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如来が弁護してござる・・・

 

 

お報せ1=足掛け7年を費やした小説を9月1日に刊行します。ま、年月だけみれば、む、む・・・・・木下はんも、ようやるなぁー、とあきれる方もいらっしゃるだろう。 でも新聞社に勤務しながらのことだから、実質は、その半分とみた方が正確だろう。

 が、これまで世に出した本の中では、最も苦労し、汗を流した著作であることは事実です。主人公が、全盲で異色の高僧、暁烏敏師だということもある。それも明治の親鸞と言われた稀有の天才僧、清沢満之師の一番弟子であるからだった。

 この人を書こう と決めて、.石川県松任市の明達寺を訪れてから、直ぐに取り寄せたのだ。 親鸞を書いた丹羽文雄さんの序文が小ぶりな冊子に添えられていた。

 丹羽さんは、実際に敏師にお会いになられた亀井勝一郎さんから、敏師のことをよく聞かれたそうで、いつかは、敏師の師、満之師や敏師などについて書いてみたいなどどの抱負も書かれていたようだ。

 ようだというのは、今、このキーを叩きながらその冊子がはてどこにいったや らと探したのだが、見当たらないからだ。丹羽さんは、敏師のことを詩ごころのある方とも述べられておられたような記憶がある。

 実際、高浜虚子らとの親交も深く、光演法主(句仏)とも句作を通じて親しかった。 全集のあちこちで詩・句が登場するが、それが、この全集を読みやすく、また親しみやすくしているような気がした。

 ともかくこころの内を正直に独白し、かつ物申し、行動する東本願寺大谷派の異色の僧、しかも晩年は、全盲になり、請われて、重責、宗務総長に就任し、悪化していた財政を見事1年で立て直した傑物だから、この巨人の全貌を手探りするのには大変苦労した。

 また女性に慕われる僧であるからよけいに描くのに苦心したことも事実だ。 司馬遼太郎さんが、碩学中の碩学だと敏師を評した本にも目を通した。さらに司馬さんは、敏師の師、満之師にも好意と大きな評価を与えておられる。

 だが、私なりに敏師を理解しないと書けない。4、5度ぐらい手直しをしてから筆が止まった。

 ある賞に応募してはいががか、と原稿を読まれた有力出版社の編集者の方が おっしゃったので少しは脈があるのかとも思ったが、様々な理由が重なったとみられ社内選考の段階で落選した。

 筆が止まったのは、この賞に応募した後だったような気がするのだが既に朧だ。昨秋ごろふと筆が走り出した、ストーリー、もしくは流れは、ほぼ同じだが、筆ペンで文体を少し変え、一気に書き直した。ほぼ3分の2近くも。 やや文が滑らかになったような気がした。

 タイトルも応募の際に付けた題名から、新たに自然と浮かんできた。『如来が弁護してござるーー暁烏敏「小説」ー満之・涙骨』となった。準主人公は、敏師の師、満之師真渓涙骨翁。翁は、敏師の良き先輩であり、親友である。宗教を中心に据えた全国紙、中外日報社の創業者でもあった。

 最近の編集者の中には、よほど高名な作家か碩学でないと筆ペンなどによる走り書きや私のような挿入の多い文章は、読まない傾向があることをこの間にそれとなく知ったような気がしないまでもない。

 この小説を世に出すことができたのは新興出版社の優秀な編集者のAさんからこの小説 を理解され、適切なアドバイスに加え、私の注文にも臨機応変に対処していただけたからにほかならない。

 本日は、私のウェブサイトを見ていただいている諸兄に向けたお報せにとどめる。

 刊行から少なくとも半年は、読者の方々のご意見を参考にしながら、この小説で割愛したものなどを綴って参りたいと思いますので今からよろしくお願い申し上げます。出版社=文芸社、定価は1000円+税)。

 

お報せ2=9月1日付で拙著『如来が弁護してござるーー暁烏敏「小説」満之・涙 骨』が刊行、発売されるのに合わせ、この小説にまつわる書き切れなかったことや思い出の数々、勉強になったことなどを織り込みながら『如来が弁護してござ る』・・「余滴」を綴ってまいりたい。その時に感じたことを率直に述べていけたら幸と存知ます。

  余滴2:私はなにを思ったかのか、いわばこころのうちからふつふつと湧きあがる衝動のまま、京都駅経由で石川県まで1日1泊の予定で汽車に乗り込み、松任市に着くと一目散に明達寺にタクシーを走らせたのだった。

 私は浄土真宗東本願寺の末寺、明達寺に取材ではあるが一体何を聞けばいいのか判然としないまま昼下がりに明達寺に向かったのだった。

 だからこの段階ではまだ暁烏敏師の小説を書こうという確固たる自信はなかったが、先のノンフィクションの本で暁烏敏師の世界に迫る小説を書くと断言したいきさつもあり、それを実現しようとの思いも私のこころの底に横たわってたということだけは事実である。

 この小説が出来上がるまでのことが、今、私の脳裏には様々に去来する。 暁烏宣子さん・・・。親戚筋に当たる敏師が決め た養女である。暁烏哲夫、宣子さんの夫。哲夫さんは満之師の孫である。

 私が寺をお訪ねしたときは、坊守の奥さんからいろいろ説明を受け、庭を歩き、蝋扇堂に参った。途中に母の恩愛に感謝する「十億の人に母あらんも我が母にまさる母ありなんや」の句碑の前に立ち止まって感慨をもって眺めた。この時、哲 夫さんにご挨拶したような記憶があるが、定かでない。

 が、哲夫さんの箴言、歌などを記した冊子をいただいた。自宅に戻ってから、 奥様からお聞きした敏師の秘書の一人野本永久さんの「暁烏敏傳」をかねて 親交を得ていた元大谷大学学長寺川俊昭先生にお借りし、また敏師がつくられ た出版社、涼風学舎から「暁烏敏全集」27巻を買い込んだ。

 それから半年ほど両方を読み込もうと途方もない試みを始めた。その一方で宣子 さんに自宅から電話取材を始めた。

 宣子さんは、私に優しかった。「木下さん、わたくし、先年軽い脳梗塞を患いましてね。少し、お聴き辛いこともありましょうが・・・」と言われつつもどう してどうして名刹、明達寺を長年切り盛りされてこられただけにお話は分かり やすくかつ説得力があった。

  こうして私なりの方法でおぼろげながら、敏師の姿が私の眼前に浮かぶような気がしてきたのは、取材から1年近くたってからだろうか。また明達寺に取材に出かける前に満之師や、敏師の本を多少読んでいたことが、役立ったようだ。

 

如来が弁護してござる・・・余滴1:お、清沢満之師にそっくりだ。む、よく似ているーーと、2、3度覗き 込むようにして見入ったのは、今から8年前のことだ。石川県松任市の明達寺を 取材のため訪れた時、坊守の奥さんと一緒に出て来た坊やである。4、5歳ではなかったか。やんちゃで明るい少年であった。

 もう中学生になっている筈だ。満之師から数えて5代目になろう。この小説ができ上がるまでのことが、今、私の脳裏には様々なことが去来する。

 暁烏宣子さん・・・。親戚筋に当たる敏師が決めた養女である暁烏哲夫さん、 宣子さんの夫。満之師の孫である。私が寺をお訪ねした時は、坊守の奥さんからいろいろ説明を受け、庭を歩き、蝋扇堂に参った

。途中に母の恩愛に感謝する 「十億の人に母あらんも我が母にまさる母ありなんや」の句碑を暫し立ち止まって感慨をもって眺めた。

 この時、哲夫さんにご挨拶したような記憶があるが、定かでない。 が、哲夫さんの箴言、歌などを記した冊子をいただいた。自宅に戻ってから、奥 さんからお聞きした敏師の秘書の一人、野本永久さんの「暁烏敏傳」をかねて親交を得ていた元大谷大学学長寺川俊昭先生にお借りした。

 また敏師がつくられた出版社、涼風学舎から「暁烏敏全集」27巻を買い込ん だ。それから半年ほど両方を読み込もうと途方もない試みを始めた。その一方で宣子さんに自宅から電話取材を始めた。

 宣子さんは、私に優しかった。「木下さん、わたくし、先年軽い脳梗塞を患いましてね。少し、お聴き辛いこともありましょうが・・・」と言われつつもどう してどうして名刹、明達寺を長年切り盛りされてこられただけにお話は分かり やすい、説得力があった。

 こうした私なりの方法でおぼろげながら、敏師の姿が 私の眼前に浮かぶような気がしてきたのは、取材から1年近く経ってからだろうか。

 また明達寺に取材の出掛ける前に満之師や、敏師の本を多少読んでいたことが、役立ったようだ。

余滴2宣子さんから14、5回取材した記憶がある。敏師を理解する上で大きな助 けとなったことはいうまでもない。暁烏照夫住職にもお聞きした。蝋扇堂の大きさは・・・などである。

 肉親に直に話が聞けるのは、人柄を想像でき、描く上で有り難いことこの上な い。書物などを通じて理論的に描く以前の敏師の実像に思いを巡らせることが可能になるような気がする。

 宣子さんの語り口調から、敏師は肉親にも尊敬 され、愛されていらしゃるのだなぁーと思った。

 そのイメージを師に投影すれば、書き手の私にとれば、師の一面が見えてく る。また師の友人の真渓涙骨翁の箴言集は、大きな助けになった。まるで二人で 話し合ったかのようなことが、翁の箴言集(人生語録)の中に出てくるのだ。

余滴3:例えば、このような言葉が語録の中に記載されている。

 涙骨翁は語る。

 「地上の真実は悉く「為」付の人間によって踏みにじられている。国家の為、社会の為、世の為、人の為、親の為、家の為、皆な自他を詐わる声だ。正義、博愛、人道、みな「為屋」が使い古したドス黒い古看板だ。

 この「為屋」の為使用 のために古往古来幾多の国家、社会が殺されたであろうか。思うだにゾッとする 叫びだ」

 そこで読者のみなさん、小説「如来が弁護してござる・・・」の49Pから50 をごらんになってください。敏師が同じようなことを獅子吼しておるではありませんか。

 これは、2人の交友関係が深いだけでなくお互いの語り合い、または書簡で意見を交換していることの証左ではなかろうか。

 思うに今も涙骨翁の箴言は、生きているのだ。目先の利益のみ考えての企業行動、または企業理念がどうしても社会通念から見て不合理、間違っているとみても、自分の自己保身や企業保身のためにほったらかしにした。

 結果、ここ10余年のバブル崩壊後の間に有名、無名を問わず、企業自体を消滅に追い込んだり、やむなく企業再建に取り組んだりすること数多だ。

 私は思うのだ。 この国、社会、地域、会社、職場、家庭を愛するのは、当然のことであろう。

 敏師 や涙骨翁が言われ、警鐘を発せられておるのは、「為屋」が扇情する何々主義や思考にそのまま迎合するのではなく己がどうする、どう生きる、企業や社会や親を子をどう 愛するかを己が眼を大きく開きかつ思索、勇気をもって行動、また、日々研鑽せよということにある。

 やや話が進みすぎたが、涙骨翁が敏師に語り掛けている言葉だなぁーとか、こ の言葉は敏師の行動の中から、翁が学んだものに違いないと思え興味と関心を寄 せながら、小説を書き進めたものだ。

 

余滴4小説の参考文献に林暁宇さん著の「三味線婆ちゃん」を上げた。

 この本では、この婆ちゃんが、三味線一本で働いて得たお金を惜しげもなく本 山に寄付し、敏宗務総長を感涙させた。林さんは、その辺りのことを見事に活写 されていてこの婆ちゃんの目を通して敏師の晩年の姿を想像することができたのは、幸であった。

 「ビンビン シャンシャン 声張り上げて 唄うまんまがお他力や どこで死 のうと倒れようと そこがそのまま お浄土や」。三味線婆ちゃんの唄のひとつ である。

 林さんのもうひとつの本を紹介しよう。「念仏総長 暁烏敏」− 一に信心  二にも信心」である。この本によると、亀井勝一郎さんが、敏師に逢ったことは 先に触れたが、国民作家の吉川英治さんも敏の総長時代に対談しているのだ。

 「やはりこころの眼があいているというものは偉い力のものである。文壇人には失明者はひとりもいないが、盲目の人以上に暗い感じのする人はたくさんいる。賢しげなることを文章には書いていても、御本人の心の眼はあいていない証拠といえよう」と吉川さんが敏師の思い出を語っていると林さんは紹介している。

余滴5:私が仏教らしい思惟をしたのは、清沢満之師の言葉に接してからと言っ ていいだろう。 「如来の仕事を盗むが故に苦悶はなれざるなり」。 師が恐らく弟子の若者を前にして語ったのだろう、師の語録の中に記されている。

 私が41、2歳のころ、今から17、18年ほど前のころである。当時、なるほど なぁーと、師の卓見に敬服したものだが、今、ふとこの言葉を思い出してみてつ らつら思うに、この言葉は広くかつ深いと改めて感服するのだ。まさしく絶対他力の極地、いや神髄を語り尽くしているのではないかと、思う。

 だが、もう1年半ほどで還暦を迎えようとしている今でも頭では納得していても実際となると、この言葉の伝えるところを実践できないままだ。所詮、未熟なのだ。

 満之師は、30代でこの言葉通りの境地に達しておられるのだから、天才である。情熱の人、敏師が心底慕い敬うのも分かるような気がするのだ。

 また90代で大谷大学の学長をされた曽我量深師が 90歳という晩年になって満之師の偉さを表白してやまなかったことをみても満之師は、卓越して偉いのである。私ごときからすれば、想像もつかないほどの偉人としか思えない。

余滴 6宣子さんからの取材を終え、敏師関連の書物や資料などに一応目を通した結果、何とか敏師の姿が見え出したので書き始めた・・・。 9割方初稿を書き 終えたころ、明達寺の照夫住職から知らせが届いた。

 宣子さんがお亡くなりになったという悲報であった。確か 6月に入ってすぐだと記憶している。と、いうのは、6月 6日は満之師の祥月命日に当たるため毎年同寺で開かれている「蝋扇忌」(蝋扇は満之師の雅号)にお礼を兼ねて出席することにしていたからだ。

 「母が逝去しましたのでここ当分、寺が忙しくなりますので来寺 の件は、折角でしたが、お持て成しできない事情と相成りました」という趣旨で あった。

 人世の無常になすすべがなかった。

 すぐ葬儀に間に合うように弔電を打った。 蝋扇忌の様子を小説に書き込もうと思っていたからだ。

 忌では全国の満之師ファンが参集し、「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して、任運に法爾に、此現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり・・・」とい う満之師の絶対他力の大道を唱和するなどの儀式が執り行われるという。

 私は、 改めて蝋扇堂などに参り、敏師と満之師の雰囲気を嗅ぎ取り、小説を見直す絶好の機会と思っていたのだ。

余滴 7:敏師は、大変話し方、つまり、話術が上手かった。上手いといっても学者がノートを見ながら訥々と学生に伝えるのと好対照という意味においてである。

 聴衆の反応を見てその場で話をする内容を微妙に変えたり、語り方のアングルを臨機応変に変えていくなどの才能を持っていた。これは師に関する書物や資料を見ればすぐに判ることである。

 敏師の語りには天性のものがあったようだが、その天性に一時(いっとき)翳り が見えた。

 それは小説でも触れたが、友人で後に大谷大学の学長になる佐々木月樵師の妹、妻、房子が病床に伏していてその看護に当たっていた若い女性と関係した時、中外日報の社主、真渓涙骨に中外日報紙上で厳しく批判されたときである。

 これにより満之師創刊の「精神界」の責任者の地位からも退いた前後だと、私は思うのだ。恐らくこの敏師にしても誰にも語り掛けたくないし、またこの噂を聞いた門徒の皆さんからの講演依頼も極端に減った筈である。

 悶々とした日々が果てしなく続くような気がしたり、この間は、先々の僧としての生き方すらも見失っていたりしたと想像する。

 持ち前の情熱も萎え、後妻の総や母、千代野に対しても元気なく弱々しい言葉 を吐いていたと想像するに難くない。

 満之師は弟子を呼んででよく議論を戦わした。師は卓越した論を展開、誰ひとりとして論破できなかったという。ただひとり、若き日の敏師が喰らいついた。

 夜遅くまで延々と続いたこともしばしばだった。

 結論は、いつも満之師に師 が打ち負かされ、負けん気の敏師は、暗澹たる気持ちになった筈だ。話術の才に恵まれた敏師にしてこうなのだ。

余滴 8こんなことがあった。晩年になってもこのことだけは敏師の心に鮮明に 焼き付いて離れなかった。

 満之師の発言を「精神界」で読んだ母校の東京帝国大学の総長だった加藤弘之先生が もう少し詳しくお聞きしたいとの書簡を満之師に寄せた。

 避け得られない用事があったのだろう、満之師は「私の代わりに弟子の暁烏敏という若者をそちらにお伺いさせます。なおこの若者が説明することは、私が申し上げていると思ってく ださい」との伝言を添えた。

 尊敬してやまない師にこのように紹介されると、 20代の若者だった敏師にすれば踊り上がらんばかりに心が喜びに震え、小躍りして加藤先生宅に行ったに違いない。

 小説に取り上げた「心ひたすらに」(紀野一義著)によると、加藤先生の返礼書簡には、敏師について「談論は中々盛んなれど、頓と其要領を得ず」と謝礼の末尾に印象を記されていたという話だ。

 若き日の敏師の血気盛んな様子が目に浮かぶようだ。因みに加藤先生が説明を求めたのは同誌に掲載された満之師の論術「倫理以上の安慰」であった。

余滴 9満之がせめて 50代まで生きていたら、という人が多い。と、いっても仏教に造詣のある識者の中ではあるが・・・。

 それはどのような意味で言われているのかと、思ったことがある。

 師の天才的とでもいう仏教の深みに達した漢が生き ておれば、次第に戦時色の色が濃くなりゆく時代に識者としてどういう発言をし、また行動しただろうかという関心があるのではないかと思う。

 こうした認識とも関連するが、あの革新運動の頓挫、挫折の体験を踏まえ、浄土真宗をどのようにリードしただろうかとの期待もあろう。

 また敏師、曽我師など後進の人材にどのような影響を与えただろうかとの興味も持つのだ。若くして往った満之師だが、それだけ稀に見る逸材だったということである。

 ここで私見を述べると、満之亡き後は敏師の功績を第一と私はみたい。それについては、小説を味わっていただければ十分お判りいただけると思う。

 学問の方では、やはり大谷大学学長を 90代という晩年に務めた曽我師であろう。また金子大栄師など満之師の足跡を辿りつつ、独自の世界を切り開いた人材 は多士済々である。

 満之師の意志と高貴な精神は今なお生きていると私は、そう 考えたい。

 もし勢いに陰りあると認識される関係者がおられれば満之師往きて100年、天才、 満之師の生き方を心して検証し、今に生きる師のスピリットを、宗教の高みを、改めて想い、心新たにしていただきたいものだ。

 ついでに言えばの曽我師、念仏の敏師についても学んでいただきたい。

余滴 10「如来が弁護してござる」に何故なったのかというとーー。あの人は、 賢い、よい意見、見識、卓見、または仏教に造詣が深い、またあの人の仏教には 深みと慈悲に溢れているとか様々な人が想い、表現する。

 が、果たして実際は、どうか。どんな偉人といわれる方でも人であるかぎり人 世の人の判断は、評価する人の立場、時代背景などにより極めて恣意的、限定的 評価になるといっていい。

 それはそれで致し方のないことでそれで善いのかもしれない。が、その人物の本当の評価は独り、大いなる命、如来という存在、表現を変えれば、人智を超えた存在の評価のみが正鵠を得ているとしかいいようがないのである。

 この小説の主人公の敏師についても、書き行く内、こんな凄いところがある半面、ここのところは、師の欠点だが、それが人間的なところがあって面白いなぁ ーと想えるところが、多々あったのである。

 満之師に至っては、史料が乏しいところもあるが、中々欠点らしいところが、凡庸な私には見つからなかった。が、禁欲主義の姿勢を晩年強められていかれるのは、何故なのか未だに判らない点である。

 これも、私の限定的表現となるが、病故にさらに宗教世界の高みに昇られたのではとも想い、また晩年の満之師は、釈迦のような生き方を目指されておられたのかとも想ったりした。

 しかし、その辺りの正しい判断は、如来だけが、知るところだろうと想った。 こうしたところから「如来が弁護してござる」との題名を付けるに至っ面もあ る。

 また、満之師自身、師の生き方、仏教的思惟に対して反論されたとき、一言 「私どものことは、既に如来が弁護しておられます」と、一切、反論をされず、 そう言われただけであった。

 若き日の曽我師が、この一言で満之に対する疑問が氷解し、 終生、師と仰ぐことになったのである。

 これで本の表題が決まったのだった。

余滴 11この余滴、敏師を語り、満之師の言動を改めて紹介することに比重が多くなる。私にとれば、それは当然のことであり、満之師を語るとなればどうしても敏師を語らざるを得ないと想うのだ。

 有識者らの満之師がもう少し長生きしておれば・・・という意見もある側面で符号すると言えなくないからだ。

 何故なら、敏師は独特の個性を持ち、終生、 満之師を師と仰ぎ、念仏行、一筋に生き抜き、絶対他力の高みに昇ったことは否定し難い事実だからだ。

 そして満之師が若き日の敏師をこよなく愛したことも見逃せない。

 多感である意味ではそれが個性でもあり、人間的とも言える敏師に満之師が注いだ慈愛に満ちた指導は、満之師は、自らが持ち合わせていないものを敏師の中に見いだしてい たのかもしれないのだ。

 前に紹介した加藤東大総長のもとに自分の代わりに若き敏師を伺わせたこと一つ をとってみても想像できる。曽我量深師とともに敏師は満之のこの世での命の短かさを補ったと言える。

余滴 12:宗門以外に身を置いた人物では真渓涙骨翁を上げねばならない。小説でも満之師とともに準主役に据えた。正直に言うと、この御仁が最も小生には判り易く書き手ということを離れて個人の立場でいうと親近感を寄せることができた。

 もし、この小説を涙骨翁抜きに書くとすれば、私に限れば面白くない語りになっただろうと想う。

 涙骨翁ありてこその小説なのだ。私自身が、マスコミに席を置いていたこともあろうが、ある局面、歴史の節目、節目で翁の立場を慮るとより理解と親近感を覚えるのだ。

 敏師の女人を巡る事柄について理解をしつつも、痛棒を食らわす。そして誉めるべきところは誉めるというスタンスは、マスコミ人の先達として尊敬してあまりあるものがある。翁を描く時は、何かしらこころが、カラッとしてきて心地よさも感じたものだ。

 涙骨翁を描くにあたって私が探り当てたキーワード は、翁の癖というよりか人格の一つの表われとみた哄笑である。実際、翁はよくカンカラカラン、カンカラカンと高らかに笑った。

 翁の箴言の最初に小説で取り上げた通りである。ここでもう一度紹介する。

 「何もかもただ一声高く笑ってすまされる人は一番強い。逆流の身を襲うの時、高く笑って忍ぶ。順風の袂に軽い時、微かに笑って過ぐ。敵来れば笑い、友来たれば笑う。毒生ずれば笑って呑み、酒来れば笑って酔う。面白し」と、翁が日記かなにかに書き込んでいる。自らの一面を端的に表現していると思った。

 この言句は小説のゲラ段階でふと見つけて急きょ、書き入れたものだ。ワそカわかそ

 私は、 翁が往きて何年かの記念に際して中外日報社より刊行された本で2人ほどが思 い出を語る欄で涙骨翁はよく笑ったと紹介されているのを読んで、おう、そうだ ろうなぁー、と納得したものだ。

 他を慮る苦労人で宗教界をはじめ識者の多くと 親交があった翁なら当然だろうし、翁の写真で風貌をつぶさに観察していると、 自然にそう思えたのだ。

 よく知られる地蔵菩薩がある。その菩薩を称える真言がある。「オン・カ、 カ、カ、ビサンマエソワカ」である。カというのは、かか大笑のか、か、なの だ。

 古来より、人は、カ、カ、カと喜びとともに笑った。地蔵さんも、カ、 カ、カと笑い、「人世(ひとよ)でお悩みの皆さん、私のように朗らかに笑うのです。悩み なんて消し飛ぶのですよ。さぁー、皆さんーー」というのが真言の意味ではないかと思うのだ。

 で、涙骨翁の哄笑は、この地蔵菩薩の笑いに通じるのではないか。この地蔵さんは、無間地獄に喘ぐどんな人でも救済するといわれる。

 涙骨翁は、そんな人柄の持ち主ではなかったと、小説を書き終えた今でも翁の風貌を思い出すと懐かし さを覚えるのだ。

余滴 13まあ、今の世は窮屈だ。極めて閉塞感が漂っているとしか想えない。やれどこそこの食品会社が姑息な手段をとったとか、ある大手企業が施設の点検業務を怠っただとか最近はどこの組織も疲弊しているとしか思えない。

 そう疲弊とまでとはいかないと見るならば、まだまだ気の合う仲間と休みの時などには、ゴルフに興じるなどが関の山だ。

 しかし果たしてそのような紐帯だけでいいのかと想うが、人間というものは弱きもの故、それも時代を通底して俯瞰すればそれも世のならいと仕方無いのかもしれない。

 そう認識した上で、満之師の時代、敏師や曽我師の昭和、戦後初期の時代は、 どうだったのかと想いを巡らせてみても今よりはましな人材がどの世界にもおったような気が してならない。  宗教の世界では満之師や敏師、曽我師、鈴木大拙、涙骨翁らの偉さが目立つのだ。

 この小説を離れて語ると、臨済宗では山本玄峯老師、真言密教では金山穆韶師など錚々たる人物が目に浮ぶ。また政界しかり、学会しかりだ。

 吉田茂、先の大 戦中に往かれた西田幾多郎をそれぞれに挙げておこう。こんな時代だからこそ、 そんな人物の本でも紐解く方が糧となる。

余滴 14民主党の党首立候補者の演説をテレビで出勤間際に聴いた。

 4人の候補 者はそれぞれの個性と持ち味があり、 20分近く見た。出勤の準備をしながらでは あるが・・・。 4人とも同党の置かれている立場を踏まえつつ、成る程と一応肯 けた。

 最後に発言した候補者の中では一人、40代の候補者の意見には迫力を感じ た。この候補者については最近、民放の番組でも聴いたことがあるので2度目で ある。

 かつて橋本前自民党総裁に挑んだ小泉首相の勇姿を一瞬、想い出した。同じよ うな迫力と気力を感じるとともに氏の意見よりも政治家としての真摯な姿勢に共感を覚えた。

 で、我が小説の中の敏師が凋落から一転、意をけっして獅子吼した 時の気迫は、恐らく世界は異なってもこの若手議員のような態度ではなかったかと想像するのだ。

 師は40、 50代とこのような姿勢を貫いたのは掛け値なしに偉いと想う。そして 師が晩年に達するにつれ、その迫力は、次第に円熟味を増し、円(まどか)にな り、存在するだけで念仏の光を放ち始めたのではないかと思うのだ。

余滴 15念仏の光りの中に居る敏師は晩年になると、もうなすことすべてが融通 無碍(ゆうずうむげ)であった。東本願寺大谷派宗務総長を見事な成果を上げての退任後はとりわけそうだった。

 京都の岡崎別院で行われた清沢満之先生五十回忌記念法要・講話・座談会・・・。その講話での敏師の法話は、会場を沸かせに、沸かせた。

 先に紹介し た紀野一義さんの「心ひたすら」にはその辺りのことがこまやかに記載されているのだ。

 「先生(満之師)死なれても、私が言うことはみな先生がいいと言われると 思っとる。称えても称えんでもいいのじゃし、わしの言うことはみんな先生の言葉。何も違わん!」

 こんな敏師も中年のころ、愛に悩み、戦時色が濃くなっていく世相の中で師は満之師がおらさばどうアドバイスしてくれるだろうかと、また満之師自身ならどう発言し、行動しただろうかと満之師を心の杖にしていたのとは、この晩年の発言は大きな違いである。

 小説にも書いたように敏師の場合、年を重ねるごとに僧として飛躍しているこ とだ。敏師が機関誌、「精神界」に満之師が東京を離れて留守の時、敏師が代筆 したらしい。過激な表現で書かれたようだ。非難の声がわんさと満之師に寄せられた。

 「先生は一度も、あれは暁烏が書いたんじゃとはおっしゃらん。そこが偉い先生じゃ。みんな自分に引き受けて答えられた」と。

 この法話、満之師の偉さを称え、晩年に身に付けた自信のほどをとくとくと語る敏師の態度も偉ぶるというよ りも正直で爽やかですあった思うのだ。

余滴 16敏師を描くことに際し、最も苦心したのは、後で述べるが恋愛問題もさることながら、師の戦時色が次第に濃厚になり、ついには戦争が避けられない情勢になった時の師の発言と行動である。当初は、戦争絶対反対の意思を強く 持ち、そのことを表白していた。

 が、師は、「ここに至っては、やむを得ない、戦う。戦うには勝たねばなら ん」と決意、神仏のご加護を祈ったりしたと正直に語られている。

 私は、この態度の変容について私なりに師の心の内を探ろうと、汗を流した。初稿の段階から 、よし、この文体でいこうと決めるまで文体とは関係ない次元でこのことを考え抜いていた。 今でもこうだろうと、師の心の中を完全に見抜いたとは、断言できない。

 が、小説で描き切ったところまでは理解できたという確信はある。「如来が弁護してくださっておられる」との言葉が、敏師の葛藤を救ったのではないかと思 うのだ。悩み、苦しみの末の決断だった・・・。悩み、沈黙を保った 方々・・・。

 家族や愛する人を守護せんと戦いに挑んだ若者、またこの戦争は、 絶対反対と、牢獄の中の生活に甘んじた人々・・・。またこの国を、国体を護持せんが為に最後まで玉音放送さえも阻止しようとした若者将校ら・・・。

 いずれも懸命だったのだ。それぞれが愚直にも己に正直だったのだ。そこには、立場を超えてめらめらと燃え、滾るような人としての愚かしいまでの情熱があったように思える。

 この愚直なまでの情熱は、尊い。如来の側から見れば、ま た親鸞の悪人正機(己を賢き、善き人と思う者より悪人だと自覚内省する人の方 が救われる)の視点からみても救われるのではないかとさえ思えてくるのだ。

 戦後の方が、むしろ問題ではないかとさえ思うのだが・・・。概して小賢しいのだ。そういう己はどうか。やはり、そうした面があるようなところは、否定できない。

 それはともかくとして敏師のことだが、これまで敏師に関する本で読んだ中では師と大戦の関りを書いた本は、敏師の全集のほかには、師の秘書の一人だった 野本さんの「暁烏敏傳」と私だけのような気がする。

 ほかの書物では全く触れられていないようだ。それはそれでいいとの見方もできなくはない。晩年のことについて書かれた本なら師の大戦での苦労が師の姿勢が文字にはなくとも滲み出ていると思うからである。

余滴 17敏師が先の大戦を師がもはや避けられないと判断、戦いも止む無 しーー。

 「戦うからには、勝たなければ」と、悩みながらもそう判断したのは、 師がこの「国」、「くに」、社会を、また無垢で純粋な「国民」をこころから愛していると、己で納得されたからではなかろうかと思う。

 が、師が思う以上に悲惨な結果、陸上戦となった沖縄で20万人以上の犠牲者を出したこと、広島、長 崎・・・。師はこの結果を見てご自身の戦局の見通しの甘さ、戦いの惨さに悔 い、深い、深い、懺悔をしたのではないか。

 それはともかくとして師が止む無しと判断した一つの思想的な基盤には師が外遊を終え、帰国してから古事記日本書紀を秘書の助けを借りて眼の不自由さにもめげず、克明に読んだことも影響しているのでないかと思索に耽った。

 師のことだから単に読んだというだけでなく独自の国家観をこの時、持ったのではないだろうかとも思ったりした。

 それは師がかつて「死の国」と批判した40代の思想にはなかった何かを持たれ たと思う。このようなことを明らかにするのは、なにやら気恥ずかしいのである が、この小説を書き上げ、出版を目指そうとしたころ私は左目を白内障で患い、 手術した。

 右目はなんともなかったので気が付くのがやや遅れたようだ。が、気が付いた時、思わず、なんともない正常な右目を押さえ、左の目だけで前方を見た。 1、2 メートル先も霞んではっきりと見えないのだった。

 そのようにして本まで見ようとは しなかったが、小説にも書いたように恐らく敏師以上に本の表紙もろくに読めなかっただろう。

 敏師が晩年全盲になった原因は、私が読んだ師に関する書物では掴めなかっ た。後でも触れるのだが、敏師が凡庸というか、平凡な顔付きから一変、高僧の風貌 になったのは、全盲になってしまった70代であると私は思う。

余滴 18敏師は果たして艶聞家であったのか・・・。とにかく言えることは、師は若きころより抑え難いような業火ともいうべき性欲を抱えていたようだ。これは 体の底はからふつふつと湧いてくる生命力の発露のようなものだ。

 親鸞聖人しかり、一遍上人もそうである。その他の多くの高僧といえる方々に も調べればかなりおられるだろう。ただ敏師は、その実際を正直に言うのだから師らし いと言えばそれまでであるが、その意味でも異色なのだ。

 凋落から一転、その滾るような生命力を燃やし、まっしぐらに満之師を師と仰 ぎ「獅子吼」した中年期・・・。その中で富美子という奈良女子師範校出の富美 子(実名原谷とよ子)に賢妻の妻、総子がおりながら恋に走るのだ。

 敏師は言 う。

 「総子も富美子も捨てられない。2人を平等に愛したい」と、双方に断言 し、いや懇願したのだ。遊び女との間であるならば、総子は心やすく許しただろう。

 煩悶の末、総子は富美子の存在を許容したのだ。「富ちゃんが、敏を愛するこ とは、私が愛することと同じなのよ。貴女は、私の分身ですもの」と、富美子に言い 、夫、敏にも語るのだ。

 これは、思想的な愛だと理屈を言う敏師より、 断然、妻、総子の方が人間としてこのころは上だと密かに思ったりしたものだ。

余滴 19満之師や敏師に高い評価を与えている作家は、最近では、司馬遼太郎さんだろう。

 では、その根拠となると、著作などに限られるのでよく判らない。生前一度だけ電話でお話を伺うチャンスがあったが、その時は、まだこの小説を書こうとの意思がなかったのでお訊ねすることができなかった。

 その後の私なりの学習で司馬さんは、私がこの物語の中に登場させた禅の大家である鈴木大拙以上に満之師に興味を示し、高い評価をされていたように思う。 多分、氏が京都で記者活動をされていたころの影響があるように思えるのだ。

 伝えられるところによると、司馬さんは、真宗関係者をよく取材されたよう だ。人一倍感度と問題意識の鋭敏さに優れていた方だから、取材を重ねるうちに満之師や敏師の凄さを感じ取られたのではないかと、想像する。

 これは私の誤認になるかもしれないが、司馬さんの生家は浄土系の徳篤な信徒であったような記憶がある。このことも司馬さんが浄土真宗(東本願寺、西本願 寺)をより身近に引き寄せたのだろうと思える。

 当時の中央公論社刊の「日本の名著」に大拙と満之を抱き合わせた形で刊行した裏には、司馬さんの意見が大きく働いたという。

 これは、私の個人的な見解で あるが、敏師の生涯の風貌の変遷を書き記す。20代から 30代は、多感で行動的、 生まれついた詩ごころも含めて浄土真宗僧として生意気盛りで色欲に塗れる寸前 までいった。つまり「活動期」だ。

 そして悩みは絶えないが学習の時とも言える。努力研鑽のころではなかった か。 40代はさまざまなことを愚直にも世間に公表した。「富美子との恋は、馥郁 とした恋、世間がどう言おうと、わしは、わしの道徳を貫く。それがこの愛 じゃ」と。

 書き手を離れて個人として敏師のこの恋愛を評価すると「無茶苦茶」の 一語に尽きると、思った。

 道徳は、確かに己の勝ってきままな恣意や行動の桎梏となる。己の宗教観から その妨げとなる道徳を超える境地を得るのは、宗教家としては当然な面があるかもしれないが疑問に思うところも実際あるのだ・・・。

 大拙翁は「(現実、事実)に即しつつもそれを超える世界を持つ」と言われて いる。これだと思う。しかし、なにも賢妻がおりながら、馥郁とした恋でも あるまいと、思った。

 敏師にとれば、その意味でいいだろう。が、才媛の彼女の こころは愛と苦悩の狭間を揺れ続けた。

 両親の承認なければと悩む。妻の総子に 申し訳ない。こころ悩ましながらの恋だった。 それに加えて肺病はひどくなる一方。

 敏師も悩んだ。

 双方の悩みの中の数年の恋は 富美子の死をもって終焉する。このことにより、敏師は、確かに成長し、 この道ならぬ恋は、大いに糧となったと思うのだが・・・。

 が、富美子となると、果たして幸せだったのかーと判らないのだ。 60代を迎えた敏師。次第に戦時色が濃くなる。戦争には絶対反対の姿勢をとっていた。

 が、一転、ここまでくると、勝たね ばならんと、獅子吼する。神仏にご加護する。私は、師のこころの軌跡を追いつつ、この場合の師の姿勢は、真摯で理解できたような気がした。

 古希、師、自身予想もしていたが、終戦とともに全盲になる。全盲という闇は、敏師を瞬く間に念仏の高みに飛翔させた。これが、この小説のクライマック スなのだ。

 表紙の法隆寺夢殿を模した「蝋扇堂」に向かって広がる光の輪は闇の中に法悦の世界をしっかりと、獲得した敏の心象を表現したものだ。私は、全集ごとに敏師の 顔写真を眺めてこの小説を書く前、そして書きながらも驚きを禁じ得なく、敏の半生を描く上で大きな材料となった。

 60代までは、ありきたりの凡庸な顔であるような気がした。しかし、 70代、つ まり全盲となってからの敏師の風貌は一変、稀に見るような高僧の顔になっているのが不思議だった。これにより敏師の念仏の完成を伺い知ることができたのだ。                                                              

余滴 20これで一応、この小説を書く途上で今に残る印象的なことをひとまず書きき終えたかなと思うのでこれをもって余滴を終了致する。

 これからは、読者から寄せられたご意見などを参考に機会を見てこの小説にまつわる事柄などを 折に触れて書いていこうと思っている。

 さてご縁話のようで恐縮ですが、この小説の初校ゲラが出版社から届いて校正 を始めたのが、この主人公の師、清沢満之先生の命日の 6月6日であった。

 この日、 今から 7年前に参加しようと思っていた石川県松任市の明達寺では「蝋扇堂」の前で全国の満之ファンや敏師を慕う方々が参集し、「蝋扇忌」が執り行われてい る。その筈だと想うと、なにかしら、頑張ろうという気持ちが湧いてきた。

  一瞬、8年前にお訪ねした明達寺の風景が鮮明にこころに蘇り、広がったような気がした。

 敏師と、満之師のスピリットが横溢している明達寺のいやさかなご繁栄を祈念 して最終 20回の余滴とします。  

<追伸 1>一つの宗門の傑物、敏師と伝統のある宗教専門紙、中外日報の創行者、真渓涙骨翁とのかかわり合い、主人公の師、清沢満之や西田幾多郎、西田と 無二の親友、鈴木大拙を織り込み、主人公の恋愛も・・・。読者の反応があるかどうかは別にしてかなりの人に評伝小説と言われたが、私は、そうは思っていない。

 巻末に添えた参考文献の事実を踏まえつつ、主人公に創作として語らせた個所 もかなりあるのである。

 例えば教育問題。

今、教育論議がかまびすしい。それは当然のことだ。私たちの祖父、少なくとも親の時代の人は、難しい漢字を読みかつ書けた し、候文も手馴れたものだったような思い出らしきものがある。仏教にも造詣が あり神道にも詳しかったことも。

 また白川静先生が直接私に言われた。

 「私らのころの教育制度では、学習すること自体で 17歳くらいで一応、成人、大人になっていま したね」

 祖父、親父世代の思い出なとも合致するので敏師を通じて小説の中で語らせてらせても らった。

 また主義を超えたところで真実を語ろうとした敏師の自信たっぷりの発言や愛、先の大戦。その色が濃くなるに際しての苦悩も関係種類を読み、想像したものだ。

 それに戦争の余波を私たちの年代では子供こころにも感じとることができたからだ。

 「君の名は」をの村の伯母さんの自転車の後ろに乗せてもらって西大寺市(後、岡山市と合併で岡山市に)の映画館に見に行った。影像には、その時代を映してか復興途上の都会の場面がよく出てきたたものだ。

 私を育てくれた伯母に岡山市の天満屋に連れて行ってもらった同店は戦災の復旧でビルの外側に付いた梯子とおぼしき階段をえっちら、えっちら手を引かれて上った記憶が鮮明だ。

 小学校1年の朝礼で校長が「今日から日本は独立国になりました」と。

 「や や、これはなんじゃらほい!」

 田舎の人物としては「学」のあった伯父に訊いて納得したものだ。従ってこれ らの幼ないころの記憶がなかったらこの小説は、創作上、稀薄になったに違いない。

 ところで出版社から2通の読書カードが住所、名前を伏せて送られてきた。2 通とも評価していただいた文面だったのでうれしかった。二人とも私より少し年 上の男性であった。( 2002年11月 1日)

<追伸 2>読者カードをくださった一人の男性の方のご要望にお答えします。

 清沢満之師のことをもっと知りたいとのことでした。私がこの小説を書くに当たって参考にした著書が最もてっとり早いのですが、私が一番に推奨したいと思うのは、その中でも京都の出版社、永田文昌堂刊の「清沢満之先生のことば」です。 100頁の小ぶりの本ながら師の宗教観が凝縮しています。

 「あなたが若し、あの一事は自己の罪なり、あの一事は自己の過ちなりと思わば、それはあなたが如来の仕事を盗んでいるものである。盗むが故に苦悶から脱 (のが)れることができないのである。(中略)汽車に乗りながら、なにをも自分が荷物を持って苦しむのは汽車の仕事を盗んで自ら苦しむというものである・・・」などと弟子などにまさに箴言を語っていることばが平易に満載されています。

<追伸3> 2007年から見ると約20年前に書いた「あるがままの世界」(正編)がいまだに全国の主要な書店で着実に増刷を重ねている。確かにこの本もどちらかというと一般論と しては難しいといわれているが、書籍として市民権をいただいたようである。

 その続編に清沢満之師を今回の「如来が弁護してござる」の主人公の暁烏敏師のこ とばに自分の思いを込めてかなり書いた。

 だが、敏師のことについては、師が40代の若かりし時、真実のほどはともかく として色魔とか云々の風聞があり、この続編にはそぐわないと思い割愛した経緯 があり、いつか小説の形で師の内面を探るため上梓すると断言して記述している 。

 この決意のほどを読者の前に披瀝していたから、それを実践せねばとの思いがあり粘ることができたという側面もある。

 私の執筆姿勢をやや自慢げに書いているようだが、ご寛恕いただきたいと思う。また小説「生生流転」ともある部分で共通するところもあり、新刊「如来が弁護してござる」は、言うまでもなくつながりがある。

<追伸 4>江戸末期から明治初期生まれの偉大な人物が今忘れられようとしている。戦国の世を天下統一に導いた 3人は確かに偉い人物には違いない。

 天才武将といわれる信長、知恵者の秀吉、日本国家のシステムをつくり、日本文 化の爛熟の端緒を切り拓いた家康らだけが歴史的人物というのではやや困る。

 視点が異なるが私どもの世代から見て3代前、祖父の時代、 4代前の100− 120年前に生まれた人材が無視できない。今の混迷の世を見直し、一条の光りを見いだすた めには・・・。

 私のこの近刊小説でも関係者として登場させた西田幾多郎、清沢満之もそう だ。清沢は江戸文久年間、西田は確か明治2年の生まれだ。

 西田は、清沢の主宰、刊行した「精神主義」を読んでいたとも聞く。西田の主客未分以前の純粋経験などを思弁し、かつ、実践に移し、専門領域は異なっても西田の見方を採り入れた学者は多い。

 西田が難解な書物と言われた「善の研究」を世に出した明治末期、神田界隈の書店には、買い求める客が列をなしたという。

 「善の研究」は確かに難解な本であるが・・・。時代は移り、 今の世・・・。混迷の世では性急に結論、結果を急ぎハウツー物に走り勝ちであるようだ。果たしてそれでよいのだろうか!

 これを打開する糸口として明治に活躍した哲学、文学者らを改めて見直すことも必要ではないかと思うのだ。また、経済人でもよかろう。また政治家でもしかりだ。

<追伸 5>昔からの言い伝えがある。

「人を騙すより、騙される方がいい」

いや、それでは、厳しい人世は生きていけないという意見も時折、聞くことがある。が、この言い伝えよくよく考えてみれば仏教などに裏打ちされた強烈な庶民の生きざまではないかと思うのだ。私はこの言い伝えの方を取りたい。

 「嘘も方便」はやや言い訳のような気もしないまでもないが、相手の立場に善意に立っているかぎり、納得できる面もあるが、いかにも相手を見下すようなスタンスがあるので私は、あまり好まない。

 さて分別(知恵で合理的に思考する)は、ややもすると相手に疑念を生じ、自らを傷付け消耗する。疑念 に振り回せられる前に己の信じる道を進むことの方がましだろう。

 己を信じ、他 人をまるごと信じることだ。それの方が日々明るくなるだろう。神、如来を信じ ておれば、いや神仏に無関心の人でもできるような気がするのだが・・・。

 いささか、我田引水のようだが私の近著「如来が弁護してござる・・・」にも そんなことにめぐらせるようなところもかなりあるのだが・・・。

<追伸 6>HPの表紙に「如来が弁護してござる」を小説「生生流転」と替えました。一新して見栄えがよくなったということもあるが、これまでの苦労の作品が面舞台に踊 りでたようでなにか清々しい気持ちになった。

 表紙の説明をします。臘扇堂は、最晩年の主人公の暁烏敏師が終生の師匠、清沢満之師の感謝の念を込め、上座の満之師の坐像、師を下座から一心に合掌している敏師の坐像が安置 してある。

 私も一度じっくりと眺めたが、一瞬粛然とした雰囲気に全身が包まれた思い出がある。一体、 このように師を拝んでいる寺(堂)があるだろうか。

 ところで表紙にあるように、なぜ師は仏教の原点ともいうべき法隆寺の夢殿を模したのだろうかか・・・。

 聖徳太子を尊敬した親鸞。親鸞を明治中期世に広めた師、満之師を生涯の師と仰いだ敏師ならのことであろう。

 表紙の渦巻き模様は、晩年に全盲になった敏師が闇の 中に光り輝く明かりを見、それが無限に広がっていくさまを表現したものである。

 師は全盲になって一段と仏教の高みに飛躍した稀有の異色、偉大な浄土真宗の僧侶である。


閑話:今日は午前10時から妙見東団地のリサイクル委員が自治センターに集まり、K委員長の指導の下、草刈機の点検をした。約20機の内4機の刃が磨耗していたため取替えたり、実際にすべての草刈機が上手く稼動するか確かめたりした。

作業は約1時間余りで終了した。

帰りて大リーグ、マイナーズのイチーローの試合をBS2で見た。

 3安打し、一時は3割7分を記録したが2打席は打ち取られ、結局、3割6分8厘とした。イチローのヒットで元気づいたのか他の選手も猛打を振るって8対3でブルージェイズに圧勝した。

 これに伴い、貯金は11になった。

 この分だと西部地区優勝も夢ではなくなった。テレビ中継を見ていても今季のマリナーズは全体に覇気が漲っている。

 イチローは今年で7年のマイナーズとの契約を終える。イチローの去就に注目が集まるが、日々の充実したチームの活躍に期待したいところだ。(2007年7月1日)

 

閑話:通常国会が事実上閉幕した6月30日、7月1日に朝日新聞が実施した第8回連続世論調査が2日の朝刊に掲載された。それによると、安倍内閣の支持率は28%(前回31%)でこれまで最低であった第4回調査(6月2、3日)の30%を下回った。

 同紙によると、調査方法は異なるが、内閣支持率が2割台に落ち込むのは森内閣以来だという。年代別では20〜50代の支持率が2割前後と低いとしている。

 ここからは私的な推測ではあるが、50代のほぼ半分は団塊の世代でこれから年金生活をする人達である。年金問題で最も切実かつ敏感に感じ取っている世代と言えよう。

 社保庁の不手際には世代を超えて憤りを覚えるものだが、与野党とも真摯に解決策を模索し問題解決を図らないと国民は納得できないのはいうまでもない。

長年汗水たらして働いた結果、つつましくも豊かな老後を過ごそうという夢を破られたらなんとしょう。

 また市場経済重視の政策を推進し、バブル崩壊後の経済の低迷から全体経済だけ見ると回復したけれどもその結果として格差問題が深刻化している。地域格差、賃金格差是正は、喫緊の課題だ。

 20代、30代の若者の間では派遣社員、正社員という呼称が何時の間にやら出てきて賃金格差が露呈してきている。

 国税庁の調査によると、年収200万以下のサラリーマンの割合は、2001年が19%だったのが2005年には21%と増えている。これではこれら若者の夢も砕いてしまうのではないか。

 老後の夢も若者の夢も破ってしまう今の「くにかたち」は歪(いびつ)としか言いようがない。

 この課題に政治家諸氏は真摯に向かい合い、抜本策を講じないと生き生きとした活力のある社会は到底復活しないだろう。(7月2日)

閑話:昨日、今日と2日連続して例の「超ミニ回峰行」と銘打った散策を行った。昨日は雨の影響で久方振りの散策であったのか、疲れて夕食後、すぐに眠ってしっまった。

 やはり継続しなければならないと肝に銘じた。今日はやや早めの午後5時半ごろから歩きだしたが天気は曇り模様であったのでさほど暑くは感じなかった。

 それでもアルカリイオン水を入れたミニポットボトルを携行し、汗が出そうになる前に少しずつ飲んでは歩き続けたらちょうど家に帰り着くころには飲み干してしまった。

 いつものようにシャワーを浴びてからついでに後で入る家族のために風呂の掃除をした。

それから連続ドラマ「どんど晴れ」をBS2で見た。その後、清左衛門残日録を見る。藤沢周平さんの畢生の作品だけに何時見ても感動する。ましてや定年後生活を送る身にとってはよけい感じ入ることがある。

 現役のころは嗚呼なるほどなぁーそんなものかと思っていたことが身に染み入るのである。恐らくこの作品は藤沢さんが60歳を超えてから書かれたものであろうと推察する。

 でないといくら藤沢さんとて一線を退いた隠居の清左衛門の心理をこう巧みに描き切れないであろうと思ったものだった。(7月3日)

<追伸>久間章生防衛相辞任。後任に小池百合子首相補佐官。

 

閑話:今日は朝から雨・・・。困ったな今日が散策が出来ない。1日中家にいると確かに体が鈍るとはよく言ったものである。これからヨーガの基本体操でもしようかと思っている。

 ヨーガにも様々あるが私達が学んでいるのは以前書いたが、佐保田鶴治さん(元立命館大学、元大阪大学教授)がインド人から直接学びとったいわば佐保田式ヨーガともいうべきものだ。

 私達のやさしいヨーガ教室では多くのアーサナ(体操)の中でも基本体操に重きを置いている。

 佐保田先生ご自身が60歳を過ぎてから独自のヨーガを編み出したものであり、先生ご自身の健康回復と健康維持のためでもあった。

 私も60歳の定年を迎えてからおっかなびっくり始めたのだった。

 最初は正座が出来なかった。これが出来るまで半年近くかかった。それから割り座になってそのまま後ろの畳まで上半部をつけるアーサが出来るまで1年余りかかった。

 こぐ最近であるが「すきの体位」がやっとこさ出来るようになった。まず両脚を90度まで持っていきそれを頭の方に近づけて暫くそのままの姿勢を保ち、今度は、ゆっくり、ゆっくりと腹筋を使って両脚を前方の畳に下ろしていくのである。

 これを2回行う。

 指導する先生は毎日これをやっておられるという。

 まだ様々な体位があるが私どもが習っているやさしいヨーガ教室ではこの3つが大切であると思っている。さぁー始めよう!(7月4日)

<追伸>イチローはこの日、2安打し、3割6分9厘とし、ア・リーグで打率が2位に2毛差をつけ首位になった。

 

閑話:今日は英会話サークルであった。単語・熟語の聞き取りテストが10分ほどあり、残りの50分はフリートーキングであった。特に久間防衛大臣の辞任についての様々な角度から意見が相次いだ・・・。

 まず長崎と広島市民のこころを踏みにじったもので到底許せない。わが国が世界で唯一の被爆国であるという認識を基に核廃絶に向かって全力を尽くすのが政治家の任務、辞任はやむを得ない。

 核兵器と人類は絶対に共存できないもので久間氏の発言は容認できず、辞任は当然であるという意見も。

 またあの戦時状況下でも当時のアイゼンハワー元帥(後に大統領)が原爆投下には慎重であったようにすでに日本の敗北が完全に視野に入ってい段階での使用はどんな理由があるにせよむごいという具体的な発言もあった。

 さらに約20万人の死者を出し、あまつさえ被爆の後遺症と今でも闘っている人々のことを考えると、久間氏の発言は納得がいかないなどの意見も。

 その一方で首相による叱責で事は収まるとみたが、実績のある政治家だけに残念だという意見もあった。

 結局、核保有国が増える中で現実をつぶさに認識し、日本は唯一の被爆国として外交努力を遂行し核廃絶へのリーダーシップを国益を踏まえた上でどう舵とりするかが大きな課題だという意見に集約されたようだ。

 小休止をはさんで約1時間、CNNのテキストを使ってヒアリングと文章の要約を行い。その後、10分ぐらいのデイスカッションがあった。

 今日のCNNのタイトルは「B aby Hatch」である。

 毎年約400人の新生児が捨てられているイタリヤの歴史と現状についてであった。修道院や病院などで設置していたが1900年初頭に廃止したものの子どもを捨てる親が後をたたないことから復活させたもの。主に移民系の困窮者からの捨て子が多いところからHachには6カ国で書かれた掲示をしているという。

  Poster set up near the hospital to mathers not to recklessly abandon their babies 「Leave them with us」 it says in six languages.(7月5日)

<追伸>recklessly=向こう見ずに

 

閑話:イチローは今日は内安打1本で終わった。これに伴い打率を下げ、首位打者から後退してしまうことになるが、まだ先は長い、イチローのことだから終盤にかけて高打率を維持、3度目の首位打者に今季こそ輝いてほしい。

 読売新聞のウエブサイトは放送がなかったに日でもイチローと松井秀の打撃の推移を表示してくれるから野球好きには便利この上ない。

 イチローファンの私などはその画面に向かって大きな拍手をするほどである。この種のシステムをほかの新聞社も採用してほしいものである。

 さて話は変わるが新聞報道だけでなく。熱い選挙の時が来たと思った。今しがた手紙を出しに団地内ポストまで行ったが、選挙用のポスターを貼る掲示板が立っているのを見ればいよいよ選挙かと元新聞記者の血が騒ぐ。

 地方支局に勤務している現役諸君は様々な選挙がらみの取材で汗を流していることだろう。

 これまでに例のないほどの厳しい選挙戦が与野党の間で繰り広げられる重要な選挙であり、成り行きが注目される。

 もう無党派なんだと言う時節は過ぎた。

 この欄でも書いたが海外に行って私は無宗教であると言って嘲笑されるのと同じだ。自分の立場をはっきりとして自信を持って投票してほしいものだ。(7月6日)

 

閑話:昨日はやさしいヨーガ教室に通う。先生のSさんに続き私が2番目で夕刻6時15分ごから皆さんが三々五々集まって来た。基本体操(きほんアーサナ)をみっちりやった。

「これは転倒防止に役立ちますね」

「このアーサナは元気がでます」

などとS先生の説明を聞きながらやるから思わず集中力が増す。集中しながらもゆったりと力まずにするのがコツらしいが、初心者の私などは思わず力みが入るからぎこちなくなる。

それでも2時間近くやると達成感とともに体全体が爽やかさに満ち溢れるのである。

 私の場合、木曜日に英会話で頭脳に刺激を加えるという頭の体操、金曜日のヨーガで心身のリフレッシュを図るという試みで平凡に流れやすい定年後生活に活を入れるという意味で欠かせないサークル活動である。

 とは言え両サークルとも日頃の予習と復習は欠かせないのだが、実際は十分に出来ていないのが実情である。

 英会話ではせっかくCNNの雑誌を毎号購入しながらも十分に活用していない。ヒアリングテストのある箇所を読む程度で済ましているのが現状である。

 またヨーガにいたっては全くしていない。ただ出席だけはと極力休まないようにしている程度だから甚だ上達が遅い。

 その苦労話は過日書いた通りである。

 これからは双方のサークル活動をもっと充実させるためにも日頃の練習にも力を入れようと思いながらキーを叩いている。

 今BS2では日めくりタイムトラベル 昭和62年(1987年)大解剖バブル元年をやっている。今から20年前のことだ。

 嗚呼!時の経つことの速さに愕然とするのだ。この番組にはその年生まれた若者が登場してトークしている。

 暫く当時を思い出しながら見るとするか。明日は妙見東団地一斉清掃の日である。役員は午前7時30分には集合しなければならない。

 いつもより早めの就寝をするとしよう!(7月7日)

閑話:妙見東団地一斉清掃が無事終わった。501軒のうち2人参加したら1000人であるが少なくとも約600人が参加したのではないかと思う。

 見る見る内に団地全体がきれいになった。草刈が主体だが草刈機、鎌、大鋏などを使って一斉に取り掛かるのだからものの1時間超で作業は終わった。

今度は10月に今年3回目の清掃があり、今季はそれで清掃は終わりとなる。(7月8日)

 

閑話:昼下がり、家内から頼まれていた風呂場掃除をする。ものの30分ほどで汗が噴き出したので止めにしたが、それでも少しはカビが落ちた感じはしたが、もう少し、丁寧にやろうと思っている。

それから約1時間の散策に出かけた。小雨が途中でぱらついてきたが敢行する。家に帰りて大相撲名古屋場所2目を見た。

 今日は両横綱とも無難に勝利したが、若手の台頭を望むものである。横綱も健在でしかも若手の力士が3役力士に食い込んで健闘するのが最もいい形である。

 話は昔になるが大相撲中継がラジオだけの小学校低学年のころラジオから流れるアナウンサーの早口の実況を聞きながら例えば栃錦になりすまして自分で1人で相撲を取って、栃錦が勝ったら自分が勝ったような気分になり快哉したものだった。

 当時の子どもの娯楽の一つとして野球もさることながら、相撲遊びが盛んであった。休み時間には運動場に丸を書いて土俵にし、よく相撲を取ったものだ。

 今の小学校生徒はどうなんだろう。

 勉強とともに相撲に親しんでもらいたいものだ。なにしろ日本文化のなかで培われたしきたり、精神(スピリッツ)などを凝縮したのが国技大相撲だから学ぶことは大きと思うのだが・・・。(7月9日)

名古屋場所3日目を見た。両横綱とも圧勝した。両者ともこのまま好調を持続し、名古屋場所を盛り上げてほしい。想いは昨日と変らない。(7月10日)

 

閑話:朝食を取ってからBS1で米大リーグの第78回オールスターゲームを見た。

 9回まで果たしてア・リーグが逃げ切るのかナ・リーグが逆転するのか、はらはらどきどきの熱戦であった。結局、ア・リーグが5対4で接戦を制した。

 何といっても1番中堅で先発出場したイチローの大活躍には見ているほうが体が熱くなるような大活躍であった。ランニングホームランを含む3打数3安打2打点でイチローの巧みなバッテングさばきの良さが全部この球宴で一挙に噴き出した感じがした。

 おまけにこのランニングホームランは米球宴史上で初といいうではないか。イチローの名は大リーグ史上にまた一つ刻んだ。

 この結果、イチローはMVP(最優秀選手)に選ばれた。この日ばかりはいつもクールなイチローも笑顔で満ち溢れ、喜びを隠し切れない表情であった。

 コメンテイター(解説者)はイチローの強運を伝えていたが天性に甘えることなくあくなき努力の継続が運を呼び込んだというしかないであろう。

 前半を過去最高打率の3割5分9厘で折り返したとあってこの日の喜びのインタビューでも正直に好調であることをにじませた。

 後半戦のイチローの活躍に益々目が離せなくなった。夢を運ぶ漢(おとこ)イチローに敬意を表したい。(7月11日)

 

閑話:今日は英会話サークルに参加した。いつもの如く、英単語・熟語の聞き取りテストの後、フリートーキングであった。まずイチローの昨日の快挙が話題に上った。

 イチローは最近、新聞で天才との表記が目立ってきたが、単なる天才ではない。努力によってバッテイングだけでなく捕手など野球に関するすべての記述を進化させているのだ。

そのほか中国からの輸入食品に関する意見もあった。

 例えば某食品会社がこのほど、2商品について社内で決めた使用期限を最大で2カ月過ぎた調味料を使っていたのが分かったとして自主回収決めた。いまのところ健康被害の報告はないとしている。

同社によると、提携会社が中国で生産し輸入した商品であるとしている。

 こうした日本国内向けの食品もさることながらオリンピックを控えており、期間中は多くの国からの観戦者が訪れるため中国は万全を尽くしていると思うが同国関係機関はより食品管理を徹底して欲しいとの意見も出された。

 小休止を挟んでCNNの7月号を使っての英語学習があった。

タイトルはCarbon Footprintsであった。

 英国では温暖化対策に向けた新たな取り組みとして複数の企業が自社製品に、製造から販売までに排出された2酸化炭素の量を数値化したロゴマークを表示しているという。

 消費者はロゴマークを見ることで自分が購入する製品がどのくらい環境に負荷を与えているかを知り、製品を販売している企業が、温暖化対策に取り組んでいるかどうかも知ることができるという試みである。

We believe that all companies have a respnsibility to the evironment, and this shows our commitement to continue to reduce our carbon footprint.

<注> cabon footprint2酸化炭素排出量

 

閑話:今日はやさしヨーガ教室に参加した。朝から雨が降り、いつものように散策が出来なかったのでヨーガ体操は格好の運動になった。

 簡易体操が主体であったが初心者の私にとればこれで十分である。明日と日曜日は大型の台風4号が近畿地方にも影響を及ぼし風雨が土日と続きそうなので散策は出来ないようだ。

 こんな時こそヨーガ体操で運動不足を補わなければならないし、日頃怠っているヨーガの練習不足を取り戻さなければなるまい。

 今週は読書も余り進まなかったので読書もしたいと思う。日本史の学習は明治から大正時代まで進んでいるが、あの関東大震災ははてどれくらいの被害があったのであろうか?

 大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、マグニチュード(M)7・9という大地震。ちょうど昼餉の準備をしていた家庭が多かったためもあって、あちこちで出火し、また強い南風にも煽られた結果、東京など都市部が一瞬の内に火の海になったという話だ。

 一体どれくらいの犠牲者が出たのか。死者、行方不明者を合わせると10万人超という。

 私は子供のころ、伯父はこの時、関東地方まで救援に出向いたと聞いた記憶がある。大正デモックラシーだと自由を謳歌していたこの時代の人々はびっくり仰天したに違いない。

  余談が過ぎたが、列島を縦断しそうな台風4号の被害が少ないことを祈るばかりだ。(7月13日)

 

閑話:16日午前10時13分ごろ、新潟県上中越沖を震源とする地震があった。気象庁によると、震源の深さは17キロ、マグニチュード(M)は6.8と推定される。震度は最大6強を記録した。

 家屋などの下敷きになるなどして7人が死亡、767人が病院で手当てを受けたという。

また東京電力柏崎刈羽原発3号機の変圧器から出火したが正午過ぎに鎮火した。

 気象庁は新潟中越沖地震と命名した。2004年10月の新潟中越地震や07年3月の能登半島地震と同じタイプの地震。

 南東と北西から互いに押し合う力が働いて断層がずれる「逆断層型」とみられる。余震も頻繁で長岡市と出雲崎町で震度6弱を記録するなど午後9時までに69回の余震を記録した。

 気象庁では今後1週間は震度6弱程度の余震が起こる可能性があるとして警戒を呼び掛けている。(7月16日)

 

閑話BS2でイチロー、城島のマリナーズとオリオールズ戦を見ながら庭の草引きをした。序盤は城島の本塁打などで対戦を優位に進めていたが、終盤にかけてオリオーズが反撃し、マリナーズは敗退した。

 この試合を見ていてオリオールズの選手の逆転満塁本塁打でこれまでのマリナーズに傾いていた流れが一瞬の内にオリーオルズに変った。1度流れがぐっと傾くともうその流れを食い止めることは出来なかった。

 この日のイチローは4打数1安打1打点であったが1盗塁を決めた。前半勢いに乗っていたマリナーズの中で3打数ヒットなしであったが、流れがオリオールズに傾いてしまった4打席目にヒットを手堅くものにした。

 打率は3割5分2厘とした。今、ア・リーグで2位の打率。今年こそ3度目の首位打者を取って欲しいものだ。

イチローは15日の試合で右ひざ付近に死球を受け、心配されたが、その後の試合で盗塁を決めるなど心配を払拭した。

 イチローのことだからもうこのような怪我はしないようそれなりの工夫を体に染み込ませているに違いない。

 その後、いつものコースで散歩すること1時間。汗だくになったがシャワーを浴び、さっぱりとしたところでキーを打っている。

この後、家内に言われたようにリビングなどを中心に掃除。皿洗い・・・。夕食以降は少し読書をしたいと思っている。できれば英語も・・・(7月18日)

 

閑話:酒を断って8カ月以上経った。

「お飲みものは何にいたしましょうか?」

 外食に出かけてこう聞かれると「ウーロン茶にしてください」と言うと一瞬ウエイトレスはもう一度私の顔を見直して改めて聞くかまばたきをしてから「はい、分かりました」と怪訝な顔をする。

周囲は皆、談笑しながらビールや酒で酒盛りをしている。

 平気になるのにそう時間がかからなかった。案外人間というもの決心をすれば実行できるものだ。決心してから1度も酒が欲しくなったことはない。

 でもそれは私の苦い経験があるからであった。50日間点滴を受けた。30代後半のころであった。若かったからかもしれないが完治した。

 それでも少しくらいならいいだろうとこわごわ飲んだ40代。これでは酒の味やほどよい酔いを堪能できる筈がない。

 50代になってやっと酒を味わえるようになった。特別なパーティーなどを除き一合の酒程度で十分ほろ酔い気分になれるようにようになった。

 ところがである。

 定年退職してからやや量が増えた。覿面(てきめん)血液検査の数値に少し高めの結果が出たのが昨秋。

 この程度なら無視してもよかったのだが、50日間点滴を受けた時の病院に60代中ごろの初老の男性が入院してこられたその時を想い出したからだ。2人はすぐ親しくなった。ソファでよく就寝前に屈託のない話を愉しんでいた。

 1週間が経ったころその初老の男性はにこにこしながら私に言った。

「木下さん、私体重が増えましてねー」

「それはよかったですね」と一緒に自分のことのように喜んだ。ところが・・・。

 2、3日して別の知り合いから知らされたのだ。

「あの方は太ったとおっしゃっていたが腹水でお腹が大きくなられたのですよ!」

 初老の男性はそれ以降、見る見るうちに痩せられていき個室に移された。散髪を廊下でしてもらっておられたのをお見かけした時が最期になった。

 私が退院する日に訃報を聞いたのだ。家族の方にお悔やみ申し上げたような記憶がある。

 断固酒を止めると決心したのはふいにその初老の男性の死がこころに鮮明に蘇ったからだ。25年ほど前のことが・・・。その男性の年に近くなってきている己を厳しく凝視したのである。

 秘められた私の経験を披瀝した蒸し暑い夏の日お話でした。(7月19日)

 

閑話:私は少年のころから大相撲が大好きであったとこの欄にも書いた。しかし、北の湖が引退したころから次第に興味が薄れて来た。

 とは言え、先日書いたように大相撲は日本文化に裏打ちされたしきたりや精神(スピリッツ)などを継承している国技である。完全に興味を捨てきったわけではない。

 私は琴光喜という力士はこそれなりに評価しながらも関脇どまりの力士だと思っていたが先場所、今場所の取り口を見ていて凄い、凄い、再評価しているのだ・・・。

 前向きな彼らしい取り口もさることながら土俵下で待つ表情などは今の大関、横綱の誰よりも素晴らしい。

 絶対に大関になってやるんだという秘めた強い意志が体中に充満し、顔の表情はすでに大関の貫禄に満ち溢れている。数場所前の風貌とは別人のような良い顔をしている。寸分の動揺も感じさせないような堂々としたものである。

 今の琴光喜ほどこれこそ国技、大相撲の力士だという美しくも厳しさに溢れた相撲美を体現している力士はいないと思えるのだ。

 13日目で12勝と昇進ラインに達しているが、残りの2日間に今持っている心技体をまるごと相手力士にぶっつけてほしい。

 そのスピリッツを見せることは自分の勝利につながるだけでなく周囲の力士にも良い影響を与えると思うのだ。(7月21日)

 

閑話:大阪管区気象台は24日午前、近畿地方が梅雨明けしたとみられると発表した。平年より5日遅く、昨年より3日早い梅雨明けで高気圧に覆われた本格的な夏の到来である。

 これまで1週間ほどは雨が降ったり、止んだりの天気で雨が降らない時を見つけて散歩に出掛けるのだが空模様を気にしながらであったから何か落ち着かなかった。

 ある日などは傘を差して約1時間のいつものコースを歩いたこともあった。今日からは夕方に晴れ晴れとした気持ちで散策にでかけることが出来るのがなにより嬉しい。

 今、連続ドラマ「どんど晴れ」を見たところだ。柾樹が老舗旅館の加賀美屋を継ぐと決心してホテル営業企画マンを辞して帰ってきたのだが、勢い込んでやる彼の経営革新の前に大きな壁が・・・。

 加賀美屋を巡る交際費や板場の仕入れなどの仕来りにメスを入れようとしているのだが猛反対の渦が巻き起こる

 とりわけ板長の反対は大きかった。無駄な仕入れをしないようにというのが柾樹の主張だが・・・。

 伝統を守るには旅館組合との付き合いや仕入れ先との誼(よしみ)を結んでいくこともある意味では必要だとの見方もあるようだが・・・。

 果たして加賀美屋の本当の伝統とは何か。このドラマの中で柾樹らが演技のなかでどう明らかにしていくのかも注目したいと思った。(7月24日)

 メモ=梅雨=梅の美の熟するころに降る雨のことからこの名が付いた。またこの時節には黴(かび)が生じやすいことから黴雨ともいう。

 

閑話:今日は英会話サークルに参加した。少し遅れたので単語・熟語の練習には間に合わなかったのは残念であった。英会話というものは単語さえ知っておればネイテブとコミュニケイションを図ることが出来るのだから以後遅れないようにしょうと反省することしきり。

 フリートーキングでは英語による笑いを2組で演じるパホーマンスも。話は落語や漫才の話まで発展した。やさしい英語でコローキヤルな表現を学ぶのは大変いいことだ。英語漫才に挑戦した名落語家の桂枝雀さんのことも話題になった。

 私は29日の参院議員選挙のこと少し取り上げた。新聞各社の世論調査とも民主党の躍進を伝えている。8月9日のデイスカッションの日には私が司会者の1人として選挙結果を踏まえた上での政局の行方について話合うことになっている。

 さて今日のCNNのテキストはBitter Aftertaste(苦い後味)というタイトルでCNNのポーズ記者の記事であった。それによると、故宮博物院の敷地内に、6年以上前にオープンして以来、物議をかもしてきた巨大コーヒー・チェーン店スターバックス。

 今年に入って中国国営TVのアナウンサーがブログで反スタバ・キャンペーンを展開し始めると、同店の閉店を望む中国人が増加したという。

 全国人民大表大会でも、故宮博物院のスタバ閉店を求める動議が出された。故宮博物院は、スタバックスなどからの賃貸料で修復・維持費をまかなってきたが、中国人の国民感情を逆なでしている同店は、閉店を余儀なくされるかもしれないと同記者は伝えている。

 これに基づいて様々な意見発表などをして今日の英会話サークルは終了した。これからいつものコースの散歩に出掛けるとしよう。(7月26日)

 

閑話:昨夕はやさしいヨーガ教室に通った。先週休んだので体が硬くなっているかと思ったが一応自分なりのアーサナ(体操)ができたようだ。休んだ分、気を入れ、集中してやったからだろうと思う。

 課題は単に週1回の金曜日に教室に通い、2時間、アーサナをやるだけでなく毎日の生活の中にヨーガの簡易体操だけでも採り入れ、体を柔軟にする習慣を身に付けることである。

 毎回そう思いながら実行できていないのは自分に対して甘いとしかいいようがない。今日からでも実行したい。ものの15分だけでいいのだから。現役時代にある先輩から真向法を毎日健康管理にやっていると聞いたことがあり、さすがだだなーと敬服したことがあった。

 そこで私もと真向法の本を購入したものの、実行しないままであった。ヨーガを定年後暫くしてからやり始めたのもこんな記憶が潜在しいていたからだろうと思う。それはそれでいいのであるが、日々の生活のなかにヨーガを生かしきっていなかった自分に反省することしきりである。

 今日は交野地方も猛暑に近い。庭の木々に夕方には水遣りをしなければならない。梅雨明けまでにすっきりとまではいかないが草取りをしていてよかったと思う。草茫々で水遣りは全くさまにならないからである。

 それで思い出したが髪茫々とはいかないが、もう少し日照りが和らいだころを見計らって散髪に出掛けることにした。明日は参院選挙日でもあるからすっきり、さっぱりとした気持ちで投票に行き現役時代を思い出しながら選挙結果を見守るつもりだ。(7月28日)

 

閑話:昨夜から今日未明まで第21回参院議員選挙報道をNKKと民放を組み合わせながら見続けた。

 自民の歴史的な大敗だ。新聞各社が予想した通りの結果になった。民主党は73議席を争った選挙区で40議席、比例区で20議席と60議席を勝ち取った。

 自民党は選挙区23議席、比例区で14議席と37議席にとどまり、1989年の宇野首相が退陣した36議席の過去最低に継ぐ惨敗である。また公明党も選挙区で2、比例で7と9議席と改選議席12議席を下回った。

 この結果、民主党は第1党になり、参院での議長ポストを確保することになる。こうした中で安倍首相は続投を表明し、党内での承認を得たものの、国会運営は極めて厳しくなりそうだ。

 まずはつぶさに敗因を検証することが自民党には不可欠であると思える。これまで自民党が強かった1人区での敗退はなにを物語っているのだろう。

「保守王国」といわれた四国4県では自民前職4人全員が敗れた。これは大都市に比べ地域格差が歴然と四国に生じ、それへの県民の不満が一挙に噴出したからだろう。

 早くから全国の1人区の農村地域に足を運んだ小沢民主党代表の政治センスは見事というしかない。

 景気はマクロで見れば回復しているとは言えても地方や中小企業は回復感を味わえないままでいたのではなかろうか。

 さらに都会で働く人、とりわけ都会で働く若者層は非正規社員などの不満は大きかったのではないか。つまり都会内でも所得格差が生じているということであろう。

 こうした不満に加え閣僚の誤解を招く失言が相次いだ。また政治と金の問題などがある。

 一方、年金問題は矢継ぎ早に対策を取ったものの、杜撰な年金管理には国民の多くが唖然とした。無党派層もこれには怒り、いきおい民主党に票を入れたのではなかろうか。

 これから役員人事や内閣改造に安部首相は取り組まなければならないが適材適所の陣容を固めていくことになるだろう。難しい組閣になりそうだ。

 一方、民主党は参院第1党をバネに近い将来、解散総選挙を経て政権党を目指すことになるだろうが政権担当能力を一層磨き、外交にも的確な視座を持ちかつ国民の視点に立った政党になってほしいものだ。(7月30日)

 

閑話:もう7月31日。明日から8月である。この2、3日前から拙宅の近くでも蝉が鳴き出した。本格的な夏の到来を蝉たちが告げているのだろう。

 今日はからっとした夏日である。蒸し暑さは感じない。それでも散歩に出掛けるには夕方が良いだろうと、なにげなくキーを叩いている。今、ヨーガの簡易体操(アーサナ)一つである「すき」の体位をし休憩したところである。

 S先生によると、これをやると甲状腺を適度に刺激するので元気が出るという。私はどちらかというと体が硬いほうでしかも腹筋が弱いときているから難度の高いアーサナであるが夏ばて防止によいかもと毎日続けることにした.。

 午前中は「どんど晴れ」と「さくら」を見た。その後、リビングにある私の文机が雑誌やら読みかけの本などで山積みになっているのを2カ月ぶりに片付をした。

 イチローの試合を見ながらであるのでイチローの打席のたびに小休止しての取り組みであるからまだ整頓し切っていないが、まず手紙や読書を出来るまでの空間をつくった。

イチローを中心としたマリナーズ選手の活躍でマリナーズは2対0でエンゼルスに勝った。

 イチローは4打数3安打1打点。昨日大リーグ通算1500安打を記録したが今季安打をもう150本台に乗せた。盗塁も昨日までに29とし7年連続30盗塁に王手をかけた。城島は1安打であったが4試合連続安打。

 とりとめのない生活エッセイになったが、今日は大安である。

 大安は6曜(6輝)の一つで先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口となる。大安は旅立ち・移転・開店・結婚など万事に吉とする。大安吉日ともいう。

 さて今年も後半に入って1カ月がたった。大安の今日、イチローに元気をもらったことだし、こころ新たに歩みを始めるとしよう。(7月31日)

 

閑話:今、英会話から帰ったところだ。家を出る直前までイチローのマリナーズ対エンゼルス戦を見ていた。イチローはそれまで内安打1のままで今日は調子が悪いのかなぁーと気にしながら英会話に出席した。

 さすがに英会話の最中にはイチローのことは全く忘れて英会話に没頭していたが、早速に読売新聞社のサイトで試合結果を見たら、イチローは6打数4安打と活躍し、マリナーズが12回に8対7で逆転勝利していた。

 この日は城島も4打数2安打と好調で2人の活躍がチーム全体を盛り上げ、勝利を挙げたものとみられる。イチローは打率を3割5分1厘と、両リーグ通じて1位の打率。城島も2割7分2厘と打率を上げた。

 さて今日の英会話のCNNのテキストはFood for Thoughtで健康的な食生活を奨励する米大学についてであった。

 米バージニア大学医科大院内の自動販売機で売られるスナック菓子には、カロリー別に分類された3色のシール張られているという。また高カロリーのスナック菓子の料金には5セントが上乗せされている。

 商品を購入する前に、消費者に健康について考えてほしいとの思いから実施された。このプログラムは一定の成果を挙げ、実際に高カロリー商品の売り上げは落ち、健康にいい商品の売り上げは上がったとしている。

 今、このプログラムは、全米の病院や教育機関でも導入が検討されているという。

食育の観点から見ても望ましい取り組みで注目される。日本でも検討に値する試みではないかと思った。(8月2日)

 (注)vending machine自動販売機

 

閑話昨夕はやさしいヨーガ教室に通い、みっちり2時間、S先生の指導で簡易体操(アーサナ)を行った。この1週間はやや怠惰な生活になりがちだったのでこの日のヨーガで心身ともリフレッシュできてよかったと思った。

 S先生が配布された資料(M教師が機関誌に書かれたもの)にはヨーガの要諦である4原則について詳しく書かれている。

 それによると、@動作はゆっくり行うA呼吸と動作を結びつけるB意識を体の1部もしくは全体にむけているC緊張と弛緩の交替を適度に行うが全体としては緊張より弛緩を大事にする。 

 私などまだ基本体操を忠実に実行するのがやっとであるが、これからはこの4原則を極力念頭においてアーサナに取り組みたいと思った次第である。

 M教師の記事によると、体の組織は刺激がないと衰えるとし、宇宙飛行士が宇宙から地上に帰還した直後は歩けなくなるという。

 地上では姿勢を保つために無意識に体内の多くの筋力が力を出し続ける仕組みが働いているが、宇宙ではこの働きがないため筋力が急速に退化、萎縮するためであると指摘している。

 また厚生労働省の推計では日本の65歳以上の認知症患者は170万人。2015年には250万人に増えるとしている。情報伝達の必要性が減り、脳細胞が萎縮、死滅するためと同氏は指摘している。

 こうしたことからヨーガのアーサナは@神経の働き、特に自律神経の働きを整えるA血液リンパ液の流れを整えるB骨格を整え、姿勢を整えるC筋肉を柔軟にし強化するーーなどとともにこれらが複合的に作用し、様々な組織の細胞の老化を防ぎ、活性化させるとしている。

 単に認知症防止に役立つだけでなく豊かで深みのある人生を送る上でも有効な働きがあるのだ。

 先日この欄でも書いたが積極的に生活の中にヨーガを採り入れていく所存。さぁー散歩の前に少しヨーガの基本体操でもするか。(8月4日)

 

閑話:久しぶりに午前5時半前に起床した。早速、洗顔し、新聞を玄関前に取りにいく。まだ多くの家は眠り、夢の中・・・か。辺りは森閑としている。

 あまり早く起床したのでさてなにをするか判然としないのでキーを叩きながら今日の1日をイメージしている。

 昨日は残念であった。あのイチローが松坂に抑えられ、5打数0安打であった。イチローも悔しかったに違いない。

 今、読売新聞社のウエブサイとで見たら、イチローは指名打者(DH)でスタメンで出場することになっていることが分かった。

 疲れを取ることを考慮に入れた監督の配慮であろうが、イチローに奮起を促す意味もあろう。時折、ウエブサイとを見てイチローの打席結果を見ることにする。

 さて7時半からは「どんど晴れ」と「さくら」を連続して見ることにする。

午前8時からは広島平和記念式典が中継される。式典を見ながら、犠牲者に黙祷を捧げたい。

 昨夜もNHKでドキュメンタリー、「核クライシス」を見た。核の恐ろしさを慄然としながら見た。日本のそして世界の平和の尊さを改めて思い知った次第だ。(8月6日)

 

閑話:英語サークルに通った。今日はデスカッションの日であった。フリートーキングの後、先の参院選挙後の政局について私が司会し、その後はOさんの司会で旅館とホテルとどちらがいいかのタイトルでデイスカッションした。

 政局については国際問題と国内問題で民主党と自民党とどちらが問題解決に当たれるかとの意見を出し合った。

 日本は米国に追随し過ぎでおり独自の責任のある外交政策をとるべきあり、日米関係は対等の立場で友好関係を維持すべきであるとの意見が出た。

 その意味でも11月1日に期限切れとなるテロ対策特別措置法についての民主党の対応が注目されている。小沢民主党代表は同法の1年延長に反対の立場を明らかにしているが、同党内の中にはこれに難色を示す1部議員もおり、党内部の意見一致に課題を残しているとの意見も。

いずれにしろ、今月末開会予定の臨時国会での論戦に関心が高まっているようだ。

 次のアゼンダでは日本式の旅館が良いとする意見が圧倒的に多かった。中には旅行目的に合わせてホテルと旅館を使い分けているという現実的な意見もあった。

 私はNHKの連続ドラマ「どんど晴れ」の主人公の健気に女将修行をしている夏美のような仲居さんがおれば断然、旅館の方が良いと話した。

 でもあんな理想的な仲居さんがいまどきおるのだろうか!嗚呼・・・。全国の仲居さんや女将さんの皆さんはこの「どんど晴れ」を見てほしいと思った。夏美が持ち前の明るさで次第に成長していくさまがよく描かれている。

 今日は朝、昼の時間帯に見れなかったのでBS2で7時半から見るつもりである。どんなドラマ展開になるのか愉しみである。 

 さぁー6時からいつもの散歩である・・・・(8月9日)

 

閑話:レッドソックス戦では5打数0安打が2試合続いたイチローであったが3試合目から立ち直り、10日(現地時間9日)、オリオールズ戦で3安打3打点と活躍し、3試合連続3安打の猛打を続け、大活躍。

 ハイレベルでのア・リーグの首位打者争いの中で打率は3割5分で首位をキープした。

 イチローの3度目の首位打者に期待したい。無安打を2試合続けてもそのロスの部分をすぐ取り返す反撃力は素晴らしい。

 このあたりのところが並みの選手とは格段に違うのだ。すでに今季31盗塁を決めており、これは7年連続の30盗塁である。

 後は7年連続200安打だがこの日の安打で早くも165本とし、リーグトップ。目標達成に向けて着実に歩を進めている。後半戦もイチローのバッテイングは冴え渡るであろう。

 私はBS1で英語の副音声で聞きながら試合を観戦している。試合を愉しむとともにヒアリングアップを図ろうという試みであるが、イチローが目標を達成するまでには少しは自身のヒアリング力を高めたいと思っている昨今である。(8月10日)

 

閑話:今、妙見東団地の25回夏まつりから帰ったところだ。夜空に輝いた花火の輪がまだ脳裏にちかちかとまばゆいほど残っている。

 現役のころは忙しくまた不規則な勤務が多かったので2、3度祭に行った程度であるが、今年は2丁目の班長の1人であるため、家内は朝の8時ごろから出店に出すおでん作りに出掛けた。

私はいつもの如く約1時間の散歩を済ませた後、シャワーを浴び、夕食を取ってから参加した。

 もう半分ほどプログラムは進んでおり、ミュージシャンの歌が夜空に木霊するころであった。それからプロ級の腕前を持つ、高校3年生の女子生徒による三味線の見事な撥さばきが参加者の感動を呼び、大きな拍手を浴びていた。

 その後、妙見東団地に隣接する団地に住まわれている民主党の平野博文衆議院議員が駆け付け祝辞を述べられた。

 家内によると、中田仁公交野市市長、山添武文府会議員らの挨拶もあったという。妙見東団地は501軒の大規模団地で祭も自治会主催で今年で25年も続いているのだ。

 私達がこの団地に家を建て移り住んで18年になる。その7年前から祭は絶えることなく続いているのだからもう伝統ある団地祭である。

 今夜の夏祭には子供づれの親子3世帯の家族も多くおよそ1000人近くの人が参加したのではないかとみられる。

 ♪♪・・・河内生まれの風来坊は♪粋のいいのが・・・♪・・・河内音頭の盆踊りは中々堂に入ったもので祭の雰囲気をおおいに盛り上げていた。

 夜空に瞬く花火とともに今年の夏まつりも成功裏に終了した。(8月11日)

 

閑話:今家内と一緒に妙見東団地内を半周して帰ったところである。

ふと夜空を見上げると北斗七星の輝きを眺めることが出来た。

 午前3時頃に車で帰宅することの多かった現役時代には簡単な食事を取ってから、同4時ごろから歩き始めることが多かった。

 明け方の空は綺麗で北斗七星だけでなく様々な星々を見上げることが出来た。その時刻は大阪市内などの大方の経済活動はとまっているので空気が澄み渡っているからであろう。

 定年後の生活は人様とほぼ同じような生活に戻ったので明け方の無数に輝く星々を見ることが出来なくなったことに幾ばくかの寂しさを感じる。

 今夜、家内に促されて空を見上げ北斗の星をとらえることが出来たのは、お盆休みで経済活動がいつもとは少なくなっているからであろう。

 盆休みで田舎に帰郷した方々はもっと美しい夜空を愉しむことが出来る筈だ。

 お墓参りを済ませたら、都会暮らしと同じような発想を切り替える一瞬を持つためにも夜空の美も堪能してほしいものだ。(8月12日)

 

閑話:今日はゴミ当番であった。午前9時半ごろに交野市のゴミ収集車が来るのでその前に自宅のゴミ袋を出しに出掛ける。

 もう誰か早起きの人がゴミ袋を出しており、厚手の青いビニールの覆いがかけてあった。私はそっと覆いを開けて持ってきた自宅のゴミ袋2つを入れ、レンガの重しを四方にのせるのだ。

 それから自宅に引き返し、箒と水を入れたバケツを持ってゴミ収集場所に置いて自宅に戻る。朝食を取ってから同9時15分に家を出、前庭に水遣りを簡単に済まし、頃を見計らって収集場所に行く。

 もうこの時間になると各家庭ともゴミを出しており、青いビニールカバーは大きく膨れている。同20分にビニールの覆いを剥がし、箒を持って待機していると時間通りに収集車が軽い音楽を流しながらやって来た。

 「ご苦労さまです」と声を掛け労をねぎらう。2人の職員の方が収集車の後方のがま口のように大きく開いた口に10個ほどのゴミ袋をあっという間に掛け声とともに放り込み、収集車は去って行った。

 その後、私は汚れてはいなかったが簡単に箒で掃き、その後にバケツの水をぱぁーと撒き作業を終える。

 今日は滞りなく終わったがいつかの折は私が箒と水を取りに家に引き返した間に一羽の烏が舞い降りて覆いの横から、ゴミ袋の一つを嘴で破り、中にあった卵を突いて上手そうに食らっているではないか。

 私は声を上げて烏を追い払ったがそのゴミ袋は破れて生ゴミの中身が半分、路上にはみ出しているではないか・・・。私は素手で生ゴミを拾い袋に入れ直した。もう収集車が来る時間帯であったので少し、焦ったことがあった。

 ゴミ当番は時にこんな場面にも遭遇する。ゴミ袋は覆いの奥に入れ、レンガの重しでしっかりと押さえてほしいいとつくづく思ったことがあった。

 ふとこんな場面を思い出したので記した。(8月14日)

 

閑話:午前10時前にリビングと書斎の窓を閉め切ってクーラーを入れた。遅い朝食を取ったら急に汗が噴き出してきたからどうしょうもない。

 昨日もそうだったが今日はまた格別に暑い。今日は終戦記念日。終戦から62年がたった。その年の8月15日も暑かった。

 襤褸(ぼろ)纏い焼け野が原に一つのラジオを置き、天皇から終戦の玉音放送を耳をそばだてて聞いた人々・・・・。節約に配慮して摂氏27度のクラーで暑さを凌げる今の平和な生活を幸せに思う。

 平和憲法の下、経済復興を目指してひた走りに走り続けた日本。復興から瞬く間に世界第2位の経済大国になった。

 その後、バブルがはじけて失われた10年と言われた深刻な経済陥没。ようやくマクロ経済で回復基調にはなっているものの、いきおい市場主義に走った結果、中央と地方の格差は広がり、国民の所得格差も拡大した。

 その結果が先の参院選で自民党の歴史的敗北につながった。

 民主党の参院躍進を受けてこれからの日本はどのような方向に向かうのか・・・日本の安全で豊かな暮らしの構築と世界の恒久平和確立のため、いかなる形の貢献が必要になるかを求めての模索が続く筈だ・・・。

 終戦記念日の今日は日本の行く末について各々が様々な角度から真摯に問いかけるべき日ではなかろうかと思う。(8月15日)

 

閑話:終戦記念日の昨日、格別に暑いと書いたが、やはりそうだ。今朝の朝刊を読むと群馬県館林市40・2度を記録するなど全国43地点で観測史上最高気温となった。

 40度以上の観測は2004年夏以来、3年ぶり。さて史上最高気温はというと山形市1933年(昭和8年)7月25日に記録した40・8度という。

 まさに列島が熱波に覆われた超猛暑日だった。私の住む関西の交野地方でも午前中に窓を閉め切ってクーラーに頼らざるを得なかった。

 気象庁によると、勢力の強い太平洋高気圧が日本列島南東の海上に張り付いて気温が下がりにくくなっているためという。

 このため、埼玉県と栃木県でそれぞれ1人が熱中症で死亡、栃木県内では29人が病院に救急車で搬送され、また東京消防庁によると、東京都内では86人が病院に運ばれ、このうち7人が重体となっているという。(8月16日)

(注)夕方、テレビ報道を見てあっと驚いた。なんと岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40・9度を記録し、74年ぶりに記録を更新したと気象庁は16日午後、発表した。

 

閑話:所用で帰ってきたのが午後2時半であった。早速、読売新聞社のウエブサイトで大リーグ情報を見た。このところ好調を持続している松井秀は3安打と今日も複数安打を放ち、打率を3割台に乗せた。

 残念ながらイチローのマリナーズは試合がなかったとみられ、表示には松井秀だけでイチローの表示は昨日の成績が載っているだけであった。

 遅い昼食を済ませてから家内に頼まれていた洗濯物を干した。しわしわになっているアンダーシャツなどをぱっ、ぱっと振り、しわを取ってから干していく。この要領ももう慣れたものだ。

ものの15分くらいで作業を終えたが、それでもシャツが汗まみれになってしまった。

 「今日も暑いなぁー」と呟きながらもう一度こんどは朝日新聞社のウエヴサイトを見たら、なんと岐阜県多治見市では今日も午後零時半に40・8度を記録し、15日以来3日間連続して40度以上の温度が続いたことになり、これは観測史上初めてという。

 昨日と来週の英会話サークルは盆休みになっている。英語はつい休みとなると、さぼってしまう。これから30分ほどCNNのテープを聴いてから、やさしいヨーガ教室に出掛けることにする。(8月17日)

 

閑話;昨日は久しぶりに大阪市役所の隣にある大阪府立中之島度図書館に是非読みたい本があったので借りに出かけた。

 貸出期間は3週間である。余裕をもって読むことが出来る。さらに貸出期間を返却の期間内であれば電話で1回に限り、延長出来、その日から3週間延長できる。

 したがって20日目に電話すれば、最大41日間、借りることが出来る勘定になる。但し、誰かの予約が入っている場合は延長はできない。

 じっくりと読まなければならない書籍であるため、これだけあれば十分である。必要な箇所を選びそこだけコピーするつもりである。

 帰りの電車の中で少し読んだが貴重な本だとつくづく思った。家内はもっぱら交野市や枚方市内の図書館を利用している。買うと部屋が本でいっぱいになるのと、節約の観点からだそうでいまさらながら納得したものだ。

 私は新聞社勤務の現役のころからそうした節約するという考えもなく新刊本をかなり買い込んでいたので私の書斎は満杯になっており、これ以上よほどのことがないかぎり買いたくないと思っている。

 それに買い込んだ本で読み切っていない本がまだかなりある。それらを読む時間はたっぷりあるのだから本購入は控え目にし、図書館活用も十分考慮に入れて読書についてここらで発想をかえなければならないと思った次第だ。(8月19日)

 

閑話:昨夜、と言っても午後7時半からだが、あらゆる部屋のライト(電気)を点けて我が家の前庭と後庭の庭木に1時間近くかけて水遣りをした。

 というのも家内が昼下がり、ふとサルスベリの木に目をやると、葉っぱがうな垂れるように下を向いており、応急措置として水を遣ったという。

 買い物から帰って再びその木を眺めてみると生き返ったようにしゃんとしていたという話を家内から聞いたからだ。

 ライトは水遣りをやるのに十分な光を庭に投げかけていた。木の1本、1本に口の中で1、2、3、と30まで数えながら丁寧に遣った。

 今朝起きてみたらもう朝から日差しが強く照りかけていた。庭の木々は元気を貰ったかのように照りかける熱気を帯びた陽光を受けてもキラキラと葉を輝かせながら負けじと息づいているではないか。

 家内によると私の現役時代はほとんど私も家内も息子も丁寧に水遣りを何故かしなかったという。

「うちの植木はそんな中でも耐えてきたのだから丈夫と思ったのだけれど・・・」と家内は言ったが今年の日照りにはやはりこたえたのではないかと改めて思った。

 何しろ、観測史上最高温度を記録した岐阜や埼玉両県ほどではないにしても関西地方でも37度から38度を記録し、連日のように暑い日が続いた。今日も昼ごろには猛暑になりそうだ・・・。(8月20日)

 

閑話:起床後、7時半からBS2で「どんど晴れ」と「さくら」を連続して見た。

 「どんど晴れ」はいよいよクライマックスの一つを迎えた。様々な曲折を経て夏美と柾樹は結婚式を迎えようとしていた。

 が、大女将だったカツノの容態が深刻になってきた。医師が女将、環に伝えたのは「今日1日持ちこたえるかどうか・・・」

 これまで伝統のある旅館、加賀美屋を支えてきたカツノは死に直面していた。そこへ平治が柾樹の父親、政良を連れてきた。

 政良は旅館経営に嫌気がさして飛び出し、以来、遠野の地で親から見離された子ども達を預り、罪滅ぼしの生活を送っていたのであった。

 「2度と旅館には足を入れさせない・・・」とカツノに言われて政良もそう思っていたのだが、親子はやっとこころのわだかまりを捨て手を握り合う。

「政良・・・、お母さん!」 2人の頬に大粒の涙が流れる。

 一方、本殿では夏美と柾樹の結婚式が厳かに始まろうとしていた。

 夏美の脳裏にはここまで辿りつくまでの様々な出来事を思い出し、柾樹の後に従って本殿まで歩を進めていた。

 これまでのドラマ展開を見ていて大家族で老舗旅館を支えていく人間模様が上手く描かれていて早朝に爽やかな風を送り込んでくれ、見るのが愉しみの一つになっている。

 さーてこれからの加賀美屋の行く末は・・・(8月21日)

 

閑話:午前5時半に起床。洗顔して新聞を取りに玄関に・・・。リビングルームの窓を開けっぱなし、朝の冷気をリビングに入れ込む。

 早速、パジャマから腕切りの半そで、半ズボンに着替え、ソファに腰掛け、新聞をパラパラとめくっていたらひんやりとした風が流れ込み、心地よいひと時を過ごせた。

 いつものように「どんど晴れ」と「さくら」を見終え、キーを叩いている。と同時にさて今日はどう過ごそうかとイメージしている。

 やはり、午前中は読書に充てることにする。きょうは家内が休みなので昼飯は外食に出掛け、ついでに比較的長時間過ごせる「談話室」という喫茶店に立ち寄り、ここでも少しの読書をし、スーパーで買い物をして帰宅。

 庭木の水遣り、きょうに限り、読書を中心にしてテレビは最小限に抑え、少し、緊張のある生活を送ることにする。(8月22日)

 

閑話:午前6時に起床。

 朝食には塩鮭、トマトに加え野菜類であったが、昨夕、スーパーで買ったママカリという魚の酢漬けもあった。ふと思い出したのだが、ママカリは瀬戸内海でよく取れ、少年のころ度々食したことを思い出す。

 ところでママカリとはままご飯)のことでこの魚は美味であるところから食が進み、隣近所にご飯を借り(カリ)にいくという意味で名前が付けられたという話がある・・・。

 外は雷を伴う雨が激しく降っている。この分だと今日はクーラー無用にて過ごせそうだ。

 実は昨晩、家内に頼まれて家中のライト(電気)を点けて過日のように庭の前庭、後庭に丁寧に水遣りをしたのだが、この雨で庭木も息を吹き返し、喜んでいるだろう。

 そう思いながらキーを叩いている。

 起床後、すぐに読売新聞社のウエブサイトで大リーグ情報を見たら、イチローはツインズ戦で3打数2安打、1盗塁を決めたものの、4対8で敗れ、5連勝でストップした。イチローは打率を上げ3割4分9厘。

初回、7点を失ったのが大きく、追撃できなかった。

 しかし、昨日の時点でチーム打率は3割2分8厘と両リーグ通じてトップで今、チーム全体が盛り上がっており、地区優勝に向かって全員が燃えている。

 試合が終わっているので愉しみが減ったが今日は読書中心の1日になりそうだ。(8月23日)

閑話:今日午前11時から妙見宮で催された地蔵盆に参加した。友人の佐々木久裕宮司が唱える地蔵菩薩の真言(オン・カ、カ、カ ビサンマエソワカ、オン・カ、カ、カ ビサンマエソワカ・・・)が宮内に木霊する。

 参加した地元の方々30名ほどが順番に線香を頂き焼香し、地蔵様に向かって手を合わせ一礼する。その間、宮司は地蔵菩薩の真言や般若心経を唱え続ける。

 拙著「交野探訪」にも書いたが地蔵菩薩の真言を唱えると衆生が無限地獄の最中にいても、衆生に代わって煩悩を引き受けられる。真言を唱える人々には無論のこと礼拝するすべての人々に仏縁を授け、悟りの世界に導くのだ。

この欄で小説「如来が弁護してござる」余滴12にも掲載しているので参照していただきたい。

 皆が焼香を終えた後、机と腰掛を並べて茶菓子とビールやカンジュース,、お茶などを飲みながら暫くのチャタリング。

 偶然である。

 私の前に平井篤子さん(81)が座っておられた。「交野探訪」で大田垣蓮月尼が平井一族と幕末のころ親しかったので電話取材にこころよく応じてくださった方である。

「どちらからいらっしゃったのですか?」と平井さんから声を掛けられた。

「妙見東から来ました木下といいます」

(ここまでその女性が平井さんとは私は知らなかった)

「私、平井です」

「では篤子さんでいらっしゃいますか」

「そうです。これも地蔵さまのお導きですね」と応じられた。

いろいろなことで平井さんにはお世話になっているがこれが初対面であった。

お茶を飲みながら四方山話が弾んだ・・・。私も地蔵さまのお導きだと思った。(8月24日)

 

閑話:起床後、「どんど晴れ」を見たところで今、イチロー城島のマリナーズ対レンジャーズの試合を副音声の英語で聞きながらキーを叩いている。

 今日、レンジャーズに勝ちエンゼルスが負ければば西地区で首位に躍り出ることになる。イチローを中心にした全員野球でぜひ勝利してもらいたい。

 さて「どんど晴れ」では式場で正式に柾樹が跡を継ぎ、若女将に夏美を決めたと女将の環が親戚一堂が集まるなかで宣言した。

 柾樹の後継者就任には1部の親戚筋から反論があったが夏美の堂々としかも爽やかに決意のほどを述べると皆から大きな拍手が沸き起こった。

 一連の結婚行事を終えたころ、病床のカツノは友人の平治と息子、政良に看取られながら静かに息を引き取った。

 旅館に帰りついた夏美は泣き崩れカツノの死を悼んだ。

 柾樹はカツノのお蔭で腹違いの兄、伸一とも仲直り、家族全員が団結して老舗旅館、加賀美屋を盛り上げることになった。

 夏美、柾樹を中心に後半の舞台は展開される筈だ。大いに期待したい。

 さて試合結果であるが、イチローは5打数3安打と活躍し、打率を3割5分4厘とし、目下、ア・リーグで首位に立っている。

 これで安打数は188本となり、200安打達成が確実に視野に入ってきた。城島も1安打。試合は4対2で競り勝った。(8月25日)

 

閑話:午前5時半過ぎ起床。

 リビングと書斎の窓を開けっ放すと、ひんやりとした冷気が半ズボンと半袖シャツに着替えた私の肌をやさしく撫でる。

 恐らく今日も昼近くになると、クーラーに頼らざるを得ない猛暑になるに違いないが、ひと時の安らぎをキーを打ちながら感じている。

 早起きは3文の徳といわれるがまさにそうだ。この心地よさを暫く感じていたい。

 昨夜のことを思い出す。

 読売新聞社のウエブサイでは普通だと午後5時ごろには米国現地時間ですべての大リーグの試合は終了して打率、本塁打、打点、盗塁などの成績を更新するのだが、かなり遅れてやっと更新した。

 それはヤンキースとタイガースが試合前15分から雨が降り出し、試合が開始したのは約4時間後のことだ。日本の場合は雨が止むのを待つのは1時間が原則だが、メジャーは時間制限なし。

 なんと、試合が終わったのは翌日の午前3時30分、タイガースのギーエンが延長11回の裏、サヨナラ3ランを放ち、ヤンキースを破った。

 <実質試合時間?>は8時間半。現地のデトロイトでは夜明け前だった。これでは読売新聞社のウエブサイトの成績発表も遅れる筈だと納得した。

 イチローは目下、首位打者とこの欄で書かざるを得なかったのは当然だった。結局、イチローとハイレベルの首位打者を競っているM.オルドニェス(タイガース)が複数安打を放ち3割5分7厘とし、イチローを3厘上回って首位に。

 イチローの今日のレンジャーズ戦での活躍を期待したい。BS1の9時半からの放送を愉しみにしたいものだ・・・・とここまで書いてBS1でテレビ中継を見た。

 ところがである・・・。

 昨日のコメンテイター(解説者)も「明日のイチローのバッテイングが愉しみですね」と言ってはいたが、イチロー自ら休養を申し出たようだ.。無理もない申し出ではある。今季初めての休みだから。

 HDでの出場も監督との間で話し合われたもようだ。結局、代打では立つとの結論が出たそうだが、この日は残念ながら代打で登場する機会はなかった。

イチローの出ないマリナーズはやはり、ピリッとしない。マリナーズは3対5でレンジャーズに負けた。

 明日からのイチローの活躍に期待したい。(8月26日)

 

閑話:午前5時ごろに起床。

 パジャマのまま、すぐに玄関に出て新聞を取りに出る。そこで大きく深呼吸をし、辺りの家々を見渡すとしんと静まりかえり、ほとんどの家がまだ夢の中であろう。

 どこの新聞店舗の配達員なのか、私の起床時にバイクの音がした。新聞各紙は皆揃っていた。

 早速、私の書斎とリビングの窓をいつものように開けっ放す。朝の清浄で微かな冷気が部屋に入り込む。

 話は飛ぶが元経団連会長の土光敏夫さん(元東芝社長、元石川播磨重工業社長)は午前4時には起床。まず法華経を30分唱えるという話を聞いている。こころを浄化してから、木刀の素振りを行う。

 それから朝食・・・。メザシなどに加え、5坪ほどの畑で奥様と2人で栽培した野菜なども添え、質素な朝食を済ませる。

 横浜市に住む土光さん。

 社長時代の土光さんは鞄に必要書類を入れ、バス停まで歩るきバスを待ち、今度は国電に乗って勤め先に誰よりも早く着くという。

 夜の宴会などはほとんど欠席。帰宅後は読書などをし、就寝前には1日の反省とともに再び、法華経を唱えるという。睡眠時間は5時間で通したという伝説めいた話がある。

 偉くなる人は全く凡人とは違うなぁーと最近読んだ本で感歎したものだ。

 こんな土光さんの生活ぶりを思い出したのは我が書斎やリビングに流れる早朝の爽やかな空気に触れ、ふいと頭をかすめたからだ。

 超一流人はどこかで皆とは違った努力をしている。だから尊敬してやまないのである。

 このところこの欄で紹介し続けているイチローだってそうだ。試合4時間前にはもう独り、球場に着き独自のスケジュールで黙々と練習を積んでから試合に臨むのだ。

 イチローのことをオールマイティーな天才バッターであるというが、彼のひたむきな努力を見逃してはならない。

 さて昨日、休養を取ったイチローは今日はどんなバッティングを見せてくれるか本当に愉しみである。

 先の参院選で歴史的敗北を喫したことを受けての安倍首相による内閣改造が今日がある。

どんな顔ぶれになるのか大いに注目したい。(8月27日)

 イチローの試合結果であるが、4打数1安打で3割4分3厘と1厘下げた。7試合連続安打とするもマリナーズは3対5でレンジャーズに敗退した。(8月27日)

閑話:安倍首相(自民党総裁)による内閣改造が昨日行われた。参院選で惨敗した安倍首相にとってかなり熟慮を重ねた布陣となった。

 女房役に経済成長路線に距離を置き批判的な立場を取っていた官房長官に与謝野馨氏を起用した。

 また四国4県など1人区での大敗北で反省したのか増田寛也氏(前岩手県知事)を総務相に任命するなど地方施策を重視する姿勢を示したものだろう。

 さらに安倍首相に厳しい批判を浴びせていた舛添要一氏を厚生労働相に充てるなど懐の大きさも滲ませた。

 一方 、町村信孝氏を外務大臣、人事問題で揺れた防衛相には高村正彦氏を起用したがいずれも派閥の長である。

 総じてベテランを配した改造内閣になったが、安倍首相が目指した憲法改正など理念重視の独自色を薄めた陣容で来月から開かれる臨時国会に臨むことになった。

テロ特措法の延長問題などで民主党との激論が予想され、改造内閣の真価が問われるだろう。(8月28日)

 

閑話:起床3時半。

ぐっすり眠った感じでふと時計を見るといつもより、2時間近くは早い。

 早速洗顔をし、パジャマから半ズボン、半袖シャツに着替え、まだ新聞は配達してしないかもと、思いつつ、玄関に出ると朝日新聞日本経済新聞は配達されていた。

 日本経済新聞が安倍内閣発足を受けて27ー28日に実施した緊急世論調査結果を1面トップに掲載していた。朝日新聞は13版では4段抜き見出しで全国緊急世論調査結果を載せている。

 日本経済新聞によると、内閣支持率は41%となり、7月末の前回調査から13ポイント上昇した。不支持率は23ポイント低下の40%。ベテラン議員を配置するなど重厚型内閣が一定の評価を得たようだ。

 脱「お友達内閣」を図ったのが安心感を与え、それが反映したものとみられる。また自民党執行部の一新についても「評価する」が40%で「評価しない」の34%を上回った。

 しかし、参院選の惨敗後に首相が続投を判断したことについては「反対だ」が49%を占め、「賛成だ」の40%を上回っており、政権運営に対する有権者の厳しい視線は続いている。

目前に迫った臨時国会などでの成果がこれからの支持率の行方を左右しそうだ。

 また政党支持率では自民が35%と前回より、6ポイント上昇したものの、8ポイント低下した民主党の36%を上回ることはできなかった。

 新しい内閣へのご祝儀もあり、民主党など野党の臨時国会での論戦の成果が今後の支持率に反映される。

 同紙の編集委員N氏の解説によると、安倍首相の下で衆院解散・総選挙に臨むのかーー。党内の関心はこの1点に絞られているという。

 参院選の歴史的敗北を喫した首相は後がない再チャレンジを成功させるには支持率を着実に回復軌道に乗せ、党内での求心力を高める道しかないなとN氏は指摘している。

  一方、朝日新聞の調査によると、内閣支持率は33%で、過去最低だった参院選直後の前回(7月30、31日)の26%から上がったが不支持は53%(前回60%)と引き続き半数を超えた。

 また政党支持率では自民党25%(前回21%)に対し、民主党が32%(同34%)と前回に続いて民主が自民を上回っているなどの調査結果になっている。(8月29日)

 

閑話:今日は午前6時起床。

 早速、BSハイビジョンでマリナーズ対エンゼルスの試合をライブで観戦。マリナーズはまたエンゼルスに完敗した。おまけにイチローは無安打に終わり、連続試合安打は9試合でストップ。

 イチローは7年連続の200安打まで8本としたままで明日の試合で積み増ししたいところだ。イチローが打つとこちらも元気が出るのだが・・・。

 今日は英会話サークルがあり、参加した。盆休みがあったので3週間ぶりの英会話であった。それぞれ夏休みを取っていて金閣寺や苔寺(西芳寺)に行ったったとか富士山に登ったとかの話が出た。

 私が金閣寺はいつ消失したかとHさんに質問したら、先生のリチャードさんがすぐさま1950年(昭和25年)と答えたのにはびっくりした。

 リチャードさんは恐らく三島由紀夫の本を読んでいたのであろう。

 余談だがこの年、朝鮮戦争が勃発、日本では警察予備隊が新設された年でもある。その他様々な話題が出され、あっという間に1時間が過ぎた。

 数分の休憩の後、約1時間、CNNのテキストを使いペアを組んで自分の英語(単語)を使って要約する勉強をした。

 内容はインターネットの書き込みが若者の就職を左右するというもの。

 英国では主要600社でインターネットを検索する人事部長の4人に1人がウエブサイトに載っていたことがらに基づいて不採用にしたことがあるという調査結果がある。

 したがって情報掲載には注意を払う必要がある時代になったということである。日本でも早晩こうした時代になるかも知れないと思ったものだった。(8月30日)

 

閑話:朝日新聞は30日付の朝刊1面トップで9月の臨時国会で最大の争点になテロ特措法の延長を巡り、民主党は29日、独自の対策をまとめる方針を固めたとしている。

 アフガニスタンで医療や食糧支援など民生支援を行うというのが柱で法案として国会に提出することも検討しているといるという。

 同党は11月1日で期限切れとなる同法の延長に反対する方針で、インド洋で展開している海上自衛隊の給油活動も撤退に追い込む構えだとしている。これに代わる国際貢献の具体策を示すという狙いだという。

 こうした民主党の動きに対して高村防衛相らは28日、民主党の賛成を得られるよう特措法の修正を検討することに言及したと同紙は伝えている。

 しかし同紙は民主党は修正に向けた政府・与党との事前協議には応じず、あくまで国会審議を通じて論戦を挑む考えだと報じている。

 今回の特措法延長問題については、シーファー駐日米大使が今月8日に小沢民主党代表と会談し、機密情報の開示を条件に特措法延長に理解を求めた。

 しかし小沢同党代表は「アフガニスタンの戦争は米大統領が国際社会の合意なしに独自で始めた」として反対を表明していた。

 また31日付の日本経済新聞朝刊では民主党は30日、テロ特措法の「廃止」法案を提出する検討に入ったと伝え、政府・与党は厳しい対応を迫れそうだとしている。(8月31日)

(注)上記の文章を立ち上げてからBS2で「どんど晴れ」と「さくら」を見、続いてBS1でマリナーズ対インディアンスのライブ中継を見ていた。残念ながらマリナーズが5対6で敗北、イチロも4打数1安打と振るわず。明日もマリナーズの試合が中継される。こんどこそ6連敗の泥沼から這い上がってほしいと思う。

 

閑話:今日は妙見東団地の桜通りの溝の掃除に参加した。

 溝に山から流れてきた砂が溜まって道路脇に流れ出したり、砂が団地外の下流に流されたりして苦情が寄せられたことがあり、これまでさんご夫妻で約50bにわたる溝に堆積した砂の除去をされていた。

 今回はあまり砂の堆積がひどいのでリサイクル委員長さんのところに連絡があり、4人のリサイクル委員がお手伝いすることになったもの。

 Nさんご夫妻と4人が力を合わせてスコップなどを使い午前9時から1時間半ほどかけて砂を救い上げ、数個の砂袋に入れ、傾斜面側に並べ、砂混じりの水が流れ出すのを防ぐ作業もした。

 Nさんご夫妻のように自主的に妙見東団地のために奉仕活動をやられている方もおいでになるのだなぁーと作業をしながら敬服したものだった。

 さてマリナーズ対ブルーゼェイズ戦は5対7でマリナーズが接戦ではあったが、昨日に続き負けを喫した。

 しかしイチローは5打数3安打と活躍し、7年連続200安打に後4本とした。打率は3割5分2厘に。また城島も2安打。マリナーズは7連敗となった。

 明日、午前2時5分からBS1でマリナーズ対ブルーゼェイズ戦のライブ中継があるので寝ないでテレビ観戦するつもりだ。

 これも定年後生活の愉しみでもあり、特権でもあろう。イチローが一気に4安打し、200安打を達成する期待もある。(9月1日)

 

閑話:マリナーズ対ブルーゼェイズ戦を午前2時05分からライブ中継をBS1で見た。イチローは適時打を含む4打数2安打と活躍し,打率は3割5分3厘。7年連続200安打に後2本にしたが試合は1対2でまたもや接戦ながら敗北。

 マリナーズはこれで今季初の8連敗。ワイルドカードでもヤンキースに水を開あけられ今後苦しい試合展開が予想される。

 イチローの安打は極めて難しい球種をイチローならではのバッテイングコントロールで安打を拾ったもので並みの選手では凡打に終わったであろう。

 午前5時まで見ようとしたが、イチローが8回表に2本目の安打で走者を帰したところで眠たくなってソファで一瞬眠ってしまって9回の試合は見ることが出来なかった。

 後で読売新聞社のウェブサイトで試合結果を確認して午前6時ごろに床に就き眠った。

 今、午前10時ごろになってキーを叩いている。明日も午前2時05分からライブ中継があるが、これは見ずにイチローの200安打達成を期待しながら早めに就寝、いつもの規則正しい生活に戻すことにする。(9月2日)

 

閑話:嗚呼なんてことだ・・・。今朝の朝刊各紙を見て呆れるやら失望すらやら!ついこの間の8月27日、農水相に入閣したばかりの遠藤武彦氏(68)が今日辞任することになった。

 日本の農業再生を目指し内容はそれぞれ異なるものの、自民党も民主党も先の参院選挙で基本方針を打ち出したばかりなのにまたもや・・・である。

 松岡利勝、赤城徳彦両氏に続く不祥事だけに安倍首相の任命責任を問われる声が再び高まりそうで再出発を期した安倍内閣に大きな打撃となりそうだ。

 今ほど日本の農業振興を図らなければならないときにトップに立つ農水相が相次いで辞任に追い込まれるのは異例である。

 遠藤氏の場合、自らが組合長を務める農業共済組合が農業災害補償法に基づく共済掛け金115万円分を国から不正に受給していたという。

 田舎で18歳まで過ごした私は農業が次第に廃れていくさまをつぶさに見ているだけに感情的にも怒りを覚えるものである。

 後任の農相には農業振興に真摯に取り組む能力と清潔な人格を有する人物が就任すべきである。

 さらに言えば単に農業に対する関心を持っているだけでなく広い視野から日本の将来の農業の在り方を把握できる人物でなければならない。

 江戸時代には士農工商といって2番目の地位にいた農家であり農業である。農業をおろそかにすると基本的に国力が弱体化する。

 平成の今、与野党を問わず農業再生に真剣な眼を向けるときであると思う。(9月3日)

(注)=後任には若林正俊氏(73)が就任することが決まった。

 

閑話:昨夜は早く床につき朝早く起床しようと思っていたが、あれよあれよと時間が過ぎ、今、午前2時40分である。

 もう決めたのである。午前3時05分から始まる大リーグ、マリナーズ対ヤンキースのライブ中継を見ることにしたのである。

 好調のヤンキースに目下9連敗のマリナーズがイチローを中心にしてどう戦うかを見たくなったのだ。両チームはワイルドカード取得を巡って競いあっている。

 このところ低調なマリナーズがヤンキスーにどういう戦略で臨むのか。イチローはチームの主軸としてバッテイングの冴えをみせたいところである。7年連続の200安打達成を目指すイチローに注目が集まろう。

 そして松井秀のバッテイングはどうか。

 日本選手を代表する2人は火花をちらしながら立ち向かうであろう。

 この辺りでキーを叩くのを止め中継を見にリビングルームに移動し、薄型で大型のテレビで観戦するとしよう。

 む、む、む・・・リビングのソファに腰を据えてものの10分ぐらいで眠ってしまったようだ。7回ぐらいに目が覚めた。

 そして暫く中継を見ていたらなんとイチローが3回に偉大な投手、クレメンスから右中間にソロホームランを放ち200安打を達成したというではないか。いかにもイチローらしくて敬服する。

 これは大リーグ史上、ウィリー・キーラー(1894〜1901年)の8年連続に次いで、ウエード・ボッグス(1983〜89年)に並ぶ、大記録である。新人からの7年連続200安打はイチローが初めてである。

 この日のイチローは5打数3安打で打率を3割5分3厘とした。

 試合後のインタビューでイチローは自分の記録を素直に喜んでいたがそれよりもチームが9連敗の泥沼から脱出したことには嬉しさを隠し切れない様子であった。

イチローが打てばチームメートも張り切る。これがマリナーズの本来の姿ではなかろうか。

松井は3打数無安打に終わった。試合は7対1でマリナーズが勝った。(9月4日)

 

閑話:今日も残暑が厳しい。午前10時頃から、クーラーなしでは過ごせなくなった。昨日はイチローの200安打達成を称えながら、この欄に書き込んだが、昨日の夕刊各紙を見て改めてイチローの偉大な記録を思い知り、噛み締めながら読んだ。

 産経新聞は1面トップでイチローの記事を扱い、朝日新聞、読売新聞も1面に載せ、いずれも関連記事で詳しく書き込んでいた。日経新聞はスポーツ欄で大きく扱い詳しく報道していた。

 1面では「伊藤忠元会長 政財界の黒衣役 島龍三さん死去」(朝日新聞)で3段扱いであった。その他の新聞も大体同じような扱いであった。

 この日の夕刊ばかしはイチローの200安打記録達成の方がニュースバリューが高かったようだ。

 最近の暗いニュースばかりの世の中でひたむきな努力によって本場のメジャーリーグで数々の記録を打ち立てるイチローの奮闘は子供達に夢と希望と勇気を与える。

 まさに時代のヒーローであろう。

 話は戻して瀬島さんのことだが、テレビのAコメンテイターは氏の戦後の政財界の業績を評価しながらも太平洋戦争の全局面で作戦立案に携っただけにその全容を明らかにして欲しかったと述べた。

 私の手元には瀬島さんの著書「瀬島龍三 回想録 幾山河」がある。

 1995年9月30日 初版第1刷発行、同年10月10日第2刷 発行は産経新聞ニュース 、発売は扶桑社である。私は今から12年前に購入したことになる。当時を思い出してみると氏に対する何らかの興味を抱いていたからだろう。

 今、ぱらぱらとめくってみたら大東亜戦争の性格 戦争計画なき戦争 戦争回避の道が同著176Pから179Pにかけて書かれている。

 購入時の私の意図は別のところにあったような気がするがこれからそこを読むことにする。夕方、いつものコースで散歩の予定。(9月5日)

 

閑話:どうも今日のマリナーズのヤンキースに対する戦いぶりはツキもなかったがいただけない。イチローは3回表に今季203本めの安打を放ったものの、盗塁をイチローにすれば珍しく失敗した。

イチローは4打数1安打に終わり、打率は3割5分2厘。城島は2打数無安打。

 もっとも悪いのは7回裏にA・ロドリゲスに2本の本塁打を打たれるなど大量8点をヤンキースに与えたことだ。これでマリナーズはしゅんとなった。結局2対10の大敗を喫した。

 3連戦は1勝2敗となり、マリナーズはワイルドカード争いで3ゲームの差をヤンキースにつけられた。なお松井秀は休養のため欠場。

 1試合目は200安打をホームランで飾ったイチローディーであったが3試合目はA・ロドリゲスディーになった感じである。

 この試合を見てから英会話サークルに参加した。最初はフリートーキング。私はイチローの200安打達成のことと瀬島龍三氏死去のことに触れた。各自様々な身辺で経験したことを述べた。

 その後はディスかションを約20分。残りの時間はCNNのテキストを使ったサモライズ(要約)の勉強であった。

今日のタイトルはEducation Going Online(教育がインターネットで提供されている)であった。

 話は韓国でのこと。学歴社会による受験戦争の過熱とインターネットの普及を背景にオンライン予備校産業が盛んになっているという。

 教室での講習を撮影してネットで公開するというあるオンライン予備校では150万人以上の生徒が学んでいるとCNNのリポーターは伝える。

 その予備校は日本や中国にも進出を検討しているが同リポーターは文化的・技術的な違いから実現は容易ではないのでは、と伝えている。(9月6日)

 

閑話:起床7時ごろ。

 まずBS2で「どんど晴れ」と「さくら」を見て1日が始まった。朝食後、ゴミ出しを済ませ一服しているところだが、今日のスポニチを読んだ。

 昨日の試合で3回表、イチローが2盗を試みて結局、アウトになったがこの際、イチローがまさに退場覚悟の猛抗議をしたことを大々的にとりあげていた。

 大見出しでイチロー激怒。

 見るものは見ているなと感心して読んだ。見た目ではアウトのタイミングではあったがイチローはスライディングを瞬時に停止。

 そして華麗なステップで廻りこみ遊撃手ジーターのタッチをかわしたかのようにみえたが2塁審判の判定はアウト。鍛えに鍛えぬいたイチローの運動能力からすれば、並みの審判には理解できない世界なのだと思う。

 知っているのはイチローとジーターだけだ。

 ヤンキースタジアムでブーイング巻き起こる中でイチローは強烈な抗議をした。この抗議もイチローだからできるのだ。そして重みがある。 

 不合理で理不尽なことには怒れ!怒れよイチロー!

 怒るのも生命力の表れである。ねち、ねちと燻ぶったような不平や不満などは私は大嫌いなのである!

 イチロー、その怒りを残りの試合で勝利のエネルギーに変えて打つんだ、走るんだ、投げるんだ!

そんなイチローに期待したい。

さて私のことだが今日は静かに読書に励みたい。(9月7日)

 

閑話:昨夕は午後6時から8時までのやさしいヨーガ教室に2週間ぶりに参加した。

 みっちり2時間先生という佐保田ヨーガの事務局長をしておられる超ベテランによる指導でみっちり2時間ヨーガ体操(アーサナ)をやった。参加者は6人であった。

 Hさんは月に1度は東京に出張され、あまねく指導を行っておられ、新たに教師を目指される方の試験の判定委員でもある。

 したがって教師の教師という立場におられ、佐保田鶴治先生(元立命館大、同阪大教授)がつくられた佐保田ヨーガの普及活動を全国的に邁進されておられる方である。

 もう1人の我々の指導者である先生もH先生によって教師の最終試験で選ばれたといつかの折、言っておられた。

 そんな大先生によって2時間の指導を受けたのだから適度で心地よい疲れでおそらくいつもより遅くまで眠るだろうと思っていた。

 熟睡したなと思って自然と目が覚めてはたと時計を見たら午前3時であった。いつもより3時間以上も早い起床である。もう一度眠ろうかとも思ったが別に眠くもないのでキーを叩いている。

 もう少しすれば朝刊が配達されるだろう。朝刊を読んでから今日1日の過ごし方を決めようと思っている。(9月8日)

 

閑話:午前7時起床とともにリビングの窓を開けっ放す。部屋の空気を浄化するためでもあるが、ややひんやりとした空気が入り込む。

 朝食を取り、交野市議会議員選挙があるので近くの集会所に行って投票、帰ってみるともう窓から熱気を帯びた暑い空気が入り込んでいた。

 家内に「おい、エアコンディショナーを入れようか!」と反射的に言ったらら、「じっとしてたらそんなに暑くないわよ」と言われたので午前10時過ぎまで待つことにする。

 なにしろ家のエアコンディショナーは20年前、この家を建てたときに取り付けたままの古びたもので効き目がゆったりとして時間がかかる。

 電気製品も食品と同じく賞味期限(耐用年数)がある。これまで2度ほど業者さんに頼んで修理を兼ねて機器の掃除もして貰ったのだが耐用年数には勝てないようだ。

 今年は例年になく猛暑続きでこの古びたエアコンディショナーに頑張ってもらったが、来年は新しいエアコンディショナーを購入しなければ・・・ならんなと思いながらキーを叩いている。

 今さっき読売新聞社のウェブサイトを見たら大リーグの試合結果が表示されていたがタイガース戦でマリナーズのイチロー選手は4回表までに1安打を放っていた。今日は3安打ぐらい打って昨日の無安打を帳消しにしてほしいものだ。(9月9日)

 

閑話京都のアバンティーブックセンターに行って予約していた佐高信編 「城山三郎氏の遺志」(岩波書店刊)の書籍を買った。

 ついでに友人の1人と行ったので同センター地下1階の食堂で寿司(6貫)などを食べながら四方山話を茶を咲かせながら一時を愉しんだ。

 城山三郎さんが逝去してから書斎にあった本2冊を読んだことはこの欄で紹介した。

 城山さんは志のある政官財の大物を主として書き続けた。(佐橋滋、石坂泰三、石田禮助など・・・)

 一方で歌人として存分に定年後生活を生き生きと送った「部長の大晩年、永田耕衣」など異色な人物も書きその感想をこの欄に書き込んだのは随分と前のように思われる。

 実名を出し、ノンヒクションタッチの小説であるが、いずれも高い志を持った人物を書き続けた。

 私は佐高氏は城山さんとの交誼が深いのを知っていて氏の編となるこの本は城山さんの人となりだけでなく作家としての生き方を知ることが出来ると思い、購入した。

 明日あたりから今読んでいる書物と並行して読み、私なりの城山さんの作家魂を学びとっていきたいと思っている。

 ところでイチローのことである。やってくれたじゃないの!この欄の9月7日に審判のジャッジに悔しがるイチローイチロー怒れ怒るんだイチロー!と檄を飛ばしたが、3日かかってイチローはかつてのパワーを全快、打ちに打った。

 タイガース3連戦の最終日の今日、読売新聞社のウェブサイトによると、4打数3安打と猛打を振るい、新人から7年連続の100得点も記録した。打率も3割5分1厘に上げ、首位打者争いにも改めて狼煙をあげた。

 城島は4打数無安打に終わったものの、試合は14対7でマリナーズが圧勝し、4連敗を脱した。

 この調子でイチローよ、ワイルドカード争いでも地区優勝でも奇跡を起こすべぐチームを自分のバッティングで守備で盗塁で引っ張るんだ。再び檄を飛ばしたい。(9月10日)

 

閑話:今朝起きてすぐいつものようにリビングの窓開けっ放した。暫くすると、冷気に肌寒く感じ、ものの10分くらいで窓を閉めた。