかもしれない。少 し傲慢な言い方かもしてないが、実際そうなのだ。さりとて最近好調な売れ行き を見せている20代の作家の方のものを読むのも何故か億劫なのだ。 それよりも、私と同じ年生まれの出久根さんの衒いのない正直な心境を綴った 新聞のコラムを読んだ後の方が何か親近感を覚える。 やはり、流行の言葉を使えば『熟年』の真っ盛りということになるが、定年 後、1カ月未満では、現役時代の緊張が少しばかし、緩んでいるのだろうまだ 『熟年』なのだときっぱり言い切って張り切るような心境になっていない。 でも定年退職の様々な手続きが終了し、年金生活が地に付いてきたら『俺は熟年を謳歌しているぜ』と言えるような活動的な日々を送りたいなーと思う今日このごろである。(2004年5月11日)
閑話:過日、勤め先の新聞社が定年退職に伴い、送付してきた離職票2通を持って所管の枚方にあるハローワークに行ってきた。 これまでは、会社に行かない分、少し大目にウォーキングをする程度で自然と鼓動を合わせ、「のんびり」と過ごしてきた。従ってオフスのある所に行って社 会活動をしたのは、これが初めてであった。 全部の事務届けが終了するまで約50分と思ったより、早めにできた。現役時代 はどちらかというとアグレシブで攻めの仕事であったが、今回は全くの受身。短 時間で一連の手続きが完了したのは幸いなことであったが、すべて受身、いわば手続きに伴う聞かれる立場に当然ながら軽い疲労感を覚えた。 手続きで会った職員の方で最初は必要事項を記入する受付の若い女性、次にベテラン男性で何々が有効との認定をしてもらった。次に2階の数箇所の窓口の一 つで若い女性の3人であった。最後の「父は木下さんより一つ年上・・・」というから年齢も想像できるが、テキパキと事務処理。途中、外部から電話の問い合わせが入る。私が持参した銀行口座か何かを移し取りながら、その質問に上手く対応していた。 ふと隣の窓口の恐らく30代半ばの男性職員の対応ぶりをみたがこれまた手際よい。 「なるほど、なるほど新聞社でもそうだ。取材でも編集の仕事でも中核になっているのは30代半の記者である」 私がこうして定年に伴う手続きのお相手をしてくれる若手職員の対応によって「軽い疲労感」にとどまったことに感謝するとともに改めて「定年退職」の実感 がさらに深まった一日であった。さてさて、これからどうすると今の段階ではこころの中で反芻している段階である。近況報告でした。(2004年5月14日)
ドラマ「新選組」R:すわ、乱闘か!八木家の長老、祖母が急逝、通夜が勇ら新 選組隊員によって取り仕切られている時、久坂玄瑞が勤皇の志士らを伴って弔問 に来た。 「近藤さん、何で我々の邪魔をするのですか」と久坂が言い放ったからである。 「場所をわきまえてください」と勇。 「あなたには、幕府を擁護する立場にない。我々長州人には200年前の関ヶ原以来の怨念があるが・・・。今の幕府にはこの国を守っていく力はない!」 (久坂=著者要約) 「なに言っているのだ。てめえらは俄か勤皇の志士にすぎん。単に天子さまを 担いでおのれ等の意思を通そうとしているだけではないか。おれみたいな水戸の もんとは違うのだ」(同) 鴨が噛み付いた。勇を挟んだ久坂との応酬だ。 この時期、欧米列強の趨勢が幕府を大きく揺さぶった。強力なリーダーシップ を要する危急な折であった。一般論で言えば、勇らは時代錯誤の世界に身を投じていたとも言える。合理的な時代感覚からすれば愚直な生き方であったかもしれない。百姓の出でありながら幕府を擁護するのだから・・・。 が、今回のドラマを見て改めて思ったものだ。新選組の隊士らは20代中心の若 者だが理屈(理念)の世界がどうあろうと将軍を守り、幕府を擁護するとことに 命を賭けた。 彼らの多くは数年間で命を燃やし尽くした。 この世は理屈を越えた『真実』があるのではないかと思う。その一つに情熱、人としての信念を傾けるという『真実』があり、それを貫いたのが新選組であると・・・。 この世は理屈の世界から眺めたら矛盾だらけだ。だか、不条理な世に一点(一 条)の光を見つけたらそれに全情熱を燃やし尽くす。それが勇らのみせる『真 実』な生きではないか。 赤穂浪士とともに新選組が今でも人気を落とさない理由がここにある。 なにも新選組のような勇士にならなくていい。ごく日常茶飯事のなかでもいい。 これだという『真実』を見つけたらそれを抱いて生きたいものだ。 今回のドラマでそんなことに頭をめぐらせた。 (2004年5月16日)
閑話:まぁ、40何年ぶりになるだろう。自転車に今日 (17日)、2回乗り、団地周 辺と団地内を回った。昼下がりはいつもの散歩コースを少し延長して乗り、夕刻 は団地内をおよそ半周した。 今しがた夕刻のライディングを終え、帰宅したところである。我が家から自転 車をひっぱりい出しで「よいさ!」と腰を乗せ、ハンドルを握り、団地道路を走 り始めると、団地の端までペダルを漕がなくても滑るように進む。拙宅からは緩 い下り坂になっているからである。高校時代に通学で1時半近く乗った。 当時、身に付けた運転感覚がいまだに残っていることを確かめられたのは、正 直嬉しかった。今年1月末の刊行した『交野探訪』でも私が自転車に乗ったとは 一語も出ていないのは当然である。散策、散歩、昼の散策、夜の散歩とばかし書 き込んでいる。 遠出の折はタクシーに乗ったとか、家内の運転する車に乗って・・・などの表 現ばかしである。 様々な知恵を貸してくださった郷土史家の和久田薫さんに影響を受けて買い込 んだ記憶があるが、今日が初めての試乗であった。 下りの時、散歩されているおばあさんが私の気持ちよさそうに乗っている姿を 見られて思わずにっこり。帰りは当然、上り坂であるから還暦の漢(おとこ)が 懸命に漕ぐのである。車の方が気を利かして軽く微笑みながらスピードを落とし てくださった。私の試乗のさまはざっとこんな具合ですが、一応、無難に漕ぎ 切って帰宅。 でも帰宅後、思わず、苦笑が込み上げてきた。 「散策、散歩、探訪」と繰り返した漢が自転車に乗るとは・・・。でも今日のと ころは私の場合、やはり歩く方がいいと言っておきたい 帰宅後、家族に話したらあの自転車は折り畳み式だから乗りにくいし危ないか ら止めた方がいいと言われもした。(2004年5月17日)
閑話:定年後は時間を自分のためにフルに活用できると思っていたところがなき にしもあらずだが、どうやらそれは間違いのような気がしてきた。いくら時間が あっても純度の高い1時間をいかに持つかではないかとさえ思う。まだ断定はで きないが、そのように思えてくるのだ。 生活のため、おのれをブラッシュアップするため与えられた仕事に全力投球す る。その後に得られた私的な時間を趣味に投じる。こんな時、初めて趣味に血が 通い、趣味も高度で良質なものになるのではないかと・・・。 私の場合で言えば、物を書くということもそのひとつであろうが、ほかにも少 年時代好きだった画に加え、書と合体したような世界を夢みているが、いまのと ころ書き物でも構想段階のものは数種あるが、まだ資料を収集するところまで いっていない。 つまり、急に自由な時間を与えられて戸惑い漠然と時間が過ぎていくのだ。こ れは急に苦労しないで金を手にして戸惑うことに等しいとも思えてくる。金を得 て豪遊したとかいう話をしばしば聞くが、これは一見、傍からみてそう思えるだ けで本人は本当に豪快にしかも心底遊んだといえるのだろうかと思える。 このように今内省しているところである。定年に伴う手続きもまだ若干残って いるものの、そんなものはついでにやればいいのであって無為に過ごすのはこの あたりで返上しよう。年齢に合わせそろり、そろりと新たなエネルギーを取り込 み、始動しようと思う。 そう、純度の高い時間を確保しつつ・・・。(2004年5月18日)
閑話:齋藤孝さんの本を最近、ふとめくっていたら「言語知」と「身体知」とい う表現があった。これまでの研鑽から生まれた氏ならではのものだと思った。 なるほどと、なうほどと、頷きながらその箇所を読んだ。 「戦後の教育は言語知が先行し、身体知がおろそかになった」(著者要約=木 下)。 全く同感である。以下私の見方を記す。 言語知といってもそれは、きれぎれの暗記である。国語しかり、歴史でもそう だ。このあたりのことは、以前、この欄でも書いた。氏流の表現でいうと息の短 い暗記であろう。息の長い暗記ならまだいい。例えば平家物語を全部とか、好き な語りのところ全部暗記するのは息の長い暗記で好ましいことと思う。 これを全部覚えていくと自然と物語のリズムが判り、筆者の息遣いまで嗅ぎ取 ることができるということだろう。 では木下さん好きな箇所をこれから復唱してみてください。 「ええ、あの箇所なのですが、ちょっと待ってください」と関連の本を取り出 して読まなければならないのが、実情だが、わりと上手く読めるという自信は多 少持っている。その程度だが、これは社会人になってかなり歳をとってから得た ものだ。 少年のころ記憶に残る暗記ものでは憲法の条文を社会の先生の指導で暗記した のと中学2年次、英語劇「ベニスの商人」で主役のシャイロックを演じたとき、 かなり多い会話の英語を覚えたことである。 模擬テストなどの勉強よりはるかに喜んで力をいれた記憶がある。残念ながら 双方とも忘れてしまったと言っていい。が、随分と長い息(呼吸)をしたものだ といまさらながら思うのだ。 高校受験には、全く効率の悪い勉強だが、今から思えばいい経験であった。年 は取ったが、けっして遅くはない「身体知」の訓練をしようと思う。 最後に私の独断でいうと、「言語知」と「身体知」が離れ離(ばなれ)になっ たことが問題であって双方不可分の形で存在すべきもと思う。簡単に言えば「身 体知」あってはじめて「言語知」が生きてくる関係とみてもいいだろう。(2004年 5月19日)
閑話:おう、こんなに自由に時間があってどうすればいいんじゃ、という嘆息か らそろそろ卒業しなくてはと思う。定年を大過なく迎えることを「ご卒業」とい うらしいがこのことばをここ2、3年、一種の違和感を持って聞いてきた。 で、当のご本人が「卒業」してみてこれは「卒業」ではなく一ヤマを越えただ けにすぎないなぁーと考え出した。 ある意味ではこれからの方が大切だともいえなくはない。 朝日新聞のOBで直木賞作家だった岡田さんが30年ほど前に「定年」を題にした 本をお出しになり、当時大きな話題を呼んだ記憶がある。 文言が正確には思い出せないが、確か「人はいずれ死ぬのであるが、定年はそ の前段階の死である」という意味のことだったように記憶している。当時は高度 成長時代だった。働いている人々すべてが輝いていたような感じがするそんな時 代だった。 60歳の岡田さんにすれば、いかに文才に殊のほか長けていても組織から放り出 される、いや離れるということは、かなりのショックを受けられたようだ。 私は、岡田さんほど問題意識が鋭くないからかもしれないが、「卒業」でもな く岡田さんが当時おっしゃった「本当の死(第2の死)のその前の死(第1の 死)」でもないような気がしている。 あくまでも希望的観測ではあるが、この欄でも最近触れたが、「赤ちゃん帰 り」であるのだから、私は蘇り(甦り)とみたい。そして私もそうありたいと今 思っているところである。 組織の中で得た経験というものは確かに財産ではあろうが、その半面、手垢の ついたような柵(しがらみ)は、神道でいう人形(ひとかた)でも作って流し去 りたいと正直思うのだ。誰でも誇らしげな体験とともに嫌な思い出、不条理に泣 いたこともあろう。 私は蘇りとみるのだから別の表現でいうと、出直しとも言えなくはない。 第一、私は自分で料理を作ったことがない、自分で衣服の買い物をしたことが ない、洗濯もない、ないないづくしなのだ。会社勤務以外のことはすべて家内任 せであったことにいまさら驚くのである。 簡単明瞭、つまり判りやすくいうと、こうしたことがらに向かい合っていくこ とが、身近な出直しであろうと思う。 早速、今日はバスに乗ってトレイニングウェアを買いに行ってきた。(2004年5月20日)
閑話:今、大相撲を観戦しながらキーを叩いている。今、ふと思い付いたことを 記す。 確か25年ほど前になるだろうか。もう忘れたが、職場仲間かそれとも社外の知 り合いだったかが言ったことを思い出したのだ。高度成長の最中で、私など自分 で言うのもなんだが原稿を書きまくったころである。簡単に言えば、我々の仕事 でもどちらかというと、質もさることながら量も要求されたような気がしないまでもない。 いうなればスピード、効率化が時代の要請だったとも言えたころだ。 「木下さん、相撲は仕切りが長くてかったるい」「押す、投げるだけで単純ですねー」 こんな話をよく耳にした。 私は当時、北の湖の大ファンだったからよく大相撲の中継を見て愉しんでいたか ら前述のような反応に(この人たちはてんで相撲が判ってないなぁー)と言葉を のみ込み、あえて反論は加えなかった。 相撲は国技である。日本文化や宗教(神道)など様々な要素がコンデンス(凝 縮)されているのだ。仕切りはなるほど長いが、これらは儀式である。様々な邪 気を祓い集中力を高める要素もある。呼び出しが対戦双方の力士の四股名(しこ な)を独特の節回しで呼び上げる。さらに行司の所作など・・・。前者は民謡の 節回しにどこか似ているところがあり、後者は宮司の所作と何か通底するものが あるような気がする。 今の時代、やはり仕切りのスローモーは意味がある。また呼吸、息の話になる が、長が〜〜い、長い息ほどいいのではないかと思う。以前、子規の歌と関連し て寺の梵鐘の波長の長さに思いを致そうと書いた。 大相撲の力士の仕切りの動作もそんな意味で眺めたらどうだろう。また闘う前 の力士の様子から力士の内面や調子の良し悪しもある程度測ることができることもあるのだ。 相撲の醍醐味を味わい、堪能できるよう改めて努めたい。(2004年5月20日)
ドラマ「新選組」S:勇がきっぱり言い切った。 「私は赤穂浪士が好きです。とりわけ大石蔵之助は・・・」(著者要約) 大きな目標を持って多くの隊士を束ねるという意味では共通項はあるが、双方の 違いもある。 蔵之助ら赤穂浪士の場合は主君の遺恨を晴らすとういごく身近な存在に対し、 行動を起こした。これに対して勇ら新選組は、大きな歴史のうねりのなかではち きれんばかしの若きエネルギー(情熱)を時代にぶつけた。以下、勇と対比するため蔵之 助といい赤穂浪士を省いて話を続ける。 蔵之助は幕府開闢(かいびゃく)約100年後とうい最も強固な体制下にある幕 府に物申す行動に出た。一方、勇は幕府が弱体化しつつあった江戸末期にそれを 擁護する立場のアクションである。 果たしてどちらの方に多く力(力量)を要したか・・・。読者の皆さんはどう 判断されますか。 人によって意見が異なっても当然でしょう。蔵之助に上げる方は浪々の末、悲 願を達成した蔵之助の武士としての美学を上げられるだろう。勇の方は己の信じる 道をまっしぐらに突き進んだ猛々しさと至誠のこころを上げられるかもしれない。 いずれにしろ双方とも日本史の中でも大和魂の美しさが凝縮された武士としてのビヘイビヤ(行動様式)とし刻印されるものであろう。 今回のドラマで勇に冒頭のような言葉を吐かした脚本家の歴史感覚は視聴者を ぐいと惹きつける効果があった。 (2004年5月23日)
閑話:昨日(2004年5月25日)2回目である。近隣(枚方市)のハローワーク詣でだ。 団地内のバスに乗り、交野市駅から電車に乗り換え、枚方市駅に。歩いてほぼ 10分。 定刻は2時。私は20分前に到着。もう20人以上の人が席に着いていた。私が席に座ってからこの日の該当者10人以上が入室してきたような気がする。 2時から4時半までビデオによる雇用保険受給の方法から始まって職員の方々に よるハローワーク(職業安定所)の役割などの説明がびっしり。 2時間半も席をたたずに座りっぱなしは、はてと考えて大学時代にも無かったのではと終わってから苦笑した。無論、現役時代の新聞社の仕事は別だが、これは能動的であるから除外していいだろう。黙って粛全と聴くのである・・・。 職員の方には悪いが「我慢、我慢」とこころの片隅で呟きながら、長時間を過ごした。 やはり、途中休憩時間を5分か10分取ったほうが個別な質問もできるし、ハ ローワークや職員の方とのコミュニケーションも増すのではないかとも思ったが・・・。 驚いたことにレクチャーの中で定年退職に伴い今日、お見えになった方は1人か2人です、と言われたことである。 おっ、と思って部屋の中を思わず見渡してみたらなるほど20代や30代の若者が多い。40代、50代とおぼしき男性も見かけたが少数である。いずれにしろ私が最年長である。 (おう、60歳まで勤めるのは、大変なことなのだなぁー)との思いを改めて噛 み締めたものだ。同時に30数年間の現役時代の様々な事柄がこころをとめどなく過ぎって仕方がなかった。(2004年5月26日)
閑話:「求心息即真」(ぐしんやむときすなわちしん)。 なんとなく書斎(リビング)で手に取った本に私が書き込んだ禅語である。こ れは清沢満之に関する本であった。恐らく難渋の末、7年掛かりで刊行した『如来が弁護してござる』の関連で読み込んだ時、おう、これだな、清沢先生が浄土真宗のお立場で言われたのは、この語彙と同じではないかと得心して記したものだと思う。 私の解釈で言い切ると意味は次のようになる。 「私は(人というものは)このような素晴らしい心境を得たいと『自力』でいくら努力しても無駄だ。そのような抽象的世界や知識の上でいくらあがいても徒労 に終わる。そうした行為を息(や)めたとき、直ちに真の大安心(だいあんじん)を得る」 自力無効、如来にすべて託し、如来の救済を念じてやまなかった近代の宗教的天才、満之師の真骨頂に私が感動し、これはこの禅語と同じ謂いだと当時、確信した記録だと同著の執筆当時を暫し思い出していた。 「求心息即真」「ぐしんやむときすなわちしん」「グシンヤムトキスナワチ・・・」 こころの中で幾度も反芻していた。今夜は久し振りに墨を磨ってこの禅語を大書してみよう。 満之師にお叱りを受けそうな怠惰に流れがちな定年生活に渇を入れるためにも・・・。(2004年5月28日)
ドラマ「新選組」21:「大死一番絶後に蘇る」「死中に活を得る」――。今回、 勇の演技を見終えてこんな言葉が一瞬、こころの中を過ぎった。 ようやく勇という勇ましくて逞しいイメージが鮮明になったような気がした。 「誠実」「純粋」「真摯」という性格に力強さ、漢(おとこ)らしさが加わ り、ときに歳三らの個性に圧倒されるような場面が、私にはありすぎたようなき らいを感じていた。 今回もその傾向が出ているなと思ってみていたが、ラストシーンで冒頭のよう な言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような演技をみてようやく期待していたよう な勇の片鱗をみたような思いがして納得したのだ。 小野川部屋の力士らと些細なことから、喧嘩が大きくなり、力士を殺傷し、一 触即発の事態を招く場面であった。 隊士らが躊躇(ちゅうちょ)するなか勇は率先して力士側に詫びを入れた。芹 沢鴨は、非は力士側にあると、知らん顔を決め込むのとは対照的でここでも鴨との 性格の違いだけでなく隊を率いるリーダーとしての資質が勇にありと明確になっ た。 なによりも、鴨らに殺された力士の弔いに親方の小野側を信用し、単身、出向 いたのはこれまでにない勇の力量を見せつけたシーンであった。 その後、小野川と勇の親交が深まったという後日談も興味深かった。(2004年5月30日)
閑話:定年後は気楽な家業ときたもんだ。「ときたもんだ・・・」といいたいところだが、そうはいかないのを改めて知りつつある。なかなか不規則勤務の習性 から抜き切れない。何とかしなくてはと思うのだが、体に染込んだものは容易に払拭でき切っていなのが現実ではある。 現役時代には思いもしなかった「暇(時間)がありすぎると、困るなぁー」と 苦笑することが多い。 体が疲れて少々むりだなぁーと思っても現役のころなら、えーい、仕事だから やらねばと、多少不安があっても突き進むのだが、年を取ったこともあるだろうが、分別がはたらきすぎて、慎重になりがちだ。ちょっとした冒険心というか蛮勇 がやや希薄になるということだ。 こうなると、私の持論でもある「分別以前の純粋経験」(簡単にいうとあれか これかと分別を巡らす以前に生き生きとした、しなやかな思いのままに行動する)ことができなくなりがちである。 でこれはいかんと、今、ちょうど2時間、交野の山麓沿いに歩いてきたところである。 「えんさのさぁーえんやーさのさぁー己の分別、消え去れやさぁー」など己を 叱咤する掛け声をこころに巡らせながら休憩なしで家まで歩き通しで帰ってきた。 シャワーを浴びたところで爽やかな気分に浸りながらキーを叩いている。緑の中を歩くことは、分別臭さを捨て去るだけでなく。自然が、そっと教えてく れることが多い。書物で頭を通して得たものよりは、ずっしりとこころに響き、 感得するものがある。当然理屈では誰でも判っていることだが・・・。 分別、人間知というものは使いようだが度が過ぎると、私の反省だけでなく、 社会全体にも影を落とす。ここでは、ことさらにとり上げないが、経済、政治、 社会の諸問題でも知恵あり過ぎて災い被るという面があるように思えて仕方がない。 NHKでいうなれば、近藤勇のような、至誠(真摯さ)とともに先日書いたよ うな「死中に活を求める」というような気概が今、個人はもとより、どんな世界 でも必要とされているような気がする。(2004年6月2日)
閑話:地元(交野、枚方)の書店3店に挨拶を兼ねて久方ぶりに電話を入れてみた。『交野探訪』のことについてである。 おおむね好意的なご返事であった。 多店舗書店の交野店の若い主任さんは「5月は30冊余が売れ、5月の当店では売り上げランキング4位でした。ロングセラーの一つですよ」と言われた。 刊行後、4カ月が過ぎたが、それでもロングセラーというのかと一瞬、思った が、早ければ、1週間ほどで店頭から消えるという以前聞いた話も思い出し、な るほどそうかと著者としての喜びもすぐ湧き起こった。 もう1店の店長にも「後、6冊しか残っていません・・・」といい返事をいただ いた。 いうまでもなく交野地域の方々に支持していただているおかげだ。感謝の気持ち を忘れてはなるまい。 英気を養って構想段階のものの準備に少しずつ取り掛かろうと思った。(2004年 6月2日)
ドラマ「新選組」22:今回は沖田総司に注目したい。隊士の中では最年少の筈だ。剣にかけては無類の強さを誇る。免許皆伝の腕前。勇を慕い、また歳三の後 押しもあって隊に入ったのだが、いつの間にか、鴨の後についていくようになっ た。 彼の勇と鴨の間で揺れるこころが、勇と鴨の魅力を浮き彫りにする材料を提供していると言えなくはない。鴨に惹かれていく理由の一つには、鴨がよしきにつけあしきにつけ総司を飲食などに誘ってくれることもあろう。 総司の青年らしい純粋さが鴨にも好意を抱かせたのだろう。鴨の豪胆とも無謀 ともとれる行為が初心(うぶ)な総司のこころをとらえた面もあるだろう。 だが、総司は明らかに新選組だけでなく会津藩の面目を潰すことになる商家に 金品を巻き上げるという焼き討ちに参加した。勇が反対するのを振り切ったのだ。総司も実際に焼き討ちの現場で戸惑いの表情をみせながら、槌を振るい、家の戸を打ち破る・・・。 一方、勇は前回、小野川との誼(よしみ)が深まり、壬生で小野川部屋の力士を招いて相撲興行をとりし切る。会津藩主、松平容保もお忍びで見物にくるなど興行はおおいに盛り上がり、勇の声望は一層高まる。 今回の事件が鴨の命取りになのだが、その事件に総司を巻き込ませた。私は歴史的事実を掴んでいないが、総司までを引っ張り込む鴨という人物の個性的な魅力を際立たせた。 総司は、下級武士ではあるが数少ない武士の出である。その出自がもしかしたら、鴨に随っていく要因になったのかもしれない。 先取りするが、沖田は、土方に随い、鴨暗殺の立役者になるだけに今後のドラマでどのように改心させるのか注目したい。(2004年6月6日)
閑話:春は冬の装いを捨てつつやってくる。夏は春の装いを捨てつつ、やってくる。秋も夏の装いを捨てつつ・・・。冬も無為のうちに秋の風情を少しずつ、いやいつの間にか消しながら姿を現す。これが自然の摂理だろう。 ところで知恵があるかのごとく言われている人間はかくのごとくいかないのが常である。過去の苦い体験もまた逆に輝くような栄光も捨て切れない。いや捨てにくい。つまり装いを新たにできないのだ。 ましてや己の時節(年齢)見据えられない。 自然が音も無く織り成す営みとは程遠い。が、人というものも実は自然の一部であるから当然、生老病死とあるように理(ことわり)もあるのだが、えてして勘違いする向きがある。 この欄でいく度か書いた記憶があるが最近、「元気はつらつ」(健康という意味もあるのだろうがここでは元気という表現に限る)ということばが流行っている。 「元の気」(臍下丹田に気集まる)という意味でそれはそれで結構なことである。 が、生老病死ということを忘却の彼方に追いやって老年組みも含めて「元気、元気、おい元気かよ!」なんて会話が飛び交い、ことばが上滑りに独り歩きしていないだろうか。 季節にふさわしい装いと「気(候)」があるようにそれらしいものが人にもある筈だが・・・。 少年には少年らしい「元気」があり、青年には青年らしい「元気」があり、中年、高年にもそれらしい、またそれにふさわしい「元気」があることを・・・。無論、老年にも同じようなことが言える。 こんなことは誰でも知悉していることであろう。が、年にふさわしくない「元気」を会話や態度で見せつけられるのには閉口するのである。 つい最近、30代(季節で言えば夏)かと思われるような口調で私より年上の人からこのようなことばをいただいたのには、思わず苦笑したのだ。私は60歳にふさわしい「元気」について思っていただけによけいだ。 春夏秋冬。シュンカシュウトウ・・・、生老病死、ショウロウビョウシ・・・。 とりわけ定年後の「元気」にまつわることは2、3カ月後には改めて書きたいと思っている。(2004年6月13日)
ドラマ「新選組」23:鴨健在なり?・・・。私にはこれだけが目立った今回のドラマであった。 それだけ勇の存在感がまたまた薄れた印象が否めない。 「もう芹沢はこの隊の運営には必要がない!」とかなり以前、土方が言い切った にもかかわらず、まだ鴨抜きにはこのドラマは魅力の薄いように思えるのはいか がなものかと思った。 あれだけ、会津藩や勇らの「誠」の面目を汚すような行為をしでかした鴨では あった。今回は鴨の力量をまた見せつけた。 長州と対峙するため、会津藩からしかとした命がないまま、「いけ!出陣だ」 と号令を掛けたのは鴨であった。勇はすごすごと後に随っていく。 会津藩の命を忠実に守る真摯で誠実な漢(おとこ)勇でそれはそれでいい。しかし、あまり資格定規な「武士」を描き続けると、上役や上部組織には礼儀と履 き違えたいつもぺこぺこのサラリーマン社会や今の社会の縮図を見せつけられる ような気がしてドラマとしての面白さが半減する。 話しは変わるが、今ようやく、景気は上向いてきているようだ。 個人によって判断はまちまちだろうが、これが一連の構造改革や各企業の努力だ としてもこれまで10年余の深刻な停滞、閉塞感を感じ続けさせられた元凶はどこ にあるのだろうか。 様々な要因が複層的に重なりあっていることは確かだ。が、お上や上役の言う ことはいつも「ヘイ、へイ」と従い続けてきた極めて日本的な悪しき風土の一面 の結果が今の世と今後の社会に大きな「つけ」と「課題」を残したとのだという 人があってもこれを全面的に否定はできない筈だ。 ならばドラマだけでも勇にもう少し鴨とは違った魅力を与えてほしい気がした。 勇の振る舞いで土方を落胆させる場面はもう要らないのではなかろうか。また沖 田も今回も初心(うぶ)な青年としか描いていないのも前回指摘したように不満 を覚えた。 ここらで勇を先頭にして隊を一段と活力のある存在に仕立てないと、これから 修羅場に突入していく場面を想定する限り、修羅場に巻き込まれ埋もれた存在になりかねないし、視聴者のこころをとらえないのではないかと危惧さへ覚える。 史実に沿いつつもイマジネーションをぐんと膨らませる必要性を感じた。ドラ マの始まりのころの活気と熱気を茶の間に運んでもらいたいものだ。(2004年6月13日)
ドラマ「新選組」24:今回は、独断ではあるがこうしたら良かったのにという希望を述べる。 坂本竜馬が祇園で芸子に囲まれながら時代の荒波を愉しむかのように、またその乱気流に対して超然としたそぶりで腹踊りに興じていた。そこに勇も居合わせ 仲間に加わった。土方らの鴨一派の粛清の動きに深刻な表情を見せる勇と対照的 な竜馬。 「腹に描いている続きを書いてくれたまえ」(著者要約)と竜馬は自分で描い ていた筆を渡した。勇は何とか竜馬の続きを書き終えた。 今回、私が言いたい場面はここである。 この場合、勇は彼の好んだ「髑髏(どくろ)」の絵を添え書きするか、竜馬の書 き残した絵を無視して「髑髏」の絵に仕立て上げ、勇の意志(こころの内面)を もっと強固に打ち出した方が場面を見応えのあるものに一転させるばかりか勇を 引き立たせたであろう。 すでに4、5回はこの欄で書いたと思うが、主役はなんと言っても勇。この場面 でも勇にそうした脚色、演技の工夫があった筈だ。 それに「我々のやっていることは・・・。坂本さんは偉い」(著者要約)のよ うなことばを勇に吐かすべきではないと思うのだが・・・。そういう見方もあろ うがそれは引っ込めて髑髏の絵と絡めて私ならこう勇に言わす 「坂本さんのお考えはご立派だとは察しますが、私のこころは将軍様をお守り 致すため、死を賭しております。命は惜しくありません。髑髏のまま生きており ます。坂本さん」 「おう、髑髏ねえー。判らんでもないが、命は大切にせにゃならぬけに!」と 竜馬に私なら言わす。 その竜馬も薩長同盟に大きな働きをしたが、竜馬も歴史の悪戯(いたずら)か 明治維新を見ることなく命を落としている。竜馬にも長所もあれば欠点もある。 ドラマのように一般的な竜馬の評価を勇に語らせたら彼の生き方がよけい不鮮明 になるばかりである。竜馬は竜馬。勇は勇に生き方、定めがあるのだから。 因みに髑髏といえば戦国の世を行き抜いた禅僧、一休宗純も髑髏を愛したと伝 えられる。私がこれまでのドラマの中で見落としたのかもしれないが、一休の死 生観を端的に表した髑髏と勇の髑髏を関付けた場面があれば勇の凄さも一段と増 し、視聴者を惹きつけるに違いない。 さらに希望を述べると、勇の青年期に比べ彼の表情に漢(おとこ)らしい喜怒 哀楽があまり出ていないような気がする。勇はお殿様ではないのだから気になる ところである。 土方らの鴨一派一掃作戦に対しても芸者を前に鬱屈した表情を見せても面白く ない。芸者に慰められるようでは私の「勇像」からすればやや度惑いを感じて仕 方がないのである。 もっと勇に魅力を持たせてもらいたいものだ。(2004年6月20日)
閑話:昨夜(2004年6月20日)家内と一緒に隣の団地まで散策した。ものの20分 ぐらい。30人近くが、団扇などを手に集まっているのが暗闇の中に次第に判っ た。 蛍が飛び交うという話を聞き付け出掛けたのだ。 「蛍があそこ。ここにも!5匹は見つけたよ」という幼い子らの歓声が聞こえた。 確かにせせらぎを覆っているのであろう木々の間に2、3匹を私も見た。私も安堵感を覚えたが、同時にある種の悲哀感も一瞬こころをかすめた。 そう私の郷里、岡山の田舎で見た蛍のきらきらとした光景を思い出したから だ。それはもう夜空に瞬く星、星、星、無数の星が川沿い畑に舞い降りたかのよ うな蛍の乱舞だった。私の小学低学年のころだから昭和20年代から30、31年ごろ ではなかったか。 一瞬、私は思わず立ち尽くし、言いしれぬ感動に浸っていた記憶がある。この ことは『交野探訪』にも書いている。 (嗚呼!時代の変化だなぁー、でもここの団地や近隣の私どもの住む団地の 人々のこころのオアシスがあるのだから幸せというほかはないだろう)とこころ の中で反芻(はんすう)していた。 大都市に住む方々は、このささやかな蛍の光にも接することは蛍観光ツアーにでも出掛けない限り不可能だ。 私は蛍恋しと、集まった方々とひと時の喜びを共有したことを嬉しく思い直していた。(2004年6月21日)
閑話:大型の台風6号が予想通り、近畿地方に再び上陸。今、6月21日の昼過ぎ、 我が家の外は風速を早めた風が雨とともに音を立てている。 枚方市内の勤務先に出掛ける必要のある家内と交野市内の歯医者さんに予約を 取っている私は近隣を走るバスが動いているかどうか確かめるため、慌ててHPを 開いてみた。 メールでの問い合わせはできるが、一瞬の内には地域の電話番号は見つからなかった。こんな緊急時には対応不能だ。結局、以前控えていた電話で確認した。 中々通じなかったが、それでも運良く家内は情報を仕入れた。 「動いているらしいわ」 と家内は安堵の声を出しながら団地内のバス停まで雨の中、急いで出掛けた。 HPには電話番号も記す必要があると感じたのは今回だけではない。別の件で不便 を感じたことがある。 自治体は住民サービスが欠かせないから、これまで私が必要を感じて開いた限 りでは問い合わせの連絡先が書かれていたので安心した。 メールを上手く操作できない高年齢者などは電話での問い合わせの方がいいの に決まっている。やはり肉声のやり取りは欠かせない。何故か安心するのである。 大体、人の声である程度年齢や相手の感情や相手の性格まで理解できるからや はり肉声の届く電話は、情報社会なるが故に逆に不可欠になっていると思う。 要は双方を上手く使い分けられるような習慣づくりが今必要ではないか。ネッ ト社会が招いたとしか思えない弊害も到るところに現れている。大人から子供まで巻き込んで・・・。 肉声の復活とともに必要なのは、鉛筆やペン、筆を持って書くことだろう。 ワープロ打ちの年賀状やはがきは、私にすれば、もらわないよりましだが、自筆の手紙と比べると、親近感が薄いのは否めない。 便利さに慣れてしまうと、人としての感性が鈍化してしまう恐れさえ覚えるのだが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。(2004年6月21日)
閑話:かなり以前この欄で書いた記憶があるが、朝日の0B作家、岡田誠三さんのことである。 私は確か氏が定年された年に同級生の息子さんに伴われてお会いしたことがあ る。いまさらながら氏の慧眼に瞠目する。暫くして「定年は第一の死である」と いう趣旨を述べられたご本を世に出された。 これは終身雇用が確実に存在した時代であったころだ。 今から思えば、お会いした時は、淡々とした表情ながらその奥に戸惑いと苦悩を隠されていたのではないかという気がする。 前回、岡田さんに対し、思慮不足からやや批判的な言辞を弄したことを正直反 省している。やはり、何でもいいから働くこと(この場合、趣味に生きることも 含む)が大切であるのではないかとの思いを深くしている。 体が許す限り、働いていくというのが、この世の真実の一面を言い表している のではないかと思うにようになった。収入など問題にしないのはいうまでもない。その意味では昔のお百姓はいい。自然を相手に生涯労働ができたからである。今は採算が取れないとう現実をよく耳にするから現実は厳しい・・・。 が、それはともかくとして定年退職者中には貸し農園などで野菜作りに励んで おられるとの話しを聞くことが多いのはいいことだと思う。 バブル崩壊後、大手企業などがリストラを慣行、または倒産のやむなきに至 り、多くの失業者を巷に放り出した。 いわば時代は変わり、終身雇用制度の放擲である。 定年になってから、リストラされた彼らの心情が一層よく理解できる。老後のあ れこれを心配するよりもさらに抱える問題は大きいと思う。 ともかく老年期の生活保障の源になる「年金問題」が今、参院選を前に与野党 攻防の焦点になっているが、同時に「働く意志」のある高齢者に場を提供する機 会を一層、拡大していくことの意味もより深い次元でとらえ直す必要がある。 例えば若者にない高齢者の持つ「労働価値」の見直しなども含めで真摯に論議 してほしいと思うのだ。無論、高齢者自らの意識改革も求められるのはいうまで もない。 少子高齢化時代の本格到来に合わせて新たな視座を加えていく必要があるようだ。(2004年6月22日)
ドラマ「新選組」25:「近藤、鬼になれ、俺を殺してな・・・」(著者要約) これだけ漢(おとこ)としての熱くて深い友情があろうか。鴨が勇に見せた初 めての言葉。 (む、芹沢さんが・・・。この私に鬼になれと・・・、鬼、鬼、鬼、鬼、む、 芹沢さんは、私の性格を見抜かれている。長所も欠点も。このご仁は、凄い面をお持ちだ。おう、そうだ!私は鬼になる!)と反芻しながら勇にはこころの底から幾重にも感動の渦が湧いてきたのではないか。 私は勇の表情を見ながらそのように思えてきた。 「うむ、良い名前だ。新選組か・・・」(同) 勇が松平容保から壬生浪士隊に変わる名前として拝命したものだった。勇を励ますように賛意を表す鴨。もう己が土方らの策謀によって殺戮されること は、覚悟していた鴨だ。 鴨暗殺の動きに対する苦渋のこころが頭脳の中で広がる勇。しかし、さらにその奥から鴨に向けた感涙が溢れているような気がして、今回のドラマでは思わず引き込まれたシーンであった。 「近藤さん、頑張るのだな!」(同) 初めてこころのこもった声で「近藤さん」と呼ばれた。勇は震えるような喜びを感じた筈だ。そのあたりの演技は見事であった。その後、予想通りの展開で土方、沖田らによって鴨は、派手な立ち回りの中で暗殺される。筆頭局長、鴨にふさわしい最後。 今回のドラマを深みのあるものにしたのは、この殺し合いの場面もさることながら冒頭の勇に向けて発した鴨のことばではなかったかと私は思った。 勇は鴨によって今後の修羅場を生き抜く勇猛心を教えられたのではないかとの思いがした。 これまでの勇から大きく飛翔する予兆が感じられてきたし、おおいに期待したいところだ。 前回書いたような、いつも「死」を抱いきながら生きていた「一休宗純」の髑髏のように、また若いながらも力強くてさらに深みのある勇らの勇姿をドラマで見せてほしい。きっと勇が愛した髑髏も光彩を放つに違いない。 誠実で真摯な勇が本当に鬼になった演技みせれば、視聴者も勇気付けられるに違いない。景気は明るさを取り戻しつつあるようだが、まだまだ社会全体に元気がない。 そう、高度成長とは一味違った成熟した「元気」「活力」が求められていると思うのだが・・・。 ともかく青少年から老年を含めて日々の勉強や仕事、日々の営みなど生活全般 に響きわたるような感動と勇気を与えてもらいたいものだ。(2004年6月27日)
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